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phi・lan・thro・py [filnrpi]
━━ n. 博愛, 慈善事業[団体].
うわぁ、慈善団体だなんて。
ふと、オルフェウスの窓という漫画に出てきたユリウスの腹違いの一番上のお姉様を思い出しました。アネロッテは二番目ですから、長女は何と言う名前だったかな? 思い出せないのですが、黒髪のお姉様、十分素敵な人なのに、妹たちのようにきれいではないという容姿コンプレックスのある女性なのですが、この方が、ある純情なお金持ちのお嬢さんが活動に参加したいと申し出ると、おっしゃるんですね。これが本当に貧しい人たちのためになっているのかどうかわからないのよって。
まして私はお金持ちとは言えないと思うのですが、しかし、時々、寄付とかお布施とかしたくなることがあるんですね。これは何故でしょうか?
仏教では言われますね。お金のあるものはお金を布施すればいい。智恵のある人は、智恵を施せばいい。何もなくても笑顔を施す。ってでも、笑顔を施すのってちょっと抵抗あります。
だって、笑顔が一番、というわけで、ものみの搭の方たちが、あの、笑顔で来られると、何だか、怖いじゃありませんか?というか、今呼び鈴が鳴って声だけ出て、いらしたことがわかると、あ、どうも有難うございますと言って雑誌をポストに入れて下さるのはものみの搭に限らず感謝するのですよ。でも、出ては行きません。
キリスト教の諸派はあれはキリスト教ではないと銘打ってらっしゃいますが、私はあの活動を否定はしません。迷惑だったら今忙しいとお断りします。
しかし私、まったく怖くなかったんですよ。だってお化けじゃないと思うし。同じ人間だし。それに、とてもいい人たちで、ご自分について率直に語って下さって私に人の気持ちについて教えて下さったから。でもそのように教理ばかりでなくご自分の個人的なところまでさらけ出して自らを語って下さったのは、私もその方の希求しておられるものを聴こうとしていたこともあると思います。天国では人はみな何の隔てもなく思いやりあって暮らしている。その方は両親に別れられてそれに忍耐して暮らしてこられた。その気持ちはおそらく私には永遠にわからないものかもしれないけれど、その方はその方のお母様もきっと私と同じように不器用な人だったことを認められたような気がします。だから私と一緒に天国まで行きたいとは感じられなくなったかもしれませんが、私に対して普通なら他人として避けて通りたいようなことかもしれないけれど、私の子供の立場を代弁して下さったのではないかと思います。
実際宗教的な活動というのは、営利集団と同じくらいあるいはそれ以上に精神的に大変だと思うんです。家族揃って同じ宗派ならいいようなものですが、何人かあれば必ず溶け込めないものはあるではありませんか。それも一緒に導いていくというのは私には無理だったし。 保険だって自分は入っても、入ろうとしない人に勧めることはできませんでしたしね。本当に助かったと思えないものを勧めることはできませんよね。若いうちはただ上の言うことを素直に信じて良かれと思って何かを一生懸命したりするけれど、それが本当によかったと思えるか思えないかで人生が大きく違ってくるのではないかと思います。会社のために生きているわけではない。自分のために頑張っている。そして自分の大事な人のために頑張っている。人のために尽力することが即ち自分のためになる。その循環の図式のヴィジョンがなかなか明確になってきませんでした。 車の免許を取っても失効してしまう。僧侶の資格試験を受けても僧侶になろうという気になれない。でもそれでも学んでいて自分なりに感じたことは、否定的な感情であっても決して嘘ではなかったし自分の感じる心が例え体は灰になっても生きて感じたことを後悔はできない。 その私が、非営利法人を持ってどうするつもりですか。
しかしまあ、自分が苦しまない程度であれば、非営利活動って楽しいのですよ。だってどうして初詣に行ったりアメイジンググレイスの歌を聴くのがよかったりするのでしょうか。毎年苦しくてなかなか貯金が増えなくてもまたお賽銭投げ入れたくなるのです。そうしたいから、これは人間的な仕業です。神様でもほかの動物のようでもなく、人間に特有の行動ですね。利巧と言えるかどうかわからないけれど、そうしてしまうのです。何故動物のようにのたれ死にのままでは心苦しく、懇ろに葬ってやりたくなるのでしょうか?人間的な感情ですよね?それともチンパンジーも葬式を執り行いたくなったりするのでしょうか?人間は余裕が出てくるとペットにも懇ろに葬式をしてやりたいと願ったりするようになりますが、ペットは飼い主が亡くなった後、その場を離れずいつまでもくんくんしていたりするかもしれないけれど、おそらく人の葬式を執り行うのは今の時点では難しいでしょうね? ふと、例えば連れ合いに先立たれたけれど、そのままにして葬式も出そうとせずに遺体と共にあったというような人がたまにありますが、それは、感情として、動物的な情愛がなかったわけではなかったろうなと想像したりします。 しかし、人に、連れ合いが亡くなっちゃったんだけれど、どうしたらいいんだろう?と尋ねる気にならなかったんでしょうか。というか、その二人はそんなに時間が経っても人と接触することが少なかったのかな?それだけのエネルギーがなかった?疲れ果てていた?
