日々是迷々之記
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2001年11月13日(火) 戦いの夕食・再び!

昨日、電話でダンナさんと話していたら、炭水化物の取りすぎを指摘された。なぜなら昨日の朝食はゴハンと納豆、お昼は食パンと紅茶、晩はヤキソバとゴハンとおみそ汁。ふむふむ確かに。1個60円だったので思わず購入してしまった特大キャベツを消費するがための無謀なメニューになってしまっていたようだ。「キャベツ炒めソバ入り」のようなヤキソバ、「キャベツ煮」のようなおみそ汁。うう、いかんいかん。

ということで健康な体は健全な食生活から!と思い立ち、今日はまともな夕食を作ることにした。挑戦するのは茶碗蒸しである。実は茶碗蒸しを作るのは初めてではない。実家にいたころは家族もいたので普通に作っていた。しかし、今は一人なので実家にいたころのように6個一気に湯気の立った蒸し器に入れるような作り方はできないのだ。たったひとつの茶碗蒸しをどうやって作るべきか、自分なりに考えてみた。

まず、具はたくさんの種類を入れずに少数精鋭主義で行く。今回は百合根と銀杏のみ。でも、百合根は一個分、銀杏は5個入れて、寂しくならないようにする。ダシは「永谷園松茸のお吸い物」を使用。これは干し椎茸や鶏肉のようなダシの出る具を入れないのでせめてと思い、人工松茸のチカラを借りることにした。蒸すのはジャバラ式蒸し器を鍋に入れてすることにした。正式名称は不明だが、ドーム型に穴の開いた金属板が並べてあり、鍋の径に合わせて直径が伸縮するタイプのもので、何故かカナダの雑貨屋で購入した思い出深い一品だ。

まず、百合根をむく。泥の中にあるものなので当然だが、すきまにみっちり泥がつまっている。がしがしと流しながらバラす。そして銀杏。固いカラと中の茶色の皮を外すため、プライヤーではさんでヒビを入れ、手で剥いた。しかし、めちゃくちゃ剥きにくく、銀杏の表面は月のクレーターのようになってしまった。もしかすると何かいい方法があるのかもしれないなぁとふと思ったが、もう後戻りはできない。

お椀に「松茸のお吸い物」を空ける。すると、海苔、ダシの粉末、お麩、ネギが入っていた。うむむと考えて、海苔は取り出し食べてしまい、お麩は傍らのみそ汁に投入した。そこにぬるま湯をカップ半分ほど注ぎ攪拌。湯が冷めてきたら、タマゴ一個を投入して攪拌。時を同じくして茶碗蒸し茶碗に具材を投入、上からタマゴ液を流し込む。

そして湯気の上がった蒸しなべに入れ、フタをして蒸す。数分後、竹串を刺してみるとちゃんと固まっているようだった。

な〜んだ簡単じゃないのと思い、食卓へ饗する。傍らには炊き立ての新米がツヤツヤと輝き、オクラのおひたしはネバネバ、そして鮭の切り身は皮を焦がして待っている。ずずっとおみそ汁をすすり、やにわに茶碗蒸しを食べる。むむ!固い。コンビニの焼きプリンのようだ。味は茶碗蒸しというより、出汁巻きのようだ。でも、百合根はほくほく、銀杏もぷりぷりして美味しかったのでヨシとしよう。

食後、ネットで「茶碗蒸し 作り方」の検索をしてみた。すると、平均してタマゴ一個あたり400ccのだし汁を入れているようだ。なんてこった。わたしはその5分の1くらいしかダシを入れていないではないか。それは固くて当たり前なのだ。しかし、今回の茶碗蒸し、タマゴ液の量は丁度よかったので正しい茶碗蒸しを作るとなると、タマゴの量は5分の1個ということになるのだろうか?う〜ん、それはめんどくさい。

やはり茶碗蒸しは一人暮らしで作るものではないのだろうか?鍋物、ギョーザ、ちらし寿司に加えて、またひとつ一人暮らしでは作る気のしないものが増えてしまった。


nao-zo |MAIL

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