この前の日記では<意識の流れ>が何とか何とかと語っていたが、まさにそんな流れを追っていたと言えるのが、一昨日に観た<バニラ・スカイ>だと思う。
<潜在意識>この言葉には何か奥深いものが潜んでいるように思える。
忘れないうちに言っとくと、今日、私は<ミミガー>という食物にはまりました。 どうやらブタのミミのようです。 コクがあって、おつな食べ物です。 180円で、割かし安いです。 食べても食べてもナクナラナイ感じです。 でも、どうせ無くなります、いつか、イツノヒカ・・・ あと三十分後くらいに。 イツノヒカ、なんてことはありません。 なんでいつの間にかテイネイゴになってるんでしょうか? まあいいや。 もう後は昼飯を食べるだけ! すべては昼食の後に・・・
| 2002年01月25日(金) |
英語で言うなら<JAW> |
どーも、飴はかみ砕いてしまう性質(たち)なダーZです。 ダーZっていう所謂ウェブネームで名乗ってますけれど、特にこの名前でなければいけないって言うわけではありません。 なんとでも呼んで下さい。 かしこ。
今、ミスチルの<Yuouthful Days>を聴きながら打ってます。 ところで、僕は今日が何日であったか?というのをよく忘れてしまいますが、カレンダーを見ればいいのでどうってことはありません。
さっきまで、<森田一義アワー>を見ていました。 山本太郎が、ゲスト出演していました。 そこでふと思いました。 山本太郎は、山田太郎でなくて良かったな!と。 なんか、山田太郎だと勢いがなくなってしまう感じがするなぁと思うのは僕だけでしょうか?
もう一つアワーネタ。 ある一瞬のタモさんの表情が、逆にコージー冨田に似ていました。 因みにコージーは愛知県出身です。 僕の好きな映像作家、堤幸彦さんも愛知県出身です。 頑張りさんで若手ながら実力派な感じのする・・・アレ?名前が出てこん・・・アルペンのCMに・・・彦、彦な名が付いてる・・・スパスパにも出てる・・・なんとなく本庄まなみもセットで頭にでてくる・・・どうやら実家は金持ちらしくて、ということはボンボンかい!というのは聴いた事が・・・津川雅彦、ぜんぜん歳ちゃうし・・・、・・・、・・・おぉ、加藤で晴彦!加藤晴彦だ!! あーすっきりした。。。 あ、そうそう、彼も、愛知県出身です。 ・・・ もしかして、加藤さんが愛知県出身じゃなかった方が面白かった? さんざん思い出そうとしといて違うんかい!というツッコミが入るような感じになってた方が良かった? じゃあ加藤さん、実家を引越しさせて下さい。 そうしてもらえると有り難いです。
―ジ・エンド―
ついしん アゴ、整体師の人に直してもらいたいなぁ。
ついしん2 「意識の流れ」っていう言葉が好きだ♪ これは僕の思い付きで言っている言葉だ。 人の意識の流れって、面白いと思う。 ホントに研究したいくらいだ(^_^)
| 2002年01月22日(火) |
黒沢優、19で妊娠!(松岡羨ましい♪) |
『看板』 長瀬に浜崎(あゆ) 吾郎(稲垣)に菅野 そして驚いたのが松岡(ソフィア)に黒沢優(明の孫) ・・・ 結局人間顔だなぁとしみじみ思いました(笑) この御三組共、いい顔してるもんねぇ。 いやね、僕を含め全国のカッコ良くない顔の人の為に厳密に言えば、結局<顔つき>だなぁと思うのです。 おお負けに負けて、<顔つき>が物語るって事、<顔>じゃなくて(笑) もちろん普通に考えればいい事にこしたことはないもんね。 だって、<顔>って言ったら生まれつきの要素なので、それでは不公平だから言わば敗者復活戦とでも言うべきか・・・ まぁ、顔つきが物語るのよねぇ、その人を。 悲しいかな(笑) と思った次第です。
午前六時四十五分頃、 ミスターチルドレンの「優しい歌」を聴く。 聴いている時に一つ思った。 この歌は、錆びない感じがする。
午後に入って大学からの帰り道。 朝からの雨空一色から一転し、日差しが差し込んできた頃、空に手をかざして少しの雨粒も逃さない様に捉えようとしていた。 どうやら傘は必要なくなったみたいだった。 僕は一冊のギャグ漫画を手にしていた。 さっき本屋で買ったものだった。
