�蠧�記
DiaryINDEX|past|will


2023年05月15日(月)

月曜日。5月15日。

娘のお父さんのお誕生日。

いつか、別れた後、娘の父方のお祖父様が、この頃ご連絡があった。
お祖父様自身もこの頃お誕生日なのだとおっしゃっていた。
また会えると思いますけどな、とおっしゃった。
でも逝かれた。

実家の父は、何か言いたいことは、このお祖父様を通して申し上げなさいと私に申しておりました。
しかし、逝かれてしまった。

日本では、裁判沙汰にしないことが多かったように思われる。

ビラピさんとアンジェリーナさんの裁判沙汰は激しく見えたし、アメリカでは裁判になる事の方が普通のようだ。
しかし裁判とは。
交通費だけでもかなりかかるし。
ブラピさんとアンジェリーナさんは、資金潤沢な人々だが。

しかし私は、ほとんど自分の立場は守れなかった。それとも守られたのだろうか? 

もし順調に就職活動や学業が進んでいたら、子供ができていたかどうかわからない。
裁判で戦うより守られた方かな?
というか、大丈夫なのかな?

卓球の愛ちゃん、大丈夫?

一体なぜ、こうなるのか?

愛ちゃんにも弟や妹は無いように思われる。

東北の人か。

私の父にとって私は幾つになっても子供だった。
孫は目の中に入れても痛く無いと言うが、父は私は目の中に入れても痛く無い娘なのだと
後添えさんに言ったのだと言っていた。まあ年取ってからの子供だからな。年取ったと言っても、三十代前半から半ばくらいの頃か。

父自身も祖父にとってそうだったかもしれない。祖父母が四十過ぎてからの末っ子だったから。
愛されていることを知っていたからこそ、甘えられなかった。
うそ、甘えがあるに決まっているじゃん。

皆様のお心に添えるようなボーダーレスな活動。

我が子を父親に任せて、母は、何をする?

左腰が痛い時と、右腰が痛い時とある。
今は、右背中腰が痛む。重力に耐えられない感じ。
お腹も、肝臓だか胆嚢だか、尿管だがにある石が痛むのか?
それとも骨折部分に神経が障るのか?

国際結婚では、ハーグ条約というものがあるらしい。
普通は日本人母は、関係がこじれると、子供を連れて日本に帰国してしまうらしい。それは
父親方には、誘拐のように感じられるようだ。
しかしおそらく基本的には、父と母とが主体で子育てしていたはずだ。

日本や東洋社会では、同居の場合、お姑さんの方が格段に子育てにも家事料理等にも実力がある事は否めない。体力は若いママの方があるはずではあるが、私たちの頃既に、産後鬱で入院させるということがされていた。
それは息子が生まれた頃か。

きっと愛ちゃんは元夫や元夫の両親を信頼しているから、
孫たちにも自由に会わせているのだろう。

娘のお父さんはお誕生日の頃は円満な笑顔の赤ちゃんだったようだ。
私が赤ん坊幼児の頃は、不安そうな表情の写真ばかりな気がする。

疲れたのだろう、と実家に返される時、私は三歳の娘と生き別れるとは予想していなかった。
父は孫娘を自分の家に連れて行こうとしなかった。

高校生になった娘は、継母さんがお出かけになった時だったか、置いてかれた!と申しました。
それは、三歳の時に、私に置いて行かれたということもあったかな。

おそらく当時の情勢として、こじれた時は、母親が実家に子供を連れて帰る、というような事を娘の父方の人々は想定していたろう。
しかし父は孫娘を自分の住まいに連れて行こうとしなかった。

私は友人の結婚式などでは、実家に娘を連れて、嫂に娘を頼んだりもしていたのだ。
しかしその時結婚した友人はその後私に呆れて私の前から姿を消した。
彼女はご主人になる人のご両親が離婚していることについてもまじめに考えて、彼とのことを決めた。
哲学科でビートルズのレノンとオノヨーコさんとのことについて考察していたようだ。

もう夜が明けた。ここでは四時三十九分に日出だ。

昨日主人が買ってきてくれた大人用オムツはその前のより比較的安心かもしれない。

しかし血糖値検査器がベッドの下に落ちて手が届かない。食べ物や水をこぼしたり、寝落ちで携帯を撮り落としたり。

離婚の時、娘の父方のお祖父様は、私の父に、
また一緒に住んだりもしているようですからな、と
どちらかの離婚カップル親子の話をした。

しかし、その後、一泊旅行も出来たことが無い。

いつかお邪魔した時は、息子が夜中に起きて、というか、全く時間がわからなかったのだが、
娘たちは布団を敷いて寝かせてくれたのだが、種違いの弟であるうちの息子は、夜中に車で出て、
帰りは猛吹雪の北陸高速道を飛ばして新潟の社宅に連れて帰ってくれた。
吹雪の北陸高速は、視界がほとんど無いようではあったが、私は全く心配しないで、
助手席でこんこんと眠り倒した。二十一になったばかりだった息子は一人で吹雪の高速を飛ばしていた。
怖かったろうな。
大阪や中国で運転するのは怖いと言っていた。
しかし、娘が通った大学の学内の池に、鴨が泳いでいるのに感動したりしていた。

そう言えば、高校生だった娘は、親の懐を心配して、国立の方がええやろ?と私に尋ねたが、その後、
いい鴨やなあ、などと呟いていた。なんのこっちゃ?

姉弟の面会は、生まれて初めてだったし、私と娘はの再会は四半世紀ぶりだったのだから、
一二泊してもバチは当たらなかったんじゃないかと思うんですけど。あ、22年ぶりか?


youyou |MAIL

My追加