明日から大学祭なのでドンと五連休・・・ よって、今日のうちにやれることをしようと講義もないのに大学へ赴いた。 しかし風邪が悪化して逆効果、今ならばかなり上手に鼻音を発音する自信大。
本日の一冊: ・『R.P.G』(宮部みゆき/集英社文庫)
宮部女王が初めて挑んだという文庫書き下ろしを漸く読了。 ちょうど『摸倣犯』を読んだばかりだったので知っている刑事がちらほら、 プラス、『クロスファイア』でお馴染の婦警さんもいて、やや同窓会気分(苦笑) 作品の感想としては、いろいろな意味で痛い話だなぁと私は読んだ。 ネット社会の在り方、家族の在り方。。。 二つの要素が並び立って、現代社会を風刺しているような気がする。 実は全てが明らかになった時、「そんなことでここまでするか?」 と思った。 でも、万が一、我が身にソレが降りかかってきたならば、 おそらくとても混乱するであろうし、何が何でも振り払おうとするだろう。 振り払い方には、人それぞれのやり方があるのだろうけれど。
いまいち現実味を帯びて考えられない謎解きであったが、 絶対にこういうことは有り得ないと言い切れる確信を持てないことが恐い。 結局、人間は哀しい生き物なのだ。 ありのままの自分を守るためにいつだって必死なのだ。 そのために誰かを傷つけ、我が身を滅ぼすことになろうとも。
やがて地獄へ下るとき、 そこに待つ父母や 友人に私は何を持つて行かう。
たぶん私は懐から 蒼白め、破れた 蝶の死骸をとり出すだらう。 さうして渡しながら言ふだらう。
一生を 子供のやうに、さみしく これを追つてゐました、と。
作品の最後に出てくる西條八十の『蝶』が、ほろ苦い。 コレを宮部女王に教えたのが北村薫氏だとか・・・うわぁ、納得。 さすが元国語教師、私もこういう教養溢れる大人になりたいものだ。
| 2001年10月30日(火) |
「できそうにみえることとできることとは違うんだわ」 |
「さよなら、小津先生」第4回を観る。 思わず涙ぐむ。 男の子の繋がりって深いよなぁ。
今日はいろいろと思うことがあってよくない。 やはり体調と思考は比例するんだと実感。 どうでもいいことをウジウジ悩んでも仕方ないのに。
「できそうにみえることとできることとは違うんだわ」 ――『微笑みながら消えていく』(銀色夏生/角川書店)
痛いけれど紛れもない真実、できることからゆっくりと。
風邪を引いたようで、通学の公共交通機関がかなりつらい。 やはり昨夜遅くまで映画を観ていたのが×なのだろうか。 それとも、院生室1/3が風邪っ引きの現状が悪いのだろうか。
本日の一本:「はつ恋」
母親のオルゴールから昔のラブレターを見つけ出した娘が、 宛先人である過去の恋人を探し出し、母親に会わせようと奮闘する。 ・・・なんとお節介な娘さんだろうか。 娘役を演じる田中麗奈の無鉄砲なまでの行動力に思わず脱帽、 結局、彼女を突き動かす原動力となったのが何だったのかはいまだ分からない。 それでも、私はこの話を好きだと思った。
母親役の原田美枝子さんも十分素敵だったのだけれど、 私がぐっときたのは父親役の平田満氏の演技・・・切ない。 壊れていたオルゴールを直そうとスタンドの灯りの下で背中を丸め、 病床にある妻のために桜を描いた夫婦茶碗を買って帰ろうと思う旦那像。 年頃の娘には煙たがられてばかりの平凡なサラリーマンである父親像。 冴えなければ冴えないほど、観ていて切なさが増してくる。 本当に不器用なのだけれど、本当に家族を愛していることが分かるから。
さらに、ストーリーとは別に映像も非常にキレイ。 どうせなら桜の季節に観れば良かったかなぁ・・・と、ちょっと後悔した。
本日の「Antique」挿入歌: ・Heavenly kiss(「口笛」C/W) ・ラヴ・コネクション(「Atomic Heart」) ・Simple(「DISCOVERY」) ・虜(「深海」) ・深海(「深海」) ・CENTER OF UNIVERSE(「Q」) ・BLUE(「Kind of Love」) ・思春期の夏 〜君との恋が今も牧場に〜(「Kind of Love」) ・Dive(「深海」) ・幸せのカテゴリー(「BOLERO」) ・Image(「DISCOVERY」) ・Drawing(「Youthful Days」c/w) ・星になれたら(「Kind of Love」)
昨夜、父と2人で居酒屋へ赴く。 いつもは運転手役の母が会社の慰安旅行で留守のため、自転車で出動。 帰り道、わざと別のルートからお互い全速力で帰ってきた(お馬鹿な親子だ)。 もちろん私が勝利・・・年を考えようね、お父様。
本日の一冊: ・『摸倣犯(上・下)』(宮部みゆき/小学館)
ここ数日、上巻を他の本と並行しながら読み、下巻は今日になって一気に読み通した。 久々に読んだ分厚い上下巻・・・実は『屍鬼』以来だったりする(苦笑) コレを読むにあたって何人かの前評判を聞いていた。 皆口を揃えて言う、「気持悪い」「なんだかねぇ・・・」 面白くなかったのかと訊けば、そうではないと答える。 じゃぁ、何だ? 自分で読まなければ分からないということか。
気持悪い・・・納得した。おそらく私が女性だから。 それでも十分な読み応えに宮部女王の貫禄を見せ付けられたような気がする。 加害者、被害者、それに絡みつくマスコミの存在。 あらゆる情報が氾濫する社会を作り出す、最重要因であるマスメディア。 どう関わるか、どう使用するか、判断は全て当人任せであり、 それが正しいのか、謝っているのかは時と場によって常に紙一重である。 結局、情報を送る方も受ける方も人間なのだ、だから迷う、ミスを犯す。
結末に至った時、思わず「ほぇっ」と声が漏れた。 いささか唐突にも思えたが、嫌いな終わり方ではない。 むしろ、ふさわしい決着のつけ方だと私は思った。 過程が派手であればあるほど、最後はあっけないものだ。 そんなものなのだ。
テレビでは、SPEEDの復活ライブの特番が流れている。 やっぱり彼女達はすごかったんだなぁと再認識してしまった。 私としてはヒトエのダンスをもっと映してほしいのだかねぇ。。。
| 2001年10月27日(土) |
「the Straight Story」 |
よく晴れた昼下り・・・一昨日借りてきておいたビデオを観て過ごす。 これが贅沢な過ごし方なのか、それとも不毛な過ごし方なのかはその人次第。
学部生時代は、友人と3人で映画を観に行く機会が多かった。 彼女達と「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」と「ナヴィの恋」を観てから、 残り一作を観れば我々の“老人三部作”は完結だ、と笑ったことがある。 あれから一年以上、その残す一作こそがまさに「the Straight Story」 だった。 我ながら随分勿体ぶったことだと苦笑してしまうのであるが、 先に村上龍がノベライズした作品を読んでしまったことも一因であるに違いない。
ストーリーは単純。 高齢の老人が農作業のためのトラクターを延々走らせて、兄に会いに行く。 その道々で様々の人と出会い、すれ違っていく。 今作では、小説のほうは会話文の他にどうしても地の文が入るが、 映画では地の文はすべて映像として現せるのでさらにスリムになる。 もともと会話も少ないから、非常に淡々と流れていく。 でも、老人の表情が全てを語っている、要所要所の言葉に生命が宿る。 ありふれた教訓のようで、そうではない、 老人が自らの人生で培ってきたからこそ、言葉に重みがある。 ただ、結局そこから何を感じるのかは当人次第であるから。 感動する人もいる、鼻で笑う人もいる、どれも間違ってはいない。
今回に限っては、映画も小説も両方とも優劣つけがたし。 ただ、一つだけ映画を観ている間も浮かんできた地の文があったので、 その衝撃度に敬意を払って、以下引用して本日は〆。
It's been a pleasure... I don't know of any phrases Americans use in dairy conversation that are as appealing as this one. It was good to get to know you,good to spend some time with you... which means I estreem the time me shared,and I estreem you.
