「硝子の月」
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2005年04月11日(月) |
<揺らぎ> 朔也、瀬生曲 |
彼女の肩から飛び立った漆黒のルリハヤブサが上空で円を描く。 「そちらにおいでか」 人混みを外れ、カサネはその下の粗末な建物の中に青年を引っ張り込む。 普段でも騒々しいであろう酒場は、祭の熱気もあっていつも以上に賑やかだ。 「おい、お前の主って…」 「王だ」 「『王』?」 こんな酒場には似つかわしくない言葉だ。何の王だというのだろう。 「小国とは言え、一国一城の主にあらせられる」 そう言うカサネの声はどこまでが本当なのかよくわからない。第一、本当にどこかの国王だというのなら、城で行われている式典に参加しなくていいのだろうか。 カサネが店員に二言三言探し人の特徴を告げると二階に通される。一階同様の賑わいをみせるフロアを横切って、通りを見下ろせる窓際の席に進む。 青紫の瞳の老人がこちらをみてにやりと笑った。
「ようこそ。カサネの客人とはお主のことか」 「はい。グレン・ダナスと」 老いて痩せた身体に似合わぬ威厳の声に、まだ年若く凛とした声が返った。グレンは奇妙な顔で隣を見下ろす。 老王の問いに答えたのは当の本人ではなく。 「……なんでお前が答えるんだ」 「ことの報告は我の仕事なのだよ」 彼女の王の前に跪き、カサネはひそやかに笑った。
耳慣れない言葉に、グレンは戸惑う。文脈からして一人称だということはわかったのだが。 「今の……」 「ああ」 彼女自身もすぐそれに気付いたらしい。 「私は本来、自分のことは『我』と呼ぶのだ。ただ奇異な目で見られるからな、他国で活動する時には『私』を使っている」 国が違っていても、大元の言語は同じである。各国の言葉の差は方言と言っていい程度のものでしかない。しかし彼女が今使った一人称はそれとも違って聞こえた。その時のグレンにはわからなかったが、彼女が使ったのは彼女の国の、それも今ではほとんど使われることのない古い響きの言葉だった。 「少々、気が緩んだ」 柔らかな笑顔だった。それがこの老王の前だからなのかと思うと、何となく面白くない。
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