| 2001年09月30日(日) |
『カナリヤは眠れない』 |
家族で外出。 わざわざ隣の県までお好み焼きを食べに行く・・・暇人の集い。
本日の一冊: ・『カナリヤは眠れない』(近藤史恵/祥伝社文庫)
昨夜、日付を越して読んでいた本。 久々に現代ミステリーを読んだ気分になった。 最近の探偵は古本屋であったり、助教授であったり、薬剤師であったり、 建築関係の人であったり、落語家であったり、すでに人間でなかったり・・・と、 とにかく忙しい存在なのであるが(どれが誰だか分かる人には分かる)、 今作品の探偵役は整体師、作者は変わった職業を選んだものだと感心する。 内容は謎解きそのものよりも、流石女性作家(しかも若い)、 いわゆる女性という生き物をよく分かって書いているなと思った。 謎解き自体は「ふぅん」、女性描写に関しては「ほっほぉ」といったところか。 女性作家の活躍がめざましいと思う今日この頃。
そういえば、作品の中に「呼吸困難に陥ったカナリヤ」という一節があった。 「カナリヤは空気が薄いといきていかれへん」らしいのである。 この時、ふと頭に浮かんだのは西条八十の「かなりや」(1918年)
♪唄を忘れた金糸雀(かなりや)は 後の山に棄てましょか いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は 背戸の小薮に埋めましょか いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は 柳の鞭でぶちましょか いえ いえ それはかわいそう
唄を忘れた金糸雀は 象牙の船に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた唄をおもいだす
このようなイメージを持たれる「カナリヤ」という鳥はいったい何なのだろう?
※愚痴愚痴日記を先に置く※
今日、奥歯の詰め物が取れたので歯医者に行こうと思い立った。 予約の電話を入れ出発しようとした矢先、どこを探しても保険証がない。 そういえば母親が手続きに使うために持って行ったことを思い出し、 携帯にかける・・・出ない、かける・・・出ない。 仕方がないので母の会社に電話、「今日はお休みです」・・・はぁ?
結局、保険証は後日持参ということで実費で詰め物を入れてもらった。 そこまではいいのだ、保険証を持っていけばお金は返してもえらえるから。 しかし、その後の母親との会話が・・・はぁぁ。
今朝、母は車のメンテナンスに時間がかかり、会社に遅刻しそうであった。 そうでなくても、市役所や病院に行くために早退するつもりだった母は、 会社に電話をかけた・・・「家の都合で今日は休む」と。 それなのに、私が昼間に電話をかけたためにばれたのだと言う。 おまけに「お前は間が悪い」やら「歯医者など我慢しろ」など散々である。 私から言わせてもらえれば、母の行為こそ半ばズル休みに近く、 家族のためだと会社に言うならば、予め家族にもその旨を伝えるべきなのだ。 しかも、携帯が通じない(出れない事情もあるのだろうが)。 携帯さえ通じていれば、誰が好き好んで会社になど電話をかけるかっ。 全く母親のこのテの理屈にはもう慣れたとはいえ、やはり不可解で仕方がない。
大きく深呼吸。
録画しておいた「さんまのまんま」を観る。 ゲストはゴスペラーズ、すっかり売れっ子で私は嬉しい。 さんまさんにも全然負けていない優さんのトークは素晴らしい。 おまけに「彼女います」と笑顔で答える心憎さも愛しい。 はぁぁ、すっかり和みモードで本日は〆。
| 2001年09月28日(金) |
『憧れのまほうつかい』 |
夏休み最終週の金曜日も大学へ。 今日は3時半から古文ゼミがあったのであるが、やっと『伊勢物語』完読。 華やかな恋愛譚などといった固定概念はすっかり吹っ飛び、 男女の関係はいつの時代も変わらず多種多様であることがよく分かった。 教科書にももっと面白い挿話を載せればいいのにとちょっとだけ考える。
古文ゼミ、次回からは『狭衣物語』に決定。
本日の一冊: ・『憧れのまほうつかい』(さくらももこ/新潮文庫)
私にとって「さくらももこ」は好きを越えた特別なエッセイストである。 生まれて初めて読んだエッセイ『もものかんづめ』以来、彼女の虜なのだ。 (限られたお小遣いを遣り繰りしてどうにか生活していた高校時代において、 彼女のエッセイだけは新刊で買い揃えていたのも1つの証といえよう)。 何故なら、彼女の文章はとにかく私の笑いのツボをぎゅっと押える。 内容云々よりも彼女の言い回しや語彙が私の心の琴線をくすぐるのである。 たとえば人と人とが気が合うように、私と彼女の文章も波長が合うのだと思う。 おかげで今回も電車の中で笑いが止まらず、密かに顰蹙を買ってしまった。
今作品の主題はさくら女史お気に入りの絵本画家「エロール・ル・カイン」。 名前を聞いてもよく知らなかったので、早速大学図書館で探してみた。 すぐに数冊見つかったのであるが、その中でもさくら女史のル・カイン初体験作品 『おどる12人のおひめさま』を選んで、頁を開いてみた。 ・・・豪華絢爛、繊細優美、文庫の中にもいくつか絵本中の絵が載っていたが、 やはり絵本として見る時に初めて作品が完成するような気がする。 驚いたのは文章の頁にも額縁のように華美な模様が縁取られていたこと。 それでも決して目に五月蝿くなく、左右の頁の絵と文の均衡が絶妙であること。 絵本という形態だからこそできる凝った仕事ぶりゆえ、子供の本だと侮れない。 実はかなり書き込んだイラストを描くさくら女史への影響も多大だとお見受けする。
テレビで大食い・早食い大会(横文字失念)を鑑賞。 王者・小林尊氏は大会優勝の賞金で生計を立てているらしい。 つまり、大食い・早食いのプロってわけだ。すごいねぇ。
| 2001年09月27日(木) |
『木曜組曲』/『TVピープル』 |
夏休み最終週の木曜日は大学へ。 10月1日の演習発表のために7月中に作成しておいたレジュメの確認をするが、 ・・・勘弁してくださいと思わず頭を下げたくなるような恥かしさ。 院生としてはあるまじき発言なのであろうが、自論を見直すのは苦手である。 しかも他人の前で口頭発表する資料である時は尚更・・・嗚呼・・・
本日の一冊: ・『木曜組曲』(恩田陸/徳間書店)
「苦手」宣言した舌の根も乾かぬうちに恩田陸登場。 しかし、今回はかなり面白いと私は思った。 とっくに終わったはずの事件をいろいろな形で「物書き」に携わる5人の女性が 様々な智恵を持ち寄って真実に迫ろうとするのであるが、嗚呼、愛すべき妄想力。 「物を書く」=「1つの世界を作る」ことを生業とする人間はこうでなければっ! さらに最終的結末に至るまで何枚も何枚も分厚いカーテンを押し分けていく歯痒さ。 (本当に何枚も何枚もあるのです、過言ではない) しつこいと言いたいぐらいの伏線もココまでくれば天晴れに近い。 恩田ファンタジーのファンには不満なのかもしれないが、私は断然コッチ派だ。
おまけの一冊: ・『TVピープル』(村上春樹/文春文庫)