(楽しかったよ、アメリカ人がいつも使う日常語の中で、これほど良い言葉を 私は他に知らない。あなたに知り合って良かった、一緒に時を過ごせて良かった、 それはあなたと共有した時間と、あなた自身に価値があったということだ)
・『the Straight Story』(村上龍作&F.McCarthy英訳+はまのゆか絵/集英社)
| 2001年10月26日(金) |
『きみよ わすれないで』 |
金曜10時からは「恋を何年休んでますか?」を観る。 理由は単純、THE BOOMの宮沢さんが出ているから、それだけ。
・本日の一冊 『きみよ わすれないで』(篠原一/河出書房新社)
篠原一の名前はかなり前から知っていた。 史上最年少で文學界新人賞を受賞した二歳年上の女流作家。 何かのインタビューで自称を「僕」としているところが、 理由もないままに現代人を象徴しているかのような気がして面白かった。 でも、作品は読んだことがなかった。
目の悪い調律師と少女の現在の交流。 目の悪い少年と変わり者の叔父の過去の交流。 現実社会から切り離された場所で流れる時間の中で生きる人々を、 冷静に、努めて冷静に描いている・・・予想通りの文体。 中和的で無機質、低体温で無感情なふうに装われている文章だと思う。
あまり読み込むつもりもないのでさっさと読んでしまったのであるが、 冒頭と結末にやや印象的な文章が配置してあるのが気になる。 言葉にすれば嘘になる。 奇跡の価値は体験と目撃によってのみ支えられるべきなのに、 どうしてひとはそれを語ろうとするのだろうか。
「奇跡」・・・確かに本章に描かれているのはある種の奇跡に違いない。 でも、これはきっと好き嫌いの分かれる世界観なのであろう。 一個人としては大好きではないが、嫌いではない・・・そんな感じかもね。
本日、第2回近代文学ゼミ開講。 お題は川端専攻のK氏が選んだコレ。
・『青い海黒い海』(川端康成/岩波文庫『伊豆の踊り子・温泉宿他四編』)
3年生の時の近代文学演習が川端作品だったので(私は『みづうみ』担当)、 結構川端作品は読んであるつもりだったのだが、今作品は初読作品である。 前回の『外科室』に引き続き、結末が情死につながる物語であり、 「第一の遺言」「第二の遺言」と「作者の言葉」から構成されている。 しかし、鏡花の『外科室』が恋愛の究極の瞬間美を描いた作品であるならば、 『青い海黒い海』は、男性主体の一方的な愛の小説であると言えよう。 まぁ・・・分かりにくいことこの上なし、とでも言っておこうか。
他人がどのようにこの作品を解釈していくのかは知らないが、 私自身は男女間の恋愛よりも、主人公「私」の葛藤を描いたものとして読んだ。 両親がいる(と思われる)死の世界は「私」の憧憬の場所であるが、 熱病に浮かされても生き返ったり、心中しても自分だけ失敗したりと、 死にたくてもなかなか死ぬことを許されない「私」。 何一つ思うままに事が進まない「私「の無力さが、「葦の葉」や「化粧水瓶」 といった自身では動くことすらできないものに「私」を変身させてしまうのか? しかも、川端作品においては本当に珍しい父親の登場。 読みにくいぶんだけ、問題も山積みになっているような気がしてならない。
再来週は私が担当することに。 近代文学専攻の2人の胸を借りるつもりで気合いれて頑張らねばっ!
本日の一冊: ・『血の色』(吉本ばなな/新潮社『吉本ばなな自選選集1 Occult』)
書き下ろし作品なので、勿論初めて読む作品である。 著者はこの作品を上梓するにあたって次のような一文を残している。 ・・・以下、「オカルトと私:あとがき」参照。
(選集1を)まとめて読んでみると、勘で何かがわかってしまうということの 寂しさはよく出ていると思う。勘がいいということは、たぶん、両刃の剣で、 悪いこともたくさんあるのだと思います。 書き下ろしの短編「血の色」は勘というものがよく生きた例を描いていま すが、それでもよりいっそう、寂しい感じと紙一重な気がします。
「勘」というものは、一種の予知能力のようなものなのかもしれない。 私自身は目に見えない何かに対しては鈍感以外の何者でもないのであるが、 「勘」が鋭い人が世の中に確かに存在し得ることぐらいは知っている。 さらに、彼等は常に少数派であるが故の孤独を背負っているということも。 その孤独を著者は「寂しさ」と呼ぶのであろうか?