―ギャグ漫画を買う前に目に止まった本― それを買う前、色々な本を買う当ても無く物色していたら、一冊の教訓本が目に止まり、中を少し覗いてみた。 まさに教訓本という語り口で書かれていた。 例えばこう。 「自分を許しなさい」 「自分を認める事によって・・・」 よくは覚えていないが、まず思ったのは、馬鹿にするなよ!という事だった。 察するに、この本の内容全部がこんな調子で書かれているかと思うと、なんて僕にとって空振りしっぱなしの本なんだろう!と叫ばずにはいられない。 この本に突っ込む最適な言葉があるとしてら、こんな言葉だろう。 「そんな事ぐらいわかっとるわ!」 言いたい事は分かる。 が、要は結果論しかそこでは語られていないのである。 こんな記号のようなキャッチフレーズで人が変われるわけが無い。 こう思えばいい、そう思い直せばいい、と言われても、それが出来る人というのは一体どのくらいいるのだろうか?と思う。 多少はこの本を読んで変わる人はいるのかもしれない。 しかし、こういう本が売れてしまうのだとしたら、それはつまらないことだと思う。 この本を手に取らず、自分の道を歩いてる人は、その人自身がこの本の内容そのものなんだと思う。 結果論を追っていても何も変わらない。 とにかく言っている事がつまらないのは未だしも、この本を買ってそのとおりにしようとする心構えが虚しいし、実際何をすればいいのか?というのはこの本を買わなくたって常日頃僕らはしているではないか?と言いたい。 僕はこんな本と関係なく自分を愛せる人が好きだし、僕もそうでありたいと思う。 だから、こういうタイプの本が嫌いだ。 まだ「チーズはどこに消えた?」の方が、物語仕立てになっているのがいい。 やっぱり、教訓本の中で一番いいのは、ある特定の人が自分の体験を語ったものだと思う。 その人の人物像が、語られる具体的なエピソードによって見えてくることによって、その人の考え方に納得させられたり、それは僕には出来ないな、とか思いながらも、言っている事を理解出来るのである。 人はいくつかの事や考えを互いに共有する事によって理解し合えるし、それによって点と点とが繋がってある一定の考え方というものが持てるようになるのだと思う。 いわば、自分で物事を考える事ができるようになるとでも言うべきか? だから、そういう本を読んで自分と著者が一つや二つの線で繋がった時に思う事そのものが教訓になるのである。 教訓本の匂いをさせた本ほど空振りしているものはない。
―話は戻り・・・― 僕は一通り目に止まった本を眺めてはまた本棚に戻し、最初から買うのを決めていた本を手にしてレジに持っていった。 その漫画をカバンに入れ、手を空にかざしてからまもなくの頃、一つの思いが頭の中に浮かんだ。 (この漫画は今14巻まで出ているけど、それを揃えてしまったらまた一つ楽しみが減ってしまう・・・) この事が頭に浮かんだ時、なぜか虚しさが心を締付けた。 楽しみが減ってしまう事が、その漫画を買って部屋で独りきりストーブの前で丸くなっている一時がいずれ消えてしまうことを思い、急に寂しい気持ちになってしまったのである。 しかし、こんなに気持ちがしんみりしている自分を急に恥じる気持ちが占めてきて、次にこんな思いが頭に浮かんできた。 (変わる事を怖れたら駄目なんだ) なんで駄目なのかは分からないが、世の中のもので変わらないものが無い様に、自分も変わっていかなければ駄目なんだ、という思いがその時した。 (一つの楽しみが消えていく変わりに、また何か楽しみができるだろう。) そう思えることが、なぜか幸せに感じた。
―「かってに改蔵」という漫画― 僕は最近、この漫画の内容とダウンタウンの松本の言っている事が繋がっているように感じた。 言っている事は似ているな、と。 でも一つ、この本は僕の知る限りでは、そんなにメジャーな本ではないような気がするのに対し、松っちゃんは今や日本を代表するお笑い芸人だ。 なんだこんなに差があるのかと考えたら、それは日常との繋がりがあるかないかの違いではないか?という事に思い当たった。 松っちゃんはボケのポイントを日常のやりとりの中にうまく取り込む才能が、トークにおいても、コントにおいてもあるのでは?と思ったのだ。 