日々是迷々之記
目次|前|次
病院に入院していた頃、顔見知りになったひとに本当に久しぶりに会った。彼女は恐らく40才台で独身、体の具合もあって今は生活保護をもらいながら一人暮らしをしている。
今日、彼女と会ったのは救急外来の前だった。以前から痩せている人だったが今はやせ細って顔色も悪い。帽子を目深にかぶっているのも何か理由がありげだった。なるべく動揺を隠すように、明るい感じでどうしたのとたずねてみた。
特に理由はなく、ゴハンを食べる気もしないし、夜眠れないしってだけだと言葉少なに言った。そして、久しぶりやなとも。そこで彼女は目を伏せるように「先生、なかなか来ぇへんなぁ。」と言い、タバコを吸いに外へ出た。
すると同じ頃に知り合いになったおばちゃんにあった。恐らく母親よりも年上くらいだけれど、非常に話しやすい方だ。わたしの顔を見て何も聞いていないのに、彼女のことを教えてくれた。最近どうしてるのかな?と思って昼食に誘ったら声が暗く、何も食べていないとのことだったので、アパートまで会いに行ったら、死にそうな顔をしていたので、救急車を呼んで彼女を連れて来たのだという。目深にかぶっていた帽子は、栄養失調で抜けてしまった髪の毛を隠すためなのだそうだ。
「あの子はあかんわ。一人でおいといたら死んでまう。入院させたらな。」私もそう思った。いいかげんなところがなく、年下のわたしにまで敬語で話しかけるようなきまじめなタイプだ。外に出るのも自分から行くタイプではないし。
おばちゃんが彼女を呼び戻して説得を始めた。「さびしい」と彼女は繰り返す。おばちゃんと私が「ほぼ毎日リハビリに来ているから、顔を見せに寄るから。」と言うと、「逆効果やねん。その時は楽しいけど、自分らが帰ってしまった後がつらいねん。会う前よりつらくなるから。」と言うのだった。
その言葉に私は返す言葉が見つからなかった。どうしたらいいのか分からない。今日会えたら、明日以降会うことを楽しみにしていればいいと思うのは能天気すぎるのだろうか?しわしわになってしまった彼女の手の甲を見ると言葉が出なかった。
「アホかあんたは。そんなこと言ってたら死んでまうで。ええから入院して点滴して1日3回ゴハン食べてたら1週間で元気出るわ!」おばちゃんが早口で言った。そのとおりだ。わたしもこういう風に的確な言葉を衒うことなく口に出せたらと思わずにはいられない。
「あぁ、ここにおったんかいな。」先生がやってきた。私の主治医の先生でもある。先生は私と目が合うと、「もう帰りや。」という感じで目配せをし、彼女を伴い救急外来へと帰っていった。私は会釈をして病院を離れた。
こういうときに私は幸せであることを感じずにはいられない。私自身はたいした人間ではないのだが、人には恵まれていて、本当に辛くなったときには誰かが助けてくれたり、ヒントをさしのべてくれる。だから本当に彼女の感じるような孤独感、ひいては悲しみを感じたことはないと思う。
幸せであることを恥じる必要はないけれど、そうでない人にかける言葉を持てないのは悲しい。このままでは私のまわりの「いとしい人々」が悲しいときに私はなにも出来ないではないか。まだ見えない不安そのものが不安になってしまう。
明日病院に行ったら、きっと彼女は入院しているだろう。ちょっとだけ顔を出して、さっと帰ろう。長くいることが彼女の後の悲しみにつながってしまったら嫌だから。
さびしい気持ちは夜の闇に増幅されてしまうだろうし。
|