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2008年12月20日(土)

愚痴のままに救われていくという言葉がある。

勿論、愚痴ばかりは言いたくない。となると黙ったらそれも何だかよくないかもしれない。いいのか。

しかし、頑張れと言われてもできるようにしかできない。しかしできるようにはできているともいえるかな。

一つの音楽を最後まで聴く根気はないが、でも愚痴は言えている。死んだら愚痴も言えなくなる。

まだお腹がすくと、食べられる。出血も今は止まっている。

ゆうべは犬の散歩に出られたし。近来稀に見る快挙だ。ということを喜んで、止めておこう。と思うのだが、

何だかボーボワール女史の、『娘時代』に出てくるカトリックの家庭で育った少女がお母さんに、どこのうちにも一人くらい屑がいるものよ、屑はこの私よ、というところが思い出されて、しょうもない。

一体何がそんなに悪いのか。イエス様は信仰の薄いものたちよ、思い煩うな、くよくよするな、その日の苦労はその日一日だけで十分だ、とおっしゃったし、くよくよしようもないが、素直で明るいのが一番という母の言葉も
どうも頭が重くて効き目がない。私が二十歳で修道院にでも入っていれば、もっとみんなうまくいっただろうかと思っても、過去は変えられない。前を向いても灰色の空のようで何も見えない。

とはいえ、空といえば、ゆうべは犬の散歩の時、新潟に来て、初めて昔懐かしいオリオン座が見られた。子供の頃の家から見られたオリオン座。母が
メダカをうじゃうじゃとかえしていたあ頃。あの頃の母の笑顔はお日様の様だった。人はどこから来て、どこへ行くのだろうか。母はどこへ行ったのだろうか。浄土真宗で葬られたが、母は、私はね、自分が悪いとは思ってないの、と言っていた。私も彼女が悪いとは思えない。長男のところの方がいいかと嫂のところにお経本と一緒にお仏壇を持っていったが、浄土真宗のお仏壇はどこかの倉庫に入れられてしまった。母は極楽往生できたのだろうか。この頃お経をあげる元気が無い。伯母を思い出して伯母のお骨はどこにあるのだろうか、祖父のお骨はどこにあるのだろうかとどこかにお墓参り行きたくなっても、どこにお墓があるのかわからない。

主人の故郷では、お盆に無縁仏さんたちを供養する風習がある。

だから、お仏壇が無くても、無縁仏さんのように、今ここで、想うだけでもいいかもしれない。忘れてあげた方がいいのだという説もある。風になって吹いているという歌もある。母も伯母も、風や雨や雪になって地を潤しているのかも知れない。

どうすればよかったのだろうか?私にはわからない。イスラム教に惹かれても、メッカに巡礼には行けない。

キリスト教に惹かれても、クリスチャンとして生きていくことはできない。

でも生きている。駄目でも生きている。世の中には偉い人、素敵な人、沢山ある。ため息しか出ないこともあるが、今はまだ、息を吸って吐くことができる。愚痴を言っても仕方がないけど、犬が吠えているみたいに吠えてしまう。愚痴でない言葉がどこにある?でも愚痴を言われると逆切れ。

愚痴でない言葉。人を癒す言葉がどこにある?頑張っても駄目頑張らなくても駄目でも、大昔からみんな同じ。一人でも人に会ってもやっぱり愚痴。

いつもそうだったわけじゃないさ。こんな時もある。明日は明日。

続かないものは続かないし、続くものは続く。それをできるのは私じゃないのに、何を拘っているんだろう。

何を目指したらいいんだろう。目指してできるものならば。

性質が悪いか知れないけど、私、愚痴愚痴おばあちゃん好きだったりしたことあるから、美しく老いられなくても、失望しない。嫌な人は聞かないだろうし、聞く人もある。聞いてうまく相槌打てないこともあるけど、それもそれだ。

と、何をうだうだ言っているのかというと、どこにエネルギーを注ぎたいか決まっていないんだな今。できていたことができなくなり、好きだったこともつまらなくなったりすることありますね。そんな疲れるようなことしてないだろって自分は疲れるようなことできてるんだって誇りも埃。