それに比べ、「かってに・・・」は、ギャグのポイントを登場人物に言わせていて、それに引きずられるようにストーリーが展開していくのである。 やっぱ、この違いだろうと思う。 あと、松っちゃんの方は、瞬発力が物凄い。 瞬間的に考える脳力が物凄い。 具体的に言うなら、とっさのボケがセンス良く出てくるである。 でも、「かってに・・・」を呼んでいる時には、変な奴大集合で、まともなツッコミキャラがいないくらいに勢いのある壊れかたが気に入っている。 でも、誰かがボケている時に、今までボケの側であったキャラがちゃんとツッコミになっている所が凄いのかもしれない。 誰しもが変わった部分を持っていて、人を否定する事によって自分を肯定化するという主人公達の混沌ぶりが面白いのかもしれないが、単純に言えば、変わってるから面白いのである、この漫画は(笑) あとは、漫画独特の情報量の多さも、この漫画を生かしているのかもしれない(笑)
―話は変わって・・・― 最近、イヤホンを耳に付けて音楽を聴いている人をよく見る。 が、それを見て僕も真似をしようとは、最近は特に思わない。 耳が単純に悪くなるというのもあるが、ああやって外界の音を排除することによって一人の世界に入れる感覚があったり、それで集中力が増したりするような感覚が生まれる事は悪くはないと思うけど、今は外の世界に興味があるから、音楽の世界に篭っていたくはない。 曲は、家でじっくり聴くのがやはりいい。 特に寝る時に聴くのがいい。 そうすると、じっくりその世界に浸れる感じがする。 だから、何に集中するかによるのかな?と思う。 イヤホンで曲を聴いてなくても、外の音に耳を澄ましていればいいわけだし。
今日の日記はこれにておしまい! ―完―
ついしん、人を食ったものが好きだ。
| 2002年01月20日(日) |
「ちんちん」=「湯の沸騰する音」(三省堂 デイリーコンサイス 英和・和英・国語辞典 (電子辞書)より) |
◆エピソード�� 「ミスをなかった事に…」 先日、ミスチルの桜井さんがいいとものテレフォンショッキングに出演した。 僕はその日、大学で一科目だけテストを受けた。 そのテストが終わる時間は丁度番組が始まる時間だった。
僕は未だにビデオデッキのタイマー録画機能を使えない。 なので、いつもは僕が家を出ている時はおばあちゃんに録画ボタンを押してもらう。
テストが始まった時、僕は一つの重大な事を忘れていた。 そこで一つの教訓が浮かんだ。 「思い付いた事はその場で実行しよう(^o^)」 僕はテストが始まる前に、録画ボタンを押してもらう約束を取るのを忘れてしまった。 よって、「笑っていいとも」を頭からきっちり録ることは不可能になった。
みなさんならどう思うか? 「笑っていいとも」という番組のワンコーナーに出る桜井さんを録画したい時、番組全体をとるだろうか? それとも、出演するコーナーの部分だけをとればそれでいいか? 僕は前者をとるタイプであり、なので番組を頭からとれなかった事を悔やんだ。
テストは正午丁度に終わり、部屋を退出すると家に電話した。 およそ12時10分前に録画を頼んだ。
やっぱり気分はしっくりこなかった。 テストが満足に出来なかった事にしっくりこないならまだしも、こんなことでクヨクヨしてしまう僕は駄目な人間である。 勿論、思い付いた時に物事を実行しない僕の性格もこの事には原因がある。 とにかく、無事テレフォンショッキングというコーナーは最初からとれていた。 これはこれでめでたい事である。 最低限、このコーナーがとれていて良かった。 良かった・・・ 次第にそんな気持ちも沸いてきた。 そして一つのいい案を思い付いた。 それはその場凌ぎなものだあったが、気持ちを柔らげるのには丁度いいものだった。
僕は桜井さんの出たコーナーの後の部分を全部つぶす事にした。 そこに他の番組を録画したのだ。 最初から、そのコーナーしかとらない予定だったとでも言いたげに。 僕の失敗は最初から無かったかのような形となった。
◆エピソード�� 「オーバー・ドライブ 〜夢に敗れても〜」 あぁ、妙な機械音がぁ・・・・ ・・・ 収まった。(ふぅ) ぬ? やっぱ、収まった。(ふぅぅ) お、また始まった! 収まった。 なんの音? どうせまたなるだろうから、まあいいや!!
