| 2001年11月30日(金) |
『冷静と情熱のあいだ Rosso』 |
雅子さま、出産間近・・・日本が沸き立つ。
本日の一作: ・『冷静と情熱のあいだ Rosso』(江國香織/角川文庫)
一昨日読了した辻版と対になる江國版を読了。 やっぱりこちらから読めば良かったというのが正直な感想である。 これから読もうという人がいるならば、絶対「赤⇒青」をお薦めしようと思う。 さて、順正に対するあおいという女性は、情熱に対する冷静の人。 それが江國女史の手による作品だからなのか、 はたまた女性の恋愛観を具現化するとそうなるのか・・・やはり分からない。 ただ、女性は男性と比べるとやはり少しだけよりリアリストだ。 両方の作品の終わり方がそれを物語っているような気がしてならない。 約束の日を迎えて、いったんの区切りをつけた二人は、 一方は再び一緒に居ることを望み、一方は自分の足で歩いていくことを決めた。 どちらが男性で女性なのか、少し考えればすぐ分かる。
本日の一曲: ・「嫉妬(KURID/PHANTOM mix)」 by.GLAY『ONE LOVE』
「口唇」―「誘惑」の流れを汲んで、さらに進化させたような。。。 新曲なのに懐かしい気がするのは、そのためであろうか。
♪枯れないバラを欲しがる
「絶対にありえないものを追い求める空しさ」=「嫉妬」が凝縮されたフレーズ。 恋愛面に限らずともあらゆる面で実は人一倍嫉妬深い私にとって、 これはかなり耳に痛い真理であるに違いない(苦笑)
今日で5回目の近代文学ゼミ。 K氏のお題は川端康成の短篇集『掌の小説』から二篇。
本日の一作: ・『敵』/『舞踊靴』(川端康成/新潮文庫『掌の小説』)
中心は『舞踊靴』、スターである踊り子と彼女に金色の舞踊靴を送る青年との話。 (しかし、踊り子は靴を送られて後、青年の飼犬にソレを盗まれることで、 それまで自分の中に生きていたはずの「別の生きもの」まで盗まれてしまう。 青年のもとに靴を取り戻しに行った彼女は、青年に靴を履かさせることで、 「生きもの」を取り返すことに成功し、さらなる成長を遂げる)。 とにかく「足」という身体の一部分に異常なまでの執着を見せるところは、 川端っぽいなぁなどと呑気に読んでいたのがいけなかった。 K氏は「舞踊靴の喪失=処女喪失」説を打ち出してきたのである。 しかも、T甫女史はT甫女史で・・・ 「これまでの舞踊靴=少女の象徴、金色の舞踊靴=大人の女性の欲望の象徴」 との考えを打ち出し、すっかりギャフンとなってしまった。 その後、どんなに考えてもソレ以上の考えが浮かぶことはなく、 かと言って、二人の意見に反論するこもできず・・・あぁぁぁ自己嫌悪。 次回はなんとか一矢報いてやろうと今から考えている私なのでした。
本日の一曲: ・「WET DREAM」 by.GLAY『ONE LOVE』
もう何度もライブで聴いた曲だが、改めて歌詞を知ってびっくり。
♪力コブ突き出して 自分の強さをみせつけ どんな事にも悔やむな 俺は大器晩成の WET DREAM
そうか、こんなにも前向きな歌だったのか・・・ (でも、タイトルの意味はどう解釈すらいいんだか/苦笑) ♪ごらんよ世界は悲しみに満ちていても――の一節から、 NEVER MIND「ごらん、世界は苦しみに満ちているよ」を連想したのだが、 逆接の接続助詞「も」が利いてるねぇ・・・「いつかは越える」ときた。 要はどんな場合も自分次第ってことでしょうか、どうでしょう?
| 2001年11月28日(水) |
『冷静と情熱のあいだ Blu』 |
本日の一作: ・『冷静と情熱のあいだ Blu』(辻仁成/角川文庫)
映画も観たのでそろそろいいかと思い、買っておいた文庫を手に取る。 最初に読んだ時は江國版から読んだので、今度は辻版から読むことにした。
この街はいつだって光が降り注いでいる。
かつて読んでいるはずの書き出しでゾクッとくる。 小説なのに、目の前に映像が立ち上がってくる。 映画を観たからではない、これは文章の持つ力だ。
それにしても男性が描く男性視点からの本格的恋愛小説、 辻氏だからこうなるのか、男性作家全般の特徴なのか・・・ とにかくロマンチック、「冷静」or「情熱」なら100%後者だろう。 何故なら、彼の行動全てが或る意味常に感情的だから。 10年前の約束だけがどんどん、どんどん心を侵食していって、 周囲のあらゆる人間からどんどん、どんどん孤立し始め、 約束が果たされた後の未来を思い描けないままに、約束の日を迎える。 けれど、物語の終わり方は非常に前向き、明るい、なんとなく希望がある。 そう感じるのも、主人公・順正が「情熱」を選んだからのような気がする。
本日の一曲: ・「ALL STANDARD IS YOU」 by.GLAY『ONE LOVE』
アルバムの最初と最後を飾る、今作品の中でも特にメッセージ性が高いナンバー。 他作品とざっと比較してみても明らかに言葉数が少ないうえに、 中心になるサビは少しずつ言葉を変えて連ねてあるのがとても印象的。 言葉はやはり不思議だ、使い方一つで平凡な言葉も魔法に変わる。 しかも、やっぱりテル氏、いい声だねぇ・・・。
あぁ、なんとなく今日読んでた小説にぴったりな曲のような気がしてきた。 順正にここまでの包容力があるとは思えないけれど、 守ってあげたいと気張っていながら、包み込んで欲しいと願っているところが。
♪―あなたの幸せ願わない日はない―
�蟻圓舛紡圓舛紡圓舛紡圓辰�GLAYの新アルバム、本日無事ゲット★ 本当は明日発売になっているが、そこまで待つ義理もないだろう。 詳しい感想はまた明日からこの日記に少しずつ書いていこう。 初めて聴いた時の感想をいつか懐かしく思い出せるように・・・
�教△蠅療甜屬涼罎如�高校時代の友人に逢った。 彼女は私の名前を覚えていた。私は・・・あぁぁぁ。 顔は覚えている、1年の時同じクラスだったのも。 でも、名前が出てこない。。。私、何て呼んでたっけ? 必死で考えながらも、頭の中には浅野さんのCMがぐるぐるしていた。
⇒それにしても、私自身は街中で古い知り合いを見かけても声をかけないので、 向こうから声をかけられると、ちょっとドキドキしてしまう。 普通はかけるものなのだろうか? 私が冷たいのか?
�掘屬気茲覆蕁⊂�津先生」を観て、泣きに泣く。 つらい、つらい、つらい、つらい・・・ でも、絶対直面する問題、現実の現場ではどうしているのだろう。 今、東京で小学校の先生をしている友人から聞いたつらい話を思い出し、 また少しだけ泣いた。泣いたって何の解決にもならないのに。
| 2001年11月26日(月) |
日記どころじゃないっ!? |
明日発表〜〜、できな〜〜〜い。 もう中世日本語のサ行子音が摩擦音じゃなくて破擦音だったなんて知るか!! 私は現代人だっつうの!!
