日々是迷々之記
目次|前|次
昨日、夜半に病院から電話があった。医療費減免関連の書類が8月末で期限切れなので新しい書類を持ってくるようにとのことだった。昨日の日記のことも引きずっており、会社に行く気もしないので、会社を休んで母親の入院する病院へ行った。
湿度120%の外界に比べ、病室の中はエアコンで適温に保たれていた。その中で母親はワイド番組を見ているのか、寝ているのか、その中間といった雰囲気だった。誰かが来ると目を開いて会話するのだが、一人だと眠ってしまったように目を閉じてしまうことが多いと言う。相変わらず鼻には管が通してあり、食事は鼻から流動食を胃に流し込んでいるようだった。
支離滅裂なことを話している。最も、本人にとっては筋が通っているのだろう。もう亡くなってしまった人が生き生きと登場する。最近誰さんは顔を見ないが元気なのだろうか、などと言う。
この人は幸せなんだなぁと思うと同時に小さな消化不良を感じた。生まれてから33年間色んな不合理なことがあった。そのほとんどは身勝手で無知な母親が繰り出して来た物事に巻き込まれたわけで、子供の頃からそんな親を少し醒めた目で見て大きくなった。大人になったらこんな風にならないでおこう。バランス感覚と常識を身につけて、よく生きようと思っていた。
その結果、騙すよりは騙される方、一目置かれるよりは笑いのネタな方、というちょっと情けないキャラを持つようになったわけだが、それはそれで満足だった。最大限の予防線を張っておけばそれほどひどい目にも遭わずに生きてこれたからだ。
その分、私は醒めた見方が根付いている。全ての親が自分の子供を愛している、そんな言葉が未だに信じられない。たまたま生まれてきたのが自分の親の所で、全ての子供は神様からの預かり物であるという方を信じてしまう。たまたまあの父親&母親のところにやってきただけなのだ。
だから、「あんたなんか産まなきゃよかった。」「今まで育てた分、金返せ。」などと言われても、「これは自分の人生なのだ。」と思うことでほとんど気にせずに過ごすことができた。
そんな中でも、入学式や卒業式に来てもらえない、色鉛筆を買ってもらえない、高校も大学も私学を併願させてもらえないなど、「何でやぁ〜!!」と叫び出しそうになる側面はあった。
しかし、今となっては母親はまるでほとけさまのように横たわっているだけだ。誰を苦しませたことも、嫌なことをしたことも全て覚えていないかのように思える。
私はどうすればよいのだろう。怒りも恨みもどこへも行くことができない。ただ蒸発することを私の記憶の中で待っているようだ。「死んでまえ!」と言い横たわる母親の細い首根っこを握力44kgのこの手で締めてしまえばいいのかなと思ったことも正直あるが、今、弱りきった母親の顔を見るととてもそんなことはできないのであった。
帰り際、母親は今度バナナを買ってきて欲しいと言った。私はきっとバナナを買ってくるだろう。
これが勝負なら、私はきっと負けだと思う。
|