2001年09月28日(金) |
20世紀が終わった―― |
昨年、俺が見たプロ野球の試合はたったひとつ。それが“長嶋ジャイアンツ”が東京ドームで日本一となる日本シリーズ第6戦。 歓喜の中で見たあの“背番号3”の胴上げが、まさか長嶋監督の最後の胴上げになるとは……。
長嶋茂雄讀売巨人軍監督、残り2試合を残して今季限りの勇退を発表――。
表現は妥当ではないが、“虫の知らせ”だったのだろうか。 昨年の日本一の勢いあってか、今年は生まれて初めて、というペースで球場に足を運んだ。ジャイアンツがもたつきながらも優勝戦線に食い下がっていることもあって、気がつけば8試合もジャイアンツ戦を観戦した。ホームランが乱れ飛ぶ圧勝のゲームがあれば、俺の誕生日に横浜まで観に行った試合はサヨナラホームランを浴びた。復活の桑田の熱投で1―0でヤクルトに競り勝った試合は一生忘れない。 ふと思い立って、球場で売っているジャイアンツ商品のうちの『3』グッズを随分買い込んだ。『3』が刺繍されたミニタオルとフェイスタオルは日常の中で使っているし、特に何に使うわけでもないリストバンドはほとんどバッグのアクセサリとなっている。 月刊ジャイアンツを読み、選手のテーマソングを集めたコンピレーションアルバム『GIANTS mania』を聴き、仕事で市場調査をして歩いているときでもラジオ中継が聴けるように携帯ラジオも買った。カバンに入れてあるPDAにはセ・リーグの全日程とジャイアンツの全選手データが入れてあった。
これほどまでに巨人を、長嶋ジャイアンツを応援した一年はなかった。
事務所での資料作成を途中で切り上げ、夕方のアポイントのために俺は営業車で関越道を走らせていた。 ふと、ラジオから聞こえる衝撃。 『長嶋監督の今季限りの勇退が決まりました――』 聞き間違いだと思った。聞き間違えるはずがなかったが、それでも聞き間違いであることを祈った。しかし高速道路を降りるころ、ラジオ番組の内容が急に切り替わり、突然『長嶋監督退任記者会見』の模様の生中継が始まった。 オーナーの話の後、長嶋茂雄が静かに口を開いた。穏やかに、そしてきっぱりと長嶋は今季限りでジャイアンツの背番号『3』のユニフォームを脱ぐことを告げた。
胸が熱くなった。たかがプロ野球、たかが長嶋茂雄のことで――と笑わば笑え。
俺は車を止め、カーラジオから流れる会見の様子をじっと聞き入っていた。その声の晴れやかさから、長嶋茂雄は間違いなく笑顔で話をしているに違いない、と思った。 これで恐らく栄光の背番号『3』は封印されるに違いない。長嶋茂雄の胴上げを、恐らくもう見ることは出来ない。それを考えると寂しいやら口惜しいやらで、咽喉の奥の方でなにか苦いものが込み上げてきた。
ふと、俺の携帯電話に友人からメールが届いた。あの日本シリーズ第6戦を一緒に観に行ったその友人からのメールは、とても短い文章だった。
『長嶋の最後の日本一胴上げを見れて、本当によかったな』
涙が止まらなかった。
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