日々是迷々之記
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先日の日記を書いた後、わたしは一睡も出来なかった。悲しいわけでもなく、怒りにふるえるのでもなく、ただひたすら心の中でうわんうわんと風の吹きつけるような音がしていたのだ。
だめだ、病院に行こう。そう思い立ち、家と会社の通勤路の上にある診療所を見つけた。9時になるのをみはからって電話をしてみる。優しい口調のおねえさんで少し安心した。最後に、「うちは精神科がメインになりますが、よろしいですか?」と聞かれた。精神科、思いこみかもしれないが、肛門科と同じくらい緊張する科名だ。内科や皮膚科のようなメジャー感がない。かくしてその診療所はエレベーターががこんがこんとなる、レトロなビルの2階にあった。
10分ほど待って、診察室へ。初めて見るタイプの診察室だ、大きめの木の机とソファ。血圧を測るスタンド、窓の向こうから日が差している。
「どうしましたか?」わたしは不眠、一人でいるときに食事ができない、顔の左半分(唇周りが特に)のけいれんがあると伝えた。そのあたりまでは平静を保てたが、家族の話に及ぶと、わたしは少しづつ涙を流しながら語ってしまった。
精神科の先生というのは一種独特な雰囲気がある。あいづちは打つけれど適当さを感じさせるものではなく、モノを尋ねるときも詰問したり、私が悪いと思わせるような尋ね方をしない。そしてものすごいスピードで私の言ったことの記録をとる。
診察の結果はごく軽度のうつ病。今回の出来事の直接の原因は母親が倒れたことによる心配や不安。もともと良く思っていたわけではないのに毎日顔を見ることへのストレス、そして顔を見ることにより、嫌な思い出ばかりが蘇って私はつらいんだそうな。
とにかく今はたくさん寝て、没頭できることを一生懸命やって、それから余力があれば病院に見舞えばいいですよ。と言ってもらった。意識がないうちは見舞う側の気持ち的な負担というのはかなり大きいそうだ。
わたしは2時間ほど話を聞いてもらい、睡眠薬、抗うつ剤、抗不安剤などを処方してもらった。
病院を出るとき、「ああ、わたしはうつ病なのだな。」とふと思った。弟が鬱病であることを隠して、母親になじられた父親のことを一瞬思い出した。あの母親が口がきけたら今の私を見て何をいうだろうか?何、甘ったれたこと言ってるの、そんなもの病気のうちに入りもしない、ああ、情けない。くらいは立て板に水のごとくまくし立てるだろう。今日の見舞いは止めよう。
かわりに友達にメールを打った。こないだ日本酒記念館に行った友達だ。年末年始は忙しいらしいけど、今日は7時くらいに終わるみたいだった。近所の巨大ブックオフで待ち合わせをする。待ち合わせは本屋が好きだ。多少遅れても暇つぶしができるし、第一暖かい。
会うなり、今日は精神科に行って軽度の鬱病だと言われたよ、と言ってみた。あー、そうなんと普通に言った。何でも話したくなったら溜めないで話さないとあかんよ。こんなこと言ったら引かれるかなぁとか思って、自分の中にしまうのが一番あかんから…。
この子の話し方、聞き方は精神科の先生にちょっと似ていると思った。「なんでそのとき言わないの?」とか昔のことを今聞くようなことはしない。じっとこっちを見ながら、ゆっくりうなずいたり、ちょっとビックリしながら聞いてくれる。アドバイスも面白かった。日記もそうやけど、紙に書く、泣きたくなったら泣く、今よりもっと最悪なことを考え尽くしてみる、ほんの少し先に小さな希望を持つ。そんな話だった。
最後に石上神社で手に入れたという緑の勾玉を見せてくれた。石上神社といえば物部氏の斎宮である布都姫のことを思い出す。(@日出処の天子)この神社は奈良県の天理近辺らしい。カブで行こうかなと思ったがちょっと日帰りはしんどいらしい。
「春になったらバイクを買おうかな。」私がそういうと、「また一緒に走れるなぁ。」と言った。8年前、わたしが免許を取って、初めて他の人と走ったのはこの子なんである。地獄の酷道と呼ばれる暗峠(国道308号線)、朱雀門なんかに行って、リンガーハットで皿うどんを食べた記憶がある。結婚して、カブに乗るようになって、私は一人で走ることがほとんどになってしまっていたことに気が付いた。
帰り道、私は行きよりも心が穏やかになっていることに気が付いた。昼に薬を飲んだからと行ってしまえばそれまでだが、たくさん話して、少し先に小さな希望を持って、それだけで気持ちは変わる。私はなんぼ稼ごうが、強がろうが、絶対一人では生きていけないタイプの人間だろう。
でも今はそれでいいや。
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