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2004年01月17日(土) 阪神大震災のとき

 昨日は夕方子供の水泳を見に行きました。
 こんなに高い月謝払わなくてもそのうち平泳ぎくらいできるべ、という気もしないでもないですが、まあけっこうきれいなフォームで泳げるようになっていて、天才でなくても真面目に頑張っていればそれなりに上達するという気持ちは持てるかなと思います。
 一を聞いて十わかってしまうような才人でなくても、無骨でも一つ一つ身につけたいと願っていれば、いつかできるようになる、育つにはやはり時間が必要なんだと思って気長に楽しみにしようと思います。

 天災も事故も怖いですよね。やはり常日頃からちゃんとしていたいと思うのですが、相変わらず思いがけないことばかりです。だからこそこの世は捨てるに捨て難い不思議なところです。

 9年前の阪神大震災の時も、朝ニュースを見て、主人が、ほらほら心配なんだろ、
電話してみれば、と言っても、私は電話しようとしませんでした。
 京都に住んでいる友達は、あなたは私のことは心配していないだろうけど子供のことは心配しているんじゃないかと思って、と電話で連絡を取ってくれて、子供のところも無事だと教えてもらったのですが、私は本当に全然心配できるような状況ではなかったです。どうして奥尻島の震災にはボランティア活動が少なかったのだろうと思っていました。

 子供を育てていて、何をどう教えていいのかわからなくなります。どう願っていいのかわからなくなる。神社やお寺で手を合わせても、手を合わせただけで、願う言葉がわからなくなります。頭が空っぽになってしまいます。健康家内安全商売繁盛安寧秩序世界平和和解そうした願いはきれいごとでなく庶民の願いです。でも皮肉なことは多いですね。

 鳥ならば、はらへったはらへったと鳴く子供達にせっせと虫など運んで食べさせて時期がくるとひなたちは巣立つ。人の親も子供の空腹を満たしてやるべく奔走するのが基本なのだとは思います。でも人が育つにはいろいろなことを要求されますね。とりあえず子供が希望する学校に入れることを願う。湯島天神さんが栄えるわけだ。
 ところで私の親は私の受験祈願なんてしたのかな?希望校は落ちたし。目的もはっきりしていないのに進学する必要があるのかと父は私に言った。しかし就職する
あてもなかった。自分の実力のところへ行くのが一番だと思う。
 大学の友人はのびのびしていた。旦那さんも進学はしなかったけど、いいおとうさんだからこれでいいのよね、と思う。でもこれからが大変なのかな。

 今日は東京も雪が静かに降っています。子供の水泳バッグがぼろぼろになって
穴があいてきたので、新しいバッグを買おうかと上着を持って子供を迎えにいったら、子供は新しいバッグを欲しがらないので、接ぎあてをしたらどうかとクラブの
先生がおっしゃいました。ボタン付けとかがり縫いくらいはしたことあるけれど、
つぎあてはしたことがないので、どんな生地ですればいいのだろう?あるのはタオルや手ぬぐい類なので、内側からタオルを縫い付ければ穴が塞がるだろうかと考えています。

 母方の祖父は職業軍人だったので、母方の親戚には自衛隊の人もあります。
私はだいぶ年上の従姉妹のご主人を落下傘のおじちゃんと呼んでいました。精悍な
凛々しいおにいさんに見えました。最近はお会いしたことがないけれど、どうしておられるのでしょうか。私は独身の頃軍備は必要だとレポートに書きましたが、軍人だった祖父が亡くなってから私は生まれたし、本当に戦争を知らない子供です。でも私に優しかった母も戦争のことになると激昂しました。きっと自分達のために戦って死んでいったおじさんのことを軽く思われたくなかったのではないかと思います。母の姉の家には弾丸で打ち抜かれたヘルメットがありました。

 無力な自分が情けないけれど、無力なことを喜びなさいというマザーテレサの
言葉を思い出しています。

 子供が金子みすずさんの詩を読んでいる。これを読んでどう思う?と尋ねる。

 



 


 




 
 
 



 


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