かなり古い本なのだが、初版で100円だったので思わず購入。 内容はどこもかしこも村上ワールド満載の6篇からなる短篇集。 訳が分からないのに、「嗚呼、あるかも」と納得してしまうのは何故だろう? どう冷静に考えてもあるはずないし、あったら相当困るのに。 ・・・などと考えていたら、危うく電車を乗り過ごすところだった。 読書に熱中するのも考えものである、危ない、危ない。
| 2001年09月26日(水) |
「ブリジット・ジョーンズの日記」 |
夏休み最終週の水曜日は映画館へ(水曜は女性千円のレディースデイ)。 家族は私が一人で出歩くことをあまり好ましく思っていないようなのだが、 もともと一人遊びは得意だし、もうつるむような年齢でもないだろう。
友人絶賛の「ウォーターボーイズ」にしようかとちょっと迷った末、 結局「ブリジット・ジョーンズの日記」のチケットを買った。 本当は原作のほうを読んでみたかったのだが、 原作を読んでから映画を観ると碌な目に合わないのでコレでよしとする。
【あまり信用ならない個人的感想】
根本的なストーリー展開は非常に単純明快なので(安直であるとも言う)、 複雑かつ非日常的な事件などを好む人にはやや物足りないだろう。 しかし、多くの女性の共感を得たという評は間違っていないと思われる。 三十路を過ぎた独身女性・・・いや、正直二十歳を越えてしまえば、 程度に差はあれども、女性はブリジット的要素を兼ね備えていく。 気の合う仲間達と馬鹿騒ぎをしている時間は非常に居心地がいいけれども、 無神経で無責任な周囲から「行き遅れ」のレッテルを貼られるのは辛い。 しかも、当人だって結婚を諦めているわけではないのだから、さらに辛い。 悲しいことがあった時は、アルコールと音楽にどっぷり浸かってひたすら号泣、 しかし、他人の前では引き攣った笑顔で取り繕うしかない自分の現状。 全然身に覚えがないとは言い切れない・・・複雑な気分になるのである。
でも、ブリジット・ジョーンズは欠点も含めてすごくチャーミングな女性。 男性視点からの意見は聞いたことがないのでよく分からないが、 女性視点からこのキャラを悪く言うことはまずないだろうと予想する。 何故なら、彼女は時として自分自身でもあるから・・・ 彼女の行動を応援することは、実は自分を応援することにも繋がっているからだ。
最後に特筆すべきこと、音楽的にもすごく面白い映画だと思う。 何の曲がどこでどんな風に使われているのかを考えるだけでも退屈はしない。
日中、院生室にて台湾留学生とともに勉強会をしていると、 4年越しの知り合いから「大学院合格」の通知がきた。 折しも誕生日プレゼントを郵送した直後であったので、 合格祝いも兼ねるという意味では時期的にも経済的にも上手い具合だ。
さて、そのプレゼントの中身こそがGLAYのシングル「ひとひらの自由」、 彼女に贈ったGLAYのシングルもコレでもう3枚目を数えたことになる。 当然、我が家にも発売と同時に購入した1枚があるのであるが、 折角趣味日記を書きながら、一言も触れられないままに今日まで来てしまった。 私は「TAKURO」という人間に珍しく盲目的に入れ込んでいるので、 彼の音楽に触れると感想を述べるための言葉を容易に選ぶことができないのだ。
しかし、今日は好い機会なので書いてしまうことにする。
GLAYの数ある曲の中に「軌跡の果て」という名曲がある。 恐ろしく孤独な曲である。 そして、今回の「ひとひらの自由」に一番通じる曲でもある、と思う。
♪全てをかけて 築いてきたこの道を 今はまだ振り向かず 振り返らずに
・・・「ひとひらの自由」のワンフレーズの向こうに、
♪光を目指す自分のために 何もかも捨てたさ
・・・「軌跡の果て」のワンフレーズが透けて見えるようで、 現在の栄華がおそらく多くの犠牲のうえに立っていることをふと思ってみる。 かつて「そして誰もいなくなった」と歌った口で、現在「僕は孤独だ」と歌う。 一歩間違えればナルシストの戯言かと一笑に伏してしまいそうな世界観も TAKURO氏の手にかかればすんなりと納得できてしまうのは何故だろう?
それはきっと・・・私もその感情を知っているからだ。 夢を叶える為に犠牲にしてきたものの存在を知っている。 だからこそ振り返ることが許されない事実も知っている。 築き上げたもののレベルは違えども、私もまた前を向いているしかない。
やはり支離滅裂になってしまったのでこのままドロンに決定。 好きが高じるというのもなかなか厄介だとつくづく思う。
親の前にて大きな声では言えないが、軽く二日酔いで過ごした一日。 昨夜、遊びにきた悪友と居酒屋に出かけ、思い出話を酒の肴に、 生中1杯、日本酒2合半、ウィスキーダブルのロックを次々と流し込む。 久々に全開で飲ませていただいたような気がして、楽しかった。 ただし、翌日に酒が抜けきらないのはちょっとつらい。
TBS「カウントダウンオールヒット!歴代アルバムアーティスト100!」を観る。 堂々の1位はB'z、流石としか言いようがない王者の風格には頭が下がる。 2位は松任谷由美、亀の甲より年の功、ベテランの貫禄たっぷりですな。 3位はドリカム、必ず周りに熱心なドリファンがいたので買ったことなし。 4位はサザン、意外とアルバムは聴いたことがない私はシングルファン。 そして、5位がMr.Childrenである、わっはっは(大拍手)
ミスチルのアルバムは一応全部揃っているが(ベスト盤は持っていない)、 中でも特別な1枚は3rdアルバム「versus」である。 好き嫌いは問題ではない、私が初めて自分の金で買ったアルバムなのだ。 中学3年生、お小遣いが月に3000円の頃の話だったと覚えている。 今でこそ、アルバムしか買わなくなった私であるが(勿論例外もある)、 当時の私にとってはアルバムを1枚を買うということは大変なことだった。 清水の舞台を飛び降りるような覚悟・・・と表現しても決して過言ではない。
あれから1枚、また1枚と「versus」の隣にアルバムが並んでいって現在に至る。 が、今でもミスチルのアルバムの中では一番手にする回数が多いのがコレだ。
♪62円の値打ちしかないの?
アルバムラストナンバーである「my life」の冒頭ワンフレーズ。 封書がまだ62円で送れた頃がふっと蘇って、ひどく懐かしい。 あの頃の私は切手が80円になるなんて予想もしていなかったはずなのに(笑)
〈1時間半後〉
日記を書いている間に友人から電話があって中座する羽目に・・・ どうやら彼氏と別れたらしい。 私からすればどっちもどっちだから何とも言えない別れ話なのだが、 とりあえず、タイミングがいいのでこの歌詞を贈ろう。
♪いい事ばっかある訳ないよ それでこそ my life
| 2001年09月23日(日) |
おはぎを食すということ |
目にも鮮やかな秋晴れの下、近所の小学校では運動会が開催されている模様。 お弁当を持った若夫婦が我が子の勇姿を観に行く姿はなんとも微笑ましいものだ。 一方、私は自転車で近所の和菓子屋をブラブラしていた。 やはりお彼岸には「おはぎ」でしょうってことですな。
『春のお彼岸、牡丹餅 秋のお彼岸、お萩』
花の王様牡丹と秋の七草萩を同列に置くのもすごい話なのだが、 物は同じでも、季節に合わせて呼び方を変える心配り。 お腹に入れば一緒でしょうという理屈も結構だが、 こういう些細なことに無頓着になっていくのは淋しいから。 頭の片隅に留めておくのもいいんじゃない?
