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2006年06月13日(火)

サッカーのワールドカップオーストラリア戦は本当に残念。頑張っているんだけれど、もろいところがあるんだなあ。サッカーに全然詳しくない私も、ジーコや中田だけでなく、前半のゴールキーパーの川口すごいと名前を覚えてしまったのだけれど、実は日本の先行の1点を入れた選手の名前を覚えていないのだ。入れたときの点を入れた選手の喜びの表情は覚えているのに。中村の先制だったのね。
 ワールドカップに出場するくらいの腕白選手でも、同点になった時のショックに対してかなりもろいものがあるんだな。
 それにしても、勝てば嬉しい、負ければ残念というごく単純といえば単純な感情を味わっている。これはきっと万国共通の感情なんだろうな。これは
ある意味自分の中の生命力を感じた。希望はあるということだ。
 逆に言えば、オーストラリアの選手たちは最後の最後まではずっと負けていてくそ面白くなかったわけだから、最後の喜び方は爆発的だった。だから今負けていて悔しいからってずっと負け続けかどうかはわからないということね。
 息子はサッカーには関心が薄いし、最初は見ていなかったが、最後は悔しがっていた。本を読んで欲しいというのでスローライフでいこうという本を少し読んだが。

 しかしどうしたらいいのかわからない。
 計画が万全でなさ過ぎるということは私に確かにある。まず計画を立てる能力が乏しいと思う。自分の現実を把握して目標を設定する必要がある。生活習慣の計画。
 計画を立てることが希望を持つことが怖くなっているのも問題だ。また挫折して傷つきたくない。こんな気持ちも確かにある。とりあえず今死にたくない苦しみたくないという希望は強い。死の恐怖が襲ってきた。この希望自体は生き物として正常だと思う。人生に悩み苦しみはつきものだ。だから死ぬほど苦しくても乗り越えていく覚悟を持たなくてはいけないと思う。誰でも死ぬほどの苦しみを超えていくのだと思う。死にたいという言い方は嘘だ。死にたくなるほど苦しいというのが正直というものだろう。これ以上頑張ったらきっと怪我をすると確信しながら頑張るのは無謀だ。心身が故障している時に事故を避けて休むことは必要だ。
 いい年をしてこんなことしか言えないのは貧しい限りだが、少しは自分の危なっかしさ怖さを感じられるようになったのは悪いことではないと思う。

 どうでもいいや、と投げ出したい。投げ出した方がいいような気もするのだが、何だかうだうだしている。かっこう悪い限りだ。今は死ねないというのが正直なところだが、どうしたら上手に死ねるかと死に方生き方を考えても、なかなか潔いすっきりした生き方や死に方は思い浮かばない。結局最後まで悪あがきするしかないのだろうか。

 ところで、朝みのもんたさんの出演している番組で、クロアチア戦のシュミレーションというのをやっていた。それを見て素晴らしいですね何だか勝てそうな気がしてきました、という人のコメントも何だか痛かった。苦しい感じがする。
 勝つしかないみたいな思い込みができないのだ。負けたって構わないよとは言えない状況?

 最近苦しくなく楽しめたことは何だっただろう?

 それにしても、四月いっぱい遅刻早退もあったが、とにかく希望した日を全部通ったのは、私の体力では大変な頑張りだった。頑張ったと考えることは正しい。頑張れなかったと考えることは当たっていないよ。だって最初は五月も続けたければ続けられるということは知らなかったのだから。4月中のことしか計画していなかった。だから何も挫折したなどと悲しむことはないと思うのだが、涙が出るのだ。私はよく頑張っている。小さい頃からよく頑張ってきたよ。そう考えるとどうでもいいことかもしれないが私は本当に泣ける。よく頑張ったというボタンを押すと涙が出てくる仕掛けになっているロボットみたいだ。やはりわが身はかわいいもの。




 
 
 
 
 


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