ちょっと大事にしたかった年配の方にたてついちゃったことに自分でショックを受けていて、でも謝れないものだから。

こんな時もあるさ。

それにしても、子持ちの私がマザーテレサになりたいったって、これからバージンになることを目指すような無理さ加減なのに、マザーテレサがどうのと言ったら、そりゃ次元が違いすぎるよ、と息子が言った。マザーテレサってどんな人か知っていたのか?あいつ。舌切り雀のおばあさんになる方がずっと確立は高いな。雀のお宿を探しに行くおじいちゃんって本当いい役でいいわね。その逆は?おじいさんが頭にきて雀の舌をちょん切ってしまったのを心配して雀のお宿探しの旅に出るおばあさん。ただの有閑マダムじゃないの。と感じてしまうセンスが冴えないなあ。

美容院か。まだ機が熟していない。と言っているうちに来年になりそう。

どうして病院に行かないんだろう?薬を毎日1錠ずつなんかで治るわけない。
クリスマスも土曜日も大嫌い。大人になんてなれない。ポーカーゲームの遊び方なんてちっともわからない。後何十年生きたって私は大人になんてなれない。

どうして人間の女なんかに生まれてきたんだろう?どうして人間に生まれてきたことを喜べるの?数字も言葉も大嫌い。どうして雀に生まれてこれなかったの?

次兄の顔の肉を麻酔なしで皆えぐり取りたい。そうしなければあの善良な坊ちゃんにはわからないんだ。前夫は思い切り殴り返すくらいで構いませんけどね。どうせどちらも無邪気な男の子だ。腹が立ったら殴ってのつぼに放り込んでやるとかの野蛮人、倭寇の子孫だ。どうして私は延々と生き続けているの?あんなおっとり優しいぽっちゃり坊ちゃんたちののろけを聞くためにのこのこ出かけていくんじゃないよ。のーたりん。

どうして自分の身を守ることもできないの?右の頬を打たれたら左の頬を向けてもっと殴っていいよって?本当に畜生以下だ私は。tonnda owaraigusada.kannkokuno kokkaino
ranntouwo waraenaiyo.

iyana ブラッシング wo iyagaru inu no tsume no aka wo sennjite nomitai.

くだらない。本当にくだらない。どこに行ったって何をしたって駄目なものは駄目なんだ。こんなとろさでは肺気腫にもなれない。

でもとろいなりに少しは学習の跡も見られると思うけどな私だって。やっぱり本能は危険を回避しようとするものだ。最善を尽くしているさ私だって。天命は私の仕事じゃないから天の神様の言うとおりあべべのべだ。天皇陛下もどちらさんもご心労が胃腸に回ってきて痛々しいけれど、誰か一人だけそんなにいい思いをしている人がどこかにあるわけじゃないし、お互い様痛み分け。あったらとてもおめでたいことだ。そのちょっぴりのおめでたさで一時頑張れたりすることもありますもんね。

それにしてもハッピーディワリもメリークリスマスも受け取っているじゃありませんか。私。日本人だ。神仏習合もあるし。アラーの神様の思し召しのままに、って申し上げたつもりの時もあったし。信用ならんな。噂を信じちゃいけないよ、私の心は初心なのさ、って山本リンダさんが歌ってらしたけど、私を信じちゃいけないよという面もありますけど、でも、やっぱり噂を信じちゃいけないよ、っていうのが本当ですよね。だけど、私、どうしても、あれはああだったのだ、と言いたかったことがあったりする。それ、まだ言えてないんですよね。もう20年にもなるんですから、今更言ったって仕方ないですけど。

国だって宗派だって網の目のように分裂して別の道を行かざるを得なくなっていくことがありますよね。偉大なお父さんソロモン亡き後の息子たちの争い。ヴィクトリア女王亡き後の戦争なんかもなかったですか?怖いなあ。聖書でカインとアベルの何とかもあったし。これって多分犬の兄弟でもありますよね。親子兄弟が敵味方に分かれて殺しあわなければならなかったこともありましたよね。大義名分を掲げて。義なきをもって義とすと親鸞さんはおっしゃった。





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