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2010年12月07日(火)

 どうして子供を生んだんだろう?生まれてきて幸せかどうかもわからない子を。

 亡くなった母に、父に、どうして私を生んだの?と聞いたら、どう答えるだろう?
 生みたかった、と母は答えるのではないだろうか?

 私は子供が生みたいからと思って結婚したわけではないが、子供ができた時生みたくないとは思わなかった。生まれてもいいじゃないかと子供の父親に言った。俺は知らないぞと彼は言った。

 まったくどうしてこんな苦しい思いをして、子供を生まなくてはならなかったのだろう?本能?

 娘の父方のお祖父さんが、自分たちは親に言われて結婚したとおっしゃった時、私は、親に言われて結婚を決めるなんて嫌だと言った。親の決めた結婚だったから自分はその被害者だなんて。その頃はそれがいいと思っていたんだとお祖父さんはおっしゃった。
 その時私は娘の父親、つまり彼の息子さんと、好きだから結婚したと思っていた。兄に勧められて結婚したという意味では、私もあのお祖父さんと同じ弱さを持っている。でも、兄に勧められたから結婚したんじゃない。好きになったから結婚したんだと思っている。あのお祖父さんだって親が勧めたからだけじゃなくて、ご本人にも良さを感じていたのではないだろうか。
 だが私顔に痕の残るような傷をつけて私に謝りもしなかった兄の勧めに従ったなんて、一体どういう神経だったんだろう?私は。あまりにも自分をないがしろにしてきたのではないだろうか。私は次兄が故意に私を傷つけたとは思っていない。だから許した、忘れたつもりだった。実際顔の傷のために私を嫌った人はいないと思う。高校生の時バレンタインデーにチョコをあげた男の子も私と仲良くしようとしてくれた。次兄はその子は一本気だから
おまえとは合わないなどとけちをつけたが、だからって何故それ以上交際できなくなったのだろう?何故次兄の思惑に左右されなければならなかったんだろう?私が生まれてしまったのは私のせいではない。次兄が里子に出されたのは私のせいではない。
 一体全体私が兄たちの好きになった人にケチをつけたことがあったか?
 私はいろいろケチをつけられたよ。歯磨きのチューブの蓋が開けっ放しだとか、野良犬みたいだとか、狸だとか、きちがいみたいだとか、人間以下だとか。まるで自分たちは歯磨きのチューブを開けっ放しだったことがないかのように。まるで自分たちは私みたいにきちがいみたいだったことがないかのように。まるで自分たちは末っ子の私よりも我がままではなかったかのように。

 息子の父親と結婚したのは何故だったんだろう?
 信じられるものが見つかったと思ったんだよ、と息子の父親は言った。
 私が信じられない私を信じられるという人は貴重な人のように思われた。不思議だった。お酒を飲んでにこにこ笑っている人というのも珍しかった。
 しかし、一体どうして私の中に信じられるものが見つかったと思ったのだろう?訊ねてみなければ。確かに私は自分が悪人とは思えない。でも不注意ではある。

 一体どうすればよかったのだろう?
 これからどうすればいいのだろう?

 あの頃、別に私はまだ適齢期でもなく、売れ残りというような年齢でもなかった。そんなに急いで結婚する必要はなかったのに、また、取りやめるチャンスだってあったはずなのに、どうして私は娘の父親に惹かれてしまったのだろう?どうして結婚してもいいなどと言ってしまったんだろう?
 どうして夫が子供を欲しがっていたわけでもないのに、私は避妊つきのセックスを嫌がったのだろう?本能?