本日の「Antique」挿入歌: ・ためいきの日曜日 (「Everything」) ・Dive(「深海」) ・Everything is made from a dream(「Q」) ・友とコーヒーと嘘と胃袋(「Q」) ・ゆりかごのある丘から (「深海」) ・思春期の夏 〜君との恋が今も牧場に〜(「Kind of Love」) ・幸せのカテゴリー(「BOLERO」) ・タイムマシーンに乗って(「BOLERO」) ・ラララ(「DISCOVERY」) ・CHILDREN'S WORLD(「Everything」) ・雨のち晴れ(remix)(「Atomic Heart」) ・Distance(「Kind of Love」) ・安らげる場所(「Q」) ・ALIVE(「BOLERO」) ・君が好き ・臨時ニュース(「深海」) ・マシンガンをぶっ放せ(「深海」)
| 2001年11月25日(日) |
第32回 定期演奏会 |
14:00、地元の市民吹奏楽団の定期演奏会に行ってきた。 チケットを近所のおばさんに譲ってもらったためでもあったし、 指揮棒を振るう方が・・・中学時代の部活の顧問だったからでもある。
〜プログラム〜 1st ・ミラージュ・ア・パリ ・あの日聞いた歌 ・アルメニアン・ダンス Part �� 2nd ・ルパン三世のテーマ ・トリステーザ ・ジョン ウィリアムス ・キッチン・コンチェルト ・聖者の行進 3rd ・シバの女王ベルキス 1.ソロモンの夢 2.戦いの躍り 3.夜明けのベルキスの躍り 4.狂宴の躍り
吹奏楽の経験がある人間ならば知っているはずの曲ばかりが並ぶ。 その中でも特に「シバの女王ベルキス」・・・忘れられない一曲。 高校3年最後の定演で、私はこの曲でティンパニを任された。 あの時のステージが、正真正銘、私の吹奏楽人生最後のステージになった。 すごく派手な曲なのに、耳にすると感傷的になるのはそのためだ。
さて、記憶はもう少し遡って、中学生時代に行き着く。 指揮台の上の先生が少しも変わらない独特の指揮をしているから嬉しくなる。 実際に教わったのは中学1年の時たった1年間だけだったけれど、 「和とやる気」、先生に教わったこの言葉を私は今でも忘れていない。 中学の3年間をこの先生の下で過ごしたかった・・・何度も思ったものだ。
あの頃は生活の全てが部活中心だったから、どれだけ練習がきつくても、 きっと高校でも、その先に進んでもずっと吹奏楽を続けていると思い込んでいた。 でも、現実は高校3年間で吹奏楽人生に終止符を打った。 そのこと自体を後悔する気持は全くないけれど、 もうあのステージに立って観客席を見ることは二度とないのだと思うと、 スポットライトで輝いているステージを見るのが少しだけつらかった。
| 2001年11月24日(土) |
『ハリー・ポッターと賢者の石』 |
大学へ行かずにレジュメを作ること延々、しかしついついネットの世界へ横道。 普通、演習に当たってのレジュメって何日ぐらいで作るものなのだろう。 私はB4で4枚程度であっても、少なくとも2週間以上はかかってしまう。 もっと集中力があれば、半分ぐらいの時間で出来るのかもしれないけれど。
本日の一作: ・『ハリー・ポッターと賢者の石』(J.K.ローリング作&松岡佑子訳/静山社)
日本にハリーポッターが上陸した当初は、 まさかこんな事態になろうとは思ってもみなかった。 だから、友人がどれだけ「面白い」と言っても「ふぅん」と聞き流していた。 今から思えば、バカバカしい意地っ張りと苦笑せざるを得ない。
そんな私もさすがに傍観もしておられず、遂に手に取る日がやってきた。 初見して、まずは「字、大きいなぁ」と一言呟く。 普段は文庫作品ばかり読んでいるから、なおのことギャップに驚いたのだ。 それから黙々と読みふけること2時間半、無事読了した。 う〜〜ん、面白い、面白いではないかっ!! 世の中の子供から大人までが大興奮するのも無理がない。 私だってこんなにドキドキしながら本を読んだのは久々なのだから。 だいたい、魔法使いなんて・・・なんて思いながらやっぱり憧れるのだ。 意味不明な呪文、空飛ぶ帚、黒いマントに魔法の杖。 特にDQやFFにはまっていた頃は魔法使いがお気に入りだった私は、 この世界観にうっとりしてしまった。 何せ、魔法世界とは別にきとんと普通人(マグル)の世界があるところも、 親切じゃないか・・・もしかしたら本当はって心の隅で期待できるから。
ここまでくると、かなり映画のほうにも興味が湧いてきた。 予告シーンを見る限りでは、確かに作品に忠実な魔法に見えるもの。 予告で観た猫が人間に変わるシーン、壁が左右に開いていくシーン。 小説に表現してあるとおりだったではないか、うんうん。 12月、暇があったらこっそり出かけてこようかなと思い始めているのであった。
| 2001年11月23日(金) |
「冷静と情熱のあいだ」 |
三連休初日、思い立って「冷静と情熱のあいだ」を観に行く。 原作に思い入れのある映画は観ないほうが吉と知っていながら、 目覚ましテレビで軽部さんがあんなにもプッシュするから・・・
しかし、実際映画が始まると、原作を全く覚えていない自分にやや戸惑う。 おかげでかなり観易くなったが、やはり寄る年波には勝てないのか。。。 さて、映画自体の感想は・・・これはかなり好き嫌いが分かれると予想するが、 「私」はといえば、スクリーンで観て良かったなぁと素直に思う。 そもそもフィレンツェ、ミラノが舞台ならば映像が悪いはずもなく、 ENYAの曲を使っておいて音楽で失敗するはずもなし。 あとはもう好みだろう。 少なくとも、恋愛モノが苦手な人は観ないほうがいい。
あぁ、でも竹之内豊の御声はかなりすごかったな。 抑えた低音、あんなに艶っぽい声の持主だとは知らなかった。 さらに、あまり大きな声で言いたくないが、彼の演技でちょっと泣かされた。 病院の待合で、父親の一言に激怒して、人目も憚らずに殴りかかるシーン。 絶対に汚されたくない聖域を他人の手で無慙にも荒らされていたのに、 それに気づけなかった過去の自分を知ってしまった現在の彼が不憫で、 文章ではもっと淡々としていた情景が、映像になるとずっと荒々しくて、 気が付いたら、ツツーッと涙がこぼれていた。完全に映像の力だな。 でも、今から思うと別に泣くシーンじゃなかったんだよねぇ・・・ もちろん周囲の人は誰も泣いておらず、涙を拭くのに少し勇気が要った。
