遂に大晦日、信じられないが2001年最後の日。 今年1年は本当にいろんな事があり過ぎて、 特に前半は悪いことしかなくて、 精神的にはギリギリの状態なこともあったけれど。 でも、今、こんなに穏やかな気持でいられるのだから、 つまるところはイイ1年だった・・・そう思いたい。
特に今の院生室メンバーに出会えたこと。 最高の幸せだと思う。
来年はいったいどういう年になるのだろう。 午年は私の年。 願わくば、今年よりも幸せな年でありますように。
| 2001年12月30日(日) |
6日目/『ら抜きの殺意』 |
遂に今年最後の講義も無事に終了。 昨夜の暴風雨のせいでやや寝不足気味なためか、最後の授業は台詞を噛み×2 でも、何とかここまでこじつけました・・・セーフ。
本日の講義:SS ・文法確認テスト ・小説�� ・漢文�� 本日の講義:M ・「なり」の識別 ・評論�� ・『栄花物語』
本日の1冊: ・『ら抜きの殺意』(永井愛/而立書房)
「見れる/見られる」「答えれる/答えられる」「覚えれる/覚えられる」等、 今ではすっかり社会的地位を確立した「ら抜き言葉」が作品のテーマである。 私事で言えば、教育実習でまず指導の先生に言われたことが、 ・方言を使うな ・ら抜き言葉を使うな 恥ずかしながら、確かに私は言葉遣いが悪い・・・ということで、 実習中、特に最後の研究発表の時は非常に気を遣ったことを思い出す。 つまり、「ら抜き言葉」は聞いて解るが正しい言葉ではないという認識が、 今でも強く残っていて、この作品はうまくその部分を突いてきているわけである。 しかも作品内にはさらに現代日本語の問題点がひしめき合っている。 丁寧にすりゃいいってもんじゃないだろっ、の敬語表現。 それ、意味違ってるってば、のことわざの意味の勘違い。 意味なく繰返される新しい接続表現、男言葉と女言葉、方言コンプレックス。 戯曲を読みながら、我が身を振り返ることの何と多いことだろう。
言葉はまずは相手に意思を伝えることが第一に仕事である。 だから、相手が理解できれば何を話していてもいいという考え方もできる。 しかし、言葉は文化であり、歴史である。 「ら抜き言葉」が認められたという事実は軽く捉えられがちであるが、 実は歴史的には大転換であって、おろそかにはできない問題であるということは 私達は忘れてはいけないのだろうなと思わせてくれる作品なのであった。
いつも何かと話し掛けてくる私立高校男女2人組は、 どちらも東京の私立大を受験するらしい(でも、センターも受ける)。 赤本を目の前に勉強している姿は本当に大変そうだけれど、 これからの未来への期待で輝いて見える・・・ちょっとだけ羨ましい。
本日の講義:SS ・係助詞/「に」の識別 ・評論�� ・『徒然草』 本日の講義:M ・接続助詞/係助詞/「なむ」の識別 ・評論�� ・『義経記』
明日がいよいよ今年最後の授業。 勢い込んで「文法テストをします」なんて宣言してしまったために、 今まで問題を作る羽目に・・・眠い・・・(1:33現在) しかも、ヒーターの石油が切れた・・・寒い・・・ 明日も6:30起きなのでもう寝るべし。
順調、本日の講義は両クラスともに非常に順調。 しかし、こちら側の達成感と生徒の習熟度は必ずしも比例してはいないもの。 頑張れと願うしかない。
本日の講義:SS ・終助詞/「なむ」の識別 ・評論�� ・『栄花物語』 本日の講義:M ・「る/れ」の識別 ・評論�� ・『とはずがたり』
そして、ただいま明日の予習終了。 時間がかかるのが文法プリント・・・自分で1から作るって面倒くさい。 数冊のテキストを見比べながら、コンパクトにまとめる。 全部覚えればいいってものじゃない。 使えるものだけを覚える・・・これは受験勉強のテクの1つ。
でも、今日ここまで時間がかかったのは間違いなくアレのせい。 フジ系「1/47」 木村拓哉氏、やっぱり格好いいなぁと惚れ惚れしていたのだけれど、 やはり俳優が若過ぎるんじゃないだろうか、どこかトレンディ臭い。 だいたいあの時代の若者は「じゃあな」なんて言わないだろうし・・・ そして、何故終わりにシャンソンを流す? 何故「愛の讃歌」? しかも、あのちょっと恥かしい終わり方って何? 時間の都合もあるのだろうが、最後は突っ走り過ぎていただけない。 なんだか消化不良なので池波正太郎でも読もうかと思った本日のドラマである。
結局、高3国語Mクラスは開講された。 よって、今日から2コマ講義となるわけであるが・・・しんどい。 だいたい、広めの教室に先生1人、生徒1人ってどうなの?
本日の講義:SS ・副助詞/「なり」の識別 ・『義経記』(半) ・評論�� 本日の講義:M ・格助詞/「ぬ(ね)」の識別 ・評論� 僻勝法ΑΑΔ笋辰弌繊舛ぁ⊇�わらないっつうの(><)
「とくばん」を見終わってから、そのまま「ナンバーワン」を観る。 一家を背負って立たねばならない22歳の青年がホストクラブに入って、 様々な体験をしながら成長し、最終的には戻るべき場所に戻っていく話である。 とりあえず窪塚君が観たいので観たようなものである。 あと、ユースケさんと。 それなのに、私の視界に飛び込んでくるのは・・・河村隆一。 ナンバーワン? 源氏名が雅? おまけに「オンリーワンになりたい」? 何から何まではまり過ぎじゃないっすか? 白いグランドピアノを弾いていた時には乾いた笑いが止まらなかった。 本当にこのお方はどこへ進んでいくつもりなのだろう?