ところで、最近思い付いた事を中心に素晴らしい事を箇条書きに綴っていきたいと思うのでよろしく♪
○田中麗奈、いい。
○片づけてくれる人が好きかなぁ・・・
○僕は小者なりに大物だ。
○ガキ、一掃!(←構想中のタイトル)
○掃除機はパワーブラシが付いているやつに限る♪
○人は生きたいと思う。なんでか知らんけど。
○「チョコレート」という単語が含まれる映画のタイトルって、どのくらいあるんだろう?と、(さっきチョコレート食べたなぁ)と思いながら思った。 一つくらいは聞き覚えがあるんだけど、タイトルまでは・・・
また、あの妙な音が・・・(ほっとき)
○「利家とまつ」という大河ドラマが放映されているが、いつみても「利家」という名字の「とまつ」という名前が書いてあると思ってしまう。 ホントは、唐沢演ずるキャラクターが「利家」という名で、松嶋演ずるキャラクターが「まつ」という名なのである。
○おなじく「利家…」で<さる>こと<木下とうきちろう>(?)、後の<豊富秀吉>を演ずる人は、どうやら昔から役者している人で、両親が有名な俳優だそうである。その事を知っているうちの母は、「この人は苦労してるから、よっぽど主役より(芝居が)うまい。」と言っていた。 また、「ご飯食べながらあんなにうまく喋ってるのが凄い」とも言っていた。 なるほどぉ。。。 ただただなるほどと思い、さすがそんな所を見ているのか!と感心した。 まぁ、母はその人が有名人の息子ということで最初から注目して見ていただろうから、ちゃんと芝居を観察していたのは当たり前といえばそうだが、<飯を食べながらの演技>の事をちゃんと具体的に指摘した事は、やはり流石と言わざるを得ない。
まだ鳴ってる、あの音が!時々・・・
◆エピソード�� 「映画のミス」 よく、「○○の映画には何々のミスがある」と、映画好きの間では噂になる。 そういう噂になる映画を撮った監督は、どう思うだろうか? やはり、「しまった!」と思うだろうか? そんなミスが無ければより完璧な作品になっていただろうに、と思う部分もあるとは思うが、本当はそういうミスというのは、故意的なものでない限り、実は得な事が多いのだと思う。 もちろん故意的にそんなことをされれば、今から僕が述べる事と照らし合わせて考えてみると興ざめしてしまうが… 例えば、「タイタニック」という映画には、海上のシーンでありえない陸が映っていて、それは編集ミスによるものだというのを聞いた事がある。 僕は、それを確認しようと思って、結局見つけずじまいである。 こういったことは、人気のある作品でしか成り立たない事が多い。 色々ミスを言われる作品は、要は恵まれているという事である。 日の目を見る事がない映画というのは、そういった話題にさえならない。 どこどこにミスがある、そこを実際に確認して「あ、あった、ここかぁ噂のミスの場所は」と言われる作品は、人気のある作品でしかありえないのである。 そういう訳で、そういう事を言われる作品というのは、本当に幸福な作品であると言える。 人気があり、ある個所の編集ミスなどが話題になり、また人気が確固たるものにある。 ミスが話題になる作品は、ただミスのある作品ではないのだ。 話題にも上らぬ作品のミスは、さぞかし浮かばれない事であろう。 なので、ミスの話題は人気の証、とでも言えるだろう。 終わり。 ついしん ある作品にミスがあり、それが人気のあるものであるとすると、その作品にとって、人気のバロメーターの役割をする事以外にはミスがあることのメリットというのはあるのだろうか? ミスのおかげでさらに人気が広がる、というのはいくらなんでもないだろうか?