とりあえず映画も観てしまったので、もう一度原作を読み直そうと思う。 BGMは勿論ENYAで。。。
| 2001年11月22日(木) |
『女客』/『高野聖』 |
今日通帳記入をしてみたところ、T.A.の給与が振り込まれていることに気づく。 喜び勇んで院生室のメンバーにもその旨を報告。 各々の用途について話し合った所、私以外は皆「洋服」と答えたので驚く。 そっかぁ、それが普通の女子大生なのね。ちなみに私の答えは「DVDプレイヤー」。
本日の一作: ・『女客』(泉鏡花/新潮文庫『歌行燈・高野聖』)
第4回近代文学ゼミ、今日のお題は鏡花の『女客』である。 登場人物は下宿屋を営む主人・謹と今は蒔絵師の女房である縁続きのお民。 一階に泊っているお民が葉書を届けに謹の部屋を訪れる場面から始まり、 2人は閉ざされた一室の中でお互いの心情を少しずつ露わにしていく。 本当に苦しい時、死にたい時にはお互いを心の支えとしていたことが分かった2人は、 一瞬のうちに秘めた想いを燃え上がらせ、恐る恐る寄り添うが、 急に階下で泣き出したお民の子供が2人の仲を引き留めるのである。
相手の出方を図るような、やや駆け引きめいた会話の連なり。 夫も子供もある身でありながら、別の男にも情をかけようとするお民の行動は、 きっと当時の女性像としてはかなり鮮烈な印象を残したのではなかろうか。 しかし、そんなお民もやはり様々な束縛には勝てず、元の形に収まっていく。 2人の仲は途絶えることはないが、もうあの瞬間が訪れることはないだろう。
お民のモデルは鏡花のイトコにあたるお照であるという。 鏡花が両親を亡くし、生活苦に喘いで何度も死のうと思うたびに引き留めた女性。 その後、作家として大成しても、鏡花の心に彼女の小部屋があったのだろうか。
ゼミとは関係なく、『高野聖』も読んでみた。 文学史の授業であれば、鏡花はこれさえ覚えておけば大丈夫と教えるであろう。 妖怪小説の名手が描いた現実と非現実の境界線は不気味なほどにリアルであって、 話自体は単純なのに、格調高く、調子もいい。さすが代表作と感心至極。
| 2001年11月21日(水) |
YAMAZAKI MASAYOSHI TOUR 2001-2002 -Transit Time- |
「山崎まさよしのライブに行かない?」 友人が私の携帯にメルをくれたのは、夏本番を迎える直前だったと思う。 「チケットが取れるなら行くよ」 一応そう返事をしたものの、実はチケットが取れるとはこれっぽっちも思ってなかった。 だから、友人が「取れた」と言ってきた時は、しばらく信じられなかった(笑)
それから、季節は移っていよいよ当日。 会場は友人の地元でもある隣県、ちょっとした遠征気分である。 とりあえず名物の蕎麦で腹ごしらえをした後、会場へと移動した。 場内はすでに人で埋め尽くされているが、想像以上に年齢層が高い。 高校生らしき女の子も見えるが、ほぼ同年代の男女と推測される。 さて、まさやんは予定よりも10分程度遅れて、ステージに登場した。。。
会場が狭いこともあって、きちんとまさやんを捉えることができる。 部分的にストライプが入ったシャツとジーンズ、そしてギター。 テレビの中で観たままの格好をし、CDで耳にした声のままで歌い出す。 曲はAL「ドミノ」を中心に、「セロリ」や「僕はここにいる」、「Passage」など ヒット曲もふんだんに織り込まれているので、豪華版である。 嗚呼、それにつけても、やっぱりまさやんはバラードを聴かせるね。 アップテンポの曲では観客をノセて、一気に場内が盛り上がるけど、 バラードになった途端にさーっと熱が冷めていくのが分かる。 「僕はここにいる」は本当に感動した。 私はきっと二度とこの歌をカラオケでは歌わないだろうな(苦笑)
そして、アンコールがまた楽しかった!! ドラムがシスター、まさやんとベースが神父の格好をして再登場。 ゴスペラーズならぬ「ミスペラーズ」を結成し、見事なハーモニーを響かせる。 ハウスシチューのCM曲はほのぼのとしたカンジがさらに増してグッド♪ 大トリは「アドレナリン」の大合唱。 なかなか終わらない演奏がこれが本当に最後だと言っているようで、 すごく楽しいのだけれど、やっぱりちょっとだけ切なかった。 ライブ自体は丸々3時間、こんなに長いライブは久々だったので大満足である。
しかし、駅に戻ってみると特急しかない。 普通電車を待っていると家に辿り着く頃には日付が変わってしまうので、 しぶしぶ乗車券+特急券を買い(倍近くになる)、無事23時過ぎに帰宅。 明日から、また頑張るぞ〜っと。
遂に来週に迫った日本語学演習のレジュメができないっ。 というか、担当することになった論文に書いてある内容が分からない!! 非常に切羽詰った私は、ややびびりながら助教授の部屋を訪れることにした。 (本当に理解できないので、質問をまとめることさえ上手くいかないのだ)。 「これはこれは珍しいお客さんじゃないですか(軽い嫌味)」 先生はあまりにも珍しい訪問者にわざわざ珈琲まで出してくれたのであるが、 13時半入室、16時40分退室・・・3時間以上語学の話を聞くのはつらかった。 しかも、最終的な謎はやはり解けていないので、ますますつらい・・・
まぁ、それは置いといて。
火曜日といえば「さよなら、小津先生」。 そろそろ中盤、クライマックスへ向かおうとしているのが分かる頃なので、 話自体も面白くなってきているのであるが、お目当ては実はもうひとつある。 それがドラマで井本浩二役を演じている森山未來氏、最近の私の注目人である。 知っている人はおそらく知っているのだろう。 宮本亜門演出の『BOYS TIME』をはじめ、数々の舞台に出演してきた舞台人。 テレビでは10月初に『チーム』のスペシャルの中に出演していたらしい。 連続ドラマに出演するのは、どうも今回が初めてらしい。 なるほど、観たことないわけだ・・・と納得してしまった経歴である。
失礼な話、万人受けする美形ではないと思う(たとえばジャニーズのような)。 でも、居れば絶対目が行ってしまうのは、大きな才能の一つだろう。 何せ、田村正和と向き合って全然見劣りしなかったもんなぁ。 はじめからピンときていたが、最近はますますイイ味を出してきているので、 絶対これから来る、と私は確信しているのであるがどうだろうか?