今日も1コマしかな〜い。 このまま行ったら、完全1コマになるかもしれないそうなのだが、 それならそうと早く言っていただきたいものである。 私だってバイトだけしてりゃいいって身分でもないのだから。
本日の講義: ・接続助詞/「る」「れ」の識別 ・『とはずがたり』の解説 ・『義経記』を少々
本日の1冊: 『兄帰る』(永井愛/而立書房)
前回の集中抗議で影響を受けて、ちょっとした戯曲ブーム。 その中でも教授がプッシュしていた永井愛女史の戯曲をピックアップする。 一見幸福そうに見える弟夫婦の家に、失踪していた兄・幸介が姿を現す。 博打で身を滅ぼした過去を持つ幸介を姉・百合子も弟・保も厄介がるが、 真面目に再就職をするという彼のためにコネを求めていつしか奮闘する。 この戯曲の面白い点は、 最初は控えめな幸介が徐々に存在感を増し、いつしか家庭の中心にいる点。 次に、姉弟の敵意が幸介だけでなく、弟の妻・真弓にも及んでいく点。 「鴛鴦夫婦」はどこへ行ったか、気が付けば保と真弓の距離はずっと遠い。 一方、真弓と幸介との距離が縮まり、2人は必然的に孤立していくのである。
しかし、そこで終わらないのが戯曲の戯曲たる所以。 戯曲とはそもそもは舞台の台本なのであるから、 小説のように読者の好き勝手に読み始めたり読み終えたりすることを想定しない。 幕が上がったら、その時間内は観客を夢中にさせることが要求されるものなのだ。 だから、短い中で話ががらりと変わる・・・飽きさせないためである。
それにしても、この戯曲のラストは圧巻である。 別に全く予想しなかった展開になるわけではないのであるが、 「えぇっ、そこまで言わせますかっ!?」という台詞が飛び出してくる。 面白い。
「嘘吐きがどれだけ努力してるか知ってるか?」――『兄帰る』より
クリスマスである。。。そして、仕事始めである。 今日から冬期講習が始まった。 世間はお祭り騒ぎだというのに、気の毒な話である。 (それ以上に気の毒なのはフル出勤の講師陣であるが)。 私は高3国語のMクラスが2日後から開講となったので、 今日は高3国語SSクラスの授業だけで終わった・・・ありがたい。 しかし、あ〜〜、上手くいかない。 どうやったら効率よく教えることができるのだろうか? 世間の国語講師の方々はどうやって教えているのだろう? さすがに取り返しのつかないミスはないし、生徒もおとなしいのであるが、 授業をしている当人が納得していないのだからもはや話にならない。 誰か私に上手い国語の授業を見せてほしいものである。 学校国語ではなく、塾国語のやりかたを・・・
午後からは院生T甫女史とN尾女史と飲み会。 せっかくのクリスマスだというのに、行き先は居酒屋。 私自身は普段はチェーンの居酒屋ばかり使用しているので、 カウンターが7席と座敷が少々しかないような本格居酒屋は初めて。 始めは注文するのさえ勇気が必要であった(苦笑) でも、客が私達3人しかいなかったこともあって、慣れてくるとトーク爆裂。 やっぱり話上手いよなぁ、と感心してしまった。
本日の災難: 朝、道路がガチガチに凍っていたため、チャリでコケる。 左膝に擦り傷3つ(そういえば、夏期の時も転んで痛い目に合ったはず)。 昼、口唇右端に違和感を覚える。 どうやら再び口唇ヘルペス発生・・・痛いし、気持悪い。
| 2001年12月24日(月) |
クリスマスイブイブ⇒イブ |
昨日から悪友の家へ泊り込み、クリスマスイブイブ⇒イブを2人で過ごす。 シャンパンの栓を抜き、ケーキ(二個ずつ)を食らう。 その後、チューハイを一缶ずつ空け、赤ワインを舐めるように飲む。
・・・太ります、肌荒れます、胃も荒れます・・・
でも、彼女のおかげでイイ気分転換できました。 カラオケでAXS復活を祝して歌ってくれるのなんて彼女しかいないし(苦笑) そう、AXSは復活するんだよなぁ(絶対ガセだと思っていた)。 今の若い子(この表現は本当は嫌いだが)、AXSって知ってるのかなぁ。 大ちゃんはレボのプロデューサーであるだけじゃないんだぞ。 ヒロは某テレビ局芸能人版カラオケで歌ってるだけじゃないだぞ。 ある意味、一世を風靡したユニットだったんだぞ・・・(私はされてないけど) なぁんて、声を高らかに宣言するのもなんだか空しい。 つうか、悪友とじゃなきゃこんな話は絶対しないね。 少なくとも院生仲間の前では絶対できない(爆)
こんな内容の薄い日記もたまにはいいだろ。 明日から冬期講習かぁ、気合入れて今日は早めにご就寝。
| 2001年12月22日(土) |
『ハリー・ポッターと秘密の部屋』 |
来週火曜日から始まる冬期講習のための予習をせっせとこなしてみる。 結構ミス連発・・・かなり凹む・・・
本日の一作: ・『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(J.K.ローリング作&松岡佑子訳/静山社)
遂に2冊目も読了!! 1冊目のエピローグから本当にすんなりとプロローグにつながるのが、 むむぅ、巧いなぁ、やるなぁと唸ってしまった。 同じ登場人物、同じ舞台であることは基本であるにせよ、 ここまでキレイにつながる本は実はめったになかったりする。 しかも、この小説にはこの手法がまさにベスト・・・本当に巧い。 さて、今回は1年成長したハリーがお馴染みのロン、ハーマイオニーと一緒に ホグワーツ魔法学校内で次々に起こる怪事件に立ち向かっていく物語。 と書いてしまうと、非常にあっさりしてしまうのだけれど。 怪事件の裏にはホグワーツで起こった過去の事件も絡んでくるうえに、 当然1冊目からの大きな流れにも沿っているわけなので実は複雑なのである。 しかも、ちょっとした言葉遊びの仕掛けを出すタイミングが絶妙。 国内外問わずよく使われる手法とはいえ、やはりよく思いつくものだと感心。 1冊目は未知の世界に飛び込んでいくハリーに感情移入して、 見るもの聞くもの全てが珍しいドキドキがあったけれど、 2冊目はもう少し落ち着いて読めるんじゃないかと私は思う。
ハリー・ポッターに公式サイトがあると友人に教えてもらった。 早速遊びに行って、ホグワーツに入学させてもらう(幾つだよ・・・) 組み分け帽子の宣言・・・「グリフィンドール!」 真剣に嬉しかった(本当に幾つなんだよ・・・)
本日をもって今年の講義はすべて終了。 明日から冬休みということになるのであるが、 来週火曜日から再び塾講師をするために猛勉強することになっている。 まぁ、本当につらいのは受験生当事者、少しでもお手伝いができるように。