監督:澤田徹 主演:澤田徹 脚本:澤田徹 衣装:澤田徹 美術:澤田徹 記録:澤田徹 制作総指揮:澤田徹
はよ当たり前のようにDVDで番組を録画する時代にならんかなぁ・・・ まだ今までで言う所の空のビデオテープに相当するDVDがまだ高すぎるもんねぇ・・・ あと、今までにテープに録ったものをデジタル化しときたいね。 音で言うなら、今でもテープに録ってあったやつってMDに落とせるもんねぇ・・・ まぁ五年後には当たり前になってるだろうけど・・・ なんでもうとっくにデジタルの時代なのに映像をデジタルに残したり編集できるものが主流になっていないのか? 甚だ疑問です。 お、もうすぐ日が変わってしま・・・ったぁ〜ん! 今はもう2002年01月18日(金)っすよ。 誕生日からはや二ヶ月・・・ 二十歳二ヶ月目突入ってわけですか・・・ ・・・ まだ18の気分です(^0^) もうそんなの知りません! どうせ私は自立心の無い臆病な人間ですから・・・ 人は色々なんです。 車が怖いです。 できるなら運転したくありません。 だからといって交通機関がいいというわけでもなく・・・ もし僕に彼女ができたら、運転は全部その子に頼みたいくらいの勢いな運転嫌いです。 しかし、もし僕が必要に迫られて運転を何年かケイゾクして五年ほどが過ぎたのなら・・・ その時は道も多少覚えて、前向きに運転していられるかも知れません。 運転するということは、危険と隣り合わせな状況にいるという事です。 クラクションで鳴らされ、挙げ句の果てには「ちょっと出てこい!」という騒ぎになる可能性だってあるのです。 僕は運転が性に合わないのでしょうか? 今は本当に嫌いです。 運転なんて・・・
−(T0T)−
| 2002年01月16日(水) |
タイトなロープの上を |
「<松本紳助>という番組を見て」 年を取るに連れ、人は世に慣れていき、時間が流れてしまい、待つ事を忘れてしまい、待つ事が何かあるならばその人は人生を楽しむ事ができるだろう、という事はじいさんになったら釣りをしろ!って事か?紳助が「年を重ねるに連れ、何事にも感動しなくなってしまう」と言った、という事は、きっと、いつまでも子供でいろってことなんだろうなぁ、たぶん。
―この番組の本、買わないと。―
今日は足が鉄筋コンクリートのようになってしまった。
今日は成人式だった。
久しぶりに会った子らとも、もう今日限りで会わない可能性が大きい。
こういう時、やっぱり思う、<一期一会>の文字を。
ところで、今日の式の司会をしみけんと呼ばれていた子がしていた。
彼にはまだ借りた本を返していなかった。
今日持ってくれば面白かったかな?と少し後悔したが、あまり後悔していない。
今日の日記は終わり。
「自分」サワダ作
自分なんて知らない よく自分の事は自分が・・・というが、 僕は知らない 自分の事なんて そんなに性格が複雑な人間じゃないけど 僕は自分が鍋焼きうどん好きな事ぐらいしか知らない しかもコンビニに売ってるやつ
「N君に送ったメールの文」サワダ作
ピカソいいね。 テレビで特集してたんだけどさ。 絵を描いてる時の目つきが迫力あるんよ。 ところで美術館とかあんまり行った事ないけどさ、行くと大抵混んでるでしょ? 実際そうだし、「秋のルノワール展今月末まで開催。」とか言ってるでしょ? そーするとワーって人が土日に集まるよね。 それが嫌なんだわ。 だからと言ってそれは避けにくい事なんだよね、有名な人の絵を見に行く時は。 有名じゃない人のやつを見に行くほどの通でもないしね。 そんなことを思った次第です。
―ニュービートルとモカのコーヒー―
マスコミ関係の会社の就職試験には、三題噺というものがあるらしく、三つの与えられたテーマを盛り込みつつ風刺を利かせ、おちのあるストーリーを作るというものだそうだ。 作ってみたい。 では、今日のちょっとした詩を。
「爪切りのひととき」 爪を切ったら短くなって 十日たったらのびてきて 伸び切った爪には 何の特も見つからない
爪が伸びたら切ってやる 鬱陶しいから切ってしまう 切りたての爪だって カッターナイフに負けるのさ
