日々是迷々之記
目次|前|次
朝起きたらちょっと吐いた。頭の左側がずきずき傷む。ああ、だめだ、と思いつつ会社に休みますと電話をした。それから淡々と眠る。淡々と、という表現はおかしいかもしれないが、そんな感じ。トイレに行きたいときに目が覚めるだけ。結局夕方4時まで眠った。
外は雨が小降りだった。まあこんな機会でもなかったら行かないし、と思い、地下鉄で母親の入院する病院へ向かう。驚いたことに快適だった。電車は涼しいし、駅のホームもほどよく風が吹いている。バイクなら50分くらいかかるのに、地下鉄だと30分ほどで着いてしまった。
入院代金の支払いを済ませ、エレベーターを待っていると、花束を乗せたベッドを運んでいる白衣のおじさんがいた。誰か亡くなったのだろう。神妙な表情でエレベーターを待っている。地下の霊安室へ向かうようだ。
母親の病室へ向かうと、今から食事だった。食事と言っても口から食べるのはちいさなゼリーひとつだ。ほとんどは鼻に通した管から胃に流し込まれる流動食で栄養を採っている。左手だけを使って器用に食べる。その様子を見て、何だかほっとした気持ちになった。
食べながら話し始める。話に一貫性はない。おばちゃんが持ってきたすいかが美味しかった。JRの事故で誰かが亡くなった。銀行に行きたい。暗証番号を考えて欲しい。半分は意味をなしていて、半分は意味がない。
でもこの人はこれで幸せなのかもしれないと思った。涼しい部屋。優しい看護婦さん。お金の心配もせず、テレビを見て、来た人間に好きなことを話して眠る。小さなボロアパートでせこせこ暮らしていたころとは違う。何も心配することのない世界で、母親は幼児のような顔で話しながらゼリーを食べている。
この人にはもう、人を恨む気持ちがないんだ、と思うと不思議な感じがした。生きているときはまるで他人を持ち駒のようにして動かし、小さなお金に右往左往していたのが嘘のようだ。楽しかった頃の思い出、知っている人のいい部分だけを反芻して日々暮らす。
幸せならそれでいいかとも思える。子供のような顔を見ていると、私も生き方を変える時期なのかなと少し思った。33年間、私は少しあきらめた気持ちで生きてきたように思う。親だって私のことが好きではないのに、他の人が私のことを好きになるはずはない。ずっとそう思っていたから、なるべく気持ちを見せるように、人を嫌な気持ちにさせないように、と思い、その反面、誰にも嫌いとも嫌とも言わずに来た。他人をけなすのはこの日記の中くらいだ。
しかし、私のこんな性格の原点を作った親はもう、そこにはいない。死んだりボけたりして、子供の頃の親ではない。私が縮こまる必然性はもうない。
地下鉄のホームに立つ。電車が来ると風に吸い込まれそうになる。吸い込まれるように落ちてゆけば楽なのかなと思うことはよくある。が、どうせきれいには死なないのだろうな、とも思う。
でもこれからは落ちることを考えなくてもいいかなと思った。母親が過去を忘れてしまえば、わたしさえそれに縛られなければなかったことだと思える。その他の悩みは自分でどうにかできる。仕事だって嫌なら辞めればいいからだ。でも、生きてきた人生自体をやめることはできない。
「忘れる」っていう解決方法もあるんだな、と思った。明日は今日よりちょっと自由だ。きっと。
|