日々是迷々之記
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2005年08月25日(木) 母親語録

先日、面倒だなぁと思いながら母親の入院している病院に行った。目的は入院代金の支払いである。が、ベッドサイドのテーブルに請求書がなかったので、母親に聞いたら奈良に住んでいるおばちゃんが払ってくれたと言った。私は、じゃあ、お礼言っておくわと言い病院を後にした。

その晩、奈良のおばちゃんに電話をした。入院代金を払ってもらってありがとうございます、で、なんぼでしたか?振り込みをしたいんですが、と言うと、「なんで?そんなん払ってへんで〜。」と言われた。どういうことなんだろうか。「そんなに現金持ち合わせてるわけないやんか。」と言われてしまった。確かに。

ということはもう一度支払いをしに病院まで行かなければならないのだ。バイクで片道1時間はかかるんだけど。めんどくさい。

おばちゃんは、「あんたのお母さん、また突拍子もないことを言ってたでー。」と報告してくれた。あーまたか。ボケが加速しているなぁと感じる。今回の母親のトンデモ発言は以下の通り。

・母親の腹違いの姉が小泉首相に抜擢され選挙に立候補した。

・今すぐTを呼んでほしい。(Tとは3年くらい前に亡くなった父親。母親とは20年前に離婚して音信不通だった。)

・Tが亡くなったというのは一族の作戦。ウソなので所在を確認して欲しい。

・家に帰れば東京のおばあちゃん(Tの母親。もう亡くなっているらしい。)が面倒を見てくれる。今すぐ帰りたい。

などなど。出てくる人物が皆、もめていた人物だったというのが興味深い。腹違いの姉とは財産争い。Tとは根本的に相性が悪く私が小学生の時は毎日のように流血の夫婦げんかをしていた。Tの母親は新興宗教にはまっており、変なものを我が家に売りつけたり、坊さんを勝手に呼んでお祓いしたりしていたので、母親は毛嫌いしていた記憶がある。

結局母親はこれらの人と仲良くしたかったんだろうか?老いて、体の自由が効かなくなり、ボケるというのは哀れなものだ。もっとも本人は何も分からず感情を垂れ流ししているだけなので、悲壮感も何もあったもんじゃないのだろうが。

私は自分の母親の事ながら、あまり可哀想とも思わない。今までやってきたことを考えればしょうがないような気がする。人に恩を売って見返りがないと文句を言ったり、お金の匂いがするほうにふらふら引き寄せられて行ったり、しょうもない情報を鵜呑みにして極端なまでに傾倒してみたり。そのたびに私と妹は右往左往していた。

「京大生と合コンできるから。」という理由で私が京都にある大学を志望していることを歓迎していたし、妹はプロゴルファー、将棋の棋士など「一発当たれば大きい」プロにならされそうになっていた。(もっともそんな経済力はないのだが。)あの人は、どこか他人を持ち駒、利用するものだと思っている傾向がある。

あんな生き方だけはしたくないと思う。利用する、される。だます、だまされる。そういう人間関係とは無縁の世界で生きていたい。心やすらかな人たちがいて、必要な物だけに囲まれて、淡々と生きる日常。

そんなものあるだろうか。


nao-zo |MAIL

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