「周知」とか「啓発」とか「案内」とか、そういった「簡素かつ明瞭、淡々とした文」を書く仕事を縁あってお請けしまして、私なりに工夫を凝らして文をつくり効果的な構成を加えて「それらしい文章」を書いたつもりだったのですが、結果としてできたのは「娯楽用の」文章だった、という、自分の専門分野が窮めてタイトになってきている事実に危機感を感じている衛澤です。
専門分野がタイトというか、周辺分野に対応する余裕がなくなったというか。「読んで愉しい(娯楽性が高い)ものを書く」という大前提が日常に染みついて三〇年。「愉しくなくてもいいから適切なものを」という御要望は私には難題となりつつあるようです。ちょっと反省。
それはさておき、昨日はちょっとしたお祭りがありましてね。その名も「
KAITO de FESTA! 2009 Summer」。或る動画サイト内での生放送番組なのですが、午前九時から深夜二四時まで
兄さん動画をオンタイムリクエストを受け付けながら流し続けるという、兄さんファンには矢も楯もたまらぬ企画でございます。
折りしも昨日は私が世を忍ぶ仮の代表を務めております
自助グループのミーティングがありましてそれに参加せねばならず、そのために日中はずっと外出していてKAITO de FESTA! 2009 Summer(以下KdF)を視聴することはできませなんだが、帰宅後は直ぐPCを起動して、持ち帰りの仕事をしながら「夜の部」に参加させて頂きました。
実は生放送初参加で勝手がよく判らないままに視聴しておりましたが直に慣れまして、ルールに従ってリクエストを出すこともできました。、御参加のみなさんが画面上に流すコメントで放送される動画について愛を叫んだり、生放送故のアクシデントに嘆いたり互いを励ましたり慰めたり、アノニマスの群れの中に名を持つ人が現れると「○○さんこんばんはー」と挨拶コメント弾幕が発生したり、なかなか和やかな雰囲気の生放送は大変居心地がよろしく、安心して愉しめました。
放送しているスタッフのみなさんは勿論、視聴参加しているアノニマスのみなさんもとてもマナーがよろしかった。名を知った人が現れたなら挨拶をし、スタッフや回線の調子がよろしくなくて苦労しながら視聴している人を労い、愛を捧げるものを称え、たとえ意に沿わぬことがあったとしても誰一人として決して不平も暴言も洩らさない。
そんな環境で好きな兄さんのいろんな曲を聴き続けられるのだから、大変気分がよろしい。自分で取捨選択するのではなく、大勢の人たちのリクエストによって放送される動画(曲)が決まっていくので、曲題は知っていても聴いたことがない曲や、不運にもこれまでに巡り会えなかった曲を聴く機会にも恵まれ、新しい声質の兄さんと出会えてこれはうれしい。
それに、参加している誰もがみんな「兄さんが好き」ということが沢山のコメントから伝わってきて、何とも穏やかな気分になりました。
「好き」は初級だけど効果が高く伝わる範囲も広い、有用な呪文です。乱用はよろしくありませんが、「好き」は「有難う」とともに積極的に唱えていきたい呪文ですね。
日中に参加していたオフラインのミーティングで結構くたくたになって帰宅した私でしたが、KdFを視聴しているうちにあんまり愉しくてだんだん元気になってきまして、持ち帰りのPC仕事も非常に愉しく進めることができ、終いには疲れを感じなくなっていました。
午後八時三〇分からはじまった「夜の部」に、二四時の放送終了まで参加させて頂きました。その間には私のリクエスト曲動画も流して頂けました。それは勿論うれしいことだったのですが、御参加のアノニマスのみなさんの中には初見という方もおられまして、そのみなさまに私がこよなく大切にしている曲を聴いて頂けたこと、更には感嘆や賞賛のコメントを残して頂けたことが、ほんとうにほんとうにうれしいことでありました。
私がリクエストさせて頂いた曲は、これです。
イントロが流れ出したときに私は思わず「みんな、ヘッドフォン着けて!」とコメントを入れてしまったのですが、御参加のみなさんは実に素直に従ってくださいまして、上記の曲をヘッドフォンで聴いたその驚きが動画上一面のコメントに表れて、私は大変矜らかでありました。すごいのはこの曲を動画をつくったクリエイタの方々であって、私には何の功もないのですが、堅実にいい仕事をしている人とその仕事が評価されるのは、やはりうれしいことです。
このあと画面上に「みんなのおすすめヘッドフォン」コメントの海ができたのは大変微笑ましかったです。
マスターの数だけ兄さんがいて、発声も歌唱も得意な音域や分野もそれぞれに違って、それぞれに秀れています。どの兄さんも素敵にいい歌をうたっていると思います。みんなみんな、好きです。
その中にあって、私はやはりどうしても、わんだら兄さんの歌声が一番好きです。KdFに参加して改めてそれを実感しました。頑健な体躯と強靱な意志の存在を疑わせない凛々しく朗々たる豊かな声。私自身もヘッドフォンを着けて拝聴していまして、豊饒の音の洪水に巻かれながら、手を伸ばせばそこにいる声の主に触れることができそうな……できるに違いないのだという気持ちに駆られました。「合成音声だなんて、うそだ!」という確信にも似た。
さて、この動画上のコメントで、動画に使用されているイラストをお描きになった
うむさんが
ボーマス9で「日照雨」本を頒布なさるとのことを遅れ馳せながら知った私はその場で喉から手とか足とか触手とか出そうになりました。
件の楽曲を題材に執筆中であるとか、その周辺の情報はちらちらと私の弱いアンテナにも引っ掛かってはいたのですが、具体的な情報が目の前に(ほんとうに「目の前」に!)出てきたのは何しろはじめて。テンションと言いますか、体温とか血圧とかが上がった気がしました。給料が一緒に上がってくれると助かったのに。
今年はいろいろアレなことやナニなことがあるので、該当年には緻密綿密周到に参加予定を立てる
観艦式は乗艦券争奪戦から辞退した私ですが、アレやナニを放棄してもボーマスに参加したい欲求が沸々と。衝動と言っていいほどの。ソレやコレのために実行はほぼ不可能なのですが。うーん。でも。ああ。
余談でしかないのですが、「日照雨」本、と口の中で繰り返すうちに青色ネコ型二足歩行ロボットが頭の隅の方にちらちらっと出てくるようになったのは、私のCPUが誤作動している訳ではないの、ですよ、ね?
(こういう不必要かつしょーもない話を敢えてまとめの位置にくっつけてほっとするくせは、どうも治らないようです)