ただし、実は今作品に限っては私はわずかに差し込んだ希望の光を見る。 否、希望というよりは、当然のことを再認識できた時の安心感といおうか。
私がばかでのんきで小さなことにもつまづき悩み心を痛め悪い予感におびえ・・・・・・ どうしようもなくても、私の体は勝手に私のために働いて、全部の力を使って できる限り守ってくれる、なんとかしてくれる。 これからも、これまでも。
悪い予感は往々にして当たるものだ、嫌なことは意外と続くものだ。 それでもギリギリまで持ちこたえて、何とか踏ん張っていれば、 ふっと不幸のタイミングをやり過ごすことができる時期がくる。 そのことを一番承知しているのが、実は自分自身だということなのだ。
| 2001年10月23日(火) |
『天使のみつけかた』 |
てっきり食中毒だとばかり思っていた教授は実は腸内出血だったらしい。 土曜に退院、今日からいよいよ現場復帰でめでたいことなのだが、 どうも休講が重なったのを気に病んで、補講を計画し始めたらしい。 ・・・・・・黙して語らず、秘すれば花。教授の一存のままにどうぞ。
本日の一冊: ・『天使のみつけかた』(おーなり由子/新潮文庫)
私の本棚の中ではやや異色を放つこの一冊は、 普段は全く気にも留めないのに、たまにひどく手に取りたくなることがある。 思うに、世の中、天使が本当にいるかどうかなんてそれほど問題ではなくて、 「いたらいいな」という思考回路を取れるか否かのほうがよほど重要ではないか? 一方、「いるわけないじゃん」と考える人は、それはそれで一つの人生。
告白の瞬間、緊張とともに胸がドクンドクンと鳴るのは、 天使がせなかをおすのが、からだにひびくからだそう。 ――「告白天使」
本当にそうだったら面白いのに・・・想像したらちょっとだけリラックス。 「人」を3回飲むよりは、緊張が和らぐような気がするからありがたいね。
先週、今週と合わせて漸く演習終了。 指導教官の演習とだけあって、他の講義の何倍も緊張・・・声が震える。 しかし、助教授には私の伝えたかった点が上手く伝わったようで嬉しかった。 不完全な面も多々見られるが、今回はかなり満足いったかな。
本日の一冊: ・『茨姫はたたかう』(近藤史恵/祥伝社文庫)
前回読んだ『カナリヤは眠れない』の続編であるが、 「ミステリ」としては面白いとは言えないのでは? というのが正直な感想。 ただし、現代小説としては十分に面白いとは思う(著者には失礼な話だが)。 一方では、ストーカーに狙われる女性の精神面での成長を、 他方では、心に傷を負う女性と不器用な男性の恋愛を、 キメ細やかに描くのは若い女性作家の手腕の見せ所といえようか。
≪女になんか生まれるんじゃなかった≫
主人公・梨花子の独白に共感したことのない女性はいるのだろうか。 私自身は現在の自分にそれほど不満を覚えたことはないけれど、 もし生まれ変わるのであれば、男性でありたいと思っている。 男性のほうが得であると考えているわけではない。 ただ、私の理想がきっと男性であるほうがほんの少し叶えやすかっただけ。 結局は自分自身がどうあるかにかかっているのであろうことは解っているから、 ないものねだりで逃げ道を作るのは好きじゃない。
≪女の子でよかったわね≫≪すてきな女の子になろうね≫
変身を遂げた主人公のラストの台詞は女性に限ったことではない。 自分をありのまま受けとめられる人は人生に半分勝ったも同然だと私は思う。
本日の「Antique」挿入歌: ・雨のち晴れ(remix)(「Atomic Heart」) ・マーマレード・キッス(「versus」) ・Love is Bindness(「マシンガンをぶっ放せ」C/W) ・Dive(「深海」) ・友とコーヒーと嘘と胃袋 (「Q」) ・蜃気楼(「versus」) ・さよならは夢の中へ (「versus」) ・Prism(「終わりなき旅」C/W) ・デルモ(「Every Thing(It's you)」C/W) ・Mirror(「深海」) ・everybody goes−秩序のない現代にドロップキック−(「深海」) ・everybody goes(instrumental ver.) ・ALIVE(「BOLERO」) ・車の中でかくれてキスをしよう (「Kind of Love」) ・ラヴ・コネクション(「Atomic Heart」) ・旅人(「マシンガンをぶっ放せ」C/W)
| 2001年10月21日(日) |
一仕事を終えるということ |
やっとレポートが五つまとまった。 大学院とは無関係の資格習得のためのレポートだったので、 演習準備と並行しながら、ここ一ヶ月はそれしか頭になかった。 ちょっとだけ卒論でうなされていた頃を思い出した。
完成のご褒美に遂にジャケットを購入(去年買いそびれた人)。 「a.v.v MICHEL KLEIN」の黒のダブルのジャケット9900円。 他にもいろいろ見て回ったのであるが、 やはり最初に気に入ったものを買う運命なのだろうな。 これで寒くなっても大丈夫。
明日からはまた読書漬の日々を送れそうで嬉しい。 よって、今日はGLAYのラジオを聴いたらすぐに寝よう。 英気を養って神無月を乗り切るべし。
またやってしまった・・・日記ブッチ。 書くことがないのではなく、書く時間と気力が足りない。 10月を乗り切れば終わる、終わる、何とかなる、はず。
本日の一曲: ・「火花浪漫」 by. In the soup
やっとK氏から借りたアルバムを視聴。 うぅぅん、インスーっぽいですね。 私が最初にIn the soup を気に入った契機は「川」だったのであるが、 その時からなお変わることない荒削りが気持よい。
「泥臭さ」、私がIn the soup を語る時の常套句である。
別に悪い意味でこの言葉を使っているわけではない。 それこそがIn the soup の魅力なのだと本当に思っているのだ。
♪なんもかんも解ったような顔をして これしかできねえしょうがねえ 生きているのか死んでいるのか はっきりしてくれ 確かなもんが きれいなもんが 欲しいんだ 「檸檬−レモン−」
まるで中尾氏が普通に語っているかのような詞。 もっと洒落た単語が世の中にはたくさんあるはずなのに、 もっと気取った言い回しが世間に溢れているはずなのに、 In the soup の歌詞世界は私達の普段の生活にひどく近くて、 理解できすぎて、笑えてしまうことがある。
♪ああ いっそ殴ってくれ 嘘にまみれたこの僕を ああ いっそやっちまえ 叩け 命を叩け
・・・「青春」ってこういうことなのかもね。
最近、とあるレポートに追われていてめっきり読書量が落ちております。 締め切りは25日(郵送だから23日か)、早く終わってください。 読みたい本は溜まる一方なんですがねぇ。
今日は第一回近代文学ゼミ開講。 とはいえ、鏡花専攻のT女史(M1)と川端専攻のK氏(M1)が集まった中に 無理やり参加させてもらっただけだけど・・・大変勉強になりました。 今回の課題は泉鏡花の初期代表作品『外科室』でありましたが、 私が初めて読んだ鏡花作品であり、一番大好きな作品でもある思い出の一作。 恋愛の瞬間美が凝縮された壮絶なまでの一作なのであります。
