日々是迷々之記
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2001年09月26日(水) |
自転車とつきあうと言うこと |
自転車で車線変更した瞬間、誰かに撃たれたかと思った。しかし、よく見ると、後輪がパンクしていた。空気圧が高いのでパンクすると一気に空気が抜け、「パン!」と鳴るのだ。
病院まであと200mくらい。バーストした後輪をもちあげて、前輪を左手で支えつつ病院へ。電信柱にくくりつけてリハビリを受けに立ち去った。
1時頃リハビリが終わって、さぁ修理だ。といってもチューブラータイヤというもので、タイヤとチューブごと交換して空気を入れるだけなのだが。そのために、タイヤとチューブが一体化したものと空気入れはいつも携帯している。
リアのギヤ(フリー)をアウター側にいれ、ブレーキワイヤーの張りをゆるめ、自転車を裏返す。そして後輪を外す。タイヤをみると3ミリほどの裂け目がある。「とほほ…。これ再生不可能やわ。」
気を取り直して、新品のタイヤを取り出し軽く空気を入れてみる。これがシンドイ。しかも、空気入れを外すとき、バルブの中の栓(ムシっていいます。)に振れてしまい、プシュ〜っと抜けてしまう。脱力してしまった。
そこにリハビリ室の助手であるN村さん(30代既婚)と、U久君(20代学生)が、お昼ご飯を食べて通りかかった。「あれ〜、何やってるんですか?」「空気入れてるねんけど、しんどくて入れられへんねん。」「何を怠けたことを言ってるんですか!これもリハビリの一環として…」などとネタのような会話をして、空気入れを貸してもらった。車椅子のタイヤに空気を入れるように、常備してあるのだ。
持ってきてもらって、なんだかんだといいながら空気を入れる間、いろんな人がやってきた。事務のおねえさん、職員のおっちゃん、患者さん、顔見知りの人が多いのでなんだか恥ずかしかった。あんまりモタモタやっていたので、「自転車屋さんでやってもらったらいいんじゃないですか?」などと言われトホホな気分になってしまった。誰かにやってもらえれば楽だけど、自分でやってもできるんだから、自分でやりますです。ハイ。
結局自転車に造詣の深い、N村さんにいろいろと教えてもらい自転車は乗れるようになった。
私の人生では、トラブル時に誰か何かしら現れて助けてもらえることが多い。ニュージーランドでパンクしたときも、ニッサンのピックアップに乗ったおじさんが、親日家の牧場の家まで連れていってくれて、慣れた手さばきで直してくれて、お茶まで飲んでしまったし。
特に取り柄もない人間だが、そういう面で恵まれているのはちょっとうれしい。それを当てにせずに自分の能力を上げることは勿論必須なのだが。
こういう楽しみもトラブルも全部いっしょくたにつきあっていくと、だんだん分かり合えて楽しくなっていくのは、自転車も人間も一緒かもって思った。
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