しし座流星群、見逃した・・・1時までは頑張ったのに。 今日、院生室で「2時には見れたよ」と言われた時のショックは、 想像以上に大きかった。だって、あと1時間の差だったなんて(涙)
本日の一作: ・『散りしかたみに』(近藤史恵/角川書店)
以前読了済みの『ねむりねずみ』の続編。 ちょっと反則技じゃないのか、と種明かしの時点では思ってしまったが、 最後まで読まないと本当に分からない点はすごいと思った。 元々それほど長い話ではないが、おそらく飽きは来ないだろう。 むしろ早く結末を知りたくて必死で読むのではないか。 それぐらい、言うならば・・・嫌な書き方なのだ(苦笑) 物語のかなり前半のほうで奥歯に物がひっかかった風になり、 それをずっと引き摺ったままで物語がどんどん展開していく・・・ そして、ラスト。 これがまた、何とも言えないぐらいの後味の悪さなのだ。 主人公・瀬川小菊が結末に近付くにつれて、どんどん不安を覚えるように、 知りたいのだけれど知ってはいけないような、でも後戻りもできないもどかしさ。 うーん、巧いなぁと唸ってしまった一作である。
しかし、このシリーズを読むと、歌舞伎が見たくて仕方がなくなるので困るな。
本日の「Antique」挿入歌: ・Cross Road(「versus」) ・ゆりかごのある丘から(「深海」) ・逃亡者(「Versus」) ・雨のち晴れ(remix)(「【es】〜Theme of es〜」c/w) ・君が好き ・友とコーヒーと嘘と胃袋(「Q」) ・花(「優しい歌」c/w) ・Tomorrow never knows(「深海」) ・安らげる場所(「Q」) ・シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜(「BOLERO」) ・シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜(instrumental version) ・Drawing(「Youthful Days」c/w) ・I'll be(「DISCOVERY」) ・手紙(「深海」) ・終わりなき旅(「DISCOVERY」) ・Image(「DISCOVERY」) ・優しい歌
昨日のぐうたら気分を帳消しにするかのような6時起床。 今日はK大模試の試験監督バイトの日である。 今まで模試の採点バイトは3回ほど経験があったのであるが、 試験監督は初めて・・・「スーツ着用」、この時点でかなり凹む。
メンバーは正式講師1名と学生講師3名+臨時バイトの私。 どうして男ばっかりの中に女一人でいるのだろう・・・ こういう状況だと微妙に手加減されるので、はっきり言って居心地が悪い。 「それぐらいの荷物、ウチだって持てるっつうの!」 何度そう言ってやりたかったか知れないぐらいである・・・ははは。 (こういうことを言うから、親からは可愛げがないと叱られるのね/苦笑)
さて、試験監督の実際のお仕事。 噂には聞いていたが、かなり暇・・・本当に暇。 答案を配って開始の合図をしてしまえば、後は椅子に座っているしかない。 下手に室内をウロウロすると気が散るだろうから、下手に動けないし。 120分、本当に何もせずに座っていることがどれだけつらいか身に染みた。 最後の試験が終わった時は生徒よりも私のほうが脱力していたのだろう。
さて、K大模試とはすなわち私が現在通っている大学受験者対象の模試である。 よって、第一・二志望大学はとりあえずK大に決まっている。 私が担当した部屋はどうも理系寄りの文系クラスだったのであるが、 どうせなら純粋文系クラスの試験監督をしてみたかったなぁ。 それだったら、未来の研究室の後輩が見れたかもしれないのに。 とにもかくにも、受験生の皆様には頑張っていただきたいものです。
【追記】 お昼の控え室、午前中に終了した国語の問題を眺めながら・・・ 学生講師が呟いた、「俺、‘しょうしんしょうめい’って書けませんよ」 正式講師が頷いた、「俺も分からん。でも数学講師だから別にいいだろ」 私は心中苦笑した、「・・・よくはないだろ?」
数学講師だから、古文や漢文が読めないというのなら話は分かる。 でも、漢字を書けないことをそこにこじつけるのは恥かしいと私は思う。 答えはコレ⇒正真正銘。
日常6時15分に起床する習慣にちょっと反抗を試みる。 11時44分までゴロゴロベッドの中に収まっていたのでさすがに身体はだるいが、 気分は晴れやか・・・でも、こういうものはたまにだからありがたみがあるのね。
本日の一作: ・『野菜スープ』(吉本ばなな/新潮社『吉本ばなな自選選集3 Death』)
ばなな作品で切っても切れないキーワードが「Death」。 それに真っ向から向かって行った短篇を読むのが起きてすぐの作業になった。 物語はマンションで一人暮らしをしている美しい未亡人が、 友人である「私」に特製の野菜スープを振舞うシーンから始まる。 一見すれば心温まるシーンだからこそ、少しだけ淋しい。 最愛のご主人を亡くし、狂気寸前で現実に戻ってきた彼女の現在の生活は、 部屋に一切時計を置かない代わりに、当人だけの時間軸を持って作られる。 そんな彼女の傍にいる「私」は彼女の寝室で、死について考え、 彼女の中で欠けてしまったものを思って、切なくなる。 そして祈る、彼女の一人だけの世界に早く光が差し込むように・・・
あとがき「慣れない」では筆者自身の短篇に対する言葉がある。
書き下ろしの「野菜スープ」という短編はほぼノンフィクションですが、 実話というほど全部が実話ではなく、我ながら、うまく書けたと思います。 長年、死について書き続けてきて、ちっぽけだけど、 ある到達点を見ることができたような気がしました。
なるほど・・・生意気を言わせてもらうならば実は、 今までのばなな作品に比べて今作品は本当にリアルだと思ったのだ。 死というものと生きている人間の関わりがずっとリアルだと。 嗚呼、実話だったのだ、しかも筆者が巧くアレンジを施した実話。 そう分かった時、私はますますばなな作品を愛しいと思った。
現在、メディアでもよく見かけるようになった狂言師であるが、 一口に狂言と言っても、実は和泉・野村・茂山などでそれぞれ流派が異なる。 同様に、15世紀に入って世阿弥が大成した能にも、五つの流派がある。 「観世・金剛・金春・宝生」、そして江戸に入って生まれた「喜多」である。 そのうちの観世・金春・宝生流の家元が同じ時同じ場所に集い、舞を舞う・・・ それが本日県立音楽堂で行われた「三大流派競演能」である。
昼夜二部制で各10000円など、到底学生が手を出せるような値段ではない。 完全に諦めモードでいたら、突然チケットが空から降ってきた。 近世文学のK越教授が夜の部のチケットを2枚無料で回してくれたのである。 真面目に学習していれば、たまにはイイこともあるものだなぁ。 講義が全て終了すると、私は喜び勇んでバスに乗って会場に赴いた。
まずは、舞囃子。 「草紙洗小町」の一場面を面も衣裳もつけずに紋付袴のままで舞うのは、 金春流の若宗家、金春安明氏である。 宗家は想像以上に若々しく、静かな動きで壇上を滑るように歩く。 張りのある声は、鬘物であるためか、やや柔和な印象を受けた。