本日の一冊 ・『外科室』(『外科室・海城発電他五篇』より:泉鏡花/岩波文庫)
病院に運び込まれた伯爵夫人に麻酔なしでの施術に挑む外科々長高峰医学士。 実は2人は以前一度だけ道ですれ違った時に覚えた恋心を ずっと胸中に秘めたまま9年もの歳月を過ごしてきたのであった。 言葉を交わしたわけではない、目と目が合っただけでもない。 ただすれ違っただけ、その一瞬のときめきを成就させるための手術なのである。
「痛みますか」 「否、貴下だから、貴方だから」
伯爵夫人の必死の声、麻酔なしでの執刀など断末魔が響きわたる地獄絵図である。 しかし、一方の作品世界は驚くほどに静まり返っていくのが分かるのである。 立会の医師も、看護婦も、家族も、何もかもの気配が少しずつ消え去り、
その時の二人が状、あたかも二人の身辺には、 天なく、地なく、社会なく、全く人なきが如くなりし。
まさに、伯爵夫人の壮絶死によって、2人は2人の世界を作りあげたのである。
『外科室』は短いながらも上下構成、 上巻で完璧な静寂世界を作る一方で、下巻は俗世間の騒々しさが見られる。 そこで、2人のすれ違いの場面が描かれるのであるが、 悲しいほど一瞬でしかない、このために死を選んだのかと思うと泣けてくる。 初期であるからこその荒削りな部分も多く見られ、問題点も残るのであるが、 その若さゆえの青臭い瑞々しさが今なお失われずに残る今作品。 是を知らずに鏡花を語ることなかれ・・・声を大にして私は言いたい。
| 2001年10月17日(水) |
「ハルジオン」(全) |
今日は私のオフと父親のオフが重なったので雨の中をドライブ。 ・・・と思ったら、祖母の姉(84歳)が亡くなったとの連絡を受けた。 五年間透析を受け続け、いつ亡くなってもおかしくない状態だったと聞く。 それでも生きていられる現代医学に感服しながらも、怖くなる。
ラジアンのゲストがBUMP OF CHICKENなので楽しむ。 ナンダカンダ言いながらまともに新曲を聴いたのは初めてなのである。 以前オールナイトのダビングに失敗した雪辱をやっと果たした気分。 メロディラインこそ知っていたので、今度は歌詞を噛み締める。
♪虹を作ってた 手を伸ばしたら 消えてった ブリキのジョウロを ぶらさげて 立ち尽くした 昼下がり
イントロなしの突然の歌詞、痺れる世界観。 「天体観測」の時もドキドキした。 午前二時に望遠鏡を抱えて踏み切りに行った思い出などないけれど、 似たような経験はたくさんあって、胸の奥に眠っている。 それが少しだけ目を覚ましたような気がした。
バンプの曲は多くのメッセージを含んでいる。 サビなんて本当にすごい。
♪生きてく意味をなくした時 自分の価値を忘れた時 ほら 見える 白く揺れる花 ただ一つ思い出せる 折れることなく揺れる 雑草と認識させるハルジオンに価値観を見出す観察眼の鋭さには驚く。 バンプの曲を「ストレートで熱いメッセージソング」と後輩は言った。 なるほど、それも一理あると思う。 でも、私はそれ以上に「ブリキのジョウロ」と消える「虹」だけで 譬えようのない気だるげでかつ感傷的な「昼下り」を作ってしまう点が好きだ。 全く同じじゃなくても似たような体験をふっと蘇らせてくれる言葉の綴り。 あの小さな日常を掬い取るような歌詞世界が大好きなのだ。
同日発売はhydeとポルノだったかな。 でも、チャートはどうでもいい気がする。 今度のバンプの新曲も私は気に入った、それだけで十分だから。
つい先程、金曜日の近代文学の演習が休講になるという連絡がきた。 食中毒で入院された教授はどうやら想像以上に重症らしいのでやや心配。
| 2001年10月16日(火) |
縮毛矯正をかけるということ |
この日記を始めてもうすぐ三ヶ月、遂に昨日付の日記を怠ってしまった。 こうやって一日でも日記をさぼると次が面倒くさくなって、 そのままズルズルと書かなくなってしまうのね・・・くわばら、くわばら。
今日は先日のバイト代によって美容院へゴー。 12時に講義が終わるので、13時に予約を入れておいた。 私が通っている美容院は大学二年の頃からのお付き合いなのですっかり常連。 気のいいお兄さん(ということにしよう)と美人なお姉さんが 2人で経営している非常にこじんまりとした美容院なのである。 それまでは近所でも結構大きめの美容院に行っていたのであるが、 私は美容院でいろいろな世間話をするのがあまり得意ではない。 華やかであればあるほど、恐縮してしまってひどく疲れてしまうのである。 だから、アットホームな現在の美容院は非常に気に入っている。
縮毛矯正は仕上がりまでに正味2時間を考える。 専用液をつけてスチームで温める→専用液を洗い流す→乾かす→ さらに別の専用液をつける→アイロンで伸ばす→3度目の専用液をつける→ 時間を置く→専用液を洗い流す→髪をカットする→乾かす→出来上がり★ ざっと書くとこれぐらいの行程で進んでいくのであろうか。 美容院ごとに変わるのであろうが、私はここでしかかけた事がないので知らない。 別にここのやり方に不満もないので、今更変える気がないのである。
そういえば、かつて「美容院を一つに決定するのは年の証拠」と雑誌で読んだ。 当たっているのであろうか・・・私は性格上の問題なので何とも言えない。
美容師さんと芸能人の話などをする。 そのうちSMAPの森君の話に移行、彼はメンバー内でも浮いていたらしい。 彼の転向にそれが関係するのかどうかは私は知らない、知らぬが華。 また、かつて県内のアルフィーファンが遠方のツアーを観に行くために 仲間でバスを一台借りていたらしいという話を聞く、派手な話である。
そうこうするうちに無事終了、 サラサラストレートに大満足、今日のお会計はしめて14000円なり。
| 2001年10月15日(月) |
本日の「Antique」挿入歌 |
本日の「Antique」挿入歌: ・youthful days ・ジェラシー(「Atmic Heart」) ・マーマレード・キッス(「Versus」) ・ALIVE(「BOLERO」) ・Tomorrow never knows(remix)(「Tomorrow never knows」C/W) ・ニシエヒガシエ(「DISCOVERY」) ・NOT FOUND ・Brandnew my lover(「BOLERO」) ・ニシエヒガシエ WEST remix(イントロ) ・CENTER OF UNIVERSE(「Q」) ・Everything(It's you)(「BOLERO」) ・ラララ(「DISCOVERY」) ・ボレロ(「BOLERO」) ・いつの日にか二人で(「Kind of Love」) ・CHILDREN'S WORLD(「Everything」)
| 2001年10月14日(日) |
日本海・海の幸と能登半島めぐりツアー�� |
起床は6:30、朝湯をしたかったのに失敗。 そのまま身支度を整えて、朝食バイキングに行くがそこでも感激する我々。 もう思い残すことはない。
