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2002年08月26日(月) 和服

今日はとにかく子供をクリニックに連れて行けたので、よかった。なかなか今度何曜日にきてくださいというのに行けないで忘れてしまうことが多かったのだ。そういえば、歯医者さんもそうだ。また木曜日に行くので治りつつはあると思うけれど、今週ある学校のプールや水泳教室にはそれまで行けないので残念。早く治りますように。

やっぱりこれは闘病記にした方がいいかな。でも回復しているんじゃないかと
思う。だって私の自殺願望や自虐性は弱まっているもの。死んでもいいや、みたいな空白はあるけど。

でもまだ死ぬわけにはいかないみたいだ。

昨日はまたお父さんがおかずを作ってくれた。私が作ったのはお吸い物。

今朝はトーストとヨーグルト。

今晩は筑前煮を作りたい。

占いの一つに、私の老年期は頑固なのでずれた思い込みで周囲の人を振り回すとか
いうのがあった。要するに徘徊老人と言われたりするようになるのかな。嬉しくないなー。思えば父方の祖母の徘徊はすごかったもんな。目黒から池袋まで夜中に寝巻きで歩いたみたいだもんな。口がきけなくなっても、きっといろいろな押さえがたい思いがあったんだろうなあ。私も祖母に似るかしら?彼女はけっこうインテリ
女性だったはずだ。浮かないなあ。
でも考えてみると、彼女は私よりずっと大変な苦労を背負っていたのだ。脳味噌が
よれよれになるのも無理は無い。父は祖母が40歳過ぎてから生まれた子供だもの
なあ。それにキャリアウーマンだったのだし。困った娘もあったし。それにしてもあまり気に入らなかった息子の嫁におむつを換えてもらうようになるのも、あまり嬉しくなかったかもしれないな。皮肉だけれど、よくありがちな収まり方ではある。大きな赤ん坊に返ることを思う。私も気に入らない人に世話になったりするだろうか??

まっとうな暮らしをまっとうしたい。無理せずに真面目な暮らしをまっとうしたい。とにかく寿命はまっとうするの。

ゆうべ夫は朝早く起きなくちゃいけないからと用心していたが、マッサージをして
いるうちに仲良くしてしまった。こんな普通の家庭ってなかなかないんじゃないかとふと思う。よそのことはよくわからないが。

明日でえんぴつ1周年か。日記を書くことっていいところあるかしら?
書いていて良かったと思うな。少し強くなったような気がする。もともと強くない
わけじゃないとは思うけど。

でも考えてみたら、私は既に徘徊老人みたくな所業を致してしまっていた気がする。家族を悩ませたことあると思う。
だからこれから私が折角呆け老人になっても特には目立たなくて、家族はあまりあらためてそれだと気が付いてくれないかもしれないなー。sigh

そういえば、徘徊老人を自称する人があったが、今では珍しいことでもないかもしれない。あの人は娘さんと暮らしておられたのだった。

ところで秋はなんだったかな。
春は曙夏は夜。秋は???

図書館に借りた本を返して、また借りてしまった。飛ぶのが怖い、というので有名なエリカジョングさんの50歳が怖いという本とか。私は40代に入ったところだが、この時の経過の早さからしてすぐ50歳になってしまうと思う。
エリカジョングさんはやはり一応知的な女性の部類なのだろうが、怖いことばかり
なんだよなあ。こうした怖さの前には、お化けや幽霊など可愛らしいものだ。

子供と図書館の後池の周りを散歩した。うちの息子をお孫さんと一緒にプールに
連れていってくださっている方がもっと小さなお孫さんのお守りをなさっていた。
一人娘のお子さんたちのお守りってかわいいだろうけど大変じゃないかな。よちよち歩きの赤ちゃんがお池に乗り出して怖い時に、落ちたらきっとあんたが飛び込んで助けてくれるだろう、とその方がおっしゃったら、うちの息子はちょっとひきつった笑顔だった。息子はけっこうわが身大事なやつのような気がしたが、やはり
男の子はわが身をかえりみず人助けにはせ参じるところが欲しいと思う。何故男の子だけに望むか、と言われると困るが。やはりクサくても、ふてくされずにそういうものを尊ぶ気持ちはなくしたくないな。私の子供の父親には、保身もあるが、そういう気持ちは失っていないところがチャーミングだと思っているのだけれど。善意が通じ合わないようなこともあるかもしれないけど、希望を持って生きたい。

しかし公園でサッカーなどの球技をするのは近隣の人の安眠を妨げるので禁止という看板がある。せっかく広場があるのに、がらんとした球技場。夜サッカーをしたり不愉快な騒ぎ方をする少年があったりするのだろうか?ちょっと残念な看板だ。

『一人でできる着付けとこもののマナー』という本をインターネットで買ってしまった。これを読んでいると、洋服しかも普段ジーンズなどがほとんどで、スカートさえもほとんどはかない生活というのが、どんなに緊張感のない生活であるか思わされる。たとえばそれほど長くないスカートをはいて学校の講義など受ける場合は、ちゃんと膝を閉じていないと講師は気が散るだろう。こういうことに女性が
無神経なのは物事の運びを妨げるのだということを、私などはかなり無知だったような気がする。幼稚園の入園式の集合写真などでも足をぴちっと閉じていないし、
幼児だからそんなことまでは、どんまいどんまい、と言って済ませて頂くには、
けっこう幼児からそういう立ち振る舞いに気取りのある少女もあるのだから、ぼやっとした私には驚きである。そういう才能というのはやはり生来のものに起因する
としか思えないこともあるが、しかしそれでも、もし元気ならば、自分は自分なりに、身だしなみに気をつけたりマナーについて知ったりする努力を放棄してだらしなくなりたくないと思う。
二十歳過ぎの頃に着付け教室などにちょっぴり通ったはずなのだが、あまり身についていない。先日今年だったか去年だったか着付け教室に何度か通った時にも、
みやつぐち、などという用語が何のことかわからない。言われてもぽけっとしている。こんな呆けた態度では一人で着物を着られるようにはなかなかなれない。

観劇のときなどには小紋がいいなどと書いてあるが、普段結婚式の時等以外に着物を気軽に着た経験などないので、私の感覚では、もし自分が今度見に行くお芝居の時に着物を着て行ったりしたらおおごとだ。個人的にちょっとした事件だ。のろまな私がそれをするのはけっこう一日がかりだろうけど、あるものを使ってみるのは
悪くないと思う。慣れだ慣れだ。やってみるべ?

そういえば、今日は隣町の商店街でお祭りか盆踊りのような催しものがあった。
老若男女が浴衣などを着て女性はきれいにお化粧して踊っているのは悪くなかった。
そういえば、娘も浴衣姿の写真があるので、そうしたものは持っているのだろうけれど、背丈はそれほど違わないようなので、来年の盆踊りの頃には、私が持っていて一度も袖を通したことのない浴衣など送ろうと思う。

息子を産むときには、けっこう骨盤を開く体操をした。こういう体操や呼吸法などにはかなり助かったのだが、ヨガなどでもあぐらのようなポーズだけれども、インド婦人の象のような優雅さと、和服の場合の内股や二の腕を隠すようなマナーとでは多少違うだろうか。


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