ヒヤシンス ‘スカイジャケット’
□ 青春18切符の旅
静岡県袋井市にて
■ 袋井植樹祭 和興フィルターテクノロジー 第2工場周囲
A氏撮影
ツバキ ‘羽衣’
桜 (画像削除)
スノーフレーク (画像削除)
ヒヤシンス (画像削除)
■ 覚書 (鎮守の森 宮脇昭 著 より)
資料編 全国「鎮守の森」30選
[北海道地方]
上川神社 北海道旭川市神楽岡公園 ミズナラ・エゾイタヤ林
[東北地方]
熊野那智神社 宮城県名取市高舘吉田字館山8 モミ・ウラジロガシ・シイ混生林
荒島神社 宮城県本吉郡南三陸町荒島 タブノキ林
医王寺 福島県福島市飯坂町平野字寺前45 シラカシ林
[関東地方]
笠森寺 千葉県長生郡長南町笠森302 タブノキ・スダジイ林
明治神宮 東京都渋谷区代々木神園町1−1 スダジイ・アカガシ林
円覚寺 神奈川県横浜市南区伏見町15 スダジイ林
神武寺 神奈川県逗子市沼間2−1402 スダジイ林
[中部地方]
弥彦神社 新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898 アカガシ林
白山神社 新潟県糸魚川市大字能生7239 アカガシ林
気多大社 石川県羽咋市寺家町ク1 タブノキ林
珠洲神社奥宮 石川県珠洲市三崎町寺家4−2 アカガシ林
善光寺 長野県長野市大字長野元善町491 シラカシ林
八幡社 愛知県知多郡南知多町大字日間賀島字新井浜8−1 シイ林
熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮1−1−1 ムクノキ・アラカシ林
[近畿地方]
清水寺 京都府京都市東山区清水1−294 コジイ林
聖神社 大阪府和泉市王子町 シリブカガシ林
美多弥神社 大阪府堺市南区鴨谷台1−49−1 シリブカガシ林
勝尾寺 大阪府箕面市勝尾寺 イロハモミジ・ケヤキ林
太山寺 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開290 コジイ林
石峯寺 兵庫県神戸市北区淡河町神影115 コジイ林
橿原神宮 奈良県橿原市久米町934 イチイガシ・シラカシ林
[中国地方]
大野見宿弥命神社 鳥取県鳥取市徳尾511 タブノキ・スダジイ・モチノキ林
柿本神社 島根県益田市戸田町イ856 スダジイ林
中山神社 岡山県津山市一宮695 アラカシ林
住吉神社 山口県下関市一の宮住吉1−11−1 イチイガシ林
[四国地方]
朝倉神社 高知県高知市朝倉丙2100−イ ハナガカシ林
[九州地方]
田島神社 佐賀県唐津市呼子町加部島3956 トベラ・タブノキ・スダジイ林
宇佐神宮 大分県宇佐市大字南宇佐2859 イチイガシ林
宮里前御嶽 沖縄県名護市宮里1−1 ハスノハギリ林
※このリストは、藤原一繪「鎮守の森は、今どうなっているか?」(洋泉社『神道の謎を解く本』に収録)を参考に作成しました。
オオミスミソウ(雪割草)
キルタンサス (画像削除)
椿 ‘太郎冠者’ (画像削除)
□ 覚書
鎮守の森 宮脇昭 著 曹洞宗 板橋興宗禅師と著者の対談より
宮脇 : 私は以前、ハーバード大学で開催された「エコロジーと神道」という国際シンポジウムに招かれ、「鎮守の森を世界の森へ」と題して講演をしたことがあります。四日間の日程で、さまざまな講演を聴いたり、他分野の学者たちとも意見交換をしているうちに、あらためて仏教や神道の重要性に気づいたんです。 ヨーロッパでも、かつてはギリシャ神話の世界、つまり多神教があったわけですが、それをプリミティブだ、原始的だと言って、現在のような一神教に発展させてきた。でも、そういった一神教がたった二〇〇〇年で地球をだめにしてしまったんです。唯一神や人間が中心の教義や思想であったために、他の生き物や自然環境は征服し、利用するためのものだった。 板橋 : 人間様のために大自然を利用することが文明であり、進歩であると信じていた。 宮脇 : そうなんです。一方、プリミティブであんなのは宗教じゃないと思われてきた日本の仏教や神道には、自然との共存思想があった。八百万の神だとか、神も仏もごちゃ混ぜにしたような何かわけのわからん東洋の宗教が、自然と共に発展し、鎮守の森のような自然を育んできたのです。たしかシンポジウムでは、ナポリ大学の教授がこんなことを言っていたと思います。「四〇〇〇年の歴史を持つ自然と共生した日本の自然宗教が、ごく最近、一〇〇年足らずの間に、一部の人によって間違って利用されたために、今、多くの日本人が宗教に無関心である。鳥居とか、神社とか、鎮守の森と言っただけで拒否反応を起こす。これは非常に不幸なことである。日本人は四〇〇〇年続いてきた神仏混淆の宗教をもう一度見直すべきではないか」と。 板橋 : 同感ですな。外国の学者がそのように指摘したのですか。驚きです。仏教の「衆生」という言葉には、人間を含めた、生きとし生けるものという意味があります。人間を特別扱いしていないのですね。動物も植物も、そして人間もみんな一緒にして、「一切衆生」といっているのです。 宮脇 : しかし、その大切な思想も、今の日本社会では片隅に追いやられています。公立の学校教育の中で、宗教はほとんど触れられていないんですね。ミッション系や仏教系の私立校にでも入らない限り、宗教についての知識が足りないまま社会へ出ることになる。本当に不幸な時代だと思います。 板橋 : だからこそ、鎮守の森という存在が重要なのかもしれませんね。環境の保全やら宗教と自然の深い結びつきを学ぶには、本当に最適の場所です。
ツバキ ‘秋一番’
梅 (画像削除)
ミツマタ (画像削除)
梅 (画像削除)
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