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神との対話という本があったと思う。著者は男性だった。
ある人は、娘の母親は娘の事を考えるべきだけれども、いつもいつも娘の事ばかり考えない方がいい。むしろ、もっと宇宙の創造主とコンタクトした方がよいと言われる。そして宇宙の創造主が主人だと。そしてその創造主は唯一絶対の存在。
お釈迦様は神が存在するともしないともおっしゃらなかったと聞く。
宇宙の創造主とコンタクトするというのはどういうことだろうか?神様とお話しする?
神様というのはまず自分を超えた存在のような気がする。神は愛であるという言葉もあった。
仏様と言うのは、真理に目覚めた人という意味ではなかったでしたっけ? 悟りの境地というのが理想だが、悟りにこだわることもないというような。
私は夫のことをうちの主人と呼ぶ事があるが、アグネスチャンさんは、日本の既婚女性が旦那さんの事を主人と呼ぶのは抵抗を感じるとおっしゃっていた。 中国出身の女性は、夫は我的愛人だと語っていた。いいなあと思った。しかし、日本的な感覚だと、いわゆる愛人というのは正妻ではないという雰囲気があって、私はどう考えていいのかわからなくなることがある。 私の結婚が決まった時に、中学のクラスメイトは私はお嫁さんになりたいと言っていたと婚約者に語ったが、私自身はそうだったっけ?というような感じで、そう言った記憶がないのだ。その時は婚約者に関心があったから、そう言われて否定もしなかった。私が覚えているのは、歩いて旅をしたいと思ったことくらいだ。それから怖いものに追いかけられるような夢はみないようにして欲しいと毎晩神に祈ったこと。
お嫁さんになりたいなんて言ってなかったと思うなあ。だってベルサイユのバラのヒロインのオスカルちゃんだって、アンドレと結ばれた途端に結婚式も出産もせずにあの世に旅立ってしまったのだ。それを何とかして死ななかったことにして、アンドレとの間に子供を。。というようなことを乙女心に夜な夜な考えたが、結婚式を挙げるなどというようなことはその筋書きに入っていなかった。結婚は婚姻届を出せばいいんじゃないかくらいに思っていた。 しかし長兄は割合早くに結婚した。 何故かというと、母は私が小学生頃に子宮筋腫で子宮を摘出し、きっと体力に衰えも感じていたのだろう、私は中学3年くらいまでは前から数えて二番目くらいに体が小さくて幼い雰囲気だったし、母は先行きに不安を感じて、 自分に万一のことがあった場合に家のことを任せられるお嫁さんが欲しかったのだ。だから長兄が惚れた女の子を連れてきて可愛いと思ったら、まだ長兄は学生だったのに、父と二人で彼女の実家に結婚の申し込みに行った。そして結婚式というのをした。神道式だったと思う。向うのご両親にしたら、 まだ若いのに早々と可愛い娘を盗られてしまったように思われたかもしれない。東京砂漠に吸い取られてしまったのか?しかし私の実家にはその頃若者が沢山たむろっていたのだ。彼女の弟さんも受験や進学などで上京し、遊びにきていた。
長兄は男友達は親友でも外で会っていて、実家の自分の部屋に男友達を毎日連れてくるというようなことはあまりなかったが、次兄の友達は沢山遊びにきた。文化祭で映画を作る作業だの、文集を作る作業だの。
私は年齢がずっと下だったので、おみそという気もしたが、年上のおにいさんおねえさんたちの団欒を結構聴いていたかもしれない。いろいろな青春があったのだ。
私は平凡だし、紆余曲折もあるし、いろいろ馬鹿なこともしたが、でもみんな懐かしい。いろいろな顔が思い出される。そして、今まで歩いてきた道を否定はしない。
やっぱり私は幸運だったと思う。
ある人は一神教でも多神教でも問題はある、と言っていた。今その人がオンラインなようなので、あ、生きてる生きてると思って嬉しい。この人と知り合ったことも私に影響を与えてくれた。それはいい影響だったと私は感謝している。
幼かった頃からの自分を思い返してみると、今でも沢山幼いところはあるが、それでも私は一人で生きてきたわけではないと思う。
今月もお誕生日の人親戚にもいろいろあって、おめでとうと直接言いたい です。
あ、そういえば今日は亡くなった父の誕生日だし。 懐かしんじゃいけないかな〜。笑顔のおじいちゃんに抱かれていた小さな男の子の写真を思い出す。白黒写真だったけど。
師走って先生でも走るくらい忙しい時期らしいですけど。
そんなに急いでどこへ行く。
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