で、今日は院生の忘年会!(アルコールを体内に入れるのは久々なので嬉しい) 19:00からということでちょっと遅めのスタートになったわけであるが、 店内は合コンorサークルの打ち上げだらけ、しかもすでに出来上がってる・・・ もうあんなに若さ爆発で飲む体力はないなぁとちょっと羨ましくなる。 でも、飲み会自体はめちゃくちゃ楽しい。 笑い過ぎて、腹筋が痙攣しそうになることもしばしばである。 よく考えれば、今のメンバーになってまだ1年も経ってないのに、 ずいぶんと仲良くなったものだなぁ・・・ちょっと嬉しくなる。
しかし、帰り、傘が紛失していることに気付く(ほろ酔い気分一気に醒める)。 あぁぁ、公共の場に傘を置くことがどれほど危険なことだったかを 失念してしまっていた自分が不甲斐ない。 しかも、その傘は自分で買ったものではなく、母から貰ったものなのでなお悪い。 帰宅して母親に正直に告げる。 が、素直に飲み屋でパクられたという勇気がなく、 「大学」で無くなったことにしておいた(この時点で正直度半減) 母親は案の定ご立腹、もう傘を持たせてもらえないかも・・・(涙)
やはり、公共の場で傘を放置するのはいけません。 今年最後の教訓となった。
| 2001年12月20日(木) |
「紙屋町さくらホテル」 |
集中講義3日目、いつの間にか出席率50%に(さすがに院生は完全無欠だが)。 でも、人間の集中力なんて90分でもギリギリ持つか持たないかじゃないのか? ということで、2時間ぶっ続けで講義はやめてください、教授・・・
本日の1本: ・「紙屋町さくらホテル」(井上ひさし 作&渡辺浩子 演出)
毎回恒例の演劇観賞は井上ひさし代表作「紙屋町さくらホテル」を。 ・神宮淳子・・・森 光子・熊田正子・・・梅沢 昌代・浦沢玲子・・・深沢 舞 ・大島輝彦・・・井川比佐志・丸山定夫・・・辻 萬長・園井恵子・・・三田 和代 ・戸倉八郎・・・松本きょうじ・針生武夫・・・小野 武彦・長谷川清・・・大滝 秀治
この芝居は3つの場面が交差するように入れ替わる。 始まりは昭和20年、戦犯を裁いている最中の取調室にやってくる 元海軍大将長谷川清と、元陸軍中佐針生武夫のやり取り。 続いて、昭和20年5月にある使命を担ってホテルに潜り込んだ長谷川が、 成り行き上一緒に舞台に立つことになった移動演劇・桜隊の仲間との思い出。 そして、最後に桜隊と一緒に「無法松の一生」を演じている劇中劇。 井上氏はその3つの場面を綿密につなぎ合わせて、大きな流れを作っている。
この芝居は、たくさんの意味を含んだ評伝劇である。 まずは実在した丸山定男が率いる桜隊を通して、当時の演劇の在り方を描く。 「歌舞伎でもない、新派でもない、まして宝塚でもない、新しい演劇」を 作ろうとしていた当時の演劇人の姿が忠実に再現されているのである。 その中で、小山内薫を始めとする演劇人の指導法や言葉が織り込まれているのも 非常に観ていて興味深く思った点である。 また、もう一つは「どうして広島に原爆が落ちたのか?」の問いへの答えだ。 当時の日本が何を考え、どこへ向かおうとしていたのか・・・ その結果何が起きたのか、そしてその後どのように変化しようとしていったのか。 井上氏はそれらを再現することで、非常にアイロニカルな見方を示している。
最後の長谷川清の言葉一つ一つが痛かった。 海軍大将という地位に就きながら適切な処置を取れなかった自分自身は 戦争で死んでいった日本人の名代であると叫ぶ老人の慟哭が響き渡る。
「私を消しても死者は消えない、なぜなら死者は二度と死なないからだ」
集中講義2日目、今回の教授は大変生真面目な方らしく、 2時限目(10:30〜)から5時限目(〜17:40)まできっちり話していく。 それでも話し足りないというのだから、感服してしまうなぁ。
本日の1本: ・「父と暮せば」(井上ひさし 作&鵜山仁 演出)
井上ひさしの代表作品をビデオで視聴する。 舞台は昭和23年7月、広島で図書館司書をしながら暮している福吉三津江が 図書館利用者である大学助手の木下へほのかな恋心を抱く。 しかし、彼女は原爆が落ちた3年前から、自分が幸せになる権利を放棄していた。 そこへ亡父・福吉武造の霊が娘の前に現れ、恋の応援団長を引き受ける・・・ ・父⇒福吉武造(すまけい) ・娘⇒福吉三津江(梅沢昌代)
ネタばらしをしよう。 この作品は亡父と娘の二人芝居でありながら、結局は娘の独白劇である。 木下と幸せになりたいと願う自分と幸せになってはならないと自戒する自分。 2人の自分の間での葛藤の末に、彼女の父が姿を現したのである。 だから、彼女の父が姿を現すのはいつも彼女自身が悩んで助けを求める時ばかり。 彼女は決してショックのあまり気が狂ってしまったわけではない。 ただ、原爆で唯一の身内を失った彼女は、亡父に話しかけでもしなければ、 寂しさに耐え、今まで生き延びてくることができなかったのである。 亡父と娘の物語としても十分切ないのに、 すべて娘1人の独白だと気付く時、涙がこぼれそうになった。
井上ひさしはたくさんの原爆資料、特に被爆者の手記を集めた。 彼にとって手記はある意味バイブルであり、この作品にも多くの手記の内容が 散りばめられていることが作者自身の口で語られている。 その井上ひさしの思いの結晶を、考え抜かれた機知を解き明かしていく。 それは非常に興味深い作業ではあるのだけれども、
「こうして読んでしまうと非常に味気ないものになってしまうよね」
自嘲気味に先生が言った言葉がやけに印象深かった。
今年最後の集中講義が始まった。題して、「日本近代演劇史」 現在の日本文学といえば小説偏重主義であったりするのであるが、 もう一つの流れとして演劇というものが欠かせない。 芥川龍之介/武者小路実篤/志賀直哉/菊池寛・・・ 私達が現在文学史の上で重きを置く作家達は皆戯曲も書いていたことが、 当時は今ほど文学と演劇が切り離されていない時代であったことを物語っている。 それにしても・・・
坪内逍遥/島村抱月/イプサム/メーテルリンク/川上音二郎/岸田國士/小山内薫/自由劇場/筑地小劇場/新派/新劇/軽演劇/エノケン/ロッパ・・・
聞いたことはあるが、その正体をはっきりとは知らない単語達。 好きな人は好きらしい演劇は、実は私にとっては未知の領域に等しい。 頑張ろうっと。
本日の一本: ・「笑の大学」(三谷幸喜 作&山田和也 演出)