 私が赤ん坊の時、この子はべっぴんさんにはなれないんじゃないかと心配になったことがあったの、と母は言った。
 確かに私はべっぴんさんではない。

 私の娘もべっぴんさんとは思えないが。

 生まれてきた時は嬉しかった。そして幸せになって欲しいと願っている。だけど幸せって何だろう?人生は苦しいのが当たり前だというのに。

 愛という言葉は嫌いだった。愛情なら少しはましだ。愛憎と言う言葉も嫌だ。友愛という言葉も何だかなあと思う。
 そんなわけだから、夫をダーリンなんて恥ずかしくて呼べない。

 娘の父親は、愛は煩悩だと言った。でもそれでもいい。苦しくてもいいと。

 新約聖書には、愛は情け深いとある。英訳では、ラブではなくて、チャリティということになっている。

 チャリティって子供の頃の私には胡散臭い言葉だった。母がまずそうしたものに警戒心を持っていたように思う。今私は、災難に遭った時、もし困った人を助ける事ができるなら、お金持ちっていいな、才能に恵まれた人って羨ましいと思う。

 子供の頃ご近所のおば様は洗礼を受けていた。お子さんたちにも洗礼を受けさせた。
 私の母は私を教会には連れていかなかった。父は大晦日から元旦にかけて近所の小さな神社に参拝に行く時、私がついていくのを止めなかった。

 今私は神社に参拝したくても教会に行きたくてもそれを一人で実行する体力がない。

 でも甥の結婚を祝福したいと思っている。
 そして、わが子の誕生日も。

 彼女は今でも生まれてこない方が幸せだったと思っているのだろうか。

 彼女の父親は俺はいい人じゃないと言っていた。すると彼は悪い人なのか?

 一パーセントの奇跡という韓国ドラマで、ヒロインが関わってしまった男性のことを大魔王と呼んでいる。

 私の娘も魔王の子どもなのか。

 私の娘は財閥の娘ではないが、でも普通の家とはいえないかもしれない。

 確かに私の実家と私の娘の家とは大きく違っていたが、その違いをよく知らないうちに私は承諾してしまった。

 それにしても宗教法人が税法上優遇されなくてはいけない理由とは一体何なのか?

 何故私たちは生まれながらにして平等でないのか?生まれながらにして背負っているものが違うのか?

 金正男氏や正恩氏も普通の家に生まれたとは思われないだろう。
 しかし、正男氏が権力を持ちたがっているとは思えないし、正恩氏も人民のことを真面目に考えていないようにも思われない。それでも人民は苦しいと正恩のせいだと考えたりするものらしい。私たちが鳩山さんや菅首相を頼りなく感じたりすることがあるように。

 兄を信じた私が愚かだったのだ。この世に信じられるものなどないのが本当だ。信じるから裏切られるのだ。信じなければ裏切られることもない。
そうして気をつけていても、本当に思い通りにはいかないものだ。自分の心さえ思い通りにならないのに、まして自分以外の人の心など思い通りになるはずがない。私には超能力も予知能力もないし、いまだに飼い犬と同じくらい世間知らずだ。

 しかし私の子供が生まれてきて欲しかったのは私だけだったのだろうか?

 私に生まれてきて欲しかったのは母だけだったのだろうか?

 どうして私の下には弟も妹も生まれなかったのだろうか?

 もっと生んで欲しかったのにな。私は弟も妹もいらないなんて言わなかったのにな。どうして諦めちゃったんだろうか?お金か?

 あんたは傲慢じゃないよ、と祖母は言った。祖母はモンスターペアレントだったかもしれない。うちの子は前の学校で級長だったんですよ、と学校の先生に言って、それが恥ずかしくも何ともなかったんだよ。

 母は級長さんだったのか。私は学級代表だったことなんてない。

 同じ母親でも、親子でも、母と私とは違う人だ。

 だから娘も私と血は繋がってはいても、違う人だと思う。

 成功した自分をイメージしましょう、と占いにある。

 私にとって成功って何だろう?

 私にとっての成功が人にとっての失敗でなく、他人の不幸の上に私の幸せがあったりしないためには、どうしたらいいんだろう?

 みんなが幸せになるって不可能なことだろうか?

 

 

 

 

 

 

 


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