2002年02月18日(月) |
ばかなことをやったもんだ <其の参> |
くつろぎの日曜の午後、日テレでジャイアンツの紅白戦の模様を中継する――というのを新聞のテレビ欄で発見した。慌てて時計を見上げればちょうど番組が始まろうか、という時間だった。 コタツに入って、コーヒーなどを呑みながらジャイアンツ戦士の紅白戦を観戦(実は、その日の紅白戦は雨で中止になってしまい、前日の土曜日に行われた紅白戦を放映していた。スポーツニュースですでに見たんだけどな……)。 青空の下の野球は、いい。観るのもプレイするのもどちらも気持ちいいものだ。宮崎サンマリン球場でグラウンドを駆けるジャイアンツの選手達を観ていたら、不思議と「ああ、野球がやりたい」という気分になってきた。
『ばか野球』
――「草野球」でも「野球」でも「三角ベース」でもない。なんとも形容しがたいそれを、俺達は『ばか野球』と名付けた。 学生時代、土日や暇な時間があると、だいたいWの家が俺達のたまり場だった。彼の部屋は母屋とは離れになっている小さなプレハブの部屋で、仲間達が集まって夜中まで大騒ぎしていたとしてもそれほど気兼ねすることはなかったし(本当は気兼ねしなければいけないのだが)、何より自分の部屋のようにくつろぐことができた。 ある日、彼の部屋で仲間数人がダベっていると、彼の部屋に転がっている小さなゴムボールと玩具のようなラバーのバットを持って「野球をやろう」と誰かが言い出した。 近所の公園へ繰り出した俺達はこのゴムボールと玩具のラバーバットで野球(のようなこと)に興じた。 俺達、といってもその時は3人だった。ルールなんてありはしない。投げたいやつがでたらめなフォームで投げ、打ちたいやつがへっぴり腰で打ち、守りたいやつがひたすら守る。 ゴムボールはやけに柔らかいので、まともに打ち返したといってもろくに飛びもせず、奇妙な変化をして転がってゆく。それがやけに可笑しくて、それでなくとも草野球とも呼べないようなこんな球遊びに興じている自分達が可笑しくて、徐々に俺達のテンションは上がってゆく。 突如としてWは外国人ピッチャーとなり、怪し気なカタカナ英語でバッターボックスの俺に挑んでくる。もちろん俺は花形満となって「さあこい! 星くん!」とラバーバットをライトスタンド(もちろんそんなものはない)方向へ掲げ、予告ホームランだ。 自分達のばかばかしさにげらげらと腹を抱えながら、俺達の『ばか野球』は続いてゆく。 うっすらと汗。青空。仲間の笑い声。 結局、普段ばか話に盛り上がっているのとなんら変わらない。盛り上がっている場所がただこの公園というだけで、野球の真似事をしながら結局いつもの冗談を言い合っているだけなのだ。 そろそろ大学を卒業しようかという年令に、俺達は――。 これが『ばか野球』の神髄である。
つい先日、このWから携帯電話にこんなメールが届いた。 『いま、上野公園。――(中略)――イヤホンで聴くその音楽越しにふと聞こえたのは、公園内のグラウンドで軟球を打つバットの鈍い音。半ば普段着の男女が、楽しそうに球と戯れていた。 ああ、こんな日にはばか野球がしたいなあ』
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