�.�ラス美術館 能登島水族館の近くに位置するガラス美術館では、 ガラスを使った様々なアートが展示してある。 感動するのはやはり「色」であろうか、光に触れると何とも言えないほど美しい。 友人曰く、「美術館に行くと、作家の情熱に当てられてどっと疲れる」と。 なるほど、言い得て妙なり。
�¬�成寺 日蓮宗の本山、前田家とも所縁の深い妙成寺には利常の生母が眠る。 重要文化財にも指定されている五重の塔やこけら葺の本堂を始め、 おそらく能登では最大の寺院であると想像がつく。 これなら、来年の大河に触発されてやってきた観光客も納得するであろう。 ここでおみくじを引いた後輩は「吉」、友人は「末吉」・・・微妙。
�5�仙洞 昼食は海鮮バーベキューであるが、4人掛テーブルで3人がお偉いさん。 もう何を食したか定かではないほど緊張した。 ただ海老は美味。
ここで今回のツアーは全行程終了。 さっさと岐路に付き、予定時刻よりも一時間早く解散場所に到着。 私もそのままタクシーチケットを戴いて帰宅した。 手土産は金沢銘菓詰め合わせ、最後の最後までゴージャスな旅であった。
総評: つらつらと能登の観光記録を記してきた。 本当はもっとよく知った気の合う仲間と行けばいいのであろうが、 一銭も出さずにまるまる観光に付き合い、そのうえ給料ももらえる。 こんなうまいバイトをしてしまうと、次の職探しがややつらい(苦笑) ともかく明日からは院生に復帰、日記も普通に戻そうと思う、以上。
| 2001年10月13日(土) |
日本海・海の幸と能登半島めぐりツアー�� |
*昨日に引き続き、14日に思い出しながら書いた日記。
バイト2日目、今日から1泊2日のお供となる。 いわゆる加賀に住んでいる私は、同県でも能登になるとさっぱり分からない。 よって、同行者には非常に気を張るがちょっぴり楽しみなのである。
�\蚓ど佑覆�さドライブウェイ 夏になれば海水浴客で埋め尽くされる千里浜は、 砂浜の上、波打ち際を車で走れることでも有名な海岸である。 大型バスのため緩々と進まざるを得ない状況なのであるが、 普通の乗用車でもう少しスピードアップすればきっと気持がいいのであろう。 バスの中から、服を着たまま海の中で何かを探している男性が見えた。
��巌門 長年、波風に侵食されていった結果、根元ががっぽり抉り取られた大岩。 急な階段をずっと下っていくと、一応海ギリギリまで近付くことができる。 潮の匂いがすごくきつく、海水は中が覗けるぐらいに美しい。 まさに「日本海」のイメージそのままの風景美を堪能できる。
�C訖�:高州園(懐石料理、デザートのグレープフルーツが美味)
�ぅ�リコ会館・漆器会館 能登の先端・輪島名物といえば、「キリコ」という行灯のようなもの。 県内全体でお盆などにお墓に小さなキリコを飾る風習があるのであるが、 輪島のキリコは全長120メートルの大型で神輿のように担ぐもの。 灯りを付けると、ぼわぁっと美しいデザインが浮かび上がるのが印象的。 また、もう一つの名産は輪島塗、漆器である。 会館では輪島塗が出来上がるまでの工程も見られるが感動ものの芸の細かさ。 重箱が38万〜というのも確かに納得できる職人技に驚く。
�ハ汰匆浩堯Σ嘆豌� ・・・とはいえ、バイトの我々は加賀屋グループの「あえの風」宿泊であるが。 ただ、夕食が加賀屋であったので初めて足を踏み入れる。 このような機会でもなければ学生の分際で足を踏み入れることなど有り得ない 天下の「加賀屋」は、何もかもがゴージャスの極みで泣けてくる。 料理もすごい、昨夜のホテルの料理には申し訳ないが半端じゃない。 食べなきゃ損とばかりに、アルコールゼロでフルコースを平らげた我々。 貧乏根性丸出しであるが、見栄を張っている場合ではない。 嗚呼、松茸の土瓶蒸しの美味であったこと・・・板長、万歳。
その後、あえの風に戻って温泉につかる。 就寝はちょうど日付が変わった頃・・・お疲れ様でした(何もしてない)
| 2001年10月12日(金) |
じっくり加賀百万石の歴史にふれるツアー |
*実は14日に書いている思い出し日記
今日から、単発のバイトがスタート。 某組合の全体協議会のお供をするバイトなのであるが、 ものすごく待遇がいい・・・日給もいいし、仕事内容もゴージャス。 口利きしてくれたM2の先輩に感謝の言葉も見当たらない。
さて、今日の仕事は午前中は駅に着いたお客様のお出迎え。 改札口前、いろいろなツアーの添乗員が待ち受けている中、 我々も真っ黄色のジャンパーに身を包んでお出迎え。 すげぇ恥かしいです・・・知り合いがいなくて本当によかった。 昼食後は協議会に入るご主人に同伴してきた奥様方を連れて、 市内のミニツアーに入ることになった。
地元民、希少価値な体験スタート。
�‥憩善� 来年の大河が「利家とまつ」ということで、PRも必死。 ここは、三代藩主利常の正妻として江戸からやってきた珠姫の菩提寺である。 当時は県内の寺院の中でも最も寄贈が多かった寺であって、 前田家がいかに珠姫を尊重していたかを住職は声高らかに語っていた。 ここでの名物は「からくり人形」の舞台であろうか。 中途半端に大きな人形がナレーションに合わせて動き出す様子はかなり恐い。 特に「カタカタ、カタカタ」と絶え間なく聞こえる機械音。 或る意味ホラーに近いと私は思うのに、奥様方には大人気でちょっと不思議。
��兼六園・成巽閣 ここに行っておかねば来た意味がないという名所中の名所。 水戸・偕楽園、岡山・後楽園と並ぶ三大庭園の一つである。 逆に言えば地元民には何の珍しいこともない場所になっているが、 県外から来た奥様方は大興奮に次ぐ大興奮。 せっかくのガイドの説明も聞かずに道を逸れて写真撮影の嵐である。 その光景はすでに園児の遠足と何ら変わりないものになってしまい、 付いていくこちらとしては見失わないように緊張の連続ですっかり気疲れ。 成巽閣は11代藩主の正妻の別荘か何かあったはずであるが、 展示物はさすがにゴージャス、前田家の文化の高さが窺える。
��懇親会 ツアーから帰ってくると、協議会も終わりかけ。 懇親会は市内1のホテルで行われた・・・これまたゴージャス。 アトラクションには三大茶屋街の芸妓さんによる素囃子・長唄の演奏と、 「風の盆」として有名な隣県のおわら踊りが披露され、いたれりつくせり。 料理もなかなか美味であるが、「菊姫」大吟醸のほうに舌鼓。
総評: 実は、ガイドに従って市内を観光するなんて初めての体験である。 知っているつもりの場所でも改めて説明を聞くのは面白いと思った。 それにしても何にもしていないなぁ・・・給料泥棒じゃないか・・・
今年のノーベル化学賞を昨年に引き続き日本人が受賞した。
名古屋大大学院理学研究科教授の野依良治博士(63)と2人。 日本人のノーベル賞受賞者は、昨年同賞を受賞した白川英樹博士に続き10人目、 化学賞では81年の福井謙一博士(故人)から3人目というのだから、快挙である。
現在、国立大学の独立法人化問題など、大学が存亡の危機に立たされている。 その中でも「化学」と「文学」という両極端の学問分野は崖っ縁である。 確かに「医学」「工学」(「法学」もか)といった実生活に強い学問とは違い、 「理学」「文学」はよく分からない胡散臭い学問であることは承知している。 しかし、何事も実益重視だけではいつかバランスが崩れる時がくる。 今回の野依博士の御活躍、きっと理学部に希望の光をもたらしたであろう。