教材として、三谷幸喜氏の「笑の大学」を観賞する。 舞台は戦時中、演劇を上演するには警察の検閲が必要であった時代。 実在したロッパ率いる「笑の王国」をもじったようなアオカン率いる「笑の大学」 という喜劇劇団の演出家が新作の検閲に警察を訪問する場面が描かれる。 ・検閲官⇒向坂睦男(西村雅彦) ・座付作家⇒椿一(近藤芳正) もう気持ち良いほどに一つ一つ丁寧にツボを押えた笑いが目白押しのこの作品は、 三谷氏の作品の中でも傑作中の傑作である(そうである/教授談) それもそのはず、この作品はただの面白い作品ではないからである。 人間の自然な感情の一つである「笑」ということでさえ自由に行えなかった時代、 作家達はどのようにして作品を書き続け、世に送り出していったのか。 一市民が国家に抵抗するということはどういうことなのか。 何故、生きていくうえで笑いが必要とされるのか・・・ ただ観ているだけでは分かりづらい本当に細かい部分にも、 三谷氏が当時の演劇情況を非常に正確に再現しようとしていることが分かるのである。 いやはや、恐れ入った・・・と言うべき作品であること間違いない。
昨日、遂に郵便局では年賀状の受付が開始されたということで。 年を重ねるにつれ、この時期になると頭を悩ませねばならなくなる。 誰に出そうか、誰に出すまいか・・・あぁ、面倒くさい。 高校時代までの友人に限って言えば女子には珍しくあっさりしたもので、 仲がいいヤツほどもうほとんどやり取りはしていないような気がする。 お互いそれを了承し合っているのだから特に不便もないのであるが、 油断しているとたまに予想外の年賀状が舞い込んできていて、 正月早々冷や汗をかく羽目に陥ることもある(何と失礼な話なんだか)。 さて、今年は大学・大学院のでの人間関係に加えて、さらに教授陣の存在が。 学部生の間はまぁいいだろうで済ませてきたが今年はそうもいかない。 しかし、担当教官だけでいいものなのだろうか、それとも全員に? あぁぁぁ、面倒〜〜、明日先輩にでも聞いておこう。
結局、今日は親に依頼された年賀状をPCで作成して半日を過ごす⇒完成★ 毎年「宛名書くらいは手書きで」をモットーにしていた母親も、 年々増え続ける印字された宛名書を見て遂に折れたらしい。 ということで、親の仕事はグンと減ったものの私の仕事が反比例で増加。 年賀状の宛名リストは作ってさえしまえば、後は楽チンなのであるが、 作っている最中は名前に間違いがないか、住所ミスはないかと気が気でない。 しかし、今年の年賀状は例年になくクールで私的にはかなりお気に入り。 何せ来年は私の年、手を抜くわけにはいかないでしょう?
本日の一曲: ・「mister popcorn」by.GLAY『ONE LOVE』
今回のアルバムの中のJIRO氏の曲は面白い。 聴かせた友人は首を傾げるが、私はこの曲の感じがすごく好き。 さすがベーシストの作る曲、ベースが利いていると思うのだが・・・ 何かに似ていると思うのだが、いったい何に似ているんだっけ?
♪モノクロの感情 姿はいつも闇の中
| 2001年12月15日(土) |
「仮名手本忠臣蔵 九段目 山科閑居」 |
風が吹くたびに家が軋む、外を歩くと身体が浮きかかる。 いよいよやってまいりました、冬将軍・・・あなおそろし。 この悪天候の日に出かけねばならない用事がなかったことを真剣に感謝した。 (特に今週は朝から晩まで大学にいたので、家に居られる幸福感2割増) しかし、実家にいると、どんなに頑張って勉強してもすぐ飽きる。 仕方がないので資料を放りやって、テレビをつけてみることにした(爆) NHKにチャンネルを合わせると歌舞伎をやっていたのでそのまま放置。 それにしてもどこかで観たことがある場面、聞いたことがある台詞じゃないか? 慌てて新聞のテレビ欄を見てみると、「仮名手本忠臣蔵 九段目 山科閑居」 観たこと、聞いたことがあるなんてものではない・・・ まさに私が来年の演習のために注釈をつけ終わった場面であった(遅)
ちょうど木曜日の講義中に同じ場面の浄瑠璃を観たばかりなので、 比較して観られるという点でもここで見逃す手はない。 大きめとはいえ人形が演じるのと歴とした人間が演じるのとでは、 同じ台詞回しでもかなり受ける印象が変わってくるに違いないからだ。 結果として、歌舞伎のほうがやはり表情豊かであるし、迫力がある。 台詞も役者本人の口から発されるわけだから、感情移入しやすい。 でも、時としてその表現の豊かさが仇になることも・・・ つまり観客が必死で場面からその感情を汲み取る努力をしなくなるからである。 人形の無機質な表情から滲み出るような感情を読み取ることは面倒なようであるが それはそれでなかなか面白いものなのだ(これは能面にも言えることかも) それにしても小浪役の阪東玉三郎、めちゃくちゃ美人である。 思わず溜息が出るような艶かしさにはすっかりやられてしまった。 嗚呼、歌舞伎を生で観たい〜〜〜。
今日は父が忘年会だったので、母親と外食に出た。 なかなかおいしいピザが食べられて満足。
| 2001年12月14日(金) |
『バガボンド��』&『風光る��』 |
師走も半ば過ぎ、怒涛のように過ぎていった一週間も漸く終わる。 今日はせっかく夕飯を一緒に食べようと約束してあった同輩N尾女史が 突然の体調不良にダウン・・・帰ってしまった・・・ 仕方ないと分かっていながらも切ないこと限りなし、 結局19:30まで大学に残り、面白くもない課題作品の読解を。
本日の二作: ・『バガボンド��』(井上雄彦/講談社) ・『風光る��』(渡辺多恵子/小学館)
実は発売日に気付いておらず、漸く今日になってゲット(爆) 『バガボンド』の方は行きの電車の中で読んでそのまま同輩M木女史に貸す。 『風光る』の方は帰りの電車の中で読んで、現在も傍らに置いてある。 いよいよ伊東甲子太郎登場で新選組も第二幕突入。 渡辺先生はこれまたすごいキャラ設定してきたなぁ(苦笑) 伊東ファンが見たら泣くんじゃないかと他人事ながら心配したりする。 私自身は面白いのでよい(少女漫画の思い切りのよさが寧ろ気持ちいい) しかし、伊東先生が出てくると・・・そろそろ悲しい展開が近付いてきた。 歴史漫画は筋が見えているので時として読むのがつらいことがある。 どうやって処理されるのかが楽しみでもあるのだけれど。
本日の一曲: ・「MERMAID」by.GLAY『ONE LOVE』
発売が去年の・・・7月だったからもう1年以上も前の曲になる。 でも、相変わらずカラオケ行ったら歌っているような気がする。 この曲の疾走感と怒りを含んだ歌詞がすごく心地いいのである。 むしゃくしゃしている時でも悶々としている時でも両方いける。
♪どんな明日があるのか? 今日を無駄にする奴らのために!
