いきあたりばったり
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2006年07月05日(水) |
吉本ばななを読んでいる |
バッテリーの五巻と一緒に新潮文庫新歓の『ハゴロモ』を買った。 読んだら、何か他のも読みたくなって、 昨日は電車のお供に『キッチン』を選んだ。
吉本ばななとの初めての出会いは、『TSUGUMI』だった。 難波ウォークの難波駅よりの端っこのブックファーストに母と2人立ち寄ったとき、 何かおもしろいのないかな〜。 何か読みたいんだよな〜。 と母に話したら、そういえば最近コレが面白いって言ってたな〜 そういって母が、吉本ばななを手に取ったのだった。 小学六年生の時だ。 私は当時の友人の影響か、速読にはまっていて、業間という20分の休憩の間に、ティーンズハートという少女向けの文庫を1冊ないし2冊読む、 というのを日々自分に課していた。 そのせいか、そろそろそういったお子様むけなものから脱却したい、 そんな思いもあったのかも知れない。 ぱらぱらとあらすじを見たり、中を見たりして、面白そうだ。 と思った。 母に買ってもらい、家に帰って読んだ。 そこにあったのは、大好きな世界観だった。
中学に上がって、図書館に吉本ばななが入っていたことで、ますますはまる。 中学の頃読んだ本と言えば、ダニエル=キイスに吉本ばなな、金蓮花だろう。
私の中で『TSUGUMI』が占める位置は大きいが、吉本ばななの本で一番好きな本を、 といわれたら、迷わず『哀しい予感』なのである。 だけどこの本は、本当に読みたいときいつも私から姿を隠す。 今もなぜだか、この本だけは所定の位置に納まってくれてなかった。 キッチンに続いて、選んだのは『N・P』。 『アムリタ』もいいのだけれど、今は短時間で読める本。 なので『N・P』を選んだ。 どうして好きなのか。 吉本ばなな。 そう問われれば、あの空気が好きなのだと答える。 家の近所の有名なお寺の東大門に、早朝、或いは雨上がりのもやの中腰掛ける。 1400年前の時代にタイムスリップするかのような感覚に囚われることが、 ままある。 あの世とこの世ではなく、いくつかの時間が重なる幽玄の時間。 吉本ばななの世界にはいつも死があり、お寺に腰掛けている時間のような、 柔らかで優しくて、でもきゅっと胸を締め付けて、胸の奥底にじりじりと、 青い炎を灯される。 それが、その空気が好きなのだ。
どうしようもなく駄目なとき、しんどいとき、 吉本ばななを通じて私は「生きる」ことを再確認するのだと思う。 おいしくご飯を食べると言うこと、 ご飯がとてもおいしく感じられると言うこと。 生きている幸せを噛みしめるために、忘れないために、思い出すために 私は吉本ばななを読むのだと思う。
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