| 2002年02月28日(木) |
相田翔子、岸田健作、新山千春、ピクサーに共通するものは? |
「めりめりめりめりぃーっ!!」 こんな擬音語をいう時の松ちゃんは、かなりの皺が眉間に押し寄せている。 ※松っちゃん:松本人志。ダウンタウンの左の方(立ち位置)。ダウンタウンの左利きの方。ダウンタウンのボケの方。ダウンタウンのポッケが似合わない方。ダウンタウンの今では豆っぽい方。ダウンタウンのスポーツできない方。ダウンタウンのヨットに乗ったら即落ちそうな方。ダウンタウンの新陳代謝にこだわってそうな方。ダウンタウンのタバコの副流煙を相手に浴びせるのが得意ではなさそうな方。ダウンタウンの梨が嫌いそうな方。ダウンタウンというコンビ名の「ダ」と「タ」の字をそろそろ取ろうかなと思ってる方。(取った後のコンビ名「ウンウン」)
「はっ」 肝心なことに限って気付いた頃にはもう後の祭りだったりする 今まで気付かなかったのが不思議でくらいで 本当は自分はその事を知っていたんでは?と疑う 肝心な事を今になって気がついて興奮したり呆気に取られたりする 今からでも遅くはないのだろうか?と自問自答して 急に悟りきった仙人の様な気分になった自分を愚かに思う
―END―
| 2002年02月27日(水) |
始まりは納得のシチュエーションから |
私は妻に言った。 「いつか絶対浮付いた心で浮気してやる!」 そういう奴に限って浮気する甲斐性はないっ!!! いい事なのか、悪い事なのか・・・ 「この甲斐性無しのくせに!」
◇今日の買い物♪ 僕は母に言われて午前の十一時過ぎに某ハンバーガーチェーン店にて<ハッピー○ット>というものを買ってきた。 二つ買ってきた。 母は某ハンバ・・・の<ハッピー○ット>のおまけの人形を集めるのが癖になっている。 それは、子供の頃には碌にそういうものを買ってもらえなかった事が原因ともいえる。
今日から新作のおまけ人形がついてくるという事は、先日のTVCMで知った。 その人形は、今度の土曜日から公開の映画<モンスターズ・インク>というCGアニメの登場人物達だ。 それを母に言ったら、今回は僕に買ってきてくれ、と頼んだ。
店にいくと、四種類くらいの人形から自由に選べるという事だったので、映画でのメインな登場人物のサリーという、人間の子供の悲鳴を集める仕事をしているモンスターの人形と、通称<ブー>と呼ばれる人間の女の子の人形を選んだ。
一つ疑問に思ったのは、なぜか<ブー>という女の子が、へんちくりんなモンスターの口の中に入り込んでいるという事だ。 なので、2番の<ブー>の人形は、<ブー>の人形とはいえ、見た感じは目の飛び出てるモンスターの口に住んでいるブー、といった感じなのだ。 これじゃ、ブー人形なのか、出目モン人形なのか分からない(笑) この謎は、本編を観れば分かるのだろうか? それでも分からなかったらどうすればいいのか?
