日々是迷々之記
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| 2005年02月10日(木) |
戯れ言王から学ぶこと |
「戯れ言王」それはうちの母親である。私は顔も見たくないので、先生や保険福祉課の人に会いに行くだけだが、おばちゃん(母親の妹達)はいやいやながらも一週間に一度は見舞いに来ているらしい。それをいちいと報告してくれるのが有り難いやらなんなんやら。
「お母さんなぁ、ロト6で40億当たって、昼から銀行の人が持ってくるから、そのお金で家に手すりつけて家帰る言うてたで!」 「三井住友の通帳がテレビの下の引き出しに入ってて、4000万円入ってるからそれで介護してくれって言うてたわ。」
…。誰が寝たきりのババアのところに40億円なんか持ってきてくれるのかね?テレビの下の引き出しって、開き戸しかないし、そこは重ね撮りしまくって画像が荒れたビデオテープの墓場じゃないか。
「正月にも帰ったから一週間に一度は家に帰りたいって先生に言ってるんやけど帰してくれへんねん。」
あのー、ベッドから上半身を起こすこともできない寝たきりがどーやって階段しかないアパートの4階に帰ったんですかね?
もしかして、本当にボケてしまったのかもしれない。まだ64歳かなんかのはずだが。月末に転院をする予定だったのだが、こないだの手術の経過がゆっくりで、まだ抜糸すらできないらしい。普通は一週間くらいで抜けるらしいのだが、糖尿病を患っていたせいか、血管がもろいので大事を取っているというのが先生の弁。
将来は本当にこんなふうにはなりたくない。運動神経が鈍くても、健康で、そして愛されてなくても、疎まれない人間でありたいと思う。そして、一人で賃貸ボロアパートに暮らさず、将来一人になったら、「一人用一軒家」のようなものを借りて、毎日散歩したり、友達らとチャットして孤独倒れするようなことだけはしないでおこうと思う。
うちの母親から学ぶことがあるとすれば、「反対のように生きなさい。」ってことだろう。やっとわかったぜ。
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