「おはぎ」4個で420円のお買い上げ。 やはり和菓子はお買い得だとしみじみ実感しながら、家族でおいしく戴いた。
今日は悪友が家に来るのでこの辺で。
長い夏休みもそろそろ終幕を迎えようとしているこの頃、 映画「ファイナルファンタジー」のプロモーション番組を観た。 噂には聞いていたが、あの映像の見事さは圧巻の一言に尽きますな。 だって、主人公の微妙な肌加減まで表現されているんだもの。
ゲームといえば、最近すっかりご無沙汰になってしまったが、 小学生から中学生にかけての私は完全に「DQ」派だった。 (むしろ、ちょっとマニアックに好きだったと記憶している)。 しかし、弟が「FF」派だったので家には両方とも揃っていたし、 一応プレイもしてみた・・・が、「FF」は如何せん敵キャラが恐かった。 特に「ウォーム」だか何だかの芋虫系キャラがね・・・ 牙を向いてだらだら唾液を垂らしているアレが本当にダメだった。 あのウェットな質感、あの生々しさは・・・今でもダメだ、うへぇ。
今のゲームはあの頃とはもう何もかもが段違いなんだろうなぁ・・・ なんて、柄にもなく感傷的な気分でテレビを眺めていたら、番組の最後、 お台場国際フォーラムでの試写会でラルクが演奏した映像が流れたので録画。 明日遊びにくる悪友にでも観せてあげようと思う(彼女はGLAYファンでラルク好き) ラルクに関心が薄い私は、とりあえずyukihiroさんが可愛かったの良しとしよう。
本日の一冊: ・『凍える牙』(乃南アサ/新潮文庫)
実は本日ではなく・・・半分だけ読んで忘れていた一冊。 (ミステリーを読みかけで放っておくなんて、当時の私は相当忙しかったのか?) ちょっと分厚いが素直に面白いと思う。 さすが直木賞受賞作(芥川賞よりも直木賞に興味が湧くのは大衆の証だ)。 今作品では先日読んだ『花散る頃の殺人』の主人公が初登場するわけであるが、 こちらを先に読んでおいたほうが短篇の中で彼女のキャラがより生きると思う。 ・・・つまり、私は半分失敗したってことっすね。
| 2001年09月21日(金) |
『天使にラブ・ソングを・・・2』 |
ナンダカンダで結局鑑賞。 『天使にラブ・ソングを・・・』と合わせて、もう何度観たのだろう。 それだけ観ていて、ストーリー展開だってほぼ完璧に暗記しているにも関らず、 飽きることなく放映されたら観るという感覚は宮崎駿作品に共通するかも。 (アレこそナンダカンダ言いながら見逃したことは数えるほどしかないのだから)。
さて、この作品を嫌いだと言う人には今までとんとお目にかかったことはないが、 周囲の反応では『天使にラブ・ソングを・・・』のほうが人気が高い。 でも、私はどちらかと言えば『2』のほうが好きだ。 変わりたいと最初から思っている人間が変わっていくのではなく、 変われるわけがないと思い込んでいる人間が変わっていく様が好きなのだ。
♪長く助走をとったほうがより遠くに飛べるって聞いた (「星になれたら」 by. Mr.Children)
作品中に散りばめられた深い踏み込みの一瞬、 初めて聖歌隊の歌を聴いて固定観念を拭い去った時、 初めて自分達が聖歌隊として人前でパフォーマンスした時、 初めて公の舞台に出て他人と競い、実力で勝利を収めた時、 高く飛び出した彼等には・・・何度観ても痺れるような興奮を覚える。
この作品を初めて観た時は私も同じ高校生だった。 ローリン・ヒル扮するリタの将来への葛藤に共感を覚えたりしたものだ。 シスター・マリア・クラレンスのような先生を羨ましく思ったりもした。 でも、今はもう少し視点が変わって、 リタと同じ葛藤はそのままに、マリアのような先生になりたいと憧れる。 何をすればいいのか分からない若者へちょっとした契機を与えられる機転。 生徒の中に隠された才能への絶対の信頼とそれを引き出すための行動力。 口で言うのは簡単なれど、兼ね備えるのは至難の技だとそっと溜息。
10月に開催される学会の案内送付作業を手伝うために院生集合。 ちょうど「二千年の恋」「セミダブル」が再放送されていたので、 何気なく観ていたのだけれど。。。笑う、笑う、とにかく笑う。 金城武が振り向いただけで笑い、中井喜一が眼鏡を弄っただけで笑い、 リアルタイムで観ていた時にはそれなりに真剣だったはずのシーンでさえも、 誰かが噴出すと感染して爆笑に・・・ダメダメだな、こりゃ。
・『花散る頃の殺人』(乃南アサ/新潮文庫)
乃南アサは4冊目。結構好きな女性作家の1人である。 女性が描く女性像は我が身を振り返ってみて共感できる点も多いのであるが、 時としてそのリアルさが不気味に思えるのは同族嫌悪に近いのかも。 そう考えると、桐野夏生が描く女性像にちょっと似ているような気もする。
今作品は音道貴子というバツ1の女性刑事が主人公の短篇集である。 男女平等が叫ばれる現代においてでさえ圧倒的男性有利の職場の中で、 気丈に肩を張って生きている大人の女性・・・格好いいではないか。 しかし、彼女の魅力はそれだけではない。 外面では無関心を装いながらも、女性であることによる不当な扱いに嘆息。 そのくせ、彼女自身は女性であることを捨てきれずにいる。 音道貴子は現代社会で踏ん張る女性の等身大を映していると言えよう。 まぁ、都合のいい時だけ女扱いしてくれとはよくよく我が儘な話ではあるが。
「女性」であるということがすでにハンディになることがある。 その逆も然りなのであるが、双方とも根深い事実であることには違いない。 実際、教師の世界でも「女性が担任なんて不安」と言う親御さんも多いらしい。 そこには理屈も何もない、感覚的に嫌なのだからどうしようもない。 私は男女平等は無理だと思っているし、完全に平等である必要もないと思っている。 結局はソレに向いている人がやったほうが効率がいいからだ。 しかし、感覚だけで「女性は・・・」と言われるのは気持がいいものではない。 「女性」なんて一括りにしないで、個々で説明してみせろっつうのと思わず舌打ち。
どうもこのテの話題に関して知らず知らずのうちに敏感になるのは、 ふとした会話の中で耳につく科白が積もり積もっていくからだろうか。 相手になるのもバカバカしいので、なるべく聞き流すようにしているのだが。 「女で院なんか行ってどうすんの?」 ・・・どうするかは知らないが少なくとも貴様には関係ないことを早く悟れ。
後書で「近頃の女性は怒りっぽい」という言葉に対して作者が一言。
『怒りっぽくなったんじゃなくて、男性の無神経な発言に対して、 昔ほど我慢しなくなったんだと思います。』
・・・まぁ、そういうことなので、悪しからず。
| 2001年09月19日(水) |
重圧に耐えるということ |
※観た人じゃないと面白くないよ日記※
今夏、最も楽しみにしていた番組「ハモネプ全国大会」が遂に終幕。 ちょっと勿体ないような感傷的な気分である。
ハモネプなるものが番組上に現れてから、 あれよあれよと地区予選が始まって、候補者が決まっていって。 毎週毎週、水曜日の20時が来るのが本当に楽しみだった。 こんなにもワクワクさせてくれる番組は久しぶりだった。
結果を記してしまうならば、西の王者「ぽち」が全国の頂点に立ったのであるが、 当初は東の王者「レプリカ」と西の王者「ぽち」の一騎打ちになるかと思いきや、 関東地区予選で彗星のごとく現れた「ちん★パラ」が猛ダッシュで滑り込み。 見事決勝の座を奪って、西の王者と戦う権利を手に入れたのであるから、 なんともドラマチックな展開じゃありませんか。事実は小説より奇なり、ね。
さて、「ぽち」と「ちん★パラ」の決勝戦も勿論良かったのだけれど、 「レプリカ」ファンとしてはやはり残念だったと思わずにはいられない。 言うまでもなく、当人達はもっと残念だったのであろうが。 「努力してきたことに価値があるのだ」なんて常套句もあるけれど、 努力に結果が伴わなかった時の衝撃はその場では簡単に割り切れないものだ。 それが団体行動の場合はますます気持のやり場に苦労する。 東の横綱、優勝候補・・・全国からの羨望はどれほど重かっただろうか。 人間は華やかで眩しい光の当たる場所ばかりが目に付き始めると、 それに付随する影の濃さにはなかなか気付けないでいるものなので、 テレビに映らない場面での重圧は決して計り知れるものではない。