初めて聴いた時から、癒えない古傷のように疼く・・・痛い歌詞である。 とりあえず今日は無駄に過ごしていないと自分なりには思っている、 そんな私にはどんな明日が待っているのだろう?
友人から電話がかかってきて、気付いたら1時間経過。 電話、本当に苦手なのであるが、相手次第ではこれぐらいもいける。 ただし、明日は親から「五月蝿い」と嫌味がくるのか・・・うぅぅん。
本日の一作: ・『道成寺』(三島由紀夫/新潮文庫『近代能楽集』)
今年最後の近代文学ゼミは私が発表担当と相成った。 チャレンジするお題は三島作品から、非常に因縁深い作品を一作。 何せ、私が研究室に所属して初めて人前で演習発表した作品なのである。 つまり、かれこれ・・・4年前のことになる。
作品は本来演劇台本であるので科白とト書きのみ。 かつて、金持ちの夫人と不倫関係にあった安が箪笥の中に隠れていたところを、 それに気付いた夫が銃を箪笥に向けて、安を撃ち殺すという事件があった。 安の恋人であった清子は自分が美しい顔を持っているから捨てられたと思い込み、 「顔だけの自殺」を企んで、硫酸を手に彼の最期の場所であった箪笥の中に入る。 しかし、箪笥の中から出てきた彼女の「顔」は元の美しいままであって、 彼女はそれを「自然との和解」の結果だと説明し、その場を去るのである。
この作品、実は三島自身も失敗作としており、研究自体も皆無に等しい。 今回のゼミでも3人でいろいろな考えを出すも常にどこか矛盾をきたす。 つまり、どう読んでみてもいまいち釈然としないことが多いのである。 が、疑問は疑問として残るものの、もっと深いところまで探ることができた。 4年前よりもレベルアップしていると自分なりに感じることができた。 この収穫はかなり大きい。
本当はゼミでこの作品を扱うことに少しだけ躊躇を覚えていた。 成長していなかったらどうしようかと真剣に恐かった。 でも、やってみてよかった。自分を試してみてよかった。 すっきりとした読み方は依然模索中であるけれど、自分の成長を知れたから。
| 2001年12月12日(水) |
「ハリー・ポッターと賢者の石」 |
待ちに待ったこの日が到来、「ハリー・ポッターと賢者の石」観賞日。 大学へ行く前に観ようと朝一の公開(9:30)に単身で乗り込む。
先に感想を言ってしまうならば、「パーフェクツッ!!」 映画が終わった瞬間、私の脳裏を過ぎった単語はまずコレであった。 勿論時間内で納めねばならない制約下においてカットされていた部分もあるが、 大まかな流れに影響はないであろうし、原作を読んであればまず問題ない。 いやむしろ、これに限ってはきっと原作を読んでおいたほうが楽しいのであろう。 大抵の場合、原作のほうが映画よりも面白いのが常識である中で、 いずれとも十分に楽しめる希少価値な作品であることは確かである。
とにかく原作に忠実であることにかけては右に出る映画を私は知らない。 特にクィディッチとチェスのシーン、この二箇所は圧巻。 許されるならば、スタンディングオベーションなんかやってみたいものである。 他にも魔法使いが取り扱う魔法の数々が実に鮮やかに描かれている。 魔法の描写は小説だけではイメージするにも限界がある箇所なのであるが、 今日の映画を観て初めて文章と映像が一本の線になった。 また、雪の日にハリーが真っ白なフクロウを空に放つシーン。 あれに関しては映像が文章を超えた一瞬であろうと私は思う。 本当に、本当にキレイだった。少しだけ雪が早く降ればいいと思った。
とりあえず、少しでも観たいと思っているならば行った方がいい。 明日からそう同輩・後輩に薦めてみようかと考えている。
さて、満足気分で映画館を後にし、大学へ向かう途中、 はたと気付いた・・・明日のゼミ発表、私じゃん。 ということで、慌ててレジュメを作成すること4時間。 結果がどうなったかは明日の日記に書くとしようっと。
大学の1コマは90分、つまり2時限目ならば10:30−12:00までが基本。 でも、授業が盛り上がってくるとなかなか終わらないものである。 例えば演習担当者の発表が終わったのが11:55だったりする。 その後、当然先生のコメントが入るので12:00を回るのは必至であろう。 私達だってそれぐらいでガタガタ騒ぐほどガキではない。
しかし、今日の日本語学演習では発表が終わった時点で12:00ギリギリ。 私達は延長を覚悟し、お腹が鳴らないかだけに全神経を集中させていた。 そこへ意気揚揚とコメントを放っていた先生が一言、 「もう時間ですね。それじゃ・・・延長します」 この時点で12:15を過ぎている・・・皆の表情に亀裂が走った。 (それじゃぁ今まではいったい何だったと言うんだ!?) 無言のまま、瞳だけが必死で先生に訴えていた・・・無論届いていないけれど。 結局、講義が終了したのは12:45過ぎ、皆やさぐれモード全開である。 やはり人間、どれだけ成長しようとも食欲が満たされないと荒れるんだなと実感。
本日の一曲: ・「Prize」 by.GLAY『ONE LOVE』
♪We will build the only prize. 掛け替えのない 迷いながら築いたこの結果を花束に変えよう
このとびきり気の利いた言い回しを用いたのは誰だろう? 迷って、もがいて、ここまでやってきた結果が、たとえお粗末なものであっても、 「花束」に変える価値があるものだと考えることは何てステキなのだろう?
