�蠧�記
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2006年06月16日(金)

 夜中に目が覚めるのは本当に嫌だ。

 二度と目が覚めないで欲しい。朝も目が覚めないで欲しい。ずっと目が覚めないで欲しい。

 こんなことを書いていたのかと思う。

 でもまだ目は覚める。

 私は苦しいが、旦那さんも苦しいのだろうか。よくわからない。私が母のような明朗な人だったら、旦那さんをもっと幸せにできるだろうか。わからない。旦那さんは私の母に似ている。私は私の母にはどうしても似ていない。と思うが、叔父に会った時などに、似てきたと言われたりしたから、おそらく人にとっての自分の雰囲気というものは自分の気持ちだけでは決まらないのだろう。

 血糖値を下げるための食後に飲むお茶を買ってきてくれた。600円もする。お金かかる。私だったら絶対買わない。水でいいと思う。効くのだと言う。きっとこれを飲んで血糖値が下がったと教えてくださった方があるのだろう。子供にこれはおかあさんが飲むお茶だから飲まないようにと言う。

 介護される自分を想像したくなくて、介護保険解約して犬を飼ったのだけれど、しんどくなると、やっぱり介護されたくなる。馬や犬は洗ってもらえて羨ましいなどと思う。勝手なものだ。そんな風に思うにはまだ若い、しっかりしろいと思うのだが、閉塞的。やっぱり私は最低だと認めざるを得ない。だけどぼけていると家族に言われている100歳の祖母の精神的な苦しみは理解できる。人は自分は理解されていないと感じるくせに、人のことは平気でぼけているから死の恐怖など感じないでいい、などと評するものだ。
でもおそらく祖母が苦しんでいたのは、私みたいに、死ぬのが怖いといったことではないだろうと思う。
私は祖母が人にしてもらうばかりで何もしてやれないのが身を切られるように辛い、胸をえぐられるように苦しいと嘆いたのを覚えている。90にもなったら別に人に何かしてやる必要なんてない、生きているだけで十分だと思うのだが、長生きさせてくれと頼んだわけでもないのに90年100年と生きて、心はみんなの幸せを望むばかりなのに、色々と皮肉なことを経験させられてきたのだ。だから祖母はぼけてなどいない。心の中ではいろいろな思いをしてきたのだ。私だって優しいかわいい頼もしいと思っている自分の息子が本当に自分の苦しみを理解しているわけではないというさびしさを感じることがある。でも息子は何の悪気もないし、理解されたいと願う方が無理なのだ。
見舞いに行きたいが、私が行ってもただ辛い思いをさせてしまいそうなだけのでいけないし、多分ほかの親族にも不都合だし、私はそんなに祖母にとって会って楽しい孫じゃないことがわかった。自分の息子を弟と間違えているということは、私など見知らぬおばさんに違いない。というよりも、私が
母をもっと長生きさせていれば、あんな風に会うのが辛くならなくて済んだのだ。忘れられたほうがいいのだ。それにしても祖母が私に真剣な表情であんたはおめかけさんなの?と問われた時にはびっくりして、え、ちゃんと結婚してるよ、と答えてしまったが、それも何だかお粗末か。いっそのこと、あら、わかった?おばあちゃん、私はアラブの王様の囲い者なのよ、などと言って、付けまつげをぱちぱちしばたいて冗談を言えば、元気だった頃の母風のジョークになったかと思うが、私は冗談が苦手なのだ。

アンデルセン童話集の英語のペーパーバックを買った。絵のない絵本というのを英語で読んでみたかった。英語で読んでもアンデルセン童話はやはり詩的だ。アンデルセンは詩人だ、と思う。デンマーク語までは手が届かない。

確かに私は混乱している。母の面影が明朗だったというアルバムの中の明るい表情の母を美しく思い出すが、実際母だって私のように不安でいっぱいだったのだ。そうでなかったら、どうして私におまえはわたしがいないほうがしっかりするのねなどと言っただろう。何を言ってるのって答えたかったけれど、私は驚くばかりで何も言えなかった。
亡くなった人を忘れてあげないと成仏できないという言い方があるが、母は忘れられたくなかったのだと私は思う。母ももっと生きたかったし、何より自分の価値を認められたかった。愛されたかったのだと思う。もっと元気になりたかっただろう。

小学校1年の時に入院した時、夜中にママママと泣く子があった。あの子は
頭を強くぶつけて少し頭がおかしいのだ、もうあまり長く生きられないのだなどという噂があった。私はそれを鵜呑みにして、頭の弱い子なのだろうと思っていた。その頃私は夜中に泣くこともなく、私の方が先に退院したのだけれど。

しかし果たしてそのこはその後生き延びていないだろうか、今でも健在なのではないだろうかと今ふと思った。

私も今夜中であれ道端であれ、おかあさんおかあさんと亡くなった母を呼ぶが、あの時のあの子の頭の弱さとさほど変わらない。どこかで頭をぶつけたことはないし、骨折したこともないのだが、神経はそれ程図太いわけでもないらしい。それとも実は図太いのだろうか。

子供を亡くして半狂乱の母親に、お釈迦様は死人が出たことがない家を尋ね歩いてみなさいとおっしゃったという話がありましたっけね。

人生を楽しみたくても楽しめない時もある。一番いい季節なのに、勿体無いこと。


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