次は狂言「呼声」 仕事をさぼって家にいる太郎冠者のもとへ主人がわざわざ呼びに出掛ける。 しかし、太郎冠者は主人の呼びかけに居留守を使って、誤魔化そうとする。 居留守に気付いている主人は何とか太郎患者を呼びだそうと考えた。 まず、主人が謡風に呼びかけると太郎冠者も謡風に返事をし、 次に小唄風に呼びかけると小唄風に返事をし、最後に踊り節で呼びかけると・・・ 太郎冠者も思わず踊りながら奥から姿を見せてしまうのである。 狂言の面白さはまるで「ドリフ」だ。 来る、来ると分かっていてもやはり笑ってしまう安心がそこにはある。
最後に能「小鍛冶」 見所は実は稲荷明神の霊狐であったシテが、勅命で剣を献上することに決まった 三条小鍛冶宗近(ワキ)とともに金槌を振るい、名剣・小狐丸を完成させる場面。 人間が狐に化けなければいけないのだから、面・衣裳にも工夫がある。 さらには頭の上に狐の形に切り抜いた板をつけているのだから、ちょっと可愛い。 (たとえばコレが植物の精であったりすると、花の簪などを付けるのであるが)。 シテを務めるのは我等が宝生流宗家宝生英照、堂々とした立ち振る舞いである。 舞台に立って迫力が違う、一言一舞にオーラがある。 コレがプロなのかと改めて実感、目から鱗な気分になった。
しかし、その後友人と2人でパスタに舌鼓を打ちながら、ついポツリ。 「どうせなら観世が観たかった・・・」 昼の部で「羽衣」を演じた観世流宗家観世清和、実は密かにファンなのだった。 講義さえなければ行けたのになぁ・・・なんて、それもまた我が人生なり。
日本語学演習のレジュメを作るために論文を読む・・・分からん。 どうして日本語学の勉強しようと思ってるのに、 ポルトガル語の知識がこんなに必要なんだ〜〜!? ということで、ポルトガル人留学生に教えてもらう。 異国語を学ぶ留学生の気持がちょっとだけ分かった。
本日の一作: ・『簫々館日録』(久世光彦/中央公論新社)
今年度泉鏡花文学賞受賞作。 泉鏡花文学賞は地元で最も権威ある文学賞であり、 受賞作も「おっ、これは」と思わせるものを選んでくるから面白い。 たとえば、第16回受賞作は吉本ばななの『キッチン』なのだからやるじゃないか。 3年ほど前の受賞作が京極夏彦の『嗤う伊右衛門』だった時も興奮した。
そして、今年はコレである。 主人公は作家・児島簫々を父に持つ5歳の少女・麗子。 父親の趣味で岸田劉生の「麗子像」そっくりの格好をしている。 そんな彼女の家には父親の友人である美学教授や作家仲間、 精神科の医者や編集者など多彩な顔ぶれが毎日のようにやって来る。 麗子は世間的には一癖も二癖もある大人達を観察しながら成長するのだ。 その構図はさながら夏目先生の『吾輩は猫である』を思わせる。 苦沙弥先生は児島簫々、迷亭は迷々だろうし、猫は勿論麗子である。 (久世氏は『猫』信奉者なので間違いないとふんでいる)。
さて、何が面白いって作品中に溢れている作家陣の名前である。 友人の中に含まれる九鬼は芥川龍之介、蒲池寛は菊池寛とぼかしているが、 明治から大正にかけて活躍していく作家の名前が惜しげもなく出てくる。 児島簫々自身は創作であろうが、本当に当時の文壇状況を再現しているようだ。 そして、作家の日常や・・・苦悩が多く、かつ誇り高い、作家の生態をも。
現在の作家陣がどれほど群れても、何とも思わないくせに、 過去の作家陣の交流模様を知ると、何故こんなにもときめくのだろう。 願わくば、ひとめでもその光景を見てみたかった・・・なんてね。
今日・明日はずいぶん冷え込むと聞いてはいたものの・・・ 院生室でまったりしてところに慌しく駆け込んできたN尾女史。 こっちが心配するほどガタガタ震えだすのはやめてください。 大学4年間を関西で過ごしている間に、北陸の気温を忘れたのかっ!?
本日の一作: ・『A 2 Z』(山田詠美/講談社)
発売当初からずっと気になっていた山田詠美の新作をやっと読了。 いつにも増してキレがあり、躍動感溢れる文章は天晴れなぐらいである。 最初から最後まで少しもスピードを落とさずに物語を展開する秘訣は何? 世間に名を轟かす作家陣の中でも群を抜いているとしか言いようがない。
主人公は敏腕編集者、既婚、でも一回り近く歳下のボーイフレンドがいる女性。 口は悪いが下品ではなく、むしろゾクッとするぐらいチャーミングだ。 彼女はもう夫婦間では得られない何かを求めて、恋人との関係に夢中になる。 その一方で・・・ 永遠などないことを知り、恋以上に失えない大切なものの存在も知っている。 それは同じように歳下の彼女との恋愛を大事にしている旦那にも共通する思考。 だから、2人は決して離婚しようとは思わない。 結局、「愛すべき敵にもなれる人」なのは、お互いにとってお互いだけなのだ。 人間同士の付き合いは複雑そうに見えて、種を明かせば単純にも見える。
さて、詠美作品の特徴は彼女独特のセンスで選び抜かれた語彙と真理。
すべての男と女の物語は、いて欲しい時に、いてくれない、 そのことから始まるように、私には思える。 いて欲しい時に側にいてやれる。 いて欲しい時に側にいてくれる。 そんなシンプルなことが、何故、かなわない夢に終わってしまうのだろう。
言われてみればそうなのかもしれない。 いるべき時に側にいることができなかった瞬間、歯車が狂うのかもしれない。 単純だからこそ、忘れがちな・・・でも大切なこと。
| 2001年11月13日(火) |
グッドマナーキャンペーン |
昨日から、中高生に交通ルールやマナーの改善を求めるために、 県教委、教員、PTA等が駅やバス停付近を見回る運動を開始したらしい。 かく言う私は昨日・今日と休講続きのために家にいたので知らないが。
今までもマナーの悪さについては新聞やテレビなどで見聞きはしていたが、 自分が電車・バス通学の身になってみて、改めて驚かされたことがたくさんある。 この前など、座席が空いているにも関わらず床に座り込んだ男子生徒を見かけた。 ここまで来ると訳が分からない・・・周囲の視線が一気に彼に集中する中、 さすがに友人のほうが恥かしくなったのか、彼を隣の空席に促していた。 おとなしく座席に移った彼を見て、ちょっとだけほっとした。
でも、そもそもマナーが悪いのは別に中高生だけではないのでは? ボックス席で前の座席に足を乗せているのは女子生徒だけじゃない。 ベンチ席で足を広げて座っているのは男子生徒だけじゃない。 「最近の若者は・・・」なんて声高に叫んでいる年層の方々にだって、 結構むちゃくちゃやっている人はいるものである。 道路に出たって、それは同じこと。 傘差し・無灯火、横並び、自転車マナーに関しての不満は尽きることはない。 でも、信号無視して悠々自適に横断しているのははたして若者だけなのか? 自動車側だって、それほど紳士的な運転をしているとは思えない昨今なのに。
今回のキャンペーンで、マナーを知るべき対象は中高生だけではない。 もう誰からも注意されることがなくなった私達「大人」こそが、 今までの自分の行いを振り返らねばならない良い機会なのかもしれない。
| 2001年11月12日(月) |
暇というか何というか |
決して暇なわけではない。 やらねばならないことは山積みだ。 なのに、家にいると全然はかどらないのはどうしてだ?
