いきあたりばったり
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まさに、ゴージャスな舞台だった。 とても分かり易い、ゴージャス感溢れる照明。 しかし、そこに乱舞する人びとのレベルがものすごかった。
そして内容も、現代に溢れる問題を、さりげなく描いた素晴らしい物だったと思う。 人類が繰り返してきた争いや侵略の解決方、 理解し合うと言うこと、違いを認めると言うことが、 クビにビクビクする現代の若人や中年たちが、 昔はあったもの、昔は純愛故の行為だったものが、 今はストーカーと一括りにし犯罪とする世の中が、 本当にさりげなく、簡単に描かれていたのだ。 そう、とてもわかりやすく。 難解な内容を難解に書くこと何て、実は誰にだって出来るのだ。 というと言い過ぎかも知れない。 けれども、難解なままということは、書き手の中で消化されないまま、 咀嚼しきれないままをのせれば、できてしまうのだ。 書き手自身でさえも明確に掴みに切れない、 書き手自身も雰囲気と方向性しか分からない。 そんな舞台も、もちろんつまらないわけではない。 だけれども、やはりそれでは、たくさんの人には伝わらない。 そういう芝居は、客を選んでしまう。 いくら笑いをちりばめた、エンターテイメント的な要素があったとしても。 素晴らしい内容であっても。 舞台が、表現である限り、 また、媒体という要素を持つ限り、 望むべくは、より多くの人にその意図が伝わることのように思う。 しかし、難解な内容を、わかりやすく、平易に・・・というと大きな落とし穴も待っているのだ。 それは、嘘くさくなると言うこと。 いくら、役者たちが真剣に真実の愛を口にしようと嘆こうと、茶番劇にしか見えない昼ドラのように。 けれども、この舞台は違う。 キャストもまた、ゴージャスなのだ。 名も知れているが、本当に実力のある俳優たちで作られている。 うまい! ほんとうにうまい! ダンスで魅せられ、脚本演出に唸り、演技に脱帽する。 だから、どんなに熱く夢を語っても、どんなに臭いセリフをいっても、それが浮かない、それがセリフに聞こえない。
電話予約でS席がとれず、蓋を開ければ私と妹の席は、 2階の一番後ろの一番右端だった!! だけど、だからといって何の遜色もない。(舞台の設計上の問題もあるが・・・。) 一部効果が見えないところがあったが(それ故に一部席の交換も極秘裏におこなっていたようだ。座席案内の段階で)、 そんなことは何の問題にもならず、始終舞台に引き込まれっぱなしだった。
素晴らしい役者たちに、素晴らしいスタッフに乾杯!! 本当にゴージャスで、幸せな舞台だった。 一番遠くにいても、間近に舞台を感じた。
夢を見ることを、社会に立ち向かうことを、自分自身であることを、 熱い思いを持つことを、 その結果がたとえ最悪であっても。 たとえそれが、滑稽なことでも真剣に自らの意思で、巻き込まれ行動したとき、 得た物は何だったか。 最後に、失業した夫(唐沢寿明)に 明確にはセリフが思い出せないが、妻である戸田恵子が 「明日から、職探しだね。職探しなんて最近の中年は誰でもやってるわよ!」 と励ます言葉が、とても胸に残っている。 ラストの2人のシーンは本当に見応えがある。 熱い心を持ち、愛人とも切れて心も戻ってきた夫。 夫には、自分が愛人の存在を知っているとは微塵もみせず、励まし支えた妻。
岸谷五郎が、パンフレット中で語っていた。 例えば、夫婦愛とか描いてみたかった、と。
それだけじゃない。 夫婦愛も。 人類愛も、動物愛も・・・ まさに地球規模でゴージャスに、盛りだくさんの舞台だったのである。
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