でも「実力を出し切れなかった」=「運が悪かった」とい常套句は好きではない。 実力を出し切れなかったとしたならば、それは自分の弱さでしかない。
『世の中にはバカな奴がいて、「運も実力のうちだ!」とぬかしているのを、 ときおり耳にする。オレはそんな言葉、絶対に認めない。 運はあくまでも運であり、努力している者、才能のある者には、運など関係プーである。』 『遺書』(松本人志/朝日新聞社)の中の一節である。 私はこの言葉が好きだ。 都合の良い時だけ「運」を悪者にして逃げ道を作っていては、 いざという時に「運」を味方につけることなんてできるはずがない。
「レプリカ」はきっと今大会で受けた重圧を糧にさらに成長するだろうな。 一度でいいから生で聴いてみたいものだとミーハー心が密かに燻る今日この頃。
| 2001年09月18日(火) |
『どくとるマンボウ航海記』 |
たまに自分の書棚に飽きると、父の書棚から本を失敬してくる。 カバーがなかったり、日焼けしたりとお世辞にも美しいと言えない状態であるが、 若かりし頃の父が触れた本であると思えば、やはり貴重な財産なのかも。 今回も父の書棚から漁った一冊を3日かけて漸く読了した。
・『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫/角川文庫)
旅行記である。 医者でもあった著者の、「照洋丸」の船医として実体験した半年余りの船旅記。 つまり、ノンフィクションである、「一応」。
何故「一応」なのか。 それは今作品がどこもかしこも胡散臭くて仕方ないからである。 どくとるマンボウは船上であろうと地上であろうといたってマイペース。 ちょっとしたハプニングもでっかいハプニングも何のそのでマイペース。 現在でこそ海外旅行などパスポートがあればちょちょいのちょいの時代であるが、 当時の日本人にとっては海外旅行はまだまだ縁遠いものであったはず。 さらに慣れない船の長旅でどうしてこんなに普通なのと首を傾げるばかりである。 勿論、全部がノンフィクションだなんて信じ込むほどピュアではない。 何せ歴代芥川賞作家の1人、平凡な事実を面白おかしく仕上げるスパイスなんて ふんだんに持っているだろうし、使ってもいるだろう。 しかし、だからと言ってここまで現実味がないというのもすごい話だ。
この本を読んで海外に行きたいと思った人は果たして何人いるのだろうか? 少なくとも私は行きたいとは思えなかった(苦笑) しかし、どれだけ国が成長してもどこか外国に引け目を感じる日本人のお国柄を 当時の時点ですでに一蹴してしまっている勢いには天晴れの賛辞を送りたい。
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作品を読み終えた後、後書、解説を読んで、ふと奥付を見てみた。
『発行者 角川源義』
うひぃ、現社長・角川春樹氏の御父上の時代の本であったか。 さらに角川源義と言えば古典研究、特に私の修論題材も含んだ軍記の大研究者。 奇しくも研究室から角川氏の著作集を借りてきた日なだけにちょっとご縁を期待。 どうか私の修論に力を貸してくださいませ。
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ラスト、今回最大の衝撃的事実。 作家北杜夫・・・本名斎藤宗吉、なんと大歌人斎藤茂吉のご子息だった。 池澤夏樹が福永武彦の息子だと知った時以来のビックリを覚える。
血液型、誕生日(星座)、動物・・・ 世の中には性格パターンを分別するいろいろな手段が溢れている。 そして、私は結構そのテのテストが好きな方だと思う。 パーフェクトに当っていることなど初めから要求していないが、 意外と思い当たる節々があったりしてなかなか興味深いからである。
さて、今回試してみたのは「ツキアイゲノム判別テスト」 RECRUIT企画、キャラミル研究所による判断テストだ。 (興味があれば、〈http://www.charamil.com/index.php〉へどうぞ) 32問の質問に答えることで性格を8つのパターンに区分する。 ネットサーフィン途中で見つけ、早速やってみることにした。
結果は「タイプ7」、一言で言うなら受け身体質のキクバリスト・・・らしい。 他人がどう思うかはいざ知らず、私的にはかなり当っていると思う。 私は自分がリーダーであるよりも、誰かのもとで動くほうが好きだ。 私は聞き上手であると思うが、逆に自分のことを話すのは苦手だ。 他人と衝突してまで自分の考えを強引に押し通すのはもっと苦手だ。 人見知りは激しくないが、誰かと深く親しくなることもあまりない。
ただこうして判断結果を読む時にいつも思うこと。 特に「おっ、当ってるじゃん」という時に強く思うこと。
果たして自分の性格が本当に判断結果に一致しているのか、
はたまた、
無意識のうちに判断結果に自分の性格を合わせようとしているのか。
・・・よく分からなくなることがありませんかね?
月例バイト、今日はたい焼き&お好み焼き(焼きそば)の売り子だった。 回を重ねるごとに仕事の割合が増えていっているのは気のせいか? もう年なので立ちっ放しの休憩なしはつらいです、社長(苦笑)
さて、売り子バイトはこれで5回目なのであるが、 たい焼きを売っている姉ちゃんが実は教員志望の大学院生であるという事実が、 大抵の人にとっては意外かつ珍しいことであるらしいことが最近分かった。 客も他の売り場の職員も、「へぇ、また何でここで?」的反応を示すからである。 塾講師や家庭教師などをしているほうが自然であるということであろうか。
確かに、生徒の前に立つという意味では後者のほうが近い職業であるし、 将来のための様々な準備や心構えなどもできるのかもしれない。 (実際、今年の夏は大変いい勉強をさせていただいたと思っている)。 しかし、一見すれば全く関係もなく役に立ちそうもない接客業の中で、 私は塾講師や家庭教師では絶対に学べないであろう多くのことを学んでいる。 例えば来客の中には障害を持った方もいる。 この時、私はいつも−無意識の意識−自然に振舞おうとして逆に身構えてしまう。 一方、社長は普通に声をかける。 「まいど、何にすんねん?」 「これにするんか? 熱いからちゃんと持たなあかんで」 「おおきに。またおっちゃんがこっち来たら買うてってな」 少しの気負いもない、まさに私が思う自然な振舞いが眼前で行われていく。 私の「いらっしゃいませ」と社長の「まいど」。 他人が聞けば違いはなくとも、私の中ではやはりどこかが違うのだ。
学部生時代に親しくしてもらっていた院生が去年養護学校の講師をしていた。 ちょっと話す機会があったのでいろいろと教えてもらっていた時に、 「養護学校に遊びに来る子の行動ってね、おそらく意識し過ぎちゃって、 過保護になったり、逆によそよそしくなったりしちゃうことが多いの。 でも、友達が重い荷物を持っていたら普通は半分持ってあげたりするでしょ? そういう自然な付き合い方ができるようになるのが本当は理想なんじゃないかな」 彼女が呟いた言葉を、今になってありありと思い出すのである。
頭で理解することは簡単であっても、実現することは意外と難しい。 そして、実現できないことを他人に伝えることはもっと難しいのではないか? 幸い、眼前には実現している格好の師がいる。 彼からさらに多くのことを吸収して、価値観・人生に深みを増したうえで、 私は教壇に立ちたいと思うのである。それは決して遠回りではないはずだから。
| 2001年09月15日(土) |
悪友と逢うということ |
今日は大学時代の悪友とデート。 彼女との付き合いは大学三年の時以来、当時はお互いのアパートが近かったので、 バイト帰りにどちらかの部屋に集合しては夜通しアルコールを摂取しながら、 様々なアーティストのライブビデオやらPV集やらを鑑賞して面白がっていた。 二人とも音楽の許容範囲が広かったので、何を観てもそれなりに楽しめたからだ。 もう二度と戻れない宝物のような退屈な日常は大抵彼女と一緒にあった。
