2004年06月23日(水) 偽物なんだって。
毎日のようにメールを交わしている人に、仕事上の、GIDに関わる部分で少し相談を持ちかけてみた。この人は純男さん。当事者と非当事者ではものごとの捉え方が違うのだという部分で、当事者の実情を実情として非当事者に歪みを生じないかたちで伝えるにはどのようにすればいいのだろう、ということを悩んでいたので意見を頂くことにした。
特に誤解が多いのは「交際について」。FTMと交際している彼女さんはパートナー(恋人=つまりFTM)に対して例外なくと言っていいほど「身体の性差など気にしない。あなたはあなた」という意見を持っている。ぼくもパートナーにそう言って貰ったし、実際に会った会っていないにかかわらずぼくが知っているFTMの彼女さん連中は異口同音にそう言っている。だから、これが普通なのだと思っていた。
でも非当事者には信じることができないらしい。
それはそれで仕方がないし、そういう凝り固まった、偏見に限りなく近い考え方を少しでもやわらげるのがぼくの仕事。だから何とかしたいのだけど、相談相手の言葉にぼくはへこんでしまった。
相談に乗ってくれた人は「偏見はない」ことを標榜しているし、ぼくとも普通に付き合ってくれている。GIDが少しでも世間に理解されるように、という努力もしてくれている。それでも「恋人として好きだという言葉には心はもちろん身体も含まれるから、純女さんがFTMを"男として愛している"という点で矛盾が生まれる」というとてもステロタイプの返答をくれた上、「身体の性差は関係ないなどと言っておきながら交際をはじめるとやはり本物の男性がいいと言って去って行く人もいるだろう。人それぞれだと思う」という意見が来た。
正直に、何も意識することなく忌憚ない意見を述べてくれたのだと思う。だからこそ、きつい。
純男さんが「本物の男性」なんだって。
ということは、FTMは「偽物の男性」だということだよね。
どんなにがんばったって当事者ではない人に当事者のすべてが理解されるものではないとは常々考えるようにはしているけれど、傷付ける意志なく出てきた言葉に付けられた傷は、加害を前提とした言葉による傷よりも深い。
口に出すべきことではないし言いたくはないけれど、それでもどうしても「所詮」ぼくは偽物に過ぎないのだと、実存としてこの世界にいられないのだと、実感してしまう。足許の地面が一瞬にしてなくなってしまうような、深いところへ落ちてゆくような喪失感がある。
こんなことはしょっちゅうあるのだから、いちいち痛いとか傷付いたとか言っていたらきりがないのだけれど。それは経験上よく判ってはいるのだけれど。それでも。
しかも、ぼくの仕事の上での禁句「人それぞれ」が出てきた。これを言われてしまうと、ぼくの仕事はまったく意味のないものになってしまう。「人それぞれ」なのだから正しい智識を身につけようが偏見を持っていようがそれは本人の自由、ということになる。読み手の思想に少しでも影響してゆくことが肝要になるもの書きの仕事は「人それぞれ」が成立した時点でまったく無駄なものになってしまう。
ぼくはいま生活を犠牲にして生命を対価としてときにつらい思いをしながら、いったいどうしてこんなことをしているのだろう、と思ってしまった。
ぼくにとっては、決して「こんなこと」ではないはずなのに。