ハッピー○ットを片手に持って自転車を漕いだ帰り道、僕は蕎麦屋の出前気取りでそれを右手に持っていた。 その時、もしハッピーセットも何も持っていない時に、何かを持っているようなポーズを手に取らせたら面白いかな?と変な事を思った。
家につき、どうせハンバーガーとポテトには興味のない母の為、僕とおばあちゃんはむしゃむしゃとそれらを食べ始めた。 ついでに人形をビニール袋から取り出し、キッチンの机の上に並べてみた。 油っぽいポテトに胸がつかえたのか、おばあちゃんはやかんのお湯を沸かそうと席を立った。 その時、おばあちゃんは人形の片方の目線を僕の方に向かせ、こんな事を言った。 「にらんだれ。」 80過ぎの割にはユーモアの効いたことを・・・、いや、80過ぎだからこそか?とに かく洒落たことを言うなと思った。
―END―
●「死」という言葉について ●A型の人は几帳面? ●その一瞬から蘇る記憶
以上の三本だて以上を集録の予定。
僕の周りに美人がいないとする。 TVで見かける様な美人を探そうとする。 僕は旅に出る。 美人の集まる店に、旅に出る。 その店には夜な夜な美人が集うと言う。 そこには色んなタイプの美人がいて、僕のようにこの店にやってきた男共も群がっていた。 僕はその光景を見て、本来の目的なんてどうでもよくなった。 一歩店に足を踏み入れているものの、すぐに外の空気を吸いたくなった。 僕は外に出た。 誰にも聞こえないため息をついた。 店の周りを見渡した。 僕と同じように店に一歩踏み入れた途端に出てきてしまったような人はいなかった。
表通りにはさっきの店にいてもおかしくないような女性(人)もいるし、そうでない人も含め、数え切れないほどに歩いていたり走っていたりする。 何か、走ってる人はイヤダなぁとか思う。 服とかはシンプルな人がいいなとも思う。 髪の毛の色はその人にあっていれば何色でも構わないと思う。 実に色んな事を思う。 表通りからさっきの美人の集まる店を眺めてみた。 あきれるほど、こじんまりとしていた。 表通りには人が溢れかえっている。 僕はもう流されそう。 人の波に流されそう。
とにかく目の前の赤信号を待つ事にした。 誰か、赤なのに渡ってる若い男女がいる。 なぜ渡るのか? その二人は車に轢かれた。 僕はまるでその事をあらかじめ知っていたかのように驚かなかった。 そんな自分が怖かった。 信号は青になった。 半ば人の流れに飲まれながらも渡った。 そして反対側の道路に渡った。 美人の集まる店はもう遥か向こうのように感じた。 遠くからは救急車の声がした。
商店街を歩いていたら、おいしい匂いが漂ってきた。 匂いの元にたどり着き、そこは中華の店だった。 客のおやじが一人で騒ぎ、それを横目で見る奴一人。 空いてる席はおやじのとなり。 それはカウンター席。 チャーシュー麺を注文し、ふと音のする方を見上げると、店のTVに美人が映る。 あの店にいたような、美人が映る。 僕はそれを見ながら、チャーシューを食べた。 隣のおやじはいなくなった。 うますぎるチャーシュー麺を頬張りながら、料理人の手つきなどを眺めていた。 汁をすすり、麺を食らってチャーシューを噛む。 チャーシューを噛んだ後、またスープをすする。 中華の店では食べるだけ。 それ以外の事は何もしない。
店を後にした僕はこれからどこに行くのか? よく分からなかったから、またさっきの美人の店に戻ってみる事にした。 そしたら店の扉の外の辺りに女の人が立っていた。 人を待っているのか? それとも出てきたばかりなんだろうか? その人は、それほど美人ではなかった。 その人は、どことなく中華の店にいたおやじに雰囲気が似ていた。 その人は僕に近づいてきた。 そしてこう言った。 「そばにいるだけで、それだけで嬉しかった」
・・・なんていう馬鹿な夢をさっき見ました。 ところで、最近何かと流れているブルーハーツの曲、「夢」。 ドラマの効果もあるけれど、それでもこの曲の底力は凄い。 そして特にあのスタッカートの聞いたピアノの音が最高っす! ほんとに何が凄いかってそりゃこの曲聞けば、誰でもピョンピョンしてしまう。 もう色んなところでしちゃうもん。 トイレでもするもん。 おばあちゃんに髪の毛でくし・・・くしで髪の毛とかれながらもピョンピョンするもん。 (・・・ピョンピョンはぴょんぴょんのほうがぴょんぴょん感があるなぁ。)
