�蠧�記
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ゆうべは秋刀魚を4匹と大根とかぼすを買って、塩焼きにした。私は秋刀魚の心臓が好きだ。
私が入院したいと言うと、パパさんは、入院したい、なんて、どうしたの、疲れちゃったの?と言う。
入院してよくなるならば。
治らないんですか?と父が尋ねた時、無理でしょうねと答えた精神科の先生の言葉を思い出す。しかしよくまああんなに自信たっぷりに断言できたものだ。感心する。ところで何を治さなければいけなかったのだろう?性格が悪かった?でも 娘の父親は性格が良すぎるって言った。パパさんもだ。人が良すぎるんだって。 ということは、人が悪くなれば治ったというわけ?要するに馬鹿は死ななきゃ治らないと言っただけでしょ。死んでも治らないの?つまりどうしたってどうにもならないがどうにかなるとおもうしかないというくらいのことかな。
すぐには治らないと思いますが、と入院したところの先生はパパさんに言ったらしい。退院してからしばらく通ったが、面白くも無いので通院をやめてしまった。 治るという希望が持てないのだ。それはあの最初に診てもらった先生の言葉がひっかかっているから?
傷ついて心を閉ざした人間がちゃんと言われたことを聞えていることを考慮しないで他人のことをよく知りもしないであんなふうに断言する精神科医が存在するのは、感心するというか、笑ってしまう。
アメリカ人ってやっぱり元気だなあと思う。肺ガンになったら煙草会社からお金を取るなんて元気だ。
私は保険会社に月々支払っている保険から入院給付金を請求する手続きをするのも面倒というか疲れる気がする。
柴角ふみさんのあすなろ物語という漫画を少し読む。 確かに物語の世界に入ってその主人公が生きているように感じられる醍醐味というのは捨て難いな。 虚構の人物なのにどうして生き生きと存在するような気がするのかな。 不思議だな。
やっぱり現実よりも物語の世界のほうが安らぐね。
私の娘の場合のように、ちゃんと居場所がわかっていても、10年以上ぶりに子供に接触すると、そのギャップがヴィヴィッドで戸惑うのだから、娘を探していて孫が出てくるということの戸惑いはいかばかりかと思う。狐につままれたようなかんじではないかと思う。
納得のいく人生を送れている人ってそれほどなくて、なんとなく狐につままれながらどこかで妥協して、喜怒哀楽に翻弄されていくことが多いかな。
息子久しぶりに水泳に行く。
そういえば、久しぶりに自転車に乗ろうとした。補助輪つきだ。保育園で紹介された児童心理学の先生が、自転車に乗れるようになるといいですよ、とかおっしゃったので買ってみたが、息子は一向に関心を持たなかったのだ。今頃どういう風の吹き回しだろうと思う。
知り合いの人のホームページで、またしても東山魁偉の絵のように幻想的な 霧や雲の穂高連峰の写真というのを拝見する。仙人が眺めたら笑っちゃうような 私。
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