結局、家にいて溜まっていたビデオを観るだけの一日。 ・宇多田ヒカルのアンプラグド・ライブの特集(フジ系) ・ゴスペラーズの特番(NHK) 宇多田ヒカルはやっぱりチャーミングだ。 アンプラグド・ライブのDVDが欲しいと真剣に思ってしまった一瞬。
本日の「Antique」挿入歌: ・DISCOVERY(「DISCOVERY」) ・Simple(「DISCOVERY」) ・ゆりかごのある丘から(「深海」) ・Love(「versus」) ・光の射す方へ(「DISCOVERY」) ・車の中でかくれてキスをしよう (「Kind of Love」) ・雨のち晴れ(remix)(「Atomic Heart」) ・友とコーヒーと嘘と胃袋 (「Q」) ・マーマレード・キッス(「versus」) ・花 ―Memento-Mori―(「深海」) ・マシンガンをぶっ放せ(「深海」) ・ニシエヒガシエ EAST Remix(「ニシエヒガシエ」C/W) ・シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜(「BOLERO」) ・グッバイ・マイ・グルーミーデイズ(「Kind of Love」) ・Everything(It's you)(「BOLERO」) ・安らげる場所(「Q」) ・Over(「Atomic Heart」)
父親に頼まれてレンタルしてきたCDをテープに落とす。 タイトルは「さだまさしベスト」 カウンターに出す時、別に恥かしいわけではないのだけれど、 さすがに堂々とコレを一番上に乗せて出すことはできなかった・・・
父親のイチ押しは「道化師のソネット」であったが、 (その昔、コカ・コーラのCMソングだったらしいが記憶にない) 私のイチ押しはやはり「関白宣言」、結婚式で旦那に歌って欲しい曲ベスト3。 この歌詞の横に添えられた松林宗恵氏の文章が面白かったので抜粋。
全国津々浦々に「関白宣言」が爆発的に流行ったとき、 この歌は女性を蔑視していてケシカラン風の投書が朝日新聞に載った。 八王子の一主婦からだった。それから何日かして 「この歌の良さが分からないなんて、あんたの御主人は気の毒な人ね(千葉県女子高生)」、 痛快な反論に私はこおどりして拍手した。
コレはすごい、物事のワビサビを知る若者に乾杯である。 確かに言っている内容には非常に理不尽なところも多々見られるのであるが、 特に3番目の歌詞はそれらを覆ってなお余りある愛情に溢れている。
♪子供が育って年をとったら 俺より先に死んではいけない 例えばわずか一日でもいい 俺より早く逝ってはいけない 何もいらない 俺の手を握り 涙のしずく ふたつ以上こぼせ お前のお蔭で いい人生だったと 俺が言うから 必ず言うから
旦那の人生最大の我が儘がこれだとしたら、ホント泣けてくるじゃないか。 置いていかれる身になるのはかなり淋しいのかもしれないけれど。 倉本聰氏が「さだまさしという歌手は、・・・「歌詞の人」」とのたまっていたが、 さだ氏に限らず、昔の歌は歌詞が本当によくできているので私は好きだ。
| 2001年11月10日(土) |
『月の砂漠をさばさばと』 |
本日の一作: ・『月の砂漠をさばさばと』(北村薫・文&おーなり由子・絵/新潮社)
珍しく母親と2人で出かける。 自他ともに認めるファザコン娘の私にしては珍しいことである。 母親が運転する車の中で、この本を読んでいた。
子供のための絵本と呼ぶには少々高度なのかもしれない。 なんと言っても、北村薫氏は言葉に関しては二重のプロなのだから。 一つは作家、もう一つは国語教師。 初めて『スキップ』を読んだ時、真剣に彼の授業を受けたいと思った。 生徒としてではなく、同じく国語教師を目指す者として。 彼の言葉に対する過剰なまでの反応を私は尊敬する。 言葉は話せればいいというものではない。 当人の人格を形成する発言は、裏打ちされる知識を伴ってこそ価値がある。
この本の中には、お母さんとさきちゃんの仲良しコンビが登場する。 作家のお母さんの創り出す物語を聞かされて育ったさきちゃんは、 ちょっとした契機でも空想の世界へふわふわと泳いでいく。 もちろん、子供だからってことも関係するのだろうけれど、
「月のー砂漠を さーばさばと さーばのーみそ煮が ゆーきました」
お母さんの歌うなんだかふざけた歌詞(しかも音痴)を耳にして、
「広ーい広い砂漠を、さばのみそ煮がとことこ行くのって、 とっても、かわいいじゃない」
なんて、気の利いた答えをポンと出してしまうさきちゃんはただ者ではない。 そこで、時にはお母さんのほうがさきちゃんの言動から学ぶこともあったりして、 まさに理想の母子関係・・・こういう関係を築けた親子は幸せである。 私はといえば、両親が共働きであったため、もっぱら祖母がこの役を務めていた。 たくさんの話を聞いたはずなのに、もう半分ほどしか覚えていないけれど、 祖母との時間がすごーく楽しかったことはしっかりと覚えている。 そう・・・私は幸せな子供だったのだ、ある意味では。
| 2001年11月09日(金) |
お誕生日会をするということ |
M1のM木女史と先月からモンゴルからやってきた研究生の誕生日が近いので、 間を取って、本日1時より、院生主催のお誕生日会を開催した。 とはいえ、4コマ目には講義が入っているので会場は院生室。 とりあえず、机の上のごたごたした荷物をさっぱり片付けて、 並べられたのは台湾留学生お手製のチンジャオロース&餃子&おにぎりである。 これが非常においしい。 餃子の中身は白菜ではなくチンゲン菜が使用され、 チンジャオロースは中国の調味料を使用しない醤油ベースのあっさり味。 1時までお預け状態であった私達は、もはや祝い事であることを失念したまま、 食べる、食べる、また食べる・・・ふぅ、満足。 仕上げに、同期で用意した不二家のモンブラン・ホールケーキを食し、 いつもよりはちょっと豪勢なお誕生日会は無事幕を閉じたのであった。
この年でお誕生日会なんて本当はちょっと照れくさい。。。 それでも、企画した時点で欠けることなくノッてきてくれる今の仲間は、 勉強する時も手を抜かないが、遊ぶ時も徹底的。 ホントいいメンバーに恵まれたなぁと感激至極の毎日である。
そんな院生室内での次の目標は冬の風物詩「鍋」★ そこで何鍋をしようかと話していたところ、N尾女史が叫んだ。 「ちゃんちゃんこ!!」 ・・・・・・食べられるものなら食べてみろ(笑)
講義中、「仮名手本忠臣蔵」の中に「笑壷の入る」という表現を発見。 今でも笑いが止まらなくなることを「ツボに入った」と言うが、 この頃から使われていたのか・・・といたく感心してしまった昼下り。
本日の一作: ・『鞄の中身』(吉行淳之介/講談社『吉行淳之介全集』第10巻)
第3回近代文学ゼミは私の番。 題材は第三の新人の一人、吉行淳之介『鞄の中身』を選択した。 吉行といえば、高校3年生の時、滅多に他人を褒めない変わり者の国語教師が、 唯一はっきり褒めていた作者であったことは今でも記憶に明らかである。 私自身も大学に入って何作か読んでいるが、やはりコレが一番面白い。 【梗概】 夢の中、刺殺された自分の死体をもう一人の自分「私」が鞄に詰めて逃走する。 最初のほうは無我夢中で逃げるのであるが、だんだん鞄の中身に疑いを抱き、 さらには逃げている自分でさえ本当に自分なのかどうか不安になってくる。 過去の女は全くの他人と扱うし、鏡も窓もないので自分では確認できない。 ≪やはり、私はじつは私ではなくなっているのではないか≫≪顔が見たい≫ 「私」の混乱がピークに達した時、急に目が覚め、新しい一日がまた始まる・・・