―少し話しはそれるけど、たった今実際にうちのおばあちゃんが僕の洗いたてでくしゃくしゃの髪の毛をみて急に「ときたい。」と言いだしてホントにといてくれた。最初なんでやねんっ!て思ったけど、とかせれてる間、ちょっと気持ちよかった。そしてその時あばあちゃんはこう言った。「人間ってこうやれる(髪の毛がとける)から気持ちいいなぁ・・・ほら、こうやってスーッとなって。」。これを聞いて僕は思った。人は、人や周りの環境を自分の思い通りに変える能力がもっとも優れている生き物なんだな・・・と。そう思いました、っていう話。―
とにかく色んな所でぴょんぴょんとしてしまいたくなるこのメロディ、もっと実際に色んな所で流してみたい。
コンビニじゃ、当たり前。 定員がおつりを間違えたらお詫びにぴょんぴょん。 交番なんかでも流れてしまう。 道が分からなくて困っている人を一人助けたら3ぴょんぴょん。 二人を助けりゃ6ぴょんぴょん。 目的地に向かって歩いていった、人の背を見てぴょんぴょんぴょん。 しまいにゃ都庁でぴょんぴょんぴょん。 石原さんも、ぴょんぴょんぴょん。 会議に出ながらぴょんぴょんぴょん。 はんこを押してもぴょんぴょんぴょん。 ぴょんぴょんぴょん、ぴょんぴょんぴょん 全国どこでもぴょんぴょんぴょん。 みんなでこのメロディ聞いてみよう。 全国各地でぴょん祭り。 そのうち開催ありえるか?(ねー、たぶん)
「お昼のニュースです。今日、鳥取県の鳥取砂丘で通勤前のサラリーマンが大勢ぴょんぴょんした後がなんとなく今でも残っています。しかし夕方頃には北風に吹かれて跡形も無く消えてしまうでしょう。残念ですね。以上、お昼のニュースでした。」
―(夢の)カップリングの、うーん・・・とにかく何でもかんでも「バカ!バカ!」って言ってる曲もいいよ、最高ですぞ♪―
ついしん: 「ロード・オブ・ザ・リング」とか「モンスターズ・インク」とか「シッピング・ニュース」とか「ビューティフル・マインド(このタイトルはきつい)」とか、夏頃公開の「マジィスティック」とか、いい映画一杯これから来そうで楽しみっす♪
○空想談義��
登場人物 ピエール:会計監査官 麦藁帽子の男:インタビュアー
―とあるホテルの一室、照明が明るすぎるくらいの場所にて―
麦藁:えー今回は雑誌の取材という事で、様々な職業の方にインタビューさせてもらってるのでよろしくお願いします。 ピエ:お願いします。 麦藁:早速なんですが、ピエールさんはどういう経緯でこの職業にお付きになられたんですか? ピエ:あ、おやじがやっていたのでやっています。 麦藁:そうですか、お父様がなされていたのを見て育って、それに影響を受けた点があるということですか? ピエ:おやじはもういないですけどね、ハイ。 麦藁:・・・いないというのは、お亡くなりになられてしまった、ということですか? ピエ:家にはいません、少なくとも。 麦藁:あ、そうなんですか・・・
(続く)
○「もうすぐ夏休み」 もしヒトの一生が一年間という期間なら、ヒトは一生の間にどれだけのものを生み出してから死ぬのだろう。 もしひとの成長が、今の80倍で何もかも進むものだとしたら、一体どうなっているのだろう?
今の日本のヒトの一生は平均にして80年と仮定する。 1年という期間の間に生まれてから幼少期を経て、青年期を経て、やがて大人になりあっという間に過ぎると言われる中年期を迎え、いつの間にかに老人になり、そして一生を終える。 そんな一生が今で言う一年間のなかで過ぎるとしたら、それはどういう事なんだろう?
単純に計算してみるなら、365日を80で割ってみればいい。 その答えはおよそ4.6. 4.6日が、今で言う一年間。 一生が一年間の場合、今で言う一年の歳月はおよそ4.6日。 4.6日… 我々は4.6日の中で、何ができるのだろう?