閑話休題。 我が院生室に新たにモンゴル・タイ・アメリカ合衆国から研究生がやってきた。 現在も韓国・台湾・中国・ポルトガルなど国際色溢れる院生室がまた賑やかになる。 日本人の文学離れと対照的に海外での日本文学人気は高まるばかりである。 いつか、院生室には日本人がいなくなっていたりね(苦笑)
| 2001年10月10日(水) |
「神様の宝石でできた島」 |
かつて「MIYA&YAMI」として発表された楽曲が、 THE BOOMとして新たにリメイクされ、先日インディーズで発売された。 最初のものよりもアップテンポ、ラテン系打楽器、ホーンサウンドが加わり、 ずっと明るくて、ずっとノリがよいバージョンに仕上がっている。 きっと、夏のツアーではこの曲の下で会場中が揺れていたんだろうな・・・
♪君と歩き 共に生きた かけがえのない時間だけが 今もなお 星を讃え 輝いているね サヨナラは言わないで いつかまた会えるはずさ 神様の宝石でできた この島で
歌詞を読めば分かるように、本来ならば恋が終わる歌。 でも、悲しい別れじゃなくて、優しい別れの歌。 だから、「MIYA&YAMI」のバージョンは極上のバラードだった。
♪さあ 目を閉じて 月が闇へ逃げるまえに 少しだけ眠りなよ 僕もここにいるから
囁きかけるような甘い低音にゾクゾクした。 「神様の宝石でできた島」とはどのような島だろうと想像した。 きっと南の島だ、青い海がある、豊かな自然と眩しい陽射。 「神様の宝石」なんて、まるでお伽話の中にしか存在しないような言葉だ。 それでも、この曲の中に出てくる島にはぴったりの言葉だ。 簡単なのに確実な生命を持った言葉・・・詩人の言葉だ。
| 2001年10月09日(火) |
「青空の下、星空のもとで」写真展/火9 |
火曜日は10:30〜12:00「日本語学演習」1コマのみ。 つまり、午後からは完全にフリーということになるのであるが、 大抵は演習の準備や諸々の作業があるため、大学に残ることになる。 しかし、本日、私と友人は密かな野望のために大学を抜け出した。
目的地は、「青空の下、星空のもとで」写真展。 THE BOOMが今夏行ったツアーに同行した中川正子女史の撮り下ろしたフォトを 何点か展示する趣旨なのであるが、東京の他に何を血迷ったか地元でも開催。
「・・・私が行かずに誰が行く?(葉明、心の呟き)」
ということで、友人とともにバスに乗ったのであるが。 「遠いね・・・」「遠いね・・・」 「どこに連れて行かれるんだろうね?」「ねぇ?」 自動車では何度も行ったことがある土地柄なのに、 いざバスに乗って、降りてから徒歩で・・・という形になると一気に動揺。 途中のコンビニで道を聞き、無事に到着した時には本当に安心した。
さて、実際の写真展は「しょぼい」としか言えない。 アレをわざわざバスを乗り継いで観に行った私達は、先輩の言葉を借りるならば まさに「酔狂」、この一言に尽きる天晴れ行動力である。 しかし、そこはファン心。 メンバーの笑顔やファンの笑顔を写真の中に見つけると疲れも吹き飛ぶ。 友人曰く、「来ても得はしないけど、来ないで後悔するよりはずっといいね」 見事に私の心の内まで代弁してくれている今日一番の名言である。
帰りは別のバス停を探して、2時間に1本しかないバスに飛び乗る(セーフ)。 まるで「初めてのお使い」のような緊張感溢れる小遠足が無事終了した。
本日のドラマ: ・フジ系「さよなら、小津先生」
どうしても外せないドラマが教師ものである。 有り得ないと知りつつも、どうしても触手が動いてしまう。 今回は小津先生が教師として教壇に立つまでを描いていたが、 私としては早く学校ものとして起動してもらいたいと思うので感想なし。
| 2001年10月08日(月) |
夢みどりいしかわ/月9 |
地元で開催中のイベントに祖母を連れて行ってきた。 始まった当初こそはどうなることやらと案じられていたが、 休日にはそこそこの集客数を記録しているようでいいぞ、いいぞ。 やはり地元民としては成功してほしいじゃないですか、ねぇ?
メインは今回のイベントに合わせて再現された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓。 見事・・・の一言に尽きる仕上がりにただひたすら感動してしまった。 白黒のコントラストがまだ鮮やかな海鼠塀、 釘を一本も使用せずに木を組み合わせて造られた骨組み、 薄い鉛板を張った丸太を敷き詰めた屋根、梅鉢紋を施した鬼瓦。 40分も待って見た甲斐があったというものである。 (もう少しゆっくり中を回らせてくれという不満も残りはしたが)。
本来のメインの花々も色とりどりに美しく咲き乱れていたが、 もう少し経てば紅葉が見頃になってますます艶やかになるのであろう。 時期尚早、ちょっと残念だったかも。
本日のドラマ: ・フジ系「アンティーク〜西洋骨董洋菓子店〜」
ドラマを観るか否か、私の判断基準はずばり主題歌である。 今回の月9はもう主題歌常連に近いMr.Children、そりゃ観るでしょっ! ということで、「HERO」以来の月9観賞に至ったわけであるが、 予想以上のミスチルオンパレードにかなり驚いた。 新曲はもちろん、惜しげもなく繰り出されるミスチルの曲を聴いているだけで、 思わず含み笑いが漏れる自分・・・改めてミスチル好き再認識。 でも、ドラマ自体もちょっと風変わりで久々に面白かった月9である。
・prologue(「BOLERO」) ・printing(「Atmic Heart」) ・DanceDanceDance(「Atmic Heart」) ・I'll be(「DISCOVERY」) ・I'LL BE(「I'LL BE」C/W) ・youthful days ・友とコーヒーと嘘と胃袋(「Q」) ・Simple(「DISCOVERY」) ・ジェラシー(「Atmic Heart」) ・蜃気楼(「Versus」) ・マーマレードキッス(「Versus」) ・さよならは夢の中へ(「Versus」) ・安らげる場所(「Q」) ・花(「優しい歌」C/W) ・つよがり(「Q」) ・優しい歌
実は二週間ほど前から調子が悪かったPCを自力で修復に成功。 買った当初は必要以上の操作をするのが恐くて仕方がなかったのに、 今ではいろんな部分をクリッククリック、Safeモードに再起動。 PCに慣れたのか、単に図太くなったのか・・・できれば前者であること希望。
本日の一冊: ・『ねむりねずみ』(近藤史恵/東京創元社)
能、文楽ときたら、次に「生」で観たいのはやはり歌舞伎である。 派手な化粧、派手な衣裳、派手な立ち振る舞いに派手な演出。 能とは正反対の魅力を備える故か、明治の文明開化における歌舞伎は、
「能楽=高尚優美、歌舞伎=鄭声歪曲」
