手紙。 - 2001年12月13日(木) 何処かにしまいこんだはずの紙を見つけようとして、やたらと多い引き出しを開けまくって大捜索。私の部屋に『紙の束が入ってる』引き出しは途方も無い数あるのでソレはソレは大捜索。 そんな中で、ふととても胸の痛いものを見つけてしまいました。 亡くなられた恩師に出そうと思ってしたため、途中止めにしたものと、その恩師の奥様に出そうとしてやめたもの。 前者の方は、まあ十代の終わりに書いたもので、私が大阪で一人暮らしをしていた頃、常に私の心の中の寄る辺として居て下さった先生に、近況報告がてらぶつぶつなにやら呟く目的で書いたもので。 『相談』というほど大層なものでも無い、今では何の苦もなく超えられることがその頃の私には重くて辛くて、その負荷に耐えかねて重い荷物を先生に分け持って貰おうと考えたものだと思われます。でもそれを出さなかったのは、『頼るべきじゃない』と思ったからだったことは記憶してます。不思議なもので。 そして忘れもしない、その手紙を出さないでおこう、と文面を変えて、ただ『先生私は元気です!頑張ります!私頑張るから私のこと忘れないでね!私が帰省したら先生に会いたい!』というような手紙を出した2週間ほど後、学校の講義中に携帯が鳴りました。 当時はまだ携帯電話もメジャーでなく、ポケットベル全盛期だったんですが猫に鈴つけるように当時の彼氏に持たされてました。まあそんなことはどうでもいい。とにかく、私にとっては『帰省したら先生に会いたい』がその手紙を出した主目的だったので、携帯の番号も書いたんですね。手紙に。自分の都合で振り回すのもナンなので、ヒマなときにご連絡頂けたら馳せ参じますと。 そんで、まあなぜかとあるとき携帯が講義中に鳴りまして。 なんだかヤな予感がするので廊下に出て取りましたら、先生の奥様だった訳です。電話の主が。 そして、先生がお倒れになったことを知りました。 あなたからの手紙を読んで、主人は泣いてましたと。それからすぐ倒れて、今度手術を致しますと。 頑張ってください、頑張ってくださいと、阿呆のように繰り返すこと以外には、私には何もできませんでした。もうすぐ学期が終わる、そうしたらきっと元気になった先生に会えると呪文のように繰り返す日々がしばらく続き、帰省して矢も盾もたまらず先生のお家に連絡しても家族以外は面会謝絶状態だと聞かされるだけで。 そしてまた、頑張ってください、とだけ繰り返して最後の学期が終わり、卒業して帰省。 まるでそれを待つように(待っててくださったんだと私は堅く信じているが)、先生は亡くなられてしまいました。お通夜、お葬式と参列させて頂きましたが、こんな残酷な事があっていいのか!?と、しばらく血を吐くように喚いてあがいて、落ち着くまで―――――もう先生は何処にも居ないのだと私が納得できるまでに、実に2年もかかりました。 そしてようやく、先生の墓前に花を添えたいと思い、奥様に連絡させて頂いたとき、あの素晴らしい方を亡くされた奥様は、私なんかよりずっと慟哭が深かったことを知らされることが起こりました。 それがショックで、私はそのことを記す奥様の手紙を見ながら、丸半日ほど泣き喚いて閉じこもってました。 あの方の愛された奥様が、と思うともう涙が止まらなくて、苦しくて。 そしてどうにもならなくなった私は、それはそれは夜中で非常識とは知りつつも、私の心の姉に電話をかけました。解決策が欲しかったとかそういうのではなく、もう無条件に私が帰属できる人なので、彼女の声を聞いて、頑張れと言って欲しかっただけで。 そして泣きながら、マトモに発音できないまま私が大体の事情を喋ると、彼女は言ってくれました。『そんな風に一番苦しいときに私を頼ってくれてありがとう』と。 その言葉で救われた私は、途中まで書きかけてた奥様への返事の手紙(それが今日見つけた後者の方ですが)を、出すのをやめようと誓いました。 