いきあたりばったり
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2005年09月11日(日) 選挙結果によせて

Rへいのおうちで夜ニュースをみてたまげました。

私としては首をかしげる選挙結果です。
家に帰って、月曜日。
新聞にしっかりと目を通したのですが、やはり疑問は大きい。

そして何よりも、懸念されるべき問題も多いように思います。
個人的には郵政民営化自体には反対ではありません。
この間の改正案には多少疑問もありますし、全面的に賛成ということでもないですが。
ただ、ある議員が
「手紙なんてものは、廃れていくもんだ。だから民営化だ」
というような内容を、選挙前にはいてらしたのには唖然としましたけれど。
問題外だなという以上の言葉はありません。

ドイツの郵便局が民営化されていると知ったのは、この騒動の一連のニュースででした。
ドイツには実際何度か足を運び、郵便局にもお世話になっていますが、
何ら日本の郵便局と雰囲気の差がなく、そうだったのか・・・という感じです。
日本がドイツのようになるには、難しいでしょう。
気質は似ていると言われても非なるもの。
ドイツ人のまじめ加減はすさまじい。
日本の体質が、民営化の妨げになることは間違いないでしょう。
公営であった利点に、サービスが挙げられるように思います。
競争に邁進していくことによって、地方でこそ発揮されていた
サービスと言うより、気遣いがなくなってしまえば・・・と思います。


何故、私が今回の選挙結果に首をかしげるかというと。
それは私が憲法9条改正に反対の立場の人間だからです。
郵政民営化うんぬんだけで、もし自民党に投票した人が多数というのなら、
暗澹たる日本の未来にただただ沈鬱するだけです。

しかし実は、今回の選挙にあたり小泉総理を評価するところも私はあります。
それは結果より、選挙に至る経過です。
「政党」
というものの曖昧さ、その中にある嘘を世間へ露呈してくれたからです。
「政党」とは、「同じ政策をかかげ、その実現をめざす団体」とあります。
人間10人も集まれば、10一緒なんて事はあり得ない。
100を超せば「政党」の定義なんて、理想以外の何者でもありません。
政治家は、「政党」のためにいるのか、主権者たる「国民」のためにあるのか。
と問えば、おそらくは「自分のため」の「政治家」「政党」である人も多いでしょう。
自民党という傘を着ると言うことは、きっとそういうことなのだろうと考えます。
今回の解散で、いっそもっとバラバラになり、ある程度「政策」が浮かび、
それに結集する政治家という図を見てみたかった気がします。
あるいは、そのように向かう過程を。
それはおそらくは一時的なものであり、国会で議決を繰り返すたび
くっつき離れくっつき、また大きな党が出来る可能性の方が高いでしょう。
しかし、それでも一度すっきりした国会を見てみたかった。
そういう意味でその可能性の一端さえ見せ、今一度「政党」の意義を確認さ
せる機会を与えた小泉さんには、やはり面白いと考えさせるものがあるのです。
ただ、結果によりそれらの評価は私の中で、無に帰しましたが。


大増税、憲法改正、教育基本法改正。
それにあたって、今回自民党が議席を得たことが何を意味するのか。
しかも、与党の得た議席数はそれだけで議決を行える数で。
後者二点は、教職を特に社会科で目指すものにとっては頭の痛い問題です。





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