生まれた時点ではこの先長い様に思われる80年と言う歳月。 ヒトはそれぞれに数え切れない出来事に遭遇し、何かを形に残し、やがて意味も無く生まれてきたのと同様に、また意味も無く果てていく。 僕は現在二十歳なので、すでに4.6×20日を過ごしている事になるから92日は過ぎている。 何とか実感できそうな、残り365日−92日=273日という期間がこの先の自分の一生だとしたら、すでに背中の向こうに過ぎている92日と照らし合わせてみると、少しぞっとする。
以前春に入学式を向かえた僕は、今や7月の上旬を向かえ、もうすぐ夏休みになるのを心待ちにしている学生のようなものなのだ。 もうすぐ夏休み。 それが開ければ二学期が始まり、そして冬休み、三学期と続く。 もうすぐ一学期が終わってしまう。 そう言えば僕は中学生の頃も高校生の頃も、二学期も中盤になった頃にやっとクラスの全体の中に溶け込めたような気がしていた。 二学期が終わればあっという間に三学期がやってくる。
僕は今、夏休みに向けて計画を練る必要に迫られている。 夏休みを楽しめるかどうかが、今にかかっている。
―END―
○燃える曲か、落ち着くかの曲が・・・いや、燃える曲か、悟りの境地を持った落ち着きのある曲いい♪ ○失敗したときのシュミレーションというのがいかに大事かを女子フィギアスケートを見ていて思った。それにしてもスルツカヤっていう名前は凄い。 ○昔チョコバナナと間違えてチョコパインを買ってしまって悲しかった。パインはすじがあり過ぎて噛み切りにくい。 ○歯磨きの後の口のすすぎはキリがない。 ○最近ドラマの影響もあって、ブルーハーツの「夢」が売れている。 このCDにはもう二つ「皆殺しのメロディ」「東京ゾンビ(ロシアンルーレット)」の二つの曲が入っている。 「夢」は言うまでもないが、この二つもかなりいい。 ○僕のとっての魔物、それは「テンション」。 こいつだけは侮れない、本当に。 うまくテンションをコントロールが出来る事はいい事だと思う。 だから、うまくそれができるようになりたい。 たぶん、二年後くらいには成果がでるだろう。 ○さっきも言ったが、今日はフィギアスケートをLIVE放送で観ていた。 優勝した人は美人で愛くるしいタイプだなあと思って観てみたら、16歳だという事を知ってなぜか悲しかった。
―THE END―
| 2002年02月20日(水) |
理想の態度をうまく表現したいんだけど・・・ |
「流星群」 いつもより少しだけ暗い夜空の下 僕はその中を駆けていくあなたに恋をした 流れる星が群れをなして それはあっという間で そんな景色の中に隠れるようにして溶け込んでいく
僕の片思いだとしてもいいです あたたが僕を選ばないとしても 僕はあなたを好きでいられます ずっとずっと 片思いのままで構いません
たった後六十年くらいの人生 片思いのままでも構いません 好かれなくても構いません 例えあなたが僕を好いてくれたとしても 僕はあなたを目の前にしたら素直に「好き」だといえないかもしれない あえて気にもならない子の事が好きだというかもしれない
素直に好きと言えたなら どれだけ心が晴れる事だろうか? 暗い部屋の中 就寝前の僕はあなたに見とれながら眠りにつく 例え明日がどんな日であろうとも
―「愛の貧乏脱出大作戦」は凄い―
「いつのまに僕らはヒーローものに対する見方が変わったんだろうか?それは仕方のないことなんだろうか?」
最近、映画に関わる話ばっかりしているように思えるけど、それは裏を返せば日常のことにも繋がる話だから、「もう、この人ったら映画の話しかできないの?」と思わないよーに。 僕はどんな話でも映画に絡めて話せる才能があるだけの事である。(笑)
まぁね、さっきこんな事を思い付いてしまったのですよ。 最近は特に、所謂ヒーローものといわれる映画って敬遠されてるなーと。 そんな風潮があるなーと。 そういう風に感じたんです。 まぁね、「どうせ勝つんでしょ?」っていう事とかは思いますよ、誰でも。 というか、そういう風に思うのはそういった類のものが性に合わない人達なんだろうけど、少なくとも「この主人公は最後には勝つだろう」という事は誰でも承知の事なんだろうってことですよ。
