時々日記な雑記帳

2005年01月21日(金) ”私のことを 説明しようとするにつれ・・・

「奴らは僕のことを何も知らない。何一つ分かっちゃいないんだ。

 いい言葉がある。
 ジャン・コクトーが言ってた。
 ・・・彼が書いたのだったか言ったのだったか・・・
 
 ”私のことを説明しようとするにつれ
  私は説明不能なものと化す” 」

これは、オイラが尊敬してる(外国)俳優さんが、多分、その当時の記者達に対してのコメントか何かだったと思いマス。

以前、何日かの日記で、「自分って者は、どんな人なのだろう」と説明しようとしてた事があります。
でも、自分の中では、どこかしっくりと来ない、そんな表現になってしまった。
でも、本当は分かってた。
自分の、仮に全てを、言葉で表現しようなんて無理なんだろうってこと。
あたしは、「あたしだ」って事を説明するために、どの言葉が相応しいかなんて分からない。
自分の名前すら、時として「あたし」を表現する言葉としてしっくり来ない時があるような自分なのに。笑

だから、自分の事を言葉で説明するより、結局感覚に訴える事にしていたのも分かってた。
新しい環境になってから・・・いや、きっともっとずっと前、小さい頃から、『自分』という存在を意識し初めた時から。
近しい言葉で其の人を表現できても、本当に知りたいのなら、実際会ってみればいいんだと。関わってみればいいんだと。そうじゃなきゃ、その人の本質なんて分からないじゃないと。自分が見ているのは氷山の一角で、もしかしたら、もっと先や奥があるのかもしれないと。その人をもうこれで完璧に理解したんだと、そう決めつける事がどんなに危険で傲慢で、もったいない事なのかと。あたしがもし、あたしを未だちゃんと知りもしてない誰かからそんなセリフを聞いたら、言い様の無い怒りにも哀しみにも似た感情がわくだろうと。
分かっていたのかもしれないし、月日と共に自覚したのかもしれない。

「いずれ見てれば分かるょ。」
あたしがどんなヤツなのか。
だって、あたしだって説明できないんだもんょ。
何しでかすか分からないんだもの。笑

(まぁ、大学入ってから「いずれ〜」って言葉言う事になるとは思わなかったけどねー。笑)
だから、すぐ物事を決めつけようとする人に対しては、「この人もったいない事してるなぁー」とか、色々思ったりする事がある訳でス。笑
でも、そんなのも有りなのかもしれないねえ。(ぇ

で、話し戻ってみる(?)と、先述した彼は、『まともじゃない、内面ではなく外見で判断されてしまう、変わり者だと思われている』いわゆる『はみだし者』とされる人間が自分のヒーローなのかもしれない、と言っていマス。
多分、その人たちの前には、独自の世界や、その人たちにしか見えない世界が広がっているんでしょう。
あたしも、見てみたいです。
それとも、もう、もしかしたら見てるのでしょうか。

ん〜、いいっすねー。
色々いるから楽しいんょ。
色々いるから、自分の直したい所や、良くしたい所が分かる訳ですょ。
「君って変だね」って褒め言葉ですょ。笑
でも「普通が一番」って言葉も良いっすょ。爆
あっしの中にも、きっとヒーローやヒロインがいるんでしょう。
それが、いつの日か自分と重なって欲しいものです。爆
自分がヒーロー!(沈め。)爆
まあ、冗談は此処までにして。(ぇ?

あ、そーいやー、ある人に対して抱く嫌悪感って、自分も持っている自分の嫌いな所(?)・・・だったりする事もあるそーです。
有名な話か?
じゃあ、好きな所は??
憧れだったり、欲しいものだったりするんでしょーか。
自分も持っている所だったりもするんでしょーか。

♪にーんげんって、ふーしーぎぃー。


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