といった歌舞伎関係者が聞けば怒髪天を突くような評価がされており、 時の外交官が海外からの賓客から隠そうと奔走したものこそが歌舞伎であった。 私としては能の荘厳さも歌舞伎の疾走感も両方捨てがたいと思うのであるが。 とはいえ、別に今作品は歌舞伎の本ではない。 歌舞伎の世界を土台としているとはいえ、歴とした現代ミステリである。 ただ専攻上、謎解きよりも歌舞伎のほうに興味がいったことは否定しない(爆) 特に女形(作品中では「おやま」ではなく、あえて「おんながた」と呼ぶ)。 白塗りにぼかし紅、あの妖艶さは或る意味「魔」としか言いようがない。 女性がどれだけ頑張っても、あの蠱惑的な魅力は出せないのではないか。 うぅぅん、奥が深い・・・深いぞ、歌舞伎、女形。
さらに、読了してから気付いたことがあった。 以前、雑誌の投稿レビューにこの本がイラスト付で紹介されていたのである。 その時は「瀬川小菊」という名前と女性の格好を見ただけで、 「あぁ、江戸の時代ものか・・・」と勘違いして見逃してしまった自分。 今回読んでみてやっと分かった。 「瀬川小菊」は芸名、女性の格好をしていたのは「女形」だったからなのだ。 もう一度この本にきちんとした形で巡り逢えたことにひたすら感謝。
【追記】 本日23時からGLAYのラジオスタートということで、すでに興奮中。 昨年末、TAKURO氏のラジオが終了した時にはホント凹んだもんなぁ(しみじみ)
昨日のライブで暴れた身体が今頃になって鈍痛を訴え始めた。 首筋が痛い、腰が痛い、背中が痛い、腹筋が痛い、もうボロボロである。 しかし、一日置いて症状が出るなんて・・・ノーコメンツ。
今日はK大学国語国文学会が開催された。 午前の部はM2の修論中間発表、午後はOBの現行研究発表。 つまり、完全に内輪だけの学会なのである(最早学会という名の同窓会に近い)。 おかげでたいした用意も必要ない(受付と司会ぐらい)M1は気楽なものであるが、 発表者のM2は顔つきが違う・・・つうか、顔色悪いっすよ、先輩? 思わず心配してしまうぐらい、緊張が伝わってくるのである。
確かにわざわざ時間を割いて内輪のの学会に駆けつけるような面々は、 中・高・大のどこかで教鞭を取っているか、元取っていたかのどちらかである。 はっきり言ってアクが強い、自己主張が激しい、他人の話を聞かない。 だいたい質疑応答における彼等の質疑の意味なんて分かった試しがない。 噛みあわない質疑応答ほど痛々しいものはないと常々思っているのであるが、 来年はアレが我が身だと思うといっそう泣けてくる。
学会が終了してからは懇親会(まさに同窓会じゃん)。 立食パーティーでありながら、各自の挨拶になると食事中止。 どこの世界でも年齢が上がるほど、話が長くなるものなのであろうか? 二次会は院生だけでカラオケに行った。 無難にCHEMISTRY「PIECES OF A DREAM」&UA「情熱」を選択。 まぁ、こんなもんでしょ。
一日の終わりに、NHK「爆笑オンエアバトル」鑑賞。 あいかわらずゆりおか超特Qは実にイイカンジのテンポでしゃべっている。 彼が最後に持ち出してくるお呪いを実践したことのある人、いるんだろうか? 素朴な疑問で本日は〆。
| 2001年10月05日(金) |
GRAPEVINE tour 2001 Whitewood |
先日の日記(9月4日付)にも軽く触れておいたことなのであるが、 本日、ついにGRAPEVINEのライブに行ってきた in 某ライブハウス。
ライブには行っているくせに、実は今回がライブハウスデビューとなる自分。 整理券を手にしたのも初めてであったし(今までは指定席 or ブロック指定)、 こぢんまりとした薄暗い空間に足を踏み入れたのも初めてである。 ステージまでの距離の近さにも驚いたし、密集した人いきれにも驚いた。 そこは完全に外の世界とは切り離された異空間・・・まさにハコであった。
私と友人は最前から4列目辺りの中央、つまりボーカルのど真ん前をゲット。 そこで等身大の生田中氏を目の前にし、感激の雄叫びを上げてしまった。 いやぁ、格好いいですわ。生で見るとますます格好いい。 普通にシャツ着ているだけなのにそこはかとなく漂う気品が流石だった。 一方、そんな優雅な田中氏を少しでもよく見ようとする観客席は戦場である。 私だってせっかく陣取った最高のポジションを容易に手放す気は毛頭なく、 必死で押し寄せる人波を押し返したりもしていた・・・年甲斐もなく(恥)
さて、バインのライブでまず驚いたことはMCの少なさである。 (それとも、私が今まで行ったアーティストのMCが多すぎるのであろうか?) とにかく無駄なことは少しも話さず、代わりに間断なく音が流れている。 ドラムの音、ベースの音、ギターの音・・・まるで音の氾濫である。 今、コレを書いている時点でも耳鳴りが収まらないのだから相当なものだ。 さらに驚いたことは、歌っている最中の田中氏の笑顔。 本当に楽しそうに笑う、嬉しそうに笑う、笑う、笑う、まるで幼子だ。 目を細めて熱唱する表情はかなりセクシーであるから、ギャップが大きい。 あの低い平熱を思わせる楽曲をこういう顔で歌うのか・・・と、びっくりした。
友人は明日も行くらしいが、私は明日は学会なのでパス。 しかし、今日のライブは最高だった。ライブハウス、いいねぇvv 8月にバンプのライブ(同場所)に行けなかったことが今更ながらに悔やまれる。 あの距離でバンプが見れるなんて・・・想像するだけで顔がにやける。
NHK「トップランナー」、今回のゲストはラーメンズ!! コレを見ないで何を見るんだってなもんである。
本日のコントは「現代片桐概論」/「たかしと父さん」 すでに知っているネタであるのに(勿論バージョンアップを重ねているが)、 やっぱり要所要所では思わず吹き出してしまう小憎たらしさ。 相変わらず巧いなぁ・・・もう巧すぎて嬉しくなってしまうぐらい。 彼等のネタには他に「読書対決」シリーズがあるが、コレもいい。 今日見られなかったのが残念になるぐらい好きなネタである。
常々思うこと、漫才が短距離走者であるなら、コントは長距離走者である。 どちらも間やテンポ、タイミングが大事なのであろうが、 漫才の笑いは瞬発的、芸人の発した言葉が理解できなければ笑いに乗れない。 一方、コントの笑いは持続的、世界観を理解するためにはやや時間がかかる。 だから、漫才での笑いの波は急速にアップダウンを繰り返すし、 コントでの笑いの波は舞台の時間の流れに応じて緩やかに満ち干きする。 両方、十分に魅力的で面白いが、笑いの種類としては全然別物なのではないか。 だからであろうか、私は漫才もコントも均等に巧いという芸人を思いつかない。 あくまでも主観的な判断なのであるが、やはりどちらかに偏る。 そのことを悪いことだとは少しも思ってはいないのであるが。
ただし、どうも真面目トークは・・・感心することや興味深いことも多いし、 聞いている分には非常に楽しいのであるが・・・あまり受け付けない。 何故なら、私にとってお笑いネタとは或る意味奇跡に近いものだからである。 (大袈裟な話だと思われるかもしれないが、他人に泣かされるならまだしも、 笑わせられるということは、よくよく考えればすごいことだと思わないか?) その奇跡はよく分からないままに起こるからこそ価値も大きくなるのに、 真面目トークでいろいろと知ってしまうと、奇跡の裏側を知った気分になる。 それが面白ければ面白いほど、裏側が目に付いて仕方ない。