今朝、起きた瞬間から何かが違っていた。 いつもよりも数倍ピンと空気が張り詰めている。 吐く息の白さもずっと濃い。 そう思いながら電車とバスを乗り継いで大学に着いた頃には、 灰色の空からチラリチラリと白い固体が舞い降りてきた。
初雪である。
台湾留学生は大はしゃぎ、早く積もるのを心待ちにしているようだ。 一方、モンゴルからの留学生は何ともない顔をしている。 聞くところによると、現在自国は−25℃をマークしているらしい。 同じアジアでも全然違うのだなと当たり前のことに今さら気付く。
本日の「Antique」挿入歌: ・Image(「DISCOVERY」) ・Mr.Shining Moon(「Everything」) ・ありふれたLove Story 〜男女問題はいつも面倒だ〜(「深海」) ・Dive(「深海」) ・ラララ(「DISCOVERY」) ・風〜The sind knows how I feel〜(「Everything」) ・Another Mind(「versus」) ・車の中でかくれてキスをしよう(「Kind of Love」) ・光の射す方へ(「DISCOVERY」) ・君のこと以外はなにも考えられない(「抱きしめたい」c/w) ・独り言(「光の射す方へ」c/w) ・アンダーシャツ (「DISCOVERY」) ・いつの日にか二人で(「Kind of Love」) ・Drawing(「Youthful Days」c/w) ・Mirror (「深海」) ・Asia(エイジア) ・終わりなき旅(「DISCOVERY」) ・君が好き
いよいよ「Antique」も来週最終回。 何だかバタバタして終わりそうだなぁ・・・大丈夫かぁ? 今回の挿入歌はかなり好みのレパートリーなので満足。
| 2001年12月09日(日) |
『中国行きのスロウ・ボート』 |
15:00より、冬期講習非常勤講師の説明会に参加。 夏期講習に引き続き、高校3年生の国語を担当することになっている。 この時期のナーバスな3年生に何を伝えることができるだろうか。 今のうちから授業研究に励んでおかねばならない。 しかし、夏期では高3一括りだったものが、今回からは3クラス編成に。 各クラスに合わせて何に焦点を絞って教えていくのか考えねばならない。。。 まぁ、とりあえず当面はとんでもない早起き生活に耐えられる体力作りを。
本日の一作: ・『中国行きのスロウ・ボート』(村上春樹/中公文庫)
古い本である。 何せ春樹氏初の短篇集、初出雑誌が80年〜82年で納まってしまうのだから。 つまり、私がまだ2〜4歳ってことであるから、ちょっと感慨深い。 どうしてこの古い一冊をわざわざ読み返そうかと思ったかといえば、 昨日の卒論発表でまさにこの作品を取り上げる人間がいるからである。 我が研究室では基本的にはすでに他界した作家しか扱わない。 強制ではないが、やはり作者が生きているとなかなかやりづらいのだ。 しかし、彼はこの大胆かつやや無謀な課題に果敢にも挑戦しようとしている。 韓国に1年間留学していたために卒業が1年ずれてしまった同輩に、 少しでもエールを送りたいという思いが私にこの本を選ばせたのである。
彼は「シドニーのグリーン・ストリート」を除いた6篇それぞれに 小テーマを立て、最終章で短篇集としての性格を把握しようとするらしい。 彼のレジュメを見ながら、1篇ずつ読んでみた。 ・・・いやはや、コレは難しい。 私が読む限りでは春樹氏の作品はまともに論評しようとしても、 するりするりと指の間をすり抜けていく糸蒟蒻のようである。 特に、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は一貫して読むことすら難しい。 彼がこの作品をどう読み解くか、かなり楽しみである。
本日の一曲: ・「VIVA VIVA VIVA」 by.GLAY『ONE LOVE』
歌詞を簡潔に抑えてあるぶん、曲の勢いは群を抜いている。
♪I'm so high I'm so high I'm looking for high & high
歌っている貴方に、演奏している貴方に「全くですね」と頷きたい。
♪You're so high You're so high You're looking for high & high
そんなハイな貴方に言われてしまうと、「そうなのかな」と頷かざるをえない。 言葉って恐ろしい・・・
遂にこの時期がやってきてしまった、卒論・修論中間発表。 締め切りをちょうど一ヵ月後に控えた現在、 中間発表も何もあったもんではないと思うも逆らえるはずもなし。 4年生がやややつれた風情で現状報告をしている姿に、 昨年の自分の姿が、さらに一年後の自分の姿が重なってややへこむ。 「文学部は卒論が全てだ」 というのがウチの大学の方針だ。 こんな事を言うと、他のコースの人々に怒られるのかもしれないが、 文学部は例えば理系学部と比べると日頃からの学習にはさほど意味が無い。 私達の普段の演習は卒論を書き上げるための方法や実力を獲得するものであって、 演習そのものにそれほど重大な意味があるわけではないのである。 (演習内容をそのまま卒論に持ち込むとなると話は別であるが)。 だから、私達は他学部以上に全勢力を卒論に傾ける。 卒業単位のためではなく、自分が大学で何をしてきたのかを形にするために。
是非4年生には頑張ってもらいたい。 卒業して、就職して、結婚して、親になった後で、 自分の子供に自分が大学でやってきたことを胸を張って語れるように。
結局、10:30開始の中間発表は18:00に終了。 その後、院生メンバーで鍋を囲んだ。 名目はM2の先輩諸氏をねぎらおうというものだったので用意はM1で。 キムチと味噌の二つの鍋を9人で突く光景はやや壮絶なものがあった。 しかし、やはり大勢でやる鍋は非常に楽しいものだ。 どんどん鍋の中身が消化されていく様を見ているのも気持がいい。 来年は後輩が私達をねぎらってくれるのだろうか・・・とちょっと思った。
| 2001年12月07日(金) |
「SIX PACKS」 |
本日のヘビーローテ: ・「SIX PACKS」 by.HERMANN H.&THE PACEMAKERS
某ラジオでちらっとかかっていた曲がどうしても忘れられず、 意味はよく分からないなりにやたら長いアーティスト名を覚え、 目指すは同輩K氏である(彼が所持するCD量は私の蔵書量に匹敵する)。 さて、私の狙いはドンピシャリ、K氏は案に違わず彼等の存在を知っていたし、 今年10月に発売されたばかりのメジャー第一弾ALを貸してくれた。
