2004年08月31日(火) 正直しんどい。
何もかもが厭になっています。
何でこんなことやってるんだろ。と我に却ることもしばしば。
ま、「自分の掛け替えのないものを対価としてこんなに精一杯やってきたのにそれに対してどーでもよさそーな対応しかフィードバックされてこない」というのもやる気を削いでいる一因だとは思うのですけどね。
「これでよい」と言われるより「これがよい」と言って貰った方がより確信が持てるし迷わなくて済む。
「かたちを変えるなら変えてよい」と言われるよりも「変える必要はない」と断言して貰った方がより強い自信を持つことができる。
助詞ひとつ違うだけで言葉から与えられる士気も絶望も随分違うのですよ。
そういう感じで擦れ違い擦れ違い、互いの意志が巧く通じないままに如何にも「自分が正しい、お前が間違っている」という風な(発言主にそのつもりはなくても文意にはあるのですよ)ことを言われてしまったがために「余計なことをしてすみませんでしたね」というヒクツな心持ちが現れてしまって更にモチベーションが激減。
改めてじっくり話し合えばきちんと理解し合えるのだろうな、ということは朧気にも判ってはいてもそうする気力も湧いてこない。
オトナゲないなあ、とは自分でも思うのですけどね。
何せこちらは5ツの生命をお預けしている訳です。どの生命も等しく大切なものです。その5ツの生命を何とか生かして活かすために私は生命を懸けているのです。
……そうしてつくり上げたものが揺らぎある、悪い言い方をすると「テキトー」な扱いをされてしまうと私は5ツの生命に対してまったく申し訳が立ちません。どいつもこいつも息切れするくらいに一生懸命生きているのに、その一生懸命さを伝え切れていない私はまったく無能である、と結論づけざるを得ません。
当地方では深夜に「堂本剛の正直しんどい」という表題のTV番組が放送されていまして、メインパーソナリティの堂本剛くんがほんとうにしんどそーな感じで登場します。やる気なさげな表題にやる気なさげなキャラクタ。それは見ていて愉しいのだけれど。
「正直しんどい」という表題の番組に出てくるしんどそーなパーソナリティ。その存在とか気持ちとか、そんなものが判るような共感するような、そんな気持ちでいます。
ただひとつ確実に言えるのは、私はたったひとりの我が儘のために書いているつもりなんか更々ないということです。
……いなくなってしまおうかな。
誰も連れ戻しには来られないところへ。