�蠧�記
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昨夜は苦しくて、主の祈りとお念仏と両方唱えた。
これが良いことか効果の程はどうかはわからないが、助かりたい一心だった。 なかなか主の祈りの最後まで行き着くのが難しくて、天にまします我らの父よ、御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御心が天にあるように地にも行われんことを、辺りまでは一気だが、なかなか我らを試みに遭わせないで悪より救いたまえ、までいけなかった。
一度は信じたものだが、私はその資格が無いという気もする。 私はお念仏の人々が嫌いではないので、いつかどこかで逢えたらいいなと心から思っている。しかし私は彼らを傷つけてしまったようなので、逢えないのかもしれない。 聖書を勧める人々は神の愛を説くが、私はその資格は無い。欲しければ、まだ聖書にはまっている時に教会に通ったりすれば良かったかもしれないが、私は神仏を混同して御仏の前で生涯の誓いをしたがそれは間違いだったようなので、御仏のお慈悲も遠いし、神様の救いを求めて助かるのも何だか嫌だ。 長兄は考えないように言っていたが、それも無理だ。 私は父と母の最初の子か二番目くらいに生まれたいと思ったりする。そういう事ではないのだろう。 しかし健康に生まれたいな。 もし最初の子供に生まれれば、一人っ子にうまれれば、親の注意がもっと行き届いたのではないかと思ったりしてしまう。 安心して暮らしたい。誰か理解のある人に愛されたい。ケアされたい。 人格を誹謗されるのは嫌だ。 私は自分の心を守ってやらなければならない。 できれば修道院で自給自足の生活をしたいと夢見たが、残念ながら私は修道院が求めている人材では無い。
私は医師に鬱に見えたみたいだ。 私は鬱では無いつもりだった。私は常に最善を尽くしてきた。混乱したのは確かだ。
私は苦しくても生きたい。母は私がお祖母ちゃんになることを夢見ていた。 母の夢が叶ったらいいなと思っていた。思っているよ。
でも昨今はそういう夢を持つのは迷惑みたいだ。 迷惑をかけずに生きることはできない。
私が死んだ方が夫や子供は助かるかもしれないが、迷惑をかけない死に方というのもほとんどない。
鬱だとは思わないな。 外に出られれば、植木の手入れもしたくなる。犬に挨拶もする。
鬱ではない。柿の実を成らせようと頑張っている。 動けなくて痛いのに明るくはできない。唸ってしまうからといって、鬱とは言えない。
私は人に明るさは求めない。痛い時に明るく振る舞えなんておかしいではないか。
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