人生とは、ただ全てを知っていればいいというものでもなさそうだと実感。
でも、やっぱりTR自体は面白かった。 特に質問コーナー「face to face」は面白かったなぁ。 ただでは転ばない、天晴れ小林氏、万歳片桐氏であった。
| 2001年10月03日(水) |
『絵本を抱えて部屋のすみへ』 |
本当は大学に行く予定だったのにキャンセル。 理由は私の夏休みボケが健在だったから・・・講義がなくて本当に良かった。 水曜日の電車のダイヤには要注意が本日の教訓である。
本日の一冊: ・『絵本を抱えて部屋のすみへ』(江國香織/白泉社)
江國香織は私が特に好んで作品を手に取る女流作家の1人である。 しかし、エッセイを読むのは実はコレが初めてだった(我ながら意外)。 今作品は江國女史が幼い頃から現在にかけての間でに気に入った絵本を エッセイ風に次々と紹介していく絵本の入門書のようなもの。 絵本なんて小さい子の読むもんじゃん、もう読み飽きたよなんて思っていても、 世の中にはまだまだ面白い絵本がいっぱいあるんだと教えてくれる先生のようだ。 興味半分、「コレは知ってる」「コレを読んでみたい」などと眺めていたら、 一冊の絵本が飛び込んできた・・・思いがけない再会。
・『花咲き山』(文:斎藤隆介・絵:滝平二郎 /岩崎書店)
「やさしいことをすれば花が咲く。命をかけてすれば山が生まれる」
物語始めの山ンバのコトバは今でも私の胸をぎゅっと締め付けて離さない。 『花咲き山』は、『モチモチの木』とともにお二方の代表作ともなっている作品、 そして、私が生れて初めて書いた読書感想文の課題図書であった作品なのである。 小学校一年生の時のことだ。 原稿用紙3枚以上書ければ合格のところを私は何枚も書き続けた。 時間内には書き終わらずに、放課後に1人残ってようやく書き上げた。 書きたいことが次々に溢れてきて、とにかくどんどん手が動いたのだ。 結局、私は10枚の読書感想文を完成させ、先生と推敲を重ねて5枚にまとめ、 市の読書感想文コンクールで最優秀賞を戴いた。初めてもらった賞である。
それから卒業するまで、私は作文に関しては校内トップだった。 自慢かと言われれば、大いに自慢であると胸を張って答えよう。 素晴らしい作品に触れ、思ったことを自分の言葉で文章に表す・・・ あの時夢中で書いていた情熱をそのまま引き摺って現在の私がいるのだから。
活字離れが騒がれる現代社会。 それでも幼い頃に必ずどこかで書物に触れているはずである。 目を閉じて、思い出の一冊が浮かんだら・・・図書館に出かけてみるのもまた一興。
| 2001年10月02日(火) |
文楽「仮名手本忠臣蔵」 |
本日、いよいよ文楽デビューに踏み切った。
※文楽=人形浄瑠璃、すなわち人形版歌舞伎のこと。 浄瑠璃節を歌う太夫と三味線と人形の三様によって舞台は成立する。
今回は、場所は9月12日に柿落公演を終えたばかりのピカピカの県立音楽堂、 演目はちょうど講義で扱っている「仮名手本忠臣蔵」より ●五段目「二つ玉の段」 ●六段目「身売りの段/早野勘平腹切の段」 ●七段目「祇園一力茶屋の段」 ということで、まさにデビューを飾るのには絶好のシチュエーションなのである。
さて、私と友人は意気込んで前から二列目の中央席を陣取った。 ちょうど舞台を見上げる形になるので首が痛くなるのが難点であったが、 実はかなり大きな人形が間近に見えるその迫力たるや凄まじいものがある。 力強い足踏み、器用に開閉する手、ぴたりと決まった見得の気持いいこと!! しかも眉毛と目蓋と口が動くだけで登場人物の感情がよく分かるのも発見である。 眉を吊り上げた時の怒りの表情、目を閉じ口をへの字に曲げた悲しみの表情、 人形遣いのちょっとした加減で人形の表情は、時には人間よりも豊かに変化する。 文楽を構成する三様、太夫の語りも哀愁漂う三味線も勿論素晴らしいのだけれど、 やはり人形・・・人形遣いの腕で文楽の評価は決まるのだと私は思う。 大抵、1体の人形は3人(俳優1人+黒子2人)によって操られるのであるが、 一番重要な役割を担う俳優の息遣いが徐々に人形に移っていくのが分かるのだ。 今回でも六段目の終わりの方で勘平が切腹する場面での大振る舞いでは、 俳優の荒い呼吸が腹を切った勘平の悲痛な呻きにも聞こえて苦しくなった。 本来ならば最も目に付く人形遣いが自然に溶け込んでいるのだから不思議な話だ。
しかし、こんなにも有名な「仮名手本忠臣蔵」も台本だけを読んでいる分には、 実は陳腐で安っぽいストーリー展開に退屈さを覚えるような代物に過ぎない。 だいたい刀で殺された人間をよくよく調べもせずに自分が鉄砲で殺したと思い、 人に責められるままに切腹し、その直後に事実が分かるなんて・・・有り得ない。 分かっているはずなのに、それでも目の前でやられると納得してしまう。 結局、生の舞台を見ることが物の本質に触れる一番の近道、 百聞は一見に如かず、とは古人はよく言ったものだと感心する。 また機会があれば、是非鑑賞してみたいものである。
帰り際、近世文学の教授と遭遇してしまった。 居るだろうと予想はしていたが・・・木曜日の講義で顔を合わせるのがやや憂鬱。
| 2001年10月01日(月) |
『いちばん初めにあった海』 |
せっかくの満月なのに雨ですか・・・残念。 一応気分を出すために、月見団子を買って帰りました。 しかし、花見団子のように視覚的にも鮮やかな甘い団子とは違い、 やや塩味の真っ白な団子は家族にはどうも不評でした・・・ふぅんだ。
本日の一冊: ・『いちばん初めにあった海』(加納朋子/角川文庫)
加納作品6冊目。 今作品は主題作+『化石の樹』の2作から成立している。 これらはそれぞれ独立した作品でありながら、根底を同じ水が流れているようで、 2作品通して読むことで、初めて読了感を味わえると思う。 でも、面白かったのは当然『いちばん初めにあった海』のほう。
ねえ――。 いっとう初めに降ってきた、雨の話をしようか。 それとも、いちばん最初に地球にあった、 海の、話を・・・・・・。
不思議な書き出しで始まる今作品は頁を捲っていくたびに、 どんどん新しい事実が分かってきて、どんどん物語が転がっていって、 「あぁ、そういうことか」「そうだったのか」 といった具合に、 少しも暇になることはない本だったというのが第一の感想である。 主人公が一冊の本に出会って云々といったストーリー展開は、 著者のデビュー作『ななつのこ』(コレは本当に面白かった)と似ているが、 今作品のほうがずっとアダルトな感じで、もの哀しい。 この本に関しては、余分な情報は何一つ持たないほうがいい。 すべてが意外に見えて、実はすべてがあるべき場所に収まっているから。
でも、ひとつだけ。 関西弁はきついイメージが一般的であるそうだが、私は好きだ。 「かんにんなあ」「ええねん」・・・ね、優しい響きでしょ?
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