のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2001年10月19日(金) アコギ

 最近、また、自宅のアコースティックギターを弾くようになった。
 2年前に結婚をしたとき、俺は特に新居にコレと言った特別なものを実家から持ち込まなかった。あえて言えば兄貴に結婚祝いにもらったiMacと“ギター”。パソコンはやはりメールやらなにやらで必要不可欠だったが、ギターを新居に持ち込むことは正直なところすこし逡巡した。それまでのようにゆっくり譜面を見ながらギターを抱える時間など相当少なくなるだろうし、そもそも新居にはしっくりギターが収まるような部屋が見当たらず、“邪魔になる”のでは、という危惧すらあったからだ。
 新居にギターを持ってゆこう、と思ったのはたとえ今は昔ほどつま弾く時間が減ったとはいえ、やはり“アコースティックギター”というものは俺の一部であり、俺自身だったからだ。もしかするとツマに、掃除の度に「このギター邪魔!」などと虐げられてしまうかとも思っていたのだが、何故か彼女もこの邪魔なギターについては何も言わなかったし、今もそれは変わらない。

 小学5年の時に兄貴が持っていたクラシックギターを見様見まねで弾きだしたのが最初だった。生まれて初めて曲らしい曲を弾いたのがハイファイセットの『フィーリング』――時代を感じるよなあ。これは確かギターの教則本に乗っていた基本の一曲目であった。
 次ぎに弾けるようになったのは同じ教則本に載っていた、さだまさし『雨やどり』。兄貴がラジオから録音したこの曲をラジカセで聴いた衝撃(歌なのになんでこんなに笑えるんだ!?)が、練習曲にこの曲を選ばせたのだろうか。思えば俺が本格的に“さだまさしロード”を突っ走るスタート地点はここだったかも知れない。さだまさしをつま弾く小学5、6年生というのも客観的にはかなり気色悪い。

 実は1ヶ月ほど前、愛車デミオで移動しているとき、実に久しぶりにさだまさしのライヴCDを聴いてみたことがあった。
 俺の耳に、アコースティックギターの柔らかな音色がやけに新鮮に響いた。それは、昔は毎日のように聴いていたさだまさしの曲であったから、という理由以外に、さだまさしを毎日聴いていたあの頃――中学、高校、そしてかなりの年齢を重ねるまで――の自分と自分の周りに優しく吹いていた風がふと俺の頬を撫でたような気がしたから……と言ったらかなり格好つけになってしまうけれど、まあ、そんな。

 思えば、高校の卒業式の後、最後の挨拶の代わりにギターを抱えて唄い、浪人時代には下手な詞を書き、それにもっと下手な曲をつけて自作の曲が誰に聴かれることもなく十数曲生まれ、大好きな友人が結婚をすると聞けば、頼まれもしないのにギターで曲を作り、おまけにその披露宴で下手なギターを披露し……。
 どうやら“俺”というちょっとへんな人間を語るとき、アコースティックギターの存在は欠かせないようである。
 そして今夜も俺は、昔に比べればすっかり柔らかくなってしまった左手の指先を痛めながら、ゆっくりとギターを鳴らす。


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