他人の前で自分の意見をまとめて発表することは本当に難しい。 今回も準備したレジュメを駆使して、何とか言い切ったのであるが、 個人的見解としては、今作品の根底に流れるのは作者の皮肉ではないかと考える。 他人の同意や鏡などの手段がなければ、アイデンティティが急速に揺らぎ、 自分を自分として認識できなくなってしまう人間の内面の弱さへの皮肉。 さらに、その夢がいったん終わったとしても、現実の生活が繰り返されれば、 それを反映している夢も続いていくことに気付かないことへの嘲笑。 つまり、吉行は読者から一歩高みの立場に立って人間の弱さを皮肉っている、 と同時に、自分こそがその弱い人間の代表であるという自嘲をも込めている。
ここまでを私は考えてきたのだけれど、 今日の話し合いで2人の意見を聞き、さらに見方が変わってきた。 いつもはお馬鹿な話ばかりして盛り上がっている院生室の愉快な仲間達を 思わずリスペクトしてしまうのはこういう時・・・ホント皆すごいや。
本日の一作: ・『ガラスの麒麟』(加納朋子/講談社)
短篇が少しずつリンクして最終的には大きな流れを作る・・・ 加納女史お得意の作品の作り方がここにも反映されているようだ。 しかし、今作品は舞台が学校ということもあり、またも心の琴線に響く。 特に面白かったのが「三月の兎」という短篇であった。
「三月の兎」の中の中心人物は小幡先生という英語教師。 女子高で英語を担当している彼女の口癖が非常に面白いのだ。
「――何度も言うようだけどね、あの子たちは絶対に宇宙人よ。 エイリアンだわ。地球を侵略に来たの。全然理解できないし、 できるとも思えないし。正直言って、なんだか嫌になっちゃうわ。 教師になって、いいことなんかほとんどなかったわ。」
この台詞をもっと軽い程度にすれば、私だってよく言っている。 電車に乗っている男子学生や街を闊歩している女子高生、 卒業してからもう5年も経ってしまえば、様子だってガラリと変わるものだ。 「私達の時ってああだっけ?」 卒業生の常套文句の一つである。 だから、今の私は小幡先生サイドの人間だっていうことになる。 ということは・・・ もしも、この小説をまさに高校生だった頃の私が読んだらどう思うのだろう? 私でなくても今の高校生達が読んだらどう思うのだろう? どうせならもっと早い時期に読んでおけばよかった、後悔しても詮無いことだが。
もう一つ、最後の小幡先生の言葉にジンとくる。 1年でたまーに訪れる嬉しい瞬間のために残りの時間を頑張れる・・・ 教師の真理だなぁと思う。 楽しいことばかりある職業であるはずがない。 それでも、あらゆるつらいことを帳消しにしてしまえるぐらいの瞬間とは、 いったいどういうものなのだろう・・・早く味わってみたいものである。
| 2001年11月06日(火) |
「クリクリのいた夏」 |
大学に行こうと家を出た瞬間、携帯が震え出した。 何だか嫌な予感を残したまま通話ボタンを押すと、珍しく予感大当たり。 本日2コマ目が休講だという通知だった。しかも理由は助教授の風邪だとさ。 もっと早く言ってくれれば朝の8時に家を出ずに済んだのに・・・ 人生って嗚呼無情、もちろんそのまま大学行きましたがね。
本日の一本: ・「クリクリのいた夏」(1999/仏)
これまた友人お薦めの一本を観賞する。 何せ「クリクリがすっごく可愛いのよぉ」とのお墨付きであるこの作品。 舞台は1930年代のフランスの片田舎、そこでは「沼地の人々」と称される人々が、 蛙を取ったり、花を摘んだりと大自然の中でその日その日の生活を営んでいる。
≪俺達は貧しいけれどプライドがある≫
このポリシー、頭の中で理解することは非常に簡単であるのに、 いざ実践しようとするととんでもなく難しいってことに気付けるだろうか? この作品の見所は登場人物・ガリスがそれを実行していることにあると私は思う。常に「自由」を求め、「自由」に生きているガリス。 さらにガリスの友人達だって、彼に負けないぐらい「自由人」を目指す。 だからこそ、ラストに近付くにつれて、「ほぉ」と溜息が漏れるのだ。 あなたはその道を選んだのですね・・・ あなたはそうすることにしたのですね・・・ 皆があまりにも「らしい」生き方をするものだから、羨ましくなる。 それは決して望む生き方ではないけれど、「理想」の生き方には違いないから。
しかし、クリクリが・・・思ったほど目立たなくないか? 友人の批評を聞けば「クリクリが可愛い」としか言ってなかったのに。 他の方のコメントなどを見ても、どうも邦題には不満が多いらしい、納得。
なんとか木曜のゼミのレジュメを仕上げる。 不備な点は同輩にカバーしてもらうとして・・・残すは語学のレジュメのみ。
本日の一本: ・「あの子を探して」(1999/中)
周囲から観ろ、観ろと薦められていた映画にやっと手を出す。 舞台は中国僻地の農村にある小さな小学校。 代用教員としてやってきた13歳のウェイ・ミンジ少女は、 教え方も知らないままに教壇に立ち、子供達にもどう接していいのか分からない。 それでも我慢していられるのは約束された褒賞金のためである。 実はここまで観ただけでは、何故友人が私にコレを薦めるのか分からなかった。 お金は確かに大事である、キレイ事だけでは腹は満たされない。 が、ビジネスと完全に割り切ってしまったら教師は勤まらないと知っているから、 ウェイのとる行動の一つ一つが少しだけ鼻についたと言えようか?
しかし、悪ガキ、チャン・ホエクー少年が出稼ぎのために退学をしたことから、 少しずつ話の流れが変わりだ出すので、目が離せなくなる。 褒賞金のためにもチャンを退学させることは許されないウェイは、 必死で街までチャンを探しに行くのであるが、当のチャンは行方不明なのだ。 同じ街にいながら交錯するウェイとチャン、2人の素人役者を通して、 中華人民共和国の実情をリアルに描いているのは流石チャン・イーモウならでは。 終盤30分からは非常に分かり易い展開になるが、やっぱり感動したので、 薦めてもらって観ることができて本当に良かったなぁとしみじみ実感。
結局、教師だって人間だから、最初から完璧な状態でなんていられない。 でも、土壇場で生徒に手を差し伸べることができるのは、 新米であろうと古参であろうと教師の特権であり、責務なのだと私は思う。
本日の「Antique」挿入歌: ・Dive(「深海」) ・Mr.Shining Moon (「Everything」) ・Prism(「終わりなき旅」C/W) ・I'll be(「DISCOVERY」) ・シーラカンス(「深海」) ・ニシエヒガシエ(「DISCOVERY」) ・マーマレード・キッス(「versus」) ・ニシエヒガシエ EAST Remix(「ニシエヒガシエ」C/W) ・Hallelugah(「Q」) ・思春期の夏 〜君との恋が今も牧場に〜(「Kind of Love」) ・ゆりかごのある丘から (「深海」) ・Round About〜孤独の群像〜(「Atomic Heart」) ・【es】 〜Theme of es〜(「BOLERO」) ・深海(「深海」) ・DISCOVERY(「DISCOVERY」)
| 2001年11月04日(日) |
K大祭茶会/「グロリアス・レボリューション」 |
