Sun Set Days
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2002年12月31日(火) 2002年の収穫は?(本と映画)

 2002年もあと数時間で終わり、2003年になる。
 1年最後の日は毎年訪れるし、そう考えると別段珍しくもなんともないのだけれど、それでもやっぱり襟を正すような気持ちになる。
 同じように見える町並みも、どこか透明な布をかぶせられているかのように静かに見える。
 まあ、それは今日歩いていた道がそういう静かな佇まいの住宅地だったからなのかもしれないのだけれど。

 今日は少しだけ職場に顔を出して、駅前のドトールでコーヒーを飲んで、それから部屋の近くにあるお蕎麦屋さんでそばを食べた。
 いわゆる年越しそばということで。
 そして、ついさっきちょっとだけテレビをつけて紅白歌合戦を見た。浜崎あゆみが出ているところだった。

 考えてみると、昨年の大晦日は横浜市内の違う部屋にいて、その前の年の大晦日は千葉市の部屋で引越しの準備をしていた。
 そう考えると、なんだか不思議な気がする。来年の大晦日はこの部屋で過すのだろうか? とさえほんの少しだけ思う。
 同じ場所にずっといて、一年一年を重ねて行く人生ももちろんありだったのだろうけれど、いまはそうではなく数年毎に違う場所にいる人生を選んでいる。個人的にはこの日記でもよく書いていることだけれど、この暮らしはかなりしっくりきている。もちろん、数年後には違うことを考えるようになっているのかもしれない。しっくりこなくなっているのかもしれない。
 けれども、少なくともいまはこういう暮らしはいいよなと思っている。

 そして、そういうことを記すのにもDaysのような日記があることは重宝することなのだなとあらためて思う。前の年にどこで何をしていて、どんなことを思っていたのかということがわかるのだから。後で読み返してみて、なるほどなと思うのかもしれない。2002年はあんなふうに思っていたのかと。

 数年後に読み返すのが楽しみ。


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 そして、個人的には恒例の本と映画の今年の収穫を。
(CDはたくさん買って、引越しのごたごたでまだ整理し切れていないので今年はなし)
 
 本は今年冊数でいうと59冊読んだ。これは読了した本の数。雑誌や部分だけの読み返しをしている本もあるのだけれど、そういうのは冊数に入れないでカウント。
 数えるのにもDaysは役に立った。本を読んだときには、タイトルに題名を入れておくようにしていたので。

 今年読んだ本は以下の通り。

『パイロット・フィッシュ』
『小説作法』
『ぼくの小鳥ちゃん』
『N・P』
『チェーンストア経営の目的と現状』
『ホワイト・ティース(上)』
『グリーティング』
『リミテッド社はなぜ世界最大になれたか』
『ザ・ゴール2』
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
『ビッグボーイの生涯 五島昇その人』
『吉野家の経済学』
『僕、はまじ』
『幻少女』
『虹』
『なるほどの対話』
『誕生日の子どもたち』
『問屋と商社が復活する日』
『ウォルマートの真実』
『ONとOFF』
『マッキンゼー式 世界最強の問題解決テクニック』
『親子丼の丸かじり』
『ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず[上]』
『ローマ人の物語2 ローマは一日にして成らず[下]』
『ローマ人の物語3 ハンニバル戦記[上巻]』
『ローマ人の物語4 ハンニバル戦記[中巻]』
『ローマ人の物語5 ハンニバル戦記[下巻]』
『仕事力』
『ローマ人の物語�掘‐ー圓虜�迷』
『ローマ人の物語�検.罐螢Ε后Ε�エサル ―ルビコン以前―』
『ローマ人の物語�后.罐螢Ε后Ε