形(かたち)に残る、ということは大変なことである。
例によって休日出勤の土曜日、俺は二つの仕事の現場に向かう。昨日までは真冬が逆戻りしたような北風の堪える天気だったが、この日の青空は遠くに春の気配を感じさせていた。 両方とも今月末に新規開店させる店であり、今は開店に向けての工事のラストスパート、という時期である。それぞれの現場で工事がちゃんと行われたかどうかの確認をする、というのが今日の仕事だった。 まだ看板も付いていなければ、店の中の陳列棚も整理されていない、未完成の店。何人もの職人さんが内装工事に余念がない。 俺は役所に提出しなければならない書類用に、その未完成の店をデジカメに納めていた。 いつもいつも思うことなのだが、自分の仕事がこうして“店”という形で残ると言うことは大変なことだ。(当然、会社の判断がある――という大前提があるとしても)この場所に店を作り、その為に沢山の人間が動き、何千万円というお金が費やされる、という動きのかなり先頭の方にこの俺がいるという現実は、実はとてもソラ恐ろしいことのように感じることがある。 そして新しく生まれた店を生業の場としようとしている人がいる、という現実。
大阪でも4年間同じ仕事をしてきて、その店たちは今も稼動している。新幹線に最低3時間は揺られないと目にすることのない店ではあるが、“形”として残っているのである。 つまりその“形”は“責任”とも言い換えられるわけで。
2月24日に埼玉県坂戸市で、同じく28日には埼玉県川越市で新しい“責任”が動き出す。
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