日々想事ひびおもうこと...紫能神巳

 

 

赤穂義士300年祭。 - 2001年12月14日(金)

…に、行って参りました。今日。
ウチからあまり遠くないので、今朝『今日300年祭だって!』とTV見てソノ気になった母親に叩き起こされ、無論私の運転で…。

私、実を言うと忠臣蔵というものの史実に関しては全くと言って良いほど知識がありませんでした。
殺されたのが吉良コウヅケノスケ(どういう漢字書くんだか知らない)で、浅野タクミノカミ(知らない2)が義士たちの主君で、大石蔵ノスケ(中途半端な知識)が47人のリーダーだったというくらいで。
そんな私が行って果たしてどうなのと思いましたが…今日が、討ち入りの日だったそうですね。300年前。
ソレはやはりなんだかそれなりに感慨深く、でも吉良さんの命日なんだよねと思うと何かとっても複雑な気分でした。
吉良さんが何をしたか知らないのに言うのもなんですが、300年後も、自分の命日に祭りが行われてるなんて想像もしなかっただろうなあと。
しかも、吉良さんを讃える祭り(英雄系って命日に讃える祭りがあるよね)ではなく、吉良さんを『殺した』事に対する祭りな訳じゃないですか。
なんか、それってすっごいフクザツ…。
47人がかりで殺された挙句、300年後もそれを『偉業』として讃えられるなんてちょっと私だったら無念すぎるが…。
300年後にまで、自分が討ち取られた事を讃える祭りが行われなくてはならないほど吉良さんって何したの?と単純に思ってしまいました。
珍しい日本人の私は、年末年始に必ずやる『忠臣蔵』って観たことないんですが。だから勝手なこと言ってます。今日やってた『忠臣蔵』も見てません。
なんかちょっとどうもそのあたりが納得いかなすぎるので…。
しかも、なぜか(と、私は思うのよ)自分を殺した人間たちが【義】士として讃えられてる。300年も後の世でも。
【義】士…………って事はソレは【正義】で、じゃあ殺された吉良さんは当然の報いだと?47人がかりで?
しかも沙汰を下したのは当時の将軍な訳で、ちょっと怨む筋合いが違わない?と思えてならない…そりゃ直接の原因は吉良だったかもしれないけど、吉良家はお沙汰なし、浅野家は詰め腹切らされてお家断絶と決めたのは将軍でしょ?なら将軍を討てよ将軍を。………と、当時を知らない現代人の私は思いました。
当時とは感覚が違うんだろうから…前にも書きましたが、同じ社会通念が通用するのって100年が限度だそうで、じゃあもう3回も社会通念が生まれ変わった世に住む私が言うのは、彼らの社会通念では【おかしい】んでしょうが。
しかし不思議だ…。将軍は神、みたいな時代だったのかしら。それなら『討ちに行く』はあまりに現実的じゃないってのは何となく…何となく解りますが…謎。

でも今日、赤穂市中を歩き、まあ資料みたいなのを見て、47士の時勢の句があったんですね。それを見たときは、さすがに目頭が熱くなりました。
『君を』『君の』という言葉が多く見られましたもので…。
当時の『君』、武士にとっての『君』は『あなた』ではなく『主君』なんですよね。死のその瞬間までそこまで潔く居られるか、死という瞬間までも『君』を想うか、というその強さというか…そういうものですかね。
なんか、ちょっと泣けました。
自分が死ぬときまで公的で居られる高潔さ、それが必ずしも良いとかいうわけではないけど、人間で、きっとこの世にもっと私的に想うもの、目指すものがあったんだろうに、でも公的でいようとするその心掛けはホントに賞賛に値するなと。
今の人間(無論私を含め)私的なものの垂れ流しで、敬語さえロクに使えない、自分と他人の区別のつかない人間が多すぎる。特に敬宮愛子内親王のご生誕の折、若いキャスターの敬語間違いが耳障りで仕方なかった。尊敬語も謙譲語も丁寧語も区別のつかん人間が言語を商売にするなんておこがましすぎる!
………話が逸れましたね。
まあそんなわけで、なんだか微妙に感慨深い一日を送りました。
でも途中で雪が降ったのはびっくりしたよ…赤穂って寒いところだったのね…。今年初めて見た雪で、『初雪!』と思ってましたが帰ったら降ってませんでした…ええ全く。


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