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読売新聞に親鸞が悪人正機説なのに対して蓮如は善人正機説かというくらい善行 を積むことを説いていると書かれていました。
確かに蓮如さんは、悪いことしたらあかんで、悪ぶらんとええひとを手本にしていてたらほんまにええひとになれるで、あみださんがやさしいからゆうて悪いことしたっても大丈夫やろみたいな気でいたら間違いやで、というようなことを述べていると思う。 でもそれは親鸞も戒めている。あみださんの慈悲が悪人にも向いているからといって悪いことしても大丈夫だという造悪無碍の考えが肯定されることはない。 薬があるからといって毒を好むなと言っている。 悪人も往生するからといって善人が往生しないということではない。悪人も善人も老いもわかきも男も女も賢愚も貴賎も関係なく、自然往生することは決まっている。 歎異抄を誤解を招く書物と蓮如さんは戒めているとしても、親鸞自身もその手の 誤解には深く心を痛めて戒めていることが歎異抄にも書かれている。 蓮如と親鸞とは性格が違うけれども、念仏が造悪無碍思想を肯定しないことを 説いていることについては同じです。
蓮如さんの人となりでちょっと愉快な人だと思われるのは、ご自分のご文章を読みなおしてみて、うーむ我ながらなかなかよく書けていることよ、と悦にいったりしているところ。 親鸞さんはこの手の悦にはなかなか入れないような気がする。
うちの旦那さんでちょっと愛らしい気がするのは、褒めるつぼが当たっていると、さすが俺だね、とにっこりするところだ。僕でも私でもなくて俺様なんだな。 自分は、ということもある。私に対してではないけれど。目上の男性に対して かな。 うちの旦那さんは私に母であり妻であり姉であり妹であり女であり女性であり 友達であり大人であり若者であり子供であって欲しいのではないかと思う。結局は他人なのだけれど彼はそれには多分耐えられない。もし私とやっていけなくなったら他にいい人は沢山あると思うから、そう思う私が耐えられないのだろう。私が変わるしかないのだ。彼がこれから私自身を理解したり愛したりできなくても、私は彼自身を愛するしかない。彼に理解してもらうことを期待しない方がいいと思う。私は彼の思うようにはできないということを自分で悪いことのように思って悩んだりしないことぐらいしか対策は無い。彼は理解したくないのではなくてできないのだ。彼は彼のやり方で私とやっていこうとすることしかできない。私も彼に自分の求める理想を要求したくなりがちだという面ではお互い様なんだ。自分が頼りにならなければ。でもやっぱり自分の思いは伝えていったほうがいいだろう。自分を殺すことはない。 これから子供は自立していくのだろうけど、結局の所親は死ぬまで心配や不安から解放されることはないんだろう。 どんどん年取っておじいさんおばあさんになってもやっていけるのかな?でも 飽きてしまってただの腐れ縁を気取っているカップルでもいい老夫婦ってある。 でもその前には、私ももっと仕事をして好きなこともできるくらいだったら もっと楽しいのに。そうしてやろうという気概はないの? 夫婦でもお互いに自由でありたい。私自身は不倫をするのが自由とも思えない。もっと不自由になるだけだと思う。思い通りにならないからといってそれを相手のせいにしかできなくなるのは不幸だ。もっと自分の趣味を深めたい。仕事や暮らしや趣味の世界をもっと楽しみたい。自分が調子が悪くなってきたからといって相手を束縛はしたくない。もっと楽しく暮らしたい。もっと楽しく考えられる。一人でも、ただ好きなことがあるだけ好きな人があるだけでも幸せになれる。 さっちゃんはね、さちこっていうんだほんとはね、だけどちっちゃいから自分のことさっちゃんってよぶんだよ、おかしいな、さっちゃん。というのでいくと、 うちの息子も自分のこと名前で呼びます。きっと自分の名前嫌いじゃないんだろうけれど、やっぱり子供なんだな。息子より小さなお子さんでも俺と言っている子は 見かけるし僕という子もありますよね。うちの子は俺という感じじゃない。せめて僕と言ってくれないかなと思ったりするが、年配の方でもご自分のことを名前で呼ぶ方があった。うちの息子が私という日は。来ない? いろいろ感じていることを、言葉にしてうまく人と思いを伝え合えたら、幸せは倍増すると思う。それが断たれると風景もモノクロ調になる。自分自身の中で何かが通じるだけでも色彩はアップする。でも通じなくても悲観しない。子供は手話を 勉強したりしているが、それも実際使えればいいのに。
話は変わりますが、我が家の引越しについていつ頃はっきりしたことがわかるのか日付だけでもわかればいいのにと思います。 でも5月にはわかっていることだと思って待つか。 私がどう逆立ちしたってアレジにはなれないとしても、何もすることが残って いないわけでもない。
ところで久しぶりにカップラーメンを食べました。美味しい。
ジーンズも欲しいな。
それにしてもここのウェブ日記も随分はまったこと。 主婦と自分を見なしているのだからどこまでいっても主婦だな。これで私は女ですとかいうことにすると、女として扱って、ということになるな。自覚で違ってきますね。 私は大人じゃないと思っていると子供っぽくなるし。私は大人よ、と思って いるときはそういう態度になる。 私は母とは違うと思っていたりすると母性的になっていない。 私は母だと自覚すると母性的になるのかもしれない。 性別だって変更できるということだから、自覚によってどうにでもなる面も あるかもしれませんね。
例えばどれだけ沢山の本を読んだ人より無学な人の方が賢いことがある。 そりゃそうだと思いますよね。思えば自分が賢くないと思うからこそ学びたく なるのだ。でも学んでもやっぱりそれほど賢くなったようにも思えない。単なる 暇つぶしなのだろうか。それが役に立ったらもっと嬉しいと思う。例えば役所の 手続きだって構造がわかっていなくてその手続きの必要性がわかっていないと 疲れている時など実に頭にくると思うが、全体として必要なことだと了解していればお役所仕事と眉を潜めずに淡々とできる。その程度のことでもわかっていれば 楽だ。ただ知識の森の中の探検のようなものでは不思議の国のアリスだものね。
そろそろ出かけなきゃ。
名前のせいにするのも何ですが、名前がぽよよんというのも性格に影響するかなと思ってもっとすっきりした名前で日記を書きたい気がしてきました。変わらない かな?
突然コロボックルって浮かんだけれど、コロボックルってなんだったか。小人族の名前の気がする。
よく見てみたら、薬は毎食後飲むようになっている。一回飲んだだけでも結構 助かったけれど、やっぱり毎食後飲めばもっと前向きに動けるかも、と思って 今日は昼も夜も飲みました。
薬で元気になるのって考えてみると怖い。でも風邪薬を飲むように、神経も スムーズにする薬というのもいいかもしれないと思う。
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