11:30、某交差点で彼女と待ち合わせ。 小腹も空いてきたので喫茶店に入りランチを食す。 ・ナスとベーコンのパスタランチ ¥850
12:30、街をぶらぶらした後でカラオケに行く。 彼女は最近お気に入りのガッくんで攻める。 私は練習中でもあったデリコで応酬。 彼女が年甲斐もなく娘。に突入。 しぶしぶホワイトベリーで返してやる。 ・・・かなり疲れる。 さらに浜崎という暴挙に出る彼女。 付き合いきれないのでマイラバに逃げる。 彼女とカラオケに行くと4時間はあっという間だ。 ・ワリカンで¥900
17:00、天候が崩れてきたので彼女の部屋にお邪魔する。 ボーナスをはたいて買ったというDVDにお目にかかる。 私も来春には何とか購入できるよう今から頑張ろうと再度決意を固めた。 アイスティーを戴き、二人でZONEの「secret base」のPVを見る。 曲の雰囲気では男女の恋愛を描いたものだとばかり思っていたが、 実は少年同士の友情を描いたものであった事実発覚。だから「基地」なのか。 その後、河村隆一の「ジュリア」のPVを見る。沈黙は金なり。
20:00、ひととおりPVも観てしまったのでコンビニへ夕飯を買いに行く。 ・サンドウィッチとオレンジジュース ¥300 彼女が秘蔵のビデオをとして、B'zの古いPV集を出してくる。 彼女は相当の稲葉ファンであるが、B'zに一通りの関心しか持っていない私は、 まだ初々しい稲葉氏の微妙なダンスに噴出して顰蹙を買う。だってさ・・・
21:10、バスに乗る時間が来たのでお暇する。 バスに乗っていったん駅へ行き、電車に乗って地元へ戻る。 帰宅22:30、流石に疲れた。
結論、彼女と過ごす時間は今も昔と変わらず最高に楽しい。 しかし、イイ年した女性が休日に二人でつるんでいる光景はなかなかに侘しい。
| 2001年09月14日(金) |
『月曜日の水玉模様』 |
ツキツキツキツキ、チクチクチクチク・・・頭痛音。 どうやら秋風にやられて、秋風邪を引いてしまったらしい。 風呂上りに細く開けておく窓を閉め忘れて寝てしまうのが敗因か。 折しも外は雨、おとなしく自室に引き篭もるべし。
本日の一冊: ・『月曜日の水玉模様』(加納朋子/集英社)
加納朋子の本はこれで五冊目である。 ちょっと気が強く好奇心旺盛な美人ととぼけていながらもキレ者の青年。 どこかで読んだ組み合わせだと頭を捻っていたら、何の事はない。 同じ加納朋子作品『掌の中の小鳥』のキャラとどこか似ているのだ。 勿論、そこはプロの仕事、あくまでも「どこか」似ているだけであるが。 そもそも男女対のミステリなんて、探す努力をする前に簡単に見つかるだろう。
いつも思うこと、加納女史の作品には非常に女性らしい物の見方が溢れている。 本当に些細なことだ、たとえばエプロンの柄だとかシャツのイニシャルだとか。 さらにOL経験が物を言うのか、会社における女性社員の立場の微妙さや、 ふとした男性社員の言葉に対する反応を非常にコマメに描いている。 何割までがフィクションで、ノンフィクションなのだろう? 会社勤めの経験がない私にはどうにも判断しかねるところであるが、興味深い。
今作品は表題作から「日曜日の雨天決行」までの全7話構成。 ちょっと創り過ぎが匂うところであるが、「土曜日の嫁菜寿司」に一票か。 複雑な家庭事情のため、賢くて料理上手な祖母に育てられた主人公。 困った時、悩んだ時、適切なアドバイスをくれる祖母と主人公の関係は、 誰かに似てる? なんて考えるまでもなく、私と祖母だ。 共働きの両親に代わって幼い私の手を引いてくれたのは祖母だった。 (おかげで私と母の相性が悪いのだという見方もあるにはあるが)。
「その祖母に聞いた話だと思うんですが・・・嫁菜ってご存じですか?」
そう切り出して、主人公が祖母から聞いた知識を自然と口にする姿は、 きっと何時か何処かでは私の姿となっていることもあるに違いない。
家庭問題に触れるのは幾分気が引けるが、いつかの証拠に正直に記すことにする。
夕刻、家族が一つ屋根の下に揃った直後に母親と大喧嘩をした。 常にも軽い口論ぐらいはしていたが、母親に怒鳴ったのは初めてだと思う。 大抵母親が先にキレるので、私が折れることにしているからだ。 まともに衝突するエネルギーがあるならば他に回したほうが得に決まってる。 いつの間にか巧妙に避難する術を覚えたのは当然の成り行きだった。
しかし、今回ばかりは知らず存ぜずではいられない。 数日前、母親が身体に関して嫌なことを言い出したからだ。 「気のせいならばそれに超したことはない、とりあえず検査を受けてくれ」 私は頼んだが、大の病院嫌いの母親がおとなしく従うはずがない。 はっきり言って途方に暮れた。
父親にも相談した。 しかし、来院は本人の意思がない限りどう仕様もないとあっさり却下。 そんなことは百も承知で相談したのに・・・私は最後の賭けに出た。 最後の切り札は祖母だ。 祖母と母はいわゆる「嫁姑」で折り合いが悪い。 でも吉と出るか凶と出るかは知らないが、衝突は時に新たな道を開くこともある。 私は大袈裟でなく決死の思いで祖母に相談した。 このことが知れれば、母親は激怒するに違いない。 下手すれば当分の間冷戦状態が続くことを覚悟した。
祖母が切り出した言葉を私が引き継ぎ、父親の援護を受けながら母親と口論暫し。
結果、母親はとりあえず「病院に行く」と言った。 私の最初の目的は果たせたと言えよう。 しかし、祖母は心痛のあまり具合を悪くし、 仕事から帰って来た父親は突然の喧嘩に複雑な顔をしていた。 代償は大きい。
世間では「親の心子知らず」などと広く言われている。 ならば、親は子の心をどれほど知っていると言えるのだろうか。 「病院に行け」と言う声に迷惑そうに顔を顰めた母が、 私がどれだけ心配していたかなんて知っているはずがないのだ。 家庭の調和を乱した私の行動に非があったとするならば、
・・・他にどうすればよかったの?
6:20起床。 習慣どおりにテレビを点けると、画面の中で一気に高層ビルが崩れ落ちていった。
(何で朝から映画なんてやってんだ?)
一瞬間で脳が弾き出した解答がソレだなんて・・・ 寝ボケてるどころか平和ボケだと自己嫌悪に陥るしかないじゃないか。 図書館に行こうと前日から用意してあった鞄を抱えてテレビの前に座り込む。 9時、10時、11時・・・やっと図書館に出かけたのは14時過ぎ。 一時間後に帰ってきても依然ニュースが続いていて、ますます朝の自分が悲しくなった。
アナウンサーが慌しく告げる。 「日本人の安否は・・・」 「日本人滞在者の確認は・・・」 「日本人は・・・」「日本人は」「日本人」『日本人!』
どこかで聞いたことがある?
♪あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も みんな昔子供だってね 外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに 「乗客に日本人はいませんでした」「いませんでした」「いませんでした」 そう歌っていたのは、The Yellow Monkeyだ。 「JAM」、あの時はなんて皮肉な歌だろうと驚いたっけね。 でも、皮肉を言えるのは安否を案じねばならないような身内がいないからだ。 大変だ、非常事態だと騒ぎながらも、客観視している。 「日本」を強く思う気持と「世界」のこれからを案じる気持が、 くっついたり、離れたりを繰り返している。
♪僕は何を思えばいいんだろう ・・・私は何を思っているのだろう?
米国、ハイジャックされた飛行機から息子の電話を受けた母親が、
「・・・(息子が)『愛してる』って言うんですよ・・・」
放心して泣きながらも、存外穏やかで微笑みすら湛えているから、 人間は本当に悲しい時には上手く泣くことさえもできないのだと知った。 それはきっと国境など遥かに越えた万人共通の哀れかつ不器用な性だ。
『愛してる』
こんなにも哀しく、美しい最期の言葉を知って、人は何を思う?