昨日に引き続き、午後から友人達と合流。 しかし、M1の彼女が研究室の講演会のほうに駆り出されてしまったので、 結局、3人で煎茶部主催K大祭茶会に赴くこととなった。
K大祭茶会は年間を通して最も派手な行事、かつ3年生の引退の場。 実際に煎茶・番茶を煎れる「亭主」役に就くのは1年生であるが、 「後見」として茶席を取り仕切り、客をもてなすのは3年生。 さらに、茶会のテーマを決め、後輩を指導するのも3年生の役目であるから、 その年の茶会の成功はひとえに3年生にかかっていると言っても過言ではない。 さて、今年の茶会はどうなることやら・・・
約2年ぶり、本当に久しぶりに和室に入った。 赤い毛氈の上に正座すると、自然と背筋がピンと伸びるから不思議である。 さすがに3年間も続けていれば、身体が覚え込んでしまうのだろう。 亭主席にセットされている茶道具を見て、ちょっとだけ感慨深かった。 さて、御点前のほうは・・・お世辞にも上手とは言えない(苦笑) それでも微笑ましく見ていられるのは、自分が現役を離れているからだろう。 (もしも私が3年生だったならば、あのレベルじゃOKしてないだろうなぁ) 隣で友人が顔を顰めるのを嗜めながらも、心中では似たようなことを思っている。 しかし、当時は私達が引退したらどうなるんだろうと危ぶんでいた煎茶部が、 今でもこうして続いているのだから、それだけでも良しとすべきなのだろう。
本日の一曲: ・「グロリアス・レボリューション」 by. BUMP OF CHICKEN『THE LIVING DEAD』
♪実は飛べるんだ その気になれば そりゃもう遠くへ! 放り投げるんだ その外したばっかりの エラい頑丈に造っちまった 自前の手錠をさ
大学祭恒例の野外ライブ、 友人を待っている間、たまたまあるバンドが演奏をしているのを拝聴。 はっきり言って下手っぴだったのであるが(悪意ゼロ、正直な意見の結果)、 秋晴れの青空の下で聴くと、格別の味わいがあったので本日の一曲に決定★
今日は煎茶部の仲間と集まって飲み会をした。 1人は私と同じくM1、1人は製薬会社に、1人は市役所にお勤めしている。 本来ならばもう2人いるのだがどうしても都合が付かなかったので、 3分の2が出席のミニ同窓会となった(この場合、男子部員は無視)。
思えば、煎茶部なんて希少価値の高い部活に入部してしまったのも、 何かの縁だったのだろうか・・・いろいろな意味で厄介な部活だった。 横暴な先輩の仕打ちに本気でキレたこともある。 なかなか部費を払わない後輩を前に頭を抱えたこともある。 その一方で、お酒の飲み方、深夜のドライブ、海辺での花火・・・ 3年の秋をもって無事引退できた時には心から安堵の溜息を吐いたけれど、 いわゆる「遊び方」を私に教えてくれたのも煎茶部であった。
特に、この部で巡り合った女子5人とは不思議なほどに気が合った。 性格も趣味もてんでバラバラだったけれど、一緒にいて全然退屈しなかった。 煎茶部に入って良かったと思うのは、いつも彼女達のことを思う時だ。
| 2001年11月02日(金) |
「リトル・ダンサー」 |
大学祭1日目、映画研究会による「リトル・ダンサー」上映会に足を運ぶ。 無料で、(一応)スクリーンで、観たかった映画が観れるとくれば・・・ 多少の面倒は打っちゃっても行くでしょう、そりゃ。
本日の一本: ・「リトル・ダンサー」(2000/英)
舞台は1984年、イングランド北東部ダラム州の炭坑町。 炭鉱閉鎖反対スト活動のため、父や兄を初め、街中が騒然としている中で、 11歳のビリー少年は密かに自分の将来への入口を見つける。
≪男の子がバレエ・ダンサーになりたいなんて!≫
猛烈に反対する父に隠れ、自分の才能を認めてくれた師のもとで、 ロンドンの名門ロイヤル・バレエ学校入学を目指して特訓するビリー少年。 クリスマスの日、ふとした契機で父に踊っている姿を見られてしまい、 感情の昂ぶるままに、そのまま精一杯のダンスを父親に披露する。 息子の必死な願いを前に、父親は遂に心を決めた・・・
物語の主題は2点、夢へ向かう強い意志と家族愛。 息子の夢を叶えるために自らの信念さえも曲げようとする父親の姿は、 院試の願書を持って、「どうしても大学院に行きたい」と泣きながら頼んだ私に、 「本当に行きたいのならば行けばいい」と言ってくれた父の言葉を思い出させて、 無性に泣けて仕方なかった。。。そろそろあの日から1年が経とうとしている。
「演技もダンスもできて、イングランド北東部の訛りを話せる少年」なんて、 とんでもない難題をクリアして、2000人の中から選ばれたジェイミー・ベル。 情感たっぷりの演技、絶妙のダンス、プラス何といっても可愛い! さらに最後にちらっと登場する世界のトップ・ダンサー、アダム・クーパー。 本当に「ちらっと」過ぎる・・・もっと見せてくれてもいいのでは?(苦笑) ということで、終わり方がちょっとあっけなかったのだが、 噂どおりかなり面白かったので、非常に満足な一日になった◎ピース。
院生による院生のための第2回飲み会に参加した。 一軒の店で3時間をまったり過ごした後で、一次会だけで解散。 昔の自分からは想像もつかない真面目な飲み方に苦笑を禁じえない。 帰り道、真ん丸の月がやけに遠く、でもはっきりと視界に写った。
本日の一冊: ・『バブーシュカ』(吉本ばなな/新潮社『吉本ばなな自選選集2 Love』)
これまた書き下ろし小説である。 まずは作者のことばをあとがき「私とラブのあいだには」から引用。
「バブーシュカ」は、なんだかとても好きな小説です。 選集をひっぱってくださっている、新潮社の××さんに捧げます。 捧げようと思って、一生懸命××さんの頭の中のイメージをのぞかなければ、 この静かな哀しい小説は書けなかったと思います。
「静かな哀しい小説」・・・まさにその通り。 大切な誰かがひどく傷ついた時に、本当に必要なのは何なのかを考えさせられる。 確かに言葉は便利だ。存在しなければ、きっと世界中の人々が困るだろう。 しかし、「言葉」というオブラートに包まれてしまったがゆえに、 見えなくなってしまったもの、失ってしまったものも実は結構多いのだ。
そんなとき、言葉がどれほど害になるか、私は身をもって知ることになった。 それがどんなに思いやりを持って発せられても、言葉はすべて強過ぎて、 まるで毒みたいに、弱った彼の心をむしばんでしまう。 人が日々を生き抜く過程において、必ず身に覚えがあるはずの経験。 何を言われても、相手の言葉を素直に受け入れることができなかったり、 一生懸命言葉を尽しているつもりでも、相手にうまく伝わらなかったり。 ヤキモキして、イライラして、途方にくれてしまう一瞬である。
ならば、その時にはどうすればいいのか・・・それがこの小説に書いてある。 言葉でなくても伝わる術があるよと教えてくれている。 意外と簡単なのだ・・・まずは、優しく微笑もう。
※バブーシュカ ロシアの伝説上の人物である老魔女バブーシュカのことかな。 イエス・キリストの誕生の際、三賢者にベツレヘムへの道案内を頼まれるが、 その頼みを断ってしまっために罰を受けることになってしまい、 それ以後は贈り物を持って三賢者の後を追いかけているという民話がある。 しかも、その道すがら、良い子達にプレゼントを置いていくというのだから、 いわゆるロシア版サンタクロースというヤツなのだろうと考えられる人物名。
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