おとなの隠れ家/日記
marko
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2006年10月24日(火) ■ |
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無責任なおとなの恋愛の果てに。 |
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恋愛と呼ぶかどうか、と考え出すときりがないので深くはつっこまないが 一般的な恋愛、つまり男と女の関係について わたしはオープンというか、無節操というか、無鉄砲というか あまりこだわりを持っていない。
婚外だろうが、同性だろうか、かなりの年齢差があろうが 男と女が出会って何かが始まる、そこにいろんな形があるのねぇ というぐらいにしか思っていない。
ただし、こどもの生命を危険にさらすような男と女の関係には とても憤りを感じる。
悲しい話だが、こどもの虐待事件を頻繁に目にする。 しつけと称され、度重なる暴力や食事を与えないという まだか弱いこどもたちが拷問に合っている。
ニュースを聞くたびに、やるせない気分になるわけだが 同時に目に止まるのが、こどもを虐待するおとなの関係に 「内縁の妻・夫」が目立つことだ。
わたしの頭に浮かぶのは 幼いこどもを連れての離婚、その後出会いがあり 恋愛関係になり同居しているという絵だ。 同居は結婚に比べると、その日からでも始められる。 安易な行動とも言える。
こどもがいるおとな、つまり親であるならば こどもに対しても社会的にも責任がある。 恋愛するのは勝手だが、責任からは逃れられないわけで 好きだから一緒にいたい、一緒に暮らそう、という当人同士だけの話では 済まないってこと、常識があれば気づきそうなもんだが そうもいかなくなっているんだろう。
こどもの虐待で逮捕されたおとなが口を揃えて「しつけ」といい訳する。 手をあげるということと暴力の区別もつかないのは すでに人として壊れているわけで 壊れている人間に、誰かのしつけなんて出来るわけがない。 しつけの行きすぎとかじゃなくて、拷問だろ? その上、命を繋ぐだけの食事も与えないってのは殺意があるとしか思えない。 人間は食べなきゃ死ぬんだからね。 こういうのは「しつけ」の仕方が悪かったなんていうレベルではなく 非人道的な行為だ。 つか、報道も「食事を与えない虐待」という表現では手ぬるいよ。 食べなきゃ生きられないのだから、計画的とも思える殺人行為とかさ もっと危機感のある表現を使ってほしいもんだ。
重ねて書くが、暴力と食事を制限することで、しつけなんて不可能だ。 恐怖のあまり、いうことを聞くということもないとは言えないが それは、しつけではなく脅しだ。 そのくらいも考えられないおとなが、 結婚だの、子育てだの、思い上がりもいいところだ。
最近の事件で、3歳のこどもが虐待による餓死で命を落とした。 内縁の妻・39歳の女性が関わっている。 39歳でこれだ。 恋愛と結婚の違いがわかっていない。 こどもがどういう生き物かも知らない。 命の大切さなんて、てんでわかっていない。 結果からさかのぼれば、無責任なおとなの恋愛の果てに こどもが殺されたと、わたしは思う。
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