日々是迷々之記
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2005年11月12日(土) 布団の中の二日間

先日「キッパリ!」をくさしたせいか、熱が出て寝込んでしまった。(笑
ほぼ2日間布団の中でじーっとしていた。寝たり、本を読んだり。大昔の少女漫画一気、とか、ねこぢる著作一気などをやっていたら、頭の中がふわふわしていた。そして最後に「自殺されちゃった僕」を読み返した。

この本は、友人二人(ねこぢる、青山正明)、そして奥さんを立て続けに自殺で失った人の手記だ。以前一回読んだのだが、あまりの重さに読み返すことはなかった。それを手に取ったのである。

やはり重かった。世の中には死ねる人と死ねない人がいて、死ねる人は死んでしまい、死ねない人が生きている。総じてしまえばそういう結論なんだが、私はどっちなんだろう。別に今死んでも構わないけれど、そうしてしまえば親のことを他人に押しつけることになるわけでそれは本意ではない。逆を言えば私が天涯孤独で寝たきりの母親しかいないという状況だったらとっくに死んでるってことだ。

親というのはくじ引きみたいなもんだと思う。大体あたりで一部はずれ。はずれを引くと一生引きずる。民法上扶養義務があるもんで、いわゆる絶縁や親子の縁を切るという法的手続きはできない。子供の頃、どんな不合理な仕打ちを受けても、ボケれば世話をしなければならない。それが日本の法律なのだ。

そんなわけで自殺というのは一つの選択肢なのかもしれない。あ、別に今すぐという意味ではなく、カバンの奥底にナイフをしまっておくと心強いみたいな感覚で言っているんだが。

夕方、起きられるようになったのでナンバに行ってきた。ジュンク堂で「完全自殺マニュアル」という本を立ち読みするためだ。が、しかし18禁らしくビニールでくるんであって中は見られなかった。私はどんなに内容が素晴らしくても、文体が気に入らなかったら読めないんである。まあいいか、と思い、西原理恵子の新刊を買った。

レジの近くに「キッパリ!」の著者の続編のようなものが出ていた。似たような表紙なんですぐにわかる。2匹目のドジョウとかそういう言葉を思い出す。腰に手をあてて、斜め上を向き、拳をつきあげれば元気になる、って平和なんだなぁと思った。

話は全然関係ないが、宇多田さんの新曲「Be My Last」をiTunesMusic Storeでダウンロード購入したんだが、あまりの暗くて深い世界に絶句してしまった。一体何があったんだ、と思ってしまった。大金持ちだろうし、才能もあるし、若いし、幸せなはずなのにあの歌詞の世界って一体…。「育ててきたものを壊さなければいけない」、「いつか結ばれるより、今夜一時間会いたい」って、どうしたんだぁと私が彼女の姉とかなら話を聞きたいと思ってしまった。

精神的に深い世界を意識して生きてゆく生き方というのは、日本ではしんどい生き方なのかもしれない。お金で買える幸せで本当に幸せになれる人にはいい国だけど。

んわっ。今日の日記はオチがないなぁ。


nao-zo |MAIL

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