爪が異常に伸びている! 秘境に住んでる老人は 伸ばして伸ばしてそのまんま
あぁ爪の事が気になると 切らなきゃ気が済まなくなる・・・
爪がそこそこ伸びている! 鍋焼きうどんを食べている 僕は気が付き爪を切る
あぁ爪を切り終えたなら しばらくは爪に見とれてる
―疲れを取るには腹下り。 疲れなんてきっと吹っ飛ぶから・・・―
| 2002年01月09日(水) |
朝食も食べずに 昼食も食べずに |
<午前>
「美川の健一」 美川健一をじっと見れば 何がなんだか分からない
男か女かではなくて 派手な衣装で割と地味な椅子に座っている その姿 形…そうたたずまいが謎の境地に
彼女と言っていいのか分からないけど 彼女にはきっと<にしんそば>が似合う 僕の中では<美川健一>と<そば>が繋がる そばさえあれば、美川の健一
美川健一をじっと見れば これからはきっと<にしんそば> さてと、にしんを釣りに行こうか
「自覚の王様」 嘘に決まってる! 君は嘘をついている だけど許そう。 僕だって知らないんだから
空の上に浮かんでるような三日月 ほんとは寒い寒い冬の夜に回転 ぐるぐる ぐるぐると回転している いつも見逃してしまう あぁ悔しい
君は言う 「月がコマの様に回るわけない」と でも僕は見た 特に用事もなかった五歳時の冬の一夜 チューブから出したての絵の具の様に ぎらぎら ぎらぎらとさえしていた
ただ一つ言えるのは 僕も嘘を言っている。 本当は見えもしないものを見て それでも僕はあの月の事を忘れない だから、君にこの話をするんだ。
「人の一生―開けてびっくり―」 家でトイレの鍵は閉めない だからたまに 開けて驚き! 僕か誰かが入ってる そうだこうすりゃ いいのかもしれない 半開きにしておきゃ 中にいる人が見える でも臭い なんか嫌 結局鍵はしないで 扉は閉めて いつまでたっても 開けては驚いて それは人の一生とも 似ているとも 言えなくない
「君が好き」 待てぃ マティーニの香り嗅いでるカーデル 勝てぃ カロティー それはカロという名のティー
君はいつも 謎の紅茶を 各地から手に入れてくるね 君の事を いつも思う きっと紅茶を探してるんだと 今度僕を 一緒に連れてって 紅茶探しの旅に
さて 去っていく理由がわからない 君が 出汁 取るのうまいよね 君の味噌汁最高 なぜ? 理由は聞かないよ 聞かれたくないだろう
待てぃ もうこれしか言えることはないよ 露呈してくれないか 君の方から 僕は聞かないよ 僕は聞かないよ… 言える事無いから
待てぃ マティーニ嗅いでる ヨーデルみたいな君がいなくなると… 思うと… 予定ないんだろ そうだろ? 行く場所が無いんなら もう少し もう少しいてもいいよ もう少しだけなら 本当はずっとね ずっといて欲しい
マティーニを嗅いでて 紅茶を探してて 味噌汁がうまくて そんなカーデルが好き
<午後>
「バナナジュース」 バナナをすり潰したもの それがバナナジュース そのままでも口にしやすいバナナ それをジュースにして飲む必要は無いけど… その結果さらに喉を通りやすくなる 必要に迫られてジュースにされたわけでない所が… バナナジュースの良さ
そんなに必要とされていないけど… それでも僕は、喫茶に行っては探してる バナナジュースという文字を
ストローの中をもたつきながら上る それがバナナジュース 飲んだら余計水分が欲しくなるジュース だったら飲まなきゃいいんだけれど… それでも何故か飲みたくなる 他のジュースより喉を潤すのが目的じゃない所が… バナナジュースの良さ
そんなに必要とされていないけど… やっぱり僕は、喉をドロドロさせたいんだろう バナナジュースという飲み物で
「マシマロを聞きながら」 掃除機をかけながら 奥田民生の<マシマロ> 掃除機の音からは ハミダシた<マシマロ>が
掃除がはかどらない この曲を聞いてしまう
それでも流したまま 奥田民生の<マシマロ> 掃除はかどらないが そんな事は気にしない
そう言えば気にならん 奥田民生の<マシマロ> 実はトイレに行きたい <マシマロ>どころじゃないッ!
