�蠧�記
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2007年09月18日(火)

 いつまでも柔軟でしなやかでありたいけど、私もちょっと夏ばて気味。

 でもどうなのかしら?私たちって何か圧力をかけられているからこそ自分を保てているものなのかしら?例えば戦争をおっぱじめても、原爆を落とされて敗戦の痛みを知ったからこそ平和の有り難さを知るというような?
 親に叱られて痛かったこと、背中を見ていたこと、周りをきょろきょろ見て反面教師にしているとか。

 あと3ヶ月ちょっとで今年も終わりか。早いな。

 あれ?古田監督も疲れたのか?負けている時でなくて勝っている時にやめることにすればいいのになあ。なんて人のことなら何とでも言える?

 思いやりを持てって一口に言われるけど、何が思いやりかよくわからない。
 私の場合は、悪口を言うことが悪だというよりも、自分が精一杯よかれと努めていれば、陰で悪く言われていることがあることがあるとしても、その人たちがそれほど悪人というわけではないと、気にしないようにするくらいしかできない。直接言われてもすぐ反省できるかどうかはわからないが、直接言ってくれる人の方がやっぱり好感を持つ。あの人があなたのことこんな風に批判していたよというようなことはなるべく言わない。そういう親切は好きじゃない。本人がいないところで家族団らんなどで、有名人のことを批評したりしていることあるのだから、自分もたいしたものではないが、仮に何か自分のいないところで誰かに酷評されていたとしても、その人たちは別に私に大して害をなそうとしているわけでもないことはわかる。けれども直接ではなく他の人の口を通じて耳に入るととても印象が悪くなるから、なるべく自分はほかの人の間を裂くようなこと、あの人あなたのことこんな風に悪く言ってたわよとは言いたくないと思う。有名人というのは政治家にしても芸人さんにしても批判には強いだろうと思うので、つい軽口を叩いてしまうことがあるが、批判しようとすれば何とでも言える、誰でも完璧に生きているわけじゃないから、そんな風に感じられることもあるんだなと時が経てば反省や理解の一つになるが、それでも実際信頼していた人に弱っていた時に陰で口さがないことを言われていたと知るのは口に出さなくてもとても傷ついた経験があり、その後未だにその人と素直には付き合えないから、できれば余程言いたいことがあるなら文句のある人が本人に直接言う方がいいと思うし、あなたについてこんな噂がありますよ、というようなことは普通人間関係にひびが入るから、人の悪口を聞いても、自分のところで止めてきたという一抹の自負がある。

 と思っていたが、公開の日記って独り言のつもりでも影響あるかしら。

 弱っている時って感じやすいからな。人気商売の人って大変だろう。それにしても、ご指導ご鞭撻くださいと思っていても、頭にきて名誉毀損で訴えざるを得ないようなことになる人って、やっぱりかなり社会的に力がある人なんだなと感じる。

 こう書きながら、私もやっと、実家からかなり遠くなってきたのを感じる。これから猛母猛妻一直線なのだろうか。それとも後いくばくもないのだろうか。どういう道が残っているのだろうか。ご機嫌の具合がつかめなくて、お父さんは私の好きそうな食べ物でなだめようとしたりするのかな。

 敬老の日を思いながら、元気で健康であって欲しいと思いながら、以前のように老人になにかをするということをしなかった。
 私はまだ老人とは言えないし、若者でも子供でもないが、自分が老人になったら、別に敬老の日に形だけのご機嫌取りのものをよこされるより、思いがけずわだかまりのない明るいおしゃべりの声を聞けるとかいうことが一番嬉しいかなと思う。
 そういうことって、努力というのもあるかもしれないが、思いがけずできる時はできるし、できない時はできない。できない時は無理をせずに離れていても幸を願いたいと思う。

 


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