♪瞳は空を吸い込んで 涙の色は水色に 言葉の果てに雨が降る 言葉の果てに雨が降る 空から落ちる雨はまるで 瞳を滑る 涙のよう
一曲目に入っている「言葉の果てに雨が降る」は見事私の心を鷲掴んでくれた。 何といってもボーカルの声が好み、やや掠れた高めのかつ不思議な雰囲気の声。 これは他人には首を傾げられることたびたびなのであるが、 バンプ、バイン、インスー、ピロウズ、くるり等は私の中で同類であり、 今回のヘルマンを加えて、ますます私の声の好みが明確になった(私の中でのみ) ちょうどGLAYの「ONE LOVE」を友人に貸してあるので、しばらくは回るだろう。
しかし、お気に入りのナンバーを回しながらも、今日はちょっと参っている。 台湾留学生が演習で緊張のあまり教授とのコミュニケーションがうまくいかず、 講義終了後、ショックで泣きながら帰ってしまったのである。 私からすれば、初めての演習で成功しようと思うこと自体がまず間違っている。 というよりも、私だっていまだに完璧な演習なんてやったことはない。 いつも思い通りに進まずにイライラするし、へこんだりもする。 どうやったら、そのことを彼女に伝えられるだろうか? 厳しく言うことは実は簡単だ、「貴女自身がもっと積極的に発言しないとダメよ」 でも、慣れない日本語を駆使してレジュメを作成した彼女の努力が、 今回の演習では本当に報われていなかった事実を目の当たりにして、 私はそこまで鬼にはなれない・・・彼女が自分で気付いてくれることを祈るばかり。
早いもので第6回目、ゼミは引き続きK氏による進行でお題はコレ↓ (ただし、ちょっと男性は読みづらいぞ)
本日の一作: ・『恐ろしい愛』(川端康成/新潮文庫『掌の小説』)
この短篇は以下のような書き出しから始まる。
彼は妻を極度に愛した。つまり一人の女を愛し過ぎた。
そして、彼の妻は彼の愛ゆえに若くして死ぬこととなった。 彼は天罰だと思って、妻以外の女性を遠ざけて生活を営み始めた。 ただ1人、彼にはどうすることもできない女である娘と一緒に。 その後、彼は娘の秘密を垣間見て知ってしまった。 しかも、娘も彼が自分の秘密を知ったことを知ってしまった。 そこである夜、娘は寝ている彼に短刀を突きつけるのであるが、 彼はそれもまた妻を愛しすぎた故の天罰だと思い、甘んじて受け入れようとする・・・
娘の秘密、それはおそらく初潮を迎えたことを意味するのであろう。 ここまでは意見が一致したのであるが、K氏が首を捻った。 「それを知られたぐらいで、殺そうなんて思うかね?」 私とT甫女史は思わず苦笑である・・・だって、分かるもの。 確かに殺意までいくと異常であるが、それは絶対知られたくない秘密なのだ。 特に娘は母親がいない・・・相談する相手がいないのである。 娘のショックは想像に難くないではないか。
今回の小説は男性であるK氏はかなりてこずってたようだけれど、 女性の立場から読むともう少しすんなり読めるような気がする。 と同時に、このような小説を書いた作家が男性であることに畏敬の念。
そういえば、吉行淳之介がかつてこのようなことを言ってたらしい。 川端康成は女性が初潮を迎えた時の悲しみを理屈で分かるのではなく、 感情的に理解できる作家であると・・・この作品で強く納得。
| 2001年12月05日(水) |
年を重ねるってちょっと切ない |
>某洋品店にて
欲しい、欲しいと願っていたトレーナーを物色。 近寄ってきた店員にいろいろ勧められる中で、 「こんなのどう?」 と差し出されたのは、やたらごちゃごちゃと何かが書かれた一品。 「いや、そんな派手な服着るような年じゃないっすよぉ」 愛想笑いでやんわりと断ってみると、 「ははははは」 ・・・否定せぇよ、店員(怒笑)
>某歌番組を観ながら
私:「今日の過去のチャートは平成7年だってさ」 母:「最近やねぇ」 私:「うん。。。ということは、私が中3の時か?」 母:「違うやろ(真顔かつ速攻)」 よく考えてみると、平成7年は高2の時。 それでも母さん、もう少しやんわり否定してください・・・ 別にわざとじゃないのにさ。
ということで、別に年取るのが嫌だってわけでもないのであるが、 たまに世間の荒波にさらされてアップアップになって参る。
本日の一曲: ・「THINK ABOUT MY DAUGHTER」 by.GLAY『ONE LOVE』
去年大阪のライブで聴いた知らない曲が、実はコレだった。 単純に曲調が好き、まさに「春風」のような爽やかさが好きだった。 それでも歌詞がまさか父親が娘を想う気持の凝縮だとはつゆ知らず、 (多分、あのライブでは違う歌詞だったんだと思うが定かではない) 最初は意外でならなかったが、『ONE LOVE』には確かにふさわしいのかも。 こういう歌詞を歌えるロックバンドはやっぱりGLAYしかいないだろうし。
父親にとって娘とはどういう存在なのだろう? 「娘を嫁に出すなんて、想像するのも何だか嫌だな」 以前、先輩がよく言っていた言葉を思い出す。 ということは、私が巣立つ際はウチの父親も寂しがるのだろうか・・・ なんて、答えは考えるまでもなく「yes」だな、きっと(苦笑)
♪チビなあなたがつまずかぬように健やかであるように 道にころがる小石をさけて手をつないだけれど
コレが真実なら、TAKURO氏の将来はきっといいパパだな。
| 2001年12月04日(火) |
かつて、都人は「世界」を「しぇかい」と呼んだそうな。 |
本日をもって日本語学の演習終了、口うるさい助教授の突っ込みナシ。 順調過ぎてちょっと恐いが、明日からは引き続き「仮名手本」の注釈付け再開。 昼、明日が23歳のBDとなるK氏のささやかなパーティを営む。 抹茶クリームのスポンジケーキとあんこが入ったパイとクッキーを皆で持ち寄る。 ・・・今時、小学生のお誕生会でももっと派手なんじゃないのか? つうか、それ以前に本当にイベント大好きだな、ウチの院生室は。
本日の一曲: ・「Fighting Spirit」 by.GLAY『ONE LOVE』
コレを聴くと、某発泡酒を飲みたくなるのであるが(CMって恐ろしい)、 どうもアレは飲み易すぎて飲んだ気がしない・・・なんて話は置いといて。 非常にGLAYらしい曲調、さらにTAKURO氏くさい歌詞。
♪争いの歴史から人は何を学んだ? 憎しみから何を生んだ?