いつの間にかに終わった 掃除が終わっていた それよりも大事だね トイレに行く事はネ
油断した瞬間に もよおしてくる尿意 お前には分かるまい! <マシマロ>の良さなんて ただオシッコ流れりゃ 気持ちすっきり爽快! 馬鹿に出来ないオシッコ やはり大切尿意は
掃除はかどらなくとも <マシマロ>は聞きながら <マシマロ>は聞きながら
「結果の正体」 結果僕が生まれたこの世の中に 大した期待なんて特に持ってないけど こうだったらいいなと思う事は色々あって そう思いながら過ごすのもいいなと思って
もういいやとつぶやいてこそのこの世界 もういいよと言葉を投げかけてこその世界 後は結果だけ 皆で待てばそこには何かがある 途中の事は本当はどうでもいいんだろうけど
まんじゅうにアンコは詰まっていて欲しいし でもまんじゅうに見えないとまんじゅうじゃないし ただアンコの入ったまんじゅうを食べられればいい 出来れば腹一杯食べられればいい
自分の事なんて知る由もないこの世の中で 人に見られる事によって成り立っている自分がいる 後は人の反応を待つだけ もうそれだけ 気にしないでおこう そうは思っても心のどこかで…
これがキレイなバラの花ではない事を知っているけれど 誰もが薄々は気付いているんだろうけれど でも… これを君にあげたい 僕はまんじゅうを食べたい
―映画「恋はハッケヨイ!」つまんなかった・・・―
もう店で売られてる漫画本のキャラクターを自分で描いてみようとも思わないし いつまでたってもキャメロン・ディアスの載っている2001年のカレンダーを貼っておけばいいし 理想を描く流行歌の文句の裏に潜むものだって予想がつくし 今頃になってしまったけど やっと松本や太田が言ってる事が分かってきたし
もう過去は遠い昔のようで 想い出は過ぎ去ってしまって
夢ってものがいかにもろく儚げで 追っている時の代償が大きいかに気付いてしまったし ぼろぼろの袋一つではこの世の中何にもなりゃしないんだなという考えに浸り ぞっとして
もうここにいるしかない 流れの速い 澱んだ川に浮かぶ小さな丸太ん棒にのって 足は水の中に浸かって
―終―
| 2002年01月04日(金) |
四日、バイト先に急ぐ途中、雪の積もり |
降る。 積もる。 濁る。 溶ける。
そういえば、去年の年末から今年の年明けにかけて、四日の日まではあんなに雪が積もった事はなかっただろう。 雪国ではないところに住んでいるからか、雪が積もっている景色に会うと、大抵目を奪われる。 三日の夜に気がつけば降り積もっていた雪景色は、次の日の朝には閑静に完成されていた。 雪国のようにすっかり辺り一面が真っ白・・・というわけではないけど、いつも二階の窓から見る雪景色には珍しさも手伝って心奪われてしまう。 そうそう奪うなよ、疲れるからさ。
雪は白く、舞うは氷の粒の固まり。 積もればこれ以上の白はなく、いづれにせよ溶ける時速く来たりし。 手のひらに乗る雪の一片、一瞬とは言えど次第に形を崩しゆく。 人の心こうも白くは成らぬなりけり。 人は想う 雪に憧れながらもそうはなれぬ事を。
雪はやがて溶けてゆき、どんなに白きものもそうではなくなる。 人の足に踏まれたるもの 黒く澱み、粒と粒 より繋がりを強くする。 我のゆく道に続く他人(ひと)の足跡、いずこに続くのか? 我はあそこへゆく 他人よ、お気をつけて そう思えるのはいつの日か。 規則性無きその足跡の群れ いずれ消えてゆく それはなかったかのように。
松の木の針のようなものの一つからは雪解けの水が滴り落ち それはにわか雨の通りすぎた後のそれとは少うものなり。 もうそれはそれでいいと思いながらも また雪の降る日を思い そしてその日の寒いだろう事を思い それに震え 我今雪に足跡を付ける。
―なぜか古い言い回しになっていた―
| 2002年01月03日(木) |
雪が空から降ってきた! |
「1月3日0時55分、雪がしんしんと降り積もる。」
3日に日付が変わる前、家族でTVドラマを見ていると、テロップで臨時ニュースが飛び込んできた。 とある高速道路が全線不通になったらしい。 ということは… 僕はキッチンの南側の窓を開け、閉められた雨戸を引いて外を見た。 ぼんやりと、白いものが地面にかかっていた。 まだ、道路にもコンクリートの色が覗く程度に、雪が積もっていた。