今私が奥様に言えることは何も無いと、とても冷静に思う事ができたので。 彼女は、奥様の私に宛てた手紙の文面、それが私を酷く傷つけたことに本気で憤り、私のために泣いてくれました。私を傷つけたことが許せないと。 その言葉で私は充分救われたので、待つことにしました。私にはどうしても奥様を『許せない』と思う事ができなかったので。 可哀想なところに奥様はまだ居るだけなのだと。だから、少しだけでも言葉の届くところに浮上なさったら、私の言葉を聞いて貰おうと思って、待ちました。一年。 そして、奥様に宛てた手紙を書こうとした本当にその頃、奥様から『墓前に来てやってください。ご案内します』というご連絡を頂き、私は先生のお宅にお邪魔しました。 奥様とお話するうちに、『私は充分愛されなかったのに、これからだったのにあの人は死んでしまった』というようなニュアンスが嗅ぎ取れました。そう誤解なさってるんだろうということは何となく、お会いする前から解ったので私はどのタイミングでその誤解を解こうと、そればかり考えながらお話しました。 話の内容は、故人の事ばかり。当然ですが。 修行が足りない若造の私は、やはり先生を偲ぶだけでもう涙が止まらず、ボロボロ泣きながらですがどうしても伝えなくちゃいけない一言を、言うことができたんです。多分、これ以上ない最高のタイミングで。 自分が貰うはずだった愛情を、私や他の先生を慕った人たちに横取りされたような、そんな気分だった、そんな内容のことを奥様がおっしゃったときに、もう先生がこのときばかりは私の背後で『今だ!今言ってくれ!』と言ったとしか思えないんですが(笑)、私はずう――――っと思っていたことを言いました。 昔私がいろんなことに傷ついて、苦しんでるときに先生が言ってくださったことがあります。『恋愛をすればいいんだよ』と。 そう言われた時私は思いました。先生は、ホントに奥様のことを愛してらして、信頼してらっしゃるからこそ人にもそれを勧めるんだなと。本当の愛情に巡り会ったら人間は強いぞとおっしゃったんだな、ソレは体験談なんだなと。 それを口にしたときの奥様の顔は忘れられません。 大切な人を亡くした後の苦しみ、もう解きようの無いはずだった生まれてくる疑念、そういうものから少しだけ解放されたような。 先生に頂いたものを、ほんの少しでもお返しできたのかな、私は、と思ってます。今では。 でも私がそう言えたのは、私の心の姉のあの言葉があったからで。 愛情ってすごい力だなと思えてなりませんね。 先生が私に注いでくださった愛情、ソレは巡ってどこかで私が誰かに返してるのかもしれません(願わくは、ですが)。返していけたらいいなと思いますし。 憎悪のパワーは確かに瞬発力は認めるが持続力は無いし何も生まない。でも、愛情はいろんなものを生み出す。先生にソレを注いで貰えなかった私は、今でもきっと人をやたら観察し、侮蔑し、誰も信じてなくて自分を呪うことしか知らなかったと思います。 でも、先生と、私の心の姉と、二人がかりで全く偶然ながら同時期に、私にソレを注いで私を生み直してくれた。そして今度は、生み直してもらった私は、誰かのソレになれたら良いなと思う事ができてる。それって、すごいパワーだ。しかも連綿と持続するはずの。 愛は世界を救うことがホントにできるのかもしれない。この輪が続けば。 そんなことを、偶然にも繋がれた二つの『出せなかった手紙』で思い出しました。 前者も後者も、不思議な力で『出せなかった』。 ソレを神様と言うならそう呼んでもいいけど私はどっちかって言うと愛だと思ってる。神様=愛なら納得しても良いと思う今日この頃。 神様はやっぱり心の中にしか住めない、だからこそ侵されない諸刃の剣なのね。 -
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