とか、
♪誰しも殺し合う為 生まれたわけではないだろう
とか、AL制作時期と合わせて考えてみても、「らしい」としか言いようがない。 ちょうど人が多く亡くなった時期だ、そして今なお犠牲者が増え続けている。 だから、やはりちょっとした反戦歌なのだろう。おそらく意識的な。
でも、もしそれだけだったら、この曲の歌詞にそれほど惹かれなかっただろうな。 TAKURO氏のこのテの主張は何もこの曲に限った主張ではないと思うから。 今回、私が特にこの曲の歌詞に思い入れを抱く理由はただ一つ。
♪生きる事は辛いな
直球勝負。 やられた、と思った。 コレで終わるのは反則だと思った。 曲が明るいから、抑えた声音が逆に切なかった。 でも、私だけがそう思っているわけじゃないのだと知った。 誰もが辛いと自覚しながら生きているのだと少しだけ安心した。
・・・別に毎日辛いわけじゃない、ふとした時にそれに気付くだけだけど。
22:30、弟から電話がきた。 一つ屋根の下にいる時は絶対にしゃべらなかったのに、30分ほど会話を続ける。 お互い長電話が得意でないだけに、奇跡に近い(苦笑)
本日の一作: ・『嗤う伊右衛門』(京極夏彦/角川文庫)
京極作品でこれほど文庫落ちを願った本はいまだかつてない。 それぐらい私はこの作品が好きだった。 「四谷怪談物」の中でも特に有名な「お岩」を題材とした、 それでいて、これまでのイメージを一気に払拭させたキャラ設定。 お岩はあくまでも武家の娘であり、妻であり、また少女のようでもあった。 伊右衛門は寡黙で、実直で、腕も立つのに、不器用であった。 2人はお互いを大事に想いながらも、お互いを知らなさ過ぎていた。 もう少し自分を知ってもらおうと歩み寄れば、幸せになっていたのだ。 しかし、そうなるには少しだけ・・・時間が足りなかったのだろう。
賛否両論は多々あろう・・・それでも、私はこの結末がとても気に入っている。 愛しいという気持は、時として哀しいという気持とひどく似ていることがある。
最近、近世文学の演習で「仮名手本忠臣蔵」の注釈をつけている。 辞書を繰っていくと、自然、江戸言葉に馴染んでくるわけであるが、 コレを読んでいると最近見知った言い回しが溢れてくるので驚くことがある。 以前、三島の再来と言われた若い作家が文壇に登場した。 それよりも京極氏が鏡花の再来と言われたほうが私的には納得できる。 妖を自然に溶け込ませてしまう作品の深さと粋な言い回し・・・いかがなものか?
本日の「Antique」挿入歌: ・#2601(「DISCOVERY」) ・prologue(「BOLERO」) ・Innocent World(「Atomic Heart」) ・シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜(「BOLERO」) ・ゆりかごのある丘から(「深海」) ・思春期の夏〜君との恋が今も牧場に〜(「Kind of Love」) ・ため息の日曜日(「深海」) ・その向こうへ行こう(「Q」) ・傘の下の君に告ぐ(「BOLERO」) ・ALIVE(「BOLERO」) ・名もなき詩・手紙(「深海」) ・I'll be(「DISCOVERY」) ・I'LL BE ・口笛(「Q」) ・Dance Dance DanceImage(「Atomic Heart」)
「貴女の愛しているものは何ですか?」と聞かれたならば、 何の迷いもなく、こう答えるでしょう・・・「十分な睡眠です」と。 特に昨年の今頃から寝ても覚めても卒論のことしか考えていなかったので、 締め切りが近付くにつれて布団から遠ざかる荒んだ生活。 あの頃のことを思うと、布団に入るということがどれほど幸せなことなのか、 つくづく身に染みてしまっている葉明なのでした。。。 だからって、今日11:00近くまで寝ていたことの言い訳になりませんが。
本日のヘビーローテ: ・「JAURIM」 by.紫雨林
友人から借りっ放しにしていた紫雨林のALを月曜に返そうと思い、聴き直す。 紫雨林といえば韓国の人気バンド・・・GLAY EXPOで知ったアーティスト。 私の中の韓国サウンドのイメージを一発で吹き飛ばすほどのパワーと、 私の心を鷲掴みにするアジアンチックな艶やかなボーカルを兼ね備え、 歌詞は韓国語ながらもどこか洋楽を思わせるサウンドを聞かせてくれる。 バンドの編成的にはJUDY & MARRY、ボーカルの声質的には椎名林檎、 そのくせ歌とトークの声のギャップはMisia並。侮れないな、ユナ嬢。
「滑稽」「うんざり」「メチャクチャ」「死」「壊」「血」「汚」「バカ」「捨」「逃」「消」「砕」 歌詞のキーワード、これだけ上げるとどんなアルバムなんだとやや不可解。 実際は女性視点のシビアな現実、その中のわずかな希望の光が描かれている ・・・と私は思っている、勝手に。歌詞の解釈は難しい。
♪一度だけの人生 後悔しないで 本当に欲しい物を手に入れて 潔くカッコよく今日のあなたを捨てるのよ 「Magic Carpet Ride」より一節、この歌詞はかなり格好いいね。 特に3行目、なかなか出来ることじゃないぶん出来たら格好いい。 でも、一番好きな曲は「Butterfly」、この歌詞も明るくて好きだな。
本日の一曲: ・「HIGHWAY NO.5」 by.GLAY『ONE LOVE』
ジロウ氏作詞作曲のナンバーは歌詞が面白い。 「高速道路大渋滞」なんてフレーズもサビに成り得たのか、と目から鱗。 私の父上はここだけ聴いて、真剣に交通情報の歌だと勘違いしていたぐらい。 でも、おそらくは人生の在り方の比喩、だろうと私は読んでいるのだが。 嗚呼、やはり難かしいのは歌詞の解釈。
♪道なき未知を歩いて行く
今日はアメリカから留学していたクリスが帰国するということで、 急遽、教授宅で送別会が行われることとなった。 16:00頃に集合と約束したので、小腹を空かせてお邪魔したところ、
「では、これから百人一首をやります」
一瞬、目が点になった。。。今何とおっしゃいましたか? 我々院生が呆然とする中、てきぱきとカルタ取りの準備は進む。 結局、留学生組、修士組、博士&教員組に分かれ、試合がスタートした。
百人一首を初めて触ったのが小学校低学年の頃(早いなぁ・・・)、 年上の従兄弟が遊んでいたのが羨ましくて、父親にねだって買ってもらった。 その後、高学年に進むと学校側が積極的に百人一首を盛り上げたため、 意味も知らないまま、独りで黙々と百首をマスターした(暗)。 おかげで、中学・高校の間は百人一首で困ったことはない。 しかし、裏を返せばそれ以降は全くタッチしていないということ。 これは困った・・・何せ私の専攻は中世文学。 しかも卒論で和歌を扱ったぐらいだから、知らないではすまされない。 私は必死で中学時代の自分を憑依させようと脳をフル回転させた。
結果は一回目は1位、二回目は2位とまずまずの成績。 どうにか面目果たせたようで心からほぉっと溜息を吐いた。 これで何とか自分の領域を守り通すことができたからである。 院生には決して他人には譲れない領域がある。 それは時代の差であったり、ジャンルの差であったり、作者の違いであったりする。 ともかく、それに関しては他人に負けたくないと思えるものが領域になる。 そして、院生はそれを死守することで、自らの研究を続けていけるのである。 「知らない」「できない」と口にしてしまうことも時には必要なのであるが、 「知らない」「できない」と口することに慣れてしまったら、 何のためにココにいるのか分からない・・・と私は自分に言い聞かせている。
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