それから二、三時間後… 僕は二階でその日のウェブ日記を書いて下に降りていった。 別にそれが目的だった訳ではないけれど、玄関のドアを開け、そこから外の景気を眺めた。 さっきとは、違う景色が目に飛び込んできた。 正確に言うと、さっきとは一つ何かが違うのだ。 雪がしんしんと降っていた。
外に足を踏み出した瞬間、そして耳が外の空気を捉えた瞬間、その時まで感じなかったものを僕は感じた。 音が無かった。 ただ、柔らかくて小さな氷の粒の固まりが、間を空けずに次々と降り注いでいた。 その降りてくるスピードは、とても絶妙だ。 イメージよりもゆっくりしているわけではなく、だからといって雨のように容赦ない表情を持っているわけでもなかった。 次第に、遠くの方から音がしてきた。 近所の銭湯の煙突から沸いてくるくぐもった音なのだろうか? しかし、相変わらず僕を囲む周りの景色には、音が何も無い。 そこに余計なものは何も無かった。 雪は、そこら中の音を自分の中に包み込んでいた。
僕はそこから一歩も踏み出す事は出来なかった。 別にどこかに行く用事があったわけではない。 ただそこから、無意識のうちに前に踏み出すのを躊躇っていたようだった。 そこにいるしかなかった。
―終わり―
| 2002年01月02日(水) |
忘れやすさ、依然変わらず |
「松本さんに捧げる歌」 あなたは左利きだね 僕も左利き 左利きって何なの? 偶然は認めない それでも受け入れてる自分がいる
あなたはすっかり坊主さ 以前の頃がなつかしい 今想えば 昔のあなたは ちょっと怖い気もする そんな昔を想う気持ち 許して
あなたはポリシーを曲げない いつも自分は操縦席 客になってしまう自分を怖れ 兵隊の一員になるのを怖れ 今日もあなたはトップランナー
トップランナーは、いつも先の景色を楽しんでいる この楽しみを奪われる事を気にしながら
―松っちゃん、そして彼を取り巻く環境の変化に刺激が潜む―
そういえばこの前、島田紳助がドラマの「アンティーク〜西洋骨董洋菓子店〜」を見ていたと言っていた。 そんなんもチェックしとんのかーと思った。
「爆笑の太田さん」 別に<ばくしょうのふとったさん>と読むわけではないです。 それはともかく、僕は彼が好きです。 勝手ながら僕と彼には多くの共通点があります。 具体的には面倒くさいから言わないけど、存在そのものが酷似しているとい言っては言い過ぎです。 しかし、似ているとは言えど、実際会ったら案外性が合わないのかもしれない。 似ているからといって相性がいいわけではない。 だから、仕事を共にはしたくない。
「海の上のピアニスト」 これを見た時、僕はピンと来るものがあった。 そう、あるシーンを見た時の事。 揺れる船の中とは言えど、ピアノがそこら中を滑りながらも主人公がピアノを弾いている。 まるで波のリズムに乗ってピアノが踊っていて、それに合わせて主人公が音色を奏でているようだ。 詳しくは見てみないとわかんないと思うけど、こういった日常ではありえない事をもっと映画では描いてもいいのでは?と思う。 そういった出来事を、映画の中の世界観ではリアルだ!と思わせる事が重要なことであって、そういう表現によって物語りは語られるべきだと思う。 その方が面白いと思う。
「ティッシュ」 何気なくガムのように噛んで ごみ箱に放る 今度は新品のものをそのまま手で丸めてみる ティッシュを丸める 丸める 広げてみては また丸める そうしてシワシワになったものをサイコロ状に固めようとする 固めても固めても 広がって解(ほぐ)れてしまう ようやく形が整ってきたと思った時・・・ それも果てには ごみ箱に放る
「どっちの甘栗」 皮付きの方に決まってるわ!、好きなのは。
「適応力」 それはアメリカで成功するのに(唯一)必要なもの byメジャーリーガー長谷川
―明けまして・・・あ、お年玉貰ってない!!!貰える???―
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