考えてみると、そういう人は、本当に純粋なのかもしれない。 私や私の兄たちのように親のすねを平気でかじるだけかじって亡くなったら両親を失った喪失感で燃え尽き症候群にもならずにそれなりの葬儀を出来るのはお医者にかかりながらでも人の社会の中で結構元気にサバイバルしていけてるのかもしれないなあ。というよりも、周りの人たちにも恵まれていたからですね。それは恵まれたものだけの特権のままなのでしょうか?分かち合うことはできないのでしょうか?
それにしても、法人というのは、法律に則って、そして、きちんと明快に公開しなければいけないのではないでしょうか。
190円の電車賃まで?一円たりともぴったり収支が合わなかったらいけないのでしょうか?
丼勘定でなく、家計簿だけでなく、法人の決算報告もきちんと提出しなければならない?
そういえば、学校の活動の経理。会費等からなる何万何千何百何十何円の収入があり、これを何とか費何とか費何とかかんとかの活動にどのくらいの割合で充てて、そして残りが136円余ったので、それをどうしました。というような報告をなさいましたっけね。これを認めて頂けますか?と会員の人々にお伺いをたてた。そして認められると、有難うございます、では今年度はこのような計画を立てておりますがいかがでしょうか?ということに。
今私が筆算で計算する必要はない。計算機がありますし、それにパソコンソフトにもいいものがあるらしいですね。
ただ、簿記的な思考を持った方がいいかと。
で、どんな活動をしたいのか?
で、何でしたっけ、ふぃらんすろぴーというのが博愛ということですと、 あのフランス革命の、自由、平等、博愛、という旗印が思い浮かぶのですが、しかしあの流血もすごく感じられましたね。
教育勅語だって夫婦相和し、どうのこうのとすごい理想が謳われていましたが、あれでしたでしょう。
それだから、お友達と仲良くしなさい、などと言うのが、怖くなりませんか? 本当にひどく喧嘩させたくなかったら、逆に存分に喧嘩なさいまし、と言った方がそれほど喧嘩がひどくなったりしないんじゃないかとか思われませんか?そういったら喧嘩ほう助罪に問われたりするのでしょうか? あ、ありますよね、外野で、やれやれやれ!とけしかけてひどい騒ぎになったりすることがあるのかもしれませんね。 やはり建前としては強く賢く睦まじく、といった具合になりますよね。
それにしてもどうしてチェコスロバキアは無血で自由主義経済に移行できたのか?でも、自由主義経済になってからの方が一時盗難などが増えたりしたような気がしたかもしれないけれど。
どうして江戸城は、まあいろいろあったけれど、勝海舟と西郷隆盛が明け渡しできたのか。
もしかして、私、あんなに泣いたりしておいて、まだ懲りてないのだろうか?
趣味の会合に参加するくらいで十分だと思うのに。趣味の域の範囲で済むのだろうか?そんなに大きな器ではないですよね。
それにしても、オール電化住宅でガスコンロを使っていたわけでもないのにガス中毒なんて、本当に何があるかわからないものですね。怖いわ。やっぱり公の機関ってあった方がいいなと思う。
私が曖昧なのは、その活動費の内訳の振り当て方の名目のようなものがよくわかっていないのです。
引き出しがいくつかある。
そして、それぞれの引き出しに活動の内容に合わせてレシートを振り分ける。
私に必要なことはこれだ。これだと思う。
家計簿をつけ始めた時に、家計簿つけると目が釣りあがってくるから何だかつけると危険な気がしたのですが、それは自分に対する要求のレベルが低すぎたのではないでしょうか? 家計簿の明細がどうであっても明朗会計。そして自分のことばかり考えずに人の気持ちを考えて行動する。 もう45歳の大人にしては幼稚すぎましたよね。自分のことばかり考えていたとは言わないけれど、言行にもっと大人の社会人としての品格というものを持って欲しいものです。私。これだけいい人たちに恵まれてきたんですから。受けた愛情を正しく使っていくことに専心したいですよね。それにはもっと知らなければならないことがまだまだ沢山あります。
どんな種類の引き出しがあるのか?
よく世間で聞こえてくるのは、接待費、という引き出し。
食費。光熱費。光熱費の節約とか、企業内でも言われていたでしょうね。
私は何を恐れていたのかなと今思います。
アメリカ青年は、チャリティという概念について正論を私に教えてくれたのに、私は身を硬くしたのです。恐れた。何を恐れたのでしょうか?自分の生活が破綻することを?
自分がまだ自立していないこと?それは精神的な自立?
夫婦というものが、共生していくのに、何か対立したら、離婚しなければならないのでしょうか? お互いに尊重しあって忌憚のない話し合いをして協力し合っていく。 共通の目標が自分たちのためであれば、自分の利益と他の利益が相反しない点を探っていけば、この同じ大地の上で、共に歩んでいくことは可能だと信じる。自利利他が円満であること。自然であること。
文科系にも理数系にも中途半端な私でしたけれど、もし私に明朗会計が把握できたら、そんなに恐れずに行動できるのではないかと思います。離婚する必要もない。まあ相手が別れたくなったら仕方がありませんが、今のところ夫はこんな私でも別れないでいてくれるので、それは感謝したいと思います。恩返ししなければならない。それにはどう行動したらいいのでしょうか?
na・tal [nitl]
━━ a. 出生の; 故郷の.
ニューヨークの世界貿易センター跡地に建設される「タワー4」と呼ばれるオフィスビルの設計を、幕張メッセなどで知られる世界的建築家の槇文彦氏が手掛けることが決まった(ロワーマンハッタン再開発公社提供) (時事通信社)11時1分更新
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