お酒は呑むほうですか? と尋ねられれば大抵、「ええ、嗜む程度ですけど」と答える。そして、その“嗜む程度”ってのがコワいんだよね、とツッコまれ、小さな笑いが生まれる。パターンだ。 営業マンという職種柄、それぞれのスケジュールで走り回っているので、仕事の後に同僚達と一緒に呑む、という機会もそれほど多くはない。だから時折そんな機会があると、その呑み会はかなり盛り上がる。アルコールが手伝って、というよりは、俺の同僚はみんな“ボケよう”“ツッコもう”という姿勢がかなりはっきりしているので油断ならないのである。勿論俺は後者だ。そんな仲間達の笑顔の中での1杯目の中ジョッキはやはり、旨い。
そんな賑やかな酒の席とは対極の、独りもしくは二人の酒、というのも、これはこれでいい。 実は先日、ちょっとした呑み会が急にキャンセルとなり、俺は新宿の夜の街で途方に暮れていた。仕事を早々に切り上げ、すっかり「さあビールだ」体制だった俺は、例の店に行きましょうか部長?とすこし猫背のサラリーマンとか、はーい、このビルの五階の『和民』が会場ですからあ、と叫んでいる学生集団をちょっと羨ましそうに眺めているしかなかった。 あいつを誘ってみようか。奴に声をかけたら来てくれるだろうか。まだ仕事中だろうか。携帯電話のメモリを送りながら、俺は仲間達の顔を思い浮かべていた。 ふと思い立って、俺は賑やかな歌舞伎町の外れをすこし歩いた。安易なチェーン居酒屋やちょっとこ洒落たバー、割烹居酒屋などは軒を連ねているが、どこもとても独りで入ろうという気分になれる店ではない。
――あれ? 俺は独りで呑もうとしているのか。うん、たまにはいいんじゃない?
十坪も無いような、汚い小さな焼き鳥屋から焦げた醤油の香ばしい匂いと白い煙がダクトから狭い路地に勢いよく吐き出されていた。間口の狭い店先には薄汚れた赤提灯がゆらり。店内を覗けば、40代、50代のおじさんで一杯だった。結構独りで呑んでいる様子の人も多い。もう少し店内が空いていれば俺はこの店の暖簾をくぐっただろうが、あまりに混雑していて、どうも。 そして俺は一軒の蕎麦屋を選んだ。蕎麦屋と言ってもそれほど気合の入った店ではない。店内の手前には長いカウンター席があって、すでに4、5人の独り客が思い思いに酒を傾けていた。奥の方には団体客がいるらしく、時折わっと大きな笑い声が聞こえた。 手渡されたおしぼりで手のひらを拭いながら、生中を所望。とりあえず、ため息ひとつ。 BGMに、蕎麦屋には不釣り合いな尾崎豊が流れている。ええと、塩でねぎまとモモと鳥皮ね。――あ、マグロぶつももらおうかな。 焼き鳥と刺身なんて、我ながら“喰いたいものを喰う”という肴の選び方だな、と思う。蕎麦屋で呑むなら板わさと卵焼きだろう。 すぐに出された中ジョッキはしっかりと冷えていて、うん、旨い。『独り長嶋監督勇退お疲れ様会』もいいな、とふと思い付き、心の奥底の方で背番号3を称えた。
大阪に勤務しているとき、一度だけ、たった独りで呑んだことがあったことを思いだした。ある時、大嫌いだった上司の自慢話に終始した飲み会があって、俺はその数時間が苦痛でならなかった。お開きになった後、いつもならまっすぐ部屋に帰るところなのだが、その時の俺はどうしても飲み直したくて、一緒に参加していたひとりの先輩の携帯電話に電話した。電源が切られていたのか電話は繋がらなかった。 部屋の近所にある小さな居酒屋で、俺は生まれて始めて独り呑み。中ジョッキと卵焼きと鶏の唐揚げ。その時もやはり“喰いたいものを喰う”スタンスだったみたいだ。
独りはやっぱり寂しいけれど、この孤独を楽しむっていう手もある。もとより俺はあんまり独りっていうのが苦にならないし。 突然の新宿の独り呑みは、おだやかな気分の中でゆっくりと時間だけが過ぎていった。
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