スーパーマンは困っている人を助け、人口の少ない村の村長は復興の為に日夜努力する。 芸人は人を笑わせようと必死であるし、医者は人命を救う為にメスをもつ。 そういった事は当たり前だが自然の流れである。 大切なのは、何でそういう事を主人公がするのかを、理由をはっきりさせる必要はないにしろ、そういう所を描けてるかどうかなのである。 そこが、ヒーローものの大事な点である。 この事はキューブリックの映画には必要ない。 ただし、ヒーローものには必要だろうと思う。 「ヒーローに最後戦いの末勝って欲しい」 なんてことを観る人に思わせたならそれはその映画が成功したと言えるだろう。
ヒーローものの映画は、言わば人が誰でもそうであったらいいなと思う願望を描いたものだ。 もし自分がそのヒーローなら戦いがあればそれに勝ちたいし、困っている人を助けるだろう・・・ いや、待てよ?別に人を助けない場合だって日常の自分にはあるではないか? そういう事が面倒くさいなと思って「あーやめた!」って事を思ったりするじゃないか? 映画の中のヒーローみたいに自分が日々を生きているかなんて問えば、明らかに答えはNOじゃないか? そんな風に客に思われたなら、その映画は失敗したものであると言えよう。
ただ親切そうな人間がふらっと現れ、道端で倒れている人を気遣い救急車を呼ぶというのがヒーロー映画ではない。 悪という存在がいるからそれに対して善な主人公ができる。 この図式をもつ話というのは、実際にはなかなか現実の世界では見えにくい事である。 警察が泥棒を捕まえるのが善と悪の図式であると誰が言い切れるだろうか? ということである。 なので、ヒーローものというのは、簡単に言ってしまえばこういう事で、誰でも現実には善と悪の思いを抱えながら日々を生活していて、その中でどうその二つを戦わせていくか?というのを具体化させたものがヒーローの存在する映画の中の世界なのである、という事だ。 なので、ヒーローは絶対に悪の存在に向かっていかなければならないのである。 そして、善の存在からして見れば、悪という存在は許されないものなのである。 だから、善は悪に勝つのである。 心の中の善は、絶対的な存在なのである。 ただし、どういう事が善なのか?というのは人それぞれなので何とも言えない。 ただ、人の心の中には善という存在に勝って欲しい!という本能的な思いが備わっていると言う事だけは言える。
ヒーローが勝つという事は、誰にとってもそれが理想なんだろう。
最初に、何でヒーローが悪と戦うかを描いていなければ・・・と言ったが、それは簡単にいえば、戦っている姿そのものが、<何で?>の答えになっているのだろうと、ふと思った。 究極的にいえば、戦った末の勝利があれば、ヒーローものは成立するのである。 人を救うということは、自分にとってその人を救う気持ちがあればそれでいいのである。 人を救う事が善、というよりは、人を救う事がしたいと思える自分が、ヒーローにとっての善なんであろう。
―END―
「突然空から降ってきた!」
僕は危機管理を行っていない。 僕はいつ何時自分の身に降り注いでくるかも分からない危機に対して、どうすればいいのか分からない。 実際にそれが僕の身を襲うその時に、その場の状況に対処できるのだろうか? 明日という日がやって来るかどうかも分からない今日この頃。 そんな世に生きる僕は、いつもある事を念頭に置きながら夜がふけていくのを見つめ、やがて眠りについている。 それは<明日>がある、という事である。 こんな事を念頭に置いてる僕はどうなんですか? それでもいいですか? こんな僕を、誰か認めてくれますか?
―END―
やっぱ、映画は〈凄い〉か〈面白い〉か、どっちかに傾いてないと駄目だね!(自分で勝手に納得) なおかつ両方ともがしっかりある映画ってのはやっぱり強いね。 特にややこしいのは〈凄い〉映画が〈面白い〉映画と紙一重であることだ。 この二つの要素はくっきり分けることは出来ないけど、そんな様なものが溶け合ってるのが映画だと思う。
―ジ・エンド―
「イタリア語の発音 は、<ペッチョリーノペッチョリーノ>な感じ♪」
�,泙燭泙榛F�も友達にビデオを借りた。 それは「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画だった。 時は午後の三時頃、途中で眠くならないようにコーヒーを飲みながら見始めた。 主人公はやたらと喋る男だった。 その男は周りの人たちを自分のペースに巻き込むのが得意なタイプだった。 そして話が進むにつれ、彼を取り巻く環境にはやがて戦争の陰がさしてきた。