今日は国語国文学会理事会という名のくだらない会議に出席。 院生は絶対参加のため、逃げることは許されないのだ。 しかし、台風直撃は免れたものの余波はしっかり暴れている中、 片道2時間かけて大学に行く苦労を少しは分かっていただきたい・・・K教授。 まぁ、欲しい論文を4本ゲットしたのでイーブンにしようと心に決めた。
本日の一冊: ・『華胥の幽夢』(小野不由美/講談社X文庫ホワイトハート)
先日読了したばかりの「十二国記シリーズ」最新刊である。 今回は初の短篇集ということもあって結構気軽に読んでしまったのであるが、 私の中では小野不由美は長編作家と認識されていたため(参考:『屍鬼』/新潮社)、 正直にいえば、実はちょっとだけ手放しでは喜べない心境であった。 なぜなら、基になる長編(しかもかなり人気)があったうえで編まれた短篇集は、 不完全燃焼に終わることが多いからである(あくまでも自論であるが)。 その最大の理由としては、そのテの短篇集によくある「コレだけでも十分楽しめる」的優しさが、かえって設定説明の重複などで手間取らせて、作品を中途半端な仕上がりにしてしまっていると私は考えているのであるがいかがなものか。
ともかく、今作品についてどうだったかというと。 うまい具合に気が抜けたまとまりある短篇集であると考える。 多くのことを凝縮して詰め込むのでもなく、結論を焦って急展開に転がるのでもなく、 分量に応じた時間枠に主旨が明確な事件がすっきりと収まっている。
・・・その中に「書簡」という短篇があった。
「本当に順風満帆ははずなんてないって分かってるからこそ、 それでも平気だって言って、しゃんと背筋を伸ばしている様子を見ていると、 私もしゃんとしよう、元気を出して頑張ろうって気になる」
友人・楽俊が頑張っている姿を便りで知って、若き女王・陽子が言う。 それを聞いた女官・玉葉が「空元気はお見通しなんじゃ?」と尋ねると、以下。
「そんなの、分かってるよ。お互いにそうなんだ。――だから、それでいいんだよ」
「それでいいんだよ」 言い切ってしまう潔さが身に染みた。 かなり気に入ったシーンなので書き留めておく。
夕方、母が車の中に夕刊を置き忘れたと言うので取りに行った。 玄関の引き戸をガラガラと開けて、面倒くさげに一歩足を踏み出した途端、
「おぉぉ〜〜っ」
思わず目を見張った。おそらく口も開いていた。 目の前の灰色の空を物ともしない迫力で、大きな虹が架かっていたのだ。 しかも、中途半端に切れていない、ほぼ完全体のRainbow Bridge。 なんとも贅沢すぎる一品じゃないかっ!
・・・ということで、今日のお題は「虹」にしようと思う。 「虹」といえばいくつもの名曲が存在する中、最も有名なのはやはりコレだろう。 知らない人っているんですか、の「Over The Rainbow/虹の彼方に」。 E.Y. Harburg作詞、名作「オズの魔法使い」から生れた名曲中の名曲である。 しかし、私の中ではもう一曲、「虹」に関する思い入れの深い曲がある。 Mr.Childrenの初期作品「虹の彼方へ」(「KIND OF LOVE」収録)がソレ。
「虹の彼方に」と「虹の彼方へ」、たった一文字変われば曲全体が変わる。 こんな時、日本語は魔法のようだと改めて見直さずにはいられない。
♪Somewhere, over the rainbow, way up high, There's a land that I heard of once in a lullaby
簡単に訳せば、「虹の彼方にはかつて子守唄で聞いた夢の国があるんだってさ」 スロウな4拍子に乗った優しいメロディに寄り添うようなリリック。 「虹の彼方に」はよほど素晴らしい何かが存在するのだ・・・ 大人になってもふと信じてしまいそうになる子供の自分が見つかる、嬉しくなる。 一方、ミスチルの歌いだしは以下のよう。
♪Walkin on the rainbow 雨上がりの路上に輝く 飛び出した My dream
ポップな曲調の裏に隠されているのは、溢れ出しそうな情熱と多少の焦り。 手放せない夢を抱えて、夜を彷徨うのは曲中の主人公だけではない。
♪I'm walkin on the rainbow 数えきれない夢が溢れて The future in your eyes wishes come true
「虹の彼方に」思いを馳せる心を忘れないまま、 「虹の彼方へ」歩いていきたい・・・現在の私はそうありたいと心から願う。
年の近い姉弟ほど厄介なものはない・・・私の自論である。 性別が同じならば、服装や趣味などで共通の話題が見つかることもあろうし、 年の差が離れていれば、世代の違いだと割り切ることもできるであろう。 しかし、小学校・中学校、おまけに高校まで被ってしまった二歳違いの姉弟では、 嫌でもお互いの生活空間にお互いの存在を感じていなければならないのである。 おまけに私は文学少女、弟は野球少年、共通の話題などあろうはずがない。
一言で言えば、仲が悪かったのだ。高校時代は最悪。 その仲の悪さは校内でも有名(この世界の狭さが嫌だったのだ/苦笑)で、 後から聞いてみれば、両親ですらもちょっとだけ本気で心配していたらしい。 それでも、姉弟は姉弟。 そのことを思い出させてくれたのが、下記の一冊である。
『おとうと』(幸田文/新潮文庫)
幸田文の半自伝小説は、市川昆監督の手によって映画化もされた名作である。 (この場合、小説も映画も名作だというのだから稀有と言えよう)。 物語はある事件を契機に不良に染まっていく弟が結核によって息を引き取るまで。 主人公・げんと弟の緑郎という三歳違いの仲良し姉弟も、 成長するにつれて少しずつ関係に隙間が見え始め、ぎくしゃくしていく。 弟の不甲斐なさに腹を立てながらも、何かあるのではないかと心配したりと、 急速に大人びていくかと思いきや、存外子供っぽい所も見える弟を、 時に気弱に時に気丈に、両親以上の注意を払いながら見護るげんの姿は、 弟を持つ姉ならば誰もが一度は体験したことのある感情を思い出させてくれる。
年を取っても仲の良い姉弟だって大勢いるのであろうが、 いつまでも子供だと思っていた弟をいつしか見上げるようになり、 声変わりを終えて、無口になっていく時に感じる戸惑いや焦りは、 姉にとっては軽い一大事であり、覚悟を要する瞬間なのだと思う。 しかし、幸田文は18歳で弟(享年15)を喪った。 こんなことならば、もっと生きてもっと心配させてくれたほうがマシだと、 きっと何度も思ったであろうことは想像に難くないではないか。 私だって、弟が元気でいたからこそ無視の一つもできたのだから。
最後に我が家に関して付け加えるならば・・・ 両方がそれぞれの大学で新たな一歩を踏み出した時に雪解けが到来した。 やっとお互いの影を振り切ることができたとでも言えようか。 それは決して淋しいことではなく、喜ばしいことなのである。
速報が飛び込んできたのは午後5時40分を過ぎたぐらいだっただろうか。 居間で呑気にバラエティ番組を観ながらごろごろしていた私は、 テレビ画面上部に矢継早に表示されるニュースに釘付けになった。
「中国道女子中生死亡で中学教師逮捕」
その後のニュースには興奮したアナウンサーによる実況中継が次々と挟まれ、 週明けのワイドショーが騒がしくなるのが目に見えるようだった。
メディアは言う、「まさか教師がっ!?」・・・何を言っているのだ? 教師=聖職者などといった公式はとっくの昔に滅んでいるのだ。 現在の教師は常に心身のどこかを病んでいる。 生徒との関係、同僚との関係、PTAとの関係。 狭い世界に張り巡らされた蜘蛛の糸のような柵が、 じわじわと一人の教師を取り込んで侵食していく。 他人の人生のまだ感受性の強い時期に関与するということは、 たとえたったの一年であったとしても大きなプレッシャーが生じる。 教師はいつでも重圧との攻防戦を繰り広げている戦士なのだ。
よって、最近はその責任の重さに耐えかねて放棄していく教師が増えている。 確かに「学級崩壊」「学校崩壊」、手に負えないことが多いのも事実だ。 時には身の危険を覚える瞬間だってあるかもしれない。 それでも、教師は戦ってなんぼの職業だ。 現実から目を逸らしてはならない。 それが生徒の人生に関与する時の最低限の心構えなのだから。
教師は決して聖職者である必要はない、ただし犯罪者であって良いはずもない。
感情的になった文章に反省を試みる。 この事件に関しては、もっと多くの情報が出、詳しい状況も明らかになるのだろう。 もしかしたら、教師という枠を越えた場所での深い事情もあるのかもしれない。 私の考えが全くの頓珍漢になるということも有り得るだろう。 しかし、教師を目指す卵としては、あまりにも嘆かわしい事件なのだ。 「今の時代に教師をすることにならなくてよかった」 すでに定年された元教師の方がおっしゃった言葉。 それでも教師になりたいと強く願う私は愚か者なのだろうか?
♪マイナス100度の太陽みたいに 身体を湿らす恋をして めまいがしそうな真夏の果実は 今でも心に咲いている
サザンの「真夏の果実」を初めて聴いたのは小学校5年生の頃だったと思う。 友人から借りたカセットテープに入っていたのだが、 一回聴いただけでは何を言っているのかよく分からなかった。 歌詞カードなんて勿論なかったから、繰り返し聴いて文字起こしをした。 やはりよく分からなかった・・・でも、大好きになった。
♪マイナス100度の太陽
理解しがたいだけに衝撃度も最大だったワンフレーズ。 丸い球体が凍ったもの、蒼白くて、冷気が蒸発して白く濁ったような? 否。 私の中では水底から空を見上げた時の太陽だった。 冷たいプールの底に沈んで上を見上げた時に水面に反射している光の波。 その向こうにゆらゆら揺れながら、暗い太陽の影が見える。 幼いわりには、なかなか詩的な発想だ。 本人は今でもわりと気に入っているので、批判は容赦願いたい。
♪四六時中も好きと言って
四六時中=24時間=一日中、この公式を発見した時はかなり興奮した。 難解なパズルの一端を解き明かしたような快感。 「一日中」とは言わないところが駆け引きめいているようで、 歌詞世界に充満する大人の恋の色気にすっかり酔ってしまったのだ。
もちろん今でも酔い覚めやらず。
*****
本日、ファンデーションを秋冬用に変更。 制服を卒業した身には、ちょっとした衣更え気分である。 常に新作を意識するほどメイクに興味はないのだけれど、 いつの間にか外出時には最低限のメイクを施すようになっていた。 大人になった・・・といえば聞こえだけはいいのだが、 反比例するかのように恋愛感情が乏しくなっていく自分が時々哀しい。
ほんの時々だけれどね。
| 2001年09月06日(木) |
小さな命が喪われるということ |
今日は家で論文を読もうかと思っていたが、来客があるというので一路図書館へ。 (来客は祖母の友人、そういう来客ならば大歓迎なので全然問題なし)
市立図書館はちょうど母校の高校の前にあるから、通い慣れた道である。 かつてのごとく自転車を走らせている途中、ふと視界に「何か」が入った。 「猫」、道路の脇に仔猫が横たわっていた。 否、死んでいたとしたほうが正しいか。
フラッシュバック。
小学校の時、友人と一緒に犬に追いかけられたことがある。 二人で必死で逃げて、ほとんど反射的に大通りを渡った。 犬はやはり追いかけてきた。
そして自動車にはねられた・・・目の前で。
幼い私にはあまりにも衝撃的な出来事だった。 友人と相談して、一度家に帰ってから再び戻ってくると、 犬は道路脇に寄せられていた。 まだ息をしていた、足から血が出ていた。 荒い息の下、私達を見て「くぅん」と小さく鳴いた。
私は犬の前に家から持ってきた水とハムを置いた。 友人はポケットの中のハンカチを犬にかけてやった。 それが最初で最後のその犬との交流になった。
今から思えば、我ながらおかしな行動だ。 事故に遭って苦しんでいる犬がどうして呑気にハムなど食べるだろうか。 それでも当時の私にできる精一杯のことだったのだろうと思うと、 おかしくもあり、哀れでもあって、切なくなる。 この羨ましいほどの無邪気さを私はきっともう失ってしまったのだ。
図書館からの帰り道にはすでに仔猫の姿はなくなっていた。 あの日も小雨が降っていたことを、灰色の空を仰いで、ふと思い出した。
| 2001年09月05日(水) |
『黄昏の岸 暁の天』 |
本日も院生室は絶好調。 話題は「ケロンパ」、何のことなのか思いだせず皆がイライラしてきた矢先に、 「あぁっ、銭湯の風呂桶の底っ」と素でのたまったK氏に脱力(そりゃ「ケロリン」だよ)
閑話休題。
日本文学を専攻している、挙句に院生ですなどと言うと、必ず言われるのが、
「じゃぁ、愛読書はやっぱり夏目?」「本棚は古典でいっぱい?」
・・・んな訳ないだろっっ!?(心の中ですかさず裏拳) 学問に励んでいる時ならばいざ知らず、普段の読書生活は他と大差ない(はず)。 ミステリーだろうと、SFだろうと、面白ければ何でも読む。 勿論、ファンタジーだって例外じゃない。
『黄昏の岸 暁の天(上・下)』(小野不由美/講談社X文庫ホワイトハート)
知る人ぞ知る大人気小説「十二国記」シリーズの新刊をやっと読んだ。 購入したのはずいぶん前なのに、今まで散々新刊を待ち続けた時間を思うと そう易々とは読めない気分になってしまうので、放ってあったのである。 なにせ4年以上音沙汰なしの状態だったのだから、普通の新刊とは訳が違うのだ。 さて、読了感想は・・・「急展開ですね、小野主上」 行方知れずになっていた主要人物の探索に、今まで知らなかったキャラ続々登場。 さらにもう一つ・・・「やっぱ面白いですわ、小野主上」 物語にも登場人物にもぴんと筋が通っているから、全体像がぶれることがない。
世間一般の「大人」に該当する方々、ファンタジーは子供小説と侮ることなかれ。 架空の国家、架空の生物、架空の文化、架空の生活。 無の状態から一つの世界を創り出すのは、並大抵の構想力で成せる業ではない。 上質のファンタジーは、大人の鑑賞にも十分耐え得るものだと私は思う。
大学院の同輩K氏から携帯のメルアド変更のメルが「やっと」届く。 どうやら私に「だけ」送り忘れていたらしい・・・阿呆め。 しかも最後の最後でこの捨て台詞。
「おれを非道と呼ぶなら呼ぶがいいさ!」
・・・逆ギレかい・・・いい度胸だな。 ちょっと考えて、半ば嫌がらせ的返信をする。
「巷でよく聞く「ひど〜い」の「ひど」は「非道」からきたのかね?」
実際のところ、どうなんだろう? ちょっと謎、かなり謎。
閑話休題。
最近、GRAPEVINEがヘビーローテーション。 元々ボーカル田中氏の声がすごく好きなので、気に懸けていたバンドなだけに 友人から10月にライブに行こうと誘われたのはかなり嬉しかった。 よって、目下精力的に予習中。
実は私の中でのGRAPEVINEは体温の低いバンドに位置付けられてかなり久しい。 激しい曲なのに、その熱情が内に秘められたまま進んでいくカンジ。 または、薄い膜の向こうで曲が鳴っているのを眺めているカンジ。 ボーカル田中氏の声がそういう雰囲気を作るのに一役買っているから、 ますます私の中の彼等の曲の印象は「平熱よりやや下」になっていった。
でも、今回の「風待ち」はちょっと違う。 歌詞の世界がすごく身近に感じられるから、「平熱」に近い。 こんなに優しい歌を歌えるようなバンドだったっけ? それとも、月日とともに少しずつ変化していったのかな? いつの間にか過ぎてしまった季節を感傷的に思い返してしまうのは、 終わりが近付いた夏の仕業だろうかと思いながら、少しだけ切なくなる。
♪たまに会う友達は 昔の話ばかり あの頃見てたもの あれもこれも遠すぎて みんな知らぬ間に 時を過ごしたのかなあ 思い描いたとおり? ちょっと違う
今 夏の香りがしました
「風待ち」 by.GRAPEVINE「CIRCULAT∞R」
今日は大学へ行こうかとちょっとだけ思ったが、天気が悪そうなのでやめた。 お前はカメハメハ大王のご子息かいって一応自分に突っ込んではみたものの、 今日は特に大学行ってもすることないんだよねぇと思い返す。 どうせ明日明後日は行かなくちゃいけないわけだし、まぁいいだろ。
代わりにと言ってはなんだが、今日は一日を宿題のレポート作成に費やした。 内容は先日観に行った能の鑑賞記録であるので、特に資料も必要ない。 要するに、夏休み直前の講義を力技で休講にされた助教授渾身の反撃なのであった。
謡曲「小袖曾我」は、『曾我物語』を基にして作られた一幕物の現在能。 全九公演のうち敢えてコレを選んだのは、私の修論が『曾我物語』だからである。 これで『小袖曾我』を観ていないなどと言ったら、助教授に何を言われるか分からない。 優れた論文を書くためには、一にも二にも作品に対する愛情が必要なのだから。 (時として、愛情は憎しみにも変わるんだけどね・・・) ともかく、観能の際に持参していた本文のコピーに書き込んだ感想をもとに、 せっせと観賞記録を作成する。ポイントは衣裳・所作・科白、等々。
一通り書き終えた後、ふと思いつく。 (『曾我物語』自体では、この場面をどう扱ってたっけ?) よって、いそいそと本棚から『和泉古典叢書10 大山寺本曽我物語』を取り出す。 頁を繰る、読む・・・おぉぉぉっ(驚) 当然ストーリー展開は一緒だが、人物の性格付けがかなり違っている。 『曽我物語』よりも「小袖曽我」のほうが、より人間臭くて、弱っちい。 母親に勘当されている弟が、兄の前で「もう俺は母さんの所に行きたくない」 なんて、拗ねちゃってるシーンは『曽我物語』には見られない。 何せ『曽我物語』の世界では、弟は武勇の誉れ高い立派な武士なのである。 (どうして、能作者はこういう性格にしたのだろう?) (他の「曽我物」と呼ばれる能作品でもこうなのだろうか?) (能以外の芸能で『曽我物話』ベースの作品は何があったっけ?) (そもそも『曽我物語』の中の弟は本当に勇猛なだけの人間なのか?) ・・・考え出したら、キリがない(苦笑)
とはいえ、コレを問題に何とかしようなんてこれっぽちも考えていない。 閃きは一瞬の感情の昂ぶりが生むものに過ぎない場合が多いからだ。 ただし、「下手な鉄砲数撃ちゃ当る」もまた真実、 繰り返す閃きの中で、たまに大輪を咲かせる閃きもある・・・たまにね。 一つの閃きが生きるか否かを見分ける能力を身に付けるためにも、 人は考えることをやめてはならないと私は思うのである。 文学に限らず、生きていくうえで。
「人間は、考える葦である」 by.Blaise Pascal
| 2001年09月02日(日) |
『悪い夢 私の好きな作家たち』 |
世の中のいわゆる「乱読家」と称される人々がどうなのかは知らないが、 自称「乱読家」の私は実は自力で本を選ぶのが苦手だ。 だから、気に入った作家の本やシリーズを一通り読んでしまうと、 ふと、次はどうしようかと、途方に暮れてしまうことがある。 書店や図書館の本棚の前を何度も行き来しながら、結局素手で帰ることも多い。 そこで最近は他力本願、もっぱら他人様の情報を頂戴することにしている。
『悪い夢 私の好きな作家たち』(久世光彦/角川春樹事務所)
この本を読もうと思った契機も実は某雑誌の紹介を見たからなので、 まさに堂々巡りのどうしようもない話なのであるが・・・ 久世氏が特に力説しているのは、江戸川乱歩と『吾輩は猫である』であり、 その他には、泉鏡花、岡本綺堂、伊集院静、山口瞳、太宰治、伊藤左千夫、 大江健三郎、幸田文、中野翠、北村薫、宮部みゆき、さくらももこ、等々。 専攻上、読んだことがある作家(と言っても数作品のみの場合が多い)や、 名前だけ知っている作家(あまり大きい声では言えない)が多いが、 存在さえ知らなかった作家の本が急に読みたくなるから不思議なものである。 このテの本はある程度の気楽さをもって流し読むのがちょうどいい。 失礼な話だが、私の中ではあくまでも次の本に移るためのステップなのだから。
昔から、友人の家に行くとすぐに本棚に目がいった。 その人が日常生活の中で何を好んで読んでいるかが無性に知りたくなるからだ。 音楽も然り、漫画も然り、映画も然り、何でも然り。 趣味が合えば素直に嬉しいし、知らない時はその魅力を教えてもらう。 そして、自分だけでは知り得なかった世界の広がりを知るのである。
宝物はいつでも案外身近に転がっていたりするものだ。
【追記】 最近は「エンピツ」の中でも本や音楽の話が出ている日記を見つけると、 思わずメモって参考にしている自分がいる。 これからも宝探しは地味に続けていくつもりなので、素敵な出会いを期待しよう。
深夜、BUMP OF CHICKENのオールナイトを予約録音しておいた。 なんといっても新曲解禁日、聴かねば話にならねぇよっと意気込んでいた。 しかし、結果は微妙に失敗(微妙ってところがまた泣けるんだわ) トークは大丈夫なのに、曲になるとワンワン唸るマイ・ラジオ。 だからAMの電波キャッチって嫌いなんだよ(涙) 結局、新曲は50/50で理解、マトモに聴ける日を気長に待つしかないか。
今日は二夜連続地上波初放送の「タイタニック」にちなんだ話をしよう。
初めて「タイタニック」を観たのは、ちょうど先輩の卒業式の日だった。 花束を渡し、友人と昼食を食べた足で、一人で映画館へ観に行ったのだ。 それから3時間後、私は泣きながら映画館を出る羽目になる。 おまけにバスに乗っている間も涙が止まらず、非常に恥かしい思いをした。 今から振り返っても確かにあれは泣き過ぎだろうと苦笑を禁じえないのだが、 今回もやはり同じ場面で泣いてしまったところを見ると、よほどツボにはまったのだろう。
泣くシーンは決まっている。最後の最後のほんの一場面。
「お名前をお願いします」 「ドーソン・・・ローズ・ドーソンよ」
これだけで分かってくれる人。。。いないよな、普通(苦笑) これは救出された後、下船して港で佇むローズに船員が名前を尋ねる場面。 「ドーソン」とは本来恋人ジャックのファミリーネームである。 だから、ジャックと結婚していないローズは「ドーソン」ではない。 しかし、咄嗟に名前を尋ねられた時、彼女は当然のごとく「ドーソン」を名乗った。 自分を最後まで護り抜いた恋人はもうこの世にはいない。 それでも彼女の胸にはまだ恋人が生き続けていることの証の「ドーソン」なのだ。
私はローズが「ドーソン」と名乗った胸中を思って、泣いた。
同じ映画を観ても、泣く人もいれば泣かない人もいる。 泣く人は泣く人で、どこで泣くのかは人それぞれである。 私はきっとこのシーンがなければ、ハンカチを取り出すこともなかっただろう。 思いがけないその一言で、私の涙腺は一気に破壊された。
それにつけても、ケイト・ウィンスレットは可愛いなぁ。 この映画でレオナルド・ディカプリオは不動の地位を獲得したわけだけれど、 私の中で最も強く印象に残ったのは彼女のひたむきさだった。 いつの時代もしなやかに生きる女性の強い意志に満ちた眼差しは美しい。
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