あるいはそれを“宅訪”と呼ぶ。 先日、同僚の担当する新しい店が開店するというその前日に、“宅訪”を手伝ってくれないか、と頼まれた。 新しいお店が開店する前日には、お店の近隣の住宅などに開店告知のビラを一軒々々ポスティングしてまわる、という作業があって、通常は新規採用したアルバイト達4、5人で手分けしてやってもらうのだが、時折、人員確保ができなくて我々店舗開発担当者も一緒になってやることがある。 別の仕事でその同僚に借りがあった俺は、迷わず引き受けることにした。
同僚に指定されたエリアで世帯が約200軒。これを一軒々々回るのだから決して楽な作業ではない。それでも数ヶ月ぶりに歩きまわったチラシ配りはいろんなコトが見えて実に面白い。 番犬に吠えられる、なんてのに驚いていてはやってられない。こんな古い家に誰が住んでいるんだ!? と思いつつ近づいてみたら本当に誰も住んでいなかったりする。小さなアパートの一室のささやかな表札に「渡辺幸夫・ヘレン」なんて書いてあったりするのを見ると、余計な想像をしてひとりクスクスと笑ったりしている。このヘレンっていう女性がビダルサスーンのCMに出てくるような金髪長身のグラマラスな女優さんみたいな人だったらギャップがありすぎて面白いなあ、とか。
誰に自慢できる、というわけではないが、そもそも俺にはチラシ配り(ポスティング)には一日の長がある。マンションなどの集合ポストにばしばしとチラシを入れてゆく自分に我ながら手際のいいものだ、と感心していると、ふと大学時代のことを思い出した。 知っている人は知っているだろうが、俺が学生時代に所属していたボランティアサークルでは、学園祭になると“チャリティーバザー”を開催していた。大学の近隣の住宅にチラシを配って告知をし、書籍や古着、家具や家電など家庭の様々な不用品を集めてバザー商品として売りさばき、その売り上げを障害者施設に寄付させてもらうのだ。そのときに配るチラシは10000枚位は印刷した覚えがあるので、サークルのメンバーは最低でもひとり1000枚位のチラシを毎年配らされることになっている(ココの読者の一部はこの“チラシ配り”を体験している連中である)。 授業の合間や放課後に大量のチラシを抱えて街に出る。すっかり辺りが暗くなってからも家々を出たり入ったりしているものだから、一度おまわりさんに職務質問されたこともある。 その当時は、こんな風に住宅やマンションを回ってチラシを配り歩くなんて、そんなアルバイトでもしないかぎりそうは体験することじゃねえなあ……などと思っていたのだが、まさかあの4年間のチラシ配りが仕事に役立つとは考えてもいなかった。
さて、そのチャリティーバザーでのエピソードをひとつ。 配ったチラシを見た人から連絡を貰い、基本的にはいただける不用品をこちらから取りに伺う、ということになっていた。量がすくなければ徒歩や自転車で行くのだが、量が多かったり家具などの大きなものをいただける場合には軽トラックで出向くことになる。 家具をいただける、と言う連絡があり、俺を含めた手の空いた部員がトラックでその家に向かった。行ってみると、すでに小さなタンスや本棚などが門扉の前に出して並べてあり、傍らにその家の主らしき中年の男性が俺達を待っていた。どれも綺麗に掃除された品物で、決して安物ではない、ということは学生身分のこちらにも分かった。 とくに立派だったのが“鏡台”。観音開きの大きな鏡は丁寧に磨かれていて、作りもしっかりしている。“安物ではない”というレベルではなく、それは明らかに“高価なモノ”だった。 「いいんですか、こんな立派なものをいただいてしまって?」 誰かが、その男性に尋ねた。身じろぎもせずに、その男性は穏やかな笑顔で言った。 「ええ、お願いします。実は――」 「?」 「――実は、この鏡台、亡くなった妻の遺品なんですよ……」
そんなものを貰ってくる奴がいるか、と先輩に怒られた。と同時に大爆笑。 俺は集まった品物を倉庫内に管理する役目を仰せ付かっていたのだが、薄暗闇の倉庫の中で、俺はその鏡台を見るのが怖くて仕方がなかった。
――そういえば、今はアジ祭の時期か?
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