�⊆膺邑�の彼、名前を忘れてしまったので仮に<チャビン>とするが、チャビンにはいつも根拠の無い力が沸いていたような気がする。 そう、根拠のない力・・・ それは彼の表向きの力。 表向きだからといってそれが偽りであるという訳ではなく、あくまでも自分から好んで被っているかのようなその仮面には、特に彼の息子にとっては好影響を与えている。 そこで僕は思った。 現在二十歳の僕はあと60年くらい生きるんだろう、何事も大きな出来事がなければ。 それならその残りの時間くらい、勘違いしたまま、何か根拠の無い力に取り付かれたまま死んでいってもいいのではないか?と。 そう思ったのだ。 別に偽りの人生を歩むんだ!と言ってる訳ではない。 好んでそうしたいと言ってるのである。 別に嘘をつくわけじゃない。 嘘の中に溺れたいんではない。 ある意味嘘をコントロールするというか・・・ でも、それは一般的に言う意味での<嘘>ではない。 嘘つき!と他人に叫ばれる類のことではない。 この辺の事は説明が少しばかりしにくい。
��根拠の無い力・・・根拠の無い自信・・・そういったものってのは、その実体が分かっていたとしても絶大なものであると思う。 そんな根拠の無いものなんかあったって、空回りするだけじゃないか! そうも思える。 しかし、映画の中の、空想に過ぎないとしてもチャビンの持っていた<根拠の無い力>は目に見えるように力を発揮していたではないか? 「ライフ・・・」という物語の中で起っていたことは、映画の中の世界でだけ成立していた事とは言い切れない。 本当の意味でも本当であったから、あの映画は評価を得ているのではないか? あの映画が傑作かどうかなんてことはどうでもいいが、ああいった底が知れているからこそ、そこに水をあえて継ぎ足したチャビンは面白い奴なのである。 知っているからこそ・・・ 現実を知っているからこそ・・・ 奴は地に水を注ぎ泳いでいたのだ。 地と水面は、水で繋がっている。 だから水面で泳ぐのもまた現実的なことである。 底を知っていてこそ水面を泳ぐこの主人公に拍手、と言った所だろうか?
�に佑�上で言ってる事は、作品を見ていてこそ分かるかもしれない?ことだ。 簡単に言うと、主人公のチャビンのような力を持った人の事は、誰だって気になるし、興味をそそられるってことだ。
<地を歩いていたチャビンは、ある時そこら中に水を注ぎ、周りのみんなをも巻き込んで水面に浮かび、泳ぎ出した。周りのみんなも初めは足をバタバタさせながら浮かび、チャビンは一人スイスイと泳ぎ始めた・・・>
映画ってのは一種のエネルギーなんだろう。 物語と言う名の。 万が一この日記を見ていて、興味が湧いた人は、この映画を借りて見てみてくださいよ。 では。
―END―
| 2002年02月13日(水) |
結局世の中ワニだらけ♪ |
●変な映画、カルト映画、名のしれない映画、意味の分からない映画・・・ 映画には色々なものがあり、だからこそ面白いものである。 僕は特定のパターンの映画が好きなわけではない。 もちろん好きな監督というのは少ないけれどいるし、こういうのは好きじゃない、というのもある。 しかし、色んなパターンの映画が好きだし、何より共感できる部分があったりするのが最近では楽しい。 「そうそう、ここはこういうのがたまらない!!」 そう思ったりもしながら作品を一通り見渡して、それがどれだけ自分にとって心地よかったか?という所をいつも感じている。 先日見た「カルネ」という映画も、実に独創的でシンプルな映画だった。 実に隙の無いものだった。 その映画は万人にオススメできるものではない。 嫌いな人もいるだろう。 訳が分からん!と叫ぶ者もいるだろう。 でも僕は言ってみたい。 「とりあえず見てみれば?」 そう言った後に気になる事は、相手がこの「カルネ」という映画を見終わった後、一体どんな気持ちになるのか?ということだ。 この映画凄い所は、見る人によって味が違うというのと、さっきも言った通り隙のない所だ。 繊細で淡泊、不安定で終わりの無いようなこの映画のストーリーを、僕以外のみんなはどう思うんだろうか? 友達のT・M(名字・名前)君にだけは絶対見せたくないこの映画、あなたはどう判断しますか?(何聞いとんねん僕っ!)←ツッコミ自体も寒い。
●そうそう、カルネについては昨日か一昨日の日記に書いたからもういいとして・・・ 僕は夕飯を食べ終わり、二階でじっくりとある雑誌を読んでいた。 すると新作がそろそろ公開されるデビット・リンチ監督のインタビューが載っていた。 記事を読んでみると、何やら面白そうな新作だなと思えた。 以前、この監督の映画は一つ見た。 確かそれは「ロスト・ハイウェイ」という。 それを見た時の僕の感想はあまり良くなかった。 何が何だか分からなかった、というイメージが今でも残っている映画だ。 空気というか雰囲気は洗練されていて、独特な毒々しい感じのものだった。 そういう映画は嫌いではない。 しかし、どこかが自分には合わないのかな?と思った。
話は少し変わるが、僕は以前「パーフェクト・ワールド」という映画を友達に薦められて見た。 見終わって次の日に、僕は貸してくれた子にあまり面白くなかった、というような事を言ったと思う。 しかし、後でよくよく思い直してみると、あの映画は実は物凄く良かったのかもしれないという事に気付いたのである。 一体この残尿感のように歯切れの悪さが気になる様な想いはどうすればいいのだろう? ん、ん?この残りカスのような、存在意義がはっきりしない想いはどうすればいいのか? いつまでも続いていきそうなこの想い、どうにかするにはもう一度その作品を見直してみるしかなさそうだ。 しばらく経って、その間見直してもいないくせに頭の中でだけ「パーフェクト・ワールド」という作品は成長していったような気がする。 こんな想い、とてもフシギだ。 一体何者、この映画?
うーん、映画ってのは侮れない! この作品はこういうものだ!っていう風には言い切れない。 だから、そういう意味ではさっき言った「P・W」という作品は、魅力的な映画だったんだろう。 初め見終わって「そんなに面白くなかった」と思わせておきながら、この映画は僕に考え直させた。 もちろんこの作品を薦めてくれた子にとっては最高の映画であったらしい。 もしかして僕は、こう思ったんだろうか? 「彼にこの映画が理解出来て、なぜ僕に出来ないんだ。」 たぶん思っていたと思うし、今でもそう思っている部分はある。 それでも僕にとってつまらない映画はどうしたってつまらないものだし、面白いものは面白いのである。 他人が評価している映画を「つまらない」というのは勇気がいることだけれど、そう言える勇気はこれからも大事にしていきたい。 ほんとに映画って侮れない。
リンチ監督の新作、一体僕はそれを見たらどう思うのか?というのが見る前から気になる。 僕が前に見て理解できなかった彼の作品に、新作は一見似ているかのように思われる。 だが、ここで侮ってはいけないのだ。 僕は見る、彼の新作を。 きっと見る。 見てみれば、彼の出した一つの答えに僕が酔えるか否かが分かる。
―END―
「夢伝説」というNHKのドキュメンタリーを見た。NHKのドキュメンタリーは、語り口のテンポが心地よいなとつくづく思う。
それはさておき、昨日「カルネ」という映画を見た。 なぜこの作品を見たのか?なぜこんな一般に名の知れない作品を見たか? まずには松本人志が雑誌でこの作品のことを言っていて、さらには絶賛をしていたからだろう。 このことに重なり、友達とアルバイト探しの為に会った時、これを貸してくれた事が決定的になった。 しかし、もし友達が貸してくれてなくても、いづれは見ていただろう。 そう思うのは、やはり松本氏の影響だろう。
貸してくれた友達は「最初に〈アテンション!〉という文字が出て、その後にエグい場面が出てくる」と言っていた。 なるほど、見てみたらその通りだった。 喉を引き裂かれる思いでその場面を見守った。 やがてそのシーンが通り過ぎると、やがて物語はゆっくりと滑り出していった。 最後まで見終わると、しっかりとした充実感が沸いてきた。 この「カルネ」という物語の世界に40分間浸りっぱなしであったからだろう。 集中する、という事は素晴らしい事である。 この映画は、僕に集中させた。 今時こんなに隙の無い物語はめずらしい。 なんといっても、この事がこの映画の素晴らしかった所だ。
それにしても賛否両論を起こさせる映画である事は間違いない。 嫌いでもないし「大好きだ」とも言える作品ではないが、心のどっかではずっと引っかかってるだろうし、もう一回くらい大人になってから見直してしまうかもしれない映画であった。 あなどれねえ映画だ。
―END―
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