�蠧�記
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| 2004年02月17日(火) |
人のことは言えませんが。。といいつつ言ってしまいますが。。冷静に(^^;; |
拉致被害者の家族8人を早く日本に帰国させるべきだという要求は妥当だとしても、8人が日本に帰国した後北朝鮮に行きたいと考えることはまずないだろうなどと 当事者でもないのに決め付けるというのはいかがなものかと思う。そんなことは 当事者が決めればいいことで他人が断定することではないし、北朝鮮に対して伝える必要もない。 緊張のあまりつい自分の考え方が出たのだろうが、そんな言い方をしたのでは北朝鮮が硬化する気持ちも理解できる。
私は個人的には主人と一緒にやっていける方向性が出てきたので元気に仕事を こなして新しい生活を始められると思っています。仕事の引継ぎをちゃんとしなければ。
そうだ。B5番の画用紙。紺色V字のセーターかカーディガン。
ゴクミちゃん(というのは失礼かしら立派なマダムに)もローズも素敵だなあ。
そうだ。あそこにもあそこにも電話しておかないと。
ゆうべは中国産の鰻丼だったけど、今日はハンバーグのでみぐらそーすと若芽サラダ。日曜日は天麩羅饂飩と冷奴でした。
しかし兄弟が養護学校に通っていることは隠さなくてはいけないことなんでしょうか?お姉ちゃん通ってるよ、それが悪い?と気にせず登校できる社会ではないのでしょうか。 知り合いの人のお孫さんは通ってみてよかったとおっしゃってるし、それを聞いても悪い感じはしません。 養護学校は入ったら何かレッテルを貼られてしまうものなんですか?体力等がついたらそれでまた次のステップに移れる。入ったらそれでおしまいというようなものではないでしょう。 たまたまうちの息子は今の学校でやりたいことがあったから養護学校に今すぐ入りたいとは言わなかったけれど、そうでなければ環境もいいし、食事もちゃんとしているし、先生も充実しているし、勉強するのにも遊んだり体を鍛えたりするにも実にいいところだと思います。
いずれにしろ弱っている時に無理して登校することはないと思いますが、どこか癒される惹かれるものを見つけたら、行くなと行っても行くということもあると 思います。
でも私は傷の後遺症で生涯体が弱くて家で木彫りをしたり病院暮らしだった伯母 がいてくれて幸いだったなあ。彼女が天使のように優しい女性だったから、私は 精神病患者だというそれだけで人を色眼鏡でみたりしないで済んだもの。人も自分も理解するのは困難だけれど、同じ精神病でも同じ難病でも一人一人みな違う人間で違う物語を秘めている。だから一人一人の物語はどれもその人を形作るそれぞれ固有の輝きを持っている。かけ離れたものをすべて感じ尽くすことは不可能だとしても、たまたま出会ったたった一人の人についてでも、その輝きを垣間見られることの素晴らしさに勝る喜びがあるかしら。それは自分の魂と自分以外の魂との接触のようなものだ。そこに喜びも苦しみも伴って新しいものが生まれてくる。 錯覚でもいいと思う。あの伯母を母はなかなか十分には世話できなかったかもしれないが、おしっこ臭いとか感覚がおかしいとかいうことばかりでなく、私に 彼女の優しい人柄について母は愛情を持って語ってくれたもの。
そういえば、暦ではもう春なんですね。今頃言っているのは、北国でも春の お祭りが行われていると知って。
吉野家か。一度近所の吉野家で子供と牛丼食べたことあったなあ。結構美味しかったと思う。
ゆうべは旦那さんの指圧をしたが、そのまま眠るのを忘れてしまったら、今頃 夕方になって朦朧としているのに気がついた。 もう少しだ。頑張ろう。大丈夫だ。
眠れば大丈夫。でもその前に。 牛乳。B5
と言いつつ眠る。やっぱり睡眠も貴重。
眠っておかないと余計働かないわ。
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