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どうも新約聖書に出てくる山上の垂訓というのが気にかかる。思い煩うな、というイエス様の言葉に愛情を感じるのだけれど、でも思い煩わないのは難しい。
仏教では煩悩ということを言う。
子供に何をしてやれるかと思うと、心配すること、気を揉むことしかできそうもない。 母が私に気を揉んでいた時、私はその気持ちをなだめてあげられなかった。 母が日曜日に私を教会に連れていくというようなことがあって欲しかったような気がすることがある。
元気な頃家族で行ったことがあるのは、明治神宮だった。きっと父や母には子供の頃に教育勅語が骨まで刷り込まれていたのだろうと思う。でもそれで遭ったのは、東京大空襲や広島だったのではないか?
僕は幸せな家庭を作りたかったと父は言った。僕のお母さんはとても不幸な女性だったので。あの脳血栓で倒れたおばあちゃんは、そんなに不幸な女性だったのだろうかと面影を追うが、私が会った時はもう口がきけなくなっていた。でも、筆談したら、どうだったろうか?彼女が自分の娘に怒っていたのは、何か想いを伝えたかったのだと思う。
快活な笑顔の母は私の目標のように感じられるところと、反対に、自分はおかあさんとは違う、と感じずにはいられないところとがせめぎあっていた。 いくら血を分けた親子でも、生まれも育ちも違うような気がする。娘は母親に似るというが、似ているとすれば私は父親の方に似ていて、しかもあまり似たくないところばかりが似てくるような気がする。 母や父が、そして祖母もいってしまった後で考えてみると、彼らは私が 子供の頃に感じられたようには大きな存在ではなかった。でも私にとってはかけがいのない人だったので、もっと生きていて欲しかった。植物人間でも生きていて欲しかった。それなのに私はそそくさと早い事家を出てしまった。
ペテロやアンデレは、イエスについてこいと言われると、そのままついていってしまう。ガラリアの海辺。人を釣る猟師だなんて、なんて恐ろしいことをおっしゃるのだろう。ヤコブとヨハネも父ゼべタイと一緒に漁をしていたのに、船も父もおいてイエス様に従っていってしまった。
地上に平和をもたらすためにきたのではないとイエス様はおっしゃる。平和ではなく、剣を投げ込むためにいらしたのですって。恐ろしいこと。
イエス様よりも父や母を愛するものはイエス様にふさわしくない。イエス様よりも息子や娘を愛する者もふさわしくない。
私はイエス様にはふさわしくないのかな。
私は母のようでありたかったけれど、彼女のようでなくても不思議ではないと思う。私は18歳で大空襲に遭ったりしていない。せいぜい受験の第一志望に落ちた程度だ。私としては最善を尽くしたつもりだったが、甘かったのだろう。子供が授かると嬉しかった。それで祖母のように沢山生みたいと思ったが、私は祖母とも全然違う。私は16歳で嫁がされたりしなかった。祖母とも母とも違う。でも、闘いは私にもある。祖母は娘に先立たれたから祖母のような悲しみも知りたくないし、母のようになりたいわけでもない。でもきっと私にも幸せを望んであれこれ心配してくれた人だと思う。私はリレーのバトンを次の人に手渡すだけのものを持っているのだろうか?
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