2001年12月27日(木) |
今年最後(であってほしい)の大チョンボ |
仕事で使っているシステム手帳を無くした。
覚えておいでの方なら「おまえ、またか?」と言うかも知れない。昨年の夏、仕事中にビジネスバッグをまるごと紛失するという大間抜けを演じて大変な目に合ったというのに、またも同じようなチョンボをやらかしてしまったのだ。ばかだ、俺は。 その日はどちらかというと“負”の方向へ向かうような始まりだった。朝の『めざましテレビ』の星占いでは、蟹座の運勢は明らかにランキングの下から数えたほうが早かった。 朝食を抜いていた俺は、昼飯にはちょっとしっかりしたものを食おう、と思い立ち、『ステーキのどん』というファミレスで昼食を取ることにした。広い駐車場に営業車を止め、サイドブレーキを引く。完全停車状態。ふと気になることを思い出し、地図を手にした瞬間――。 ズゴン、という鈍い音がして、軽く車が揺れた。発作的に顔を上げ前方を見ると、こげ茶色のマーク?がバックでこちらにぶつかってくれていたのだ。先方の運転手のおじさんが血相を変えて車からまろび出てきた。駐車エリア内に完ぺきに止まっている状態だったので、こちらにはなんら落ち度はない。ゆっくりと車を降り、俺は言った。 「最初に言っときますけど、俺、悪くないですよね?」 実際のところ、こちらはフロントバンパーがちょいと傷がついた程度で、走行には支障はない。ぶつけてきた張本人のおじさんも大変恐縮していて、紳士的に対応してくれたのでこちらとしても特に文句をわめき散らすわけでもなく、警察で物損事故扱いにしてもらって、そのままおじさんと別れた。ぶつけられたこと自体は大したことではなかったが、一応、会社には『事故報告書』なんつー書類を出さなければならないので、それだけがちょっと憂うつだった。 で、夕方となる。 俺はとある調査をしていて、その調査内容をシステム手帳にメモしながら歩いていた。そこへ俺の携帯電話が鳴る。事務所からだった。かなりややこしい内容の電話で、俺は電話に応答しながらすぐ近くに路上駐車してある営業車に戻った。車に乗り込み、しばらくそのまま話し込んでいた。結局、電話の話はさらにややこしくなってきていて、俺は急きょ事務所まで戻らなければならなくなった。 「ちっ、めんどくせー」 そう思いながら俺は車を走らせる。細い路地から国道に車を出し、高速道路の乗り口を目指した。 近くの交差点の赤信号で車を止めたとき、すぐ後ろを走っていた大型トラックが“パチッ”とパッシングをしたのに気づいた。俺にパッシングしているのだろうか? 信号待ちなのに? 別にトランクが開け放しになっている、というわけでもないし……。俺の頭上にはまだ2、3の?マークは浮かんでいたが、俺はそのパッシングを特に気にも留めずに、一気に走りだした。 そしてシステム手帳がなくなっていることに気づいたのは、事務所に戻ってしばらく経ってからだった。 カバンの中にはないし、営業車の中を這いつくばって探してみても見つからない。探すのをやめたときに見つかることを期待したがやはり出てこない。――どこで無くしたんだ……?
パッシング。
あの一瞬の閃光がぼんやりと記憶に蘇った。 そうだ。あのパッシングだ。 携帯電話で話しながら営業車に乗り込むとき、恐らく俺は営業車の上に手帳を乗せてしまったのだ。その行動は記憶に無いが、まず間違いない。そして、俺はそのまま車を走らせてしまう。俺の後ろを走っていたトラックはパッシングで「おい、あんちゃん。車の上にナンカ乗っかってんぞい」と教えてくれていたのではないか。 あの手帳にはクレジットカードなどA級の貴重品は入っていなかったが、それでもB〜C級の俺にとっては大切なメモなどが入っていた。 なかなか綺麗に撮れていたのでなんとなく持ち歩いていたツマの写真、会社の部署別電話番号簿、様々なデータメモ。ニッポン放送の女子アナトレーディングカード、ニッポン放送のうえやなぎまさひこアナと垣花正アナのサイン、プリティ長嶋のサイン――と、「なんでそんなもん持ってんだオマエは?」というようなものもあった。
手帳が無いと仕事に差し支えるので、22日に銀座で忘年会があったとき、文房具の伊東屋で同じようなスリムサイズのシステム手帳を購入。リフィルも合わせて一万円強の出費は正直なところイタかった。 これが今年最後の大チョンボ――であって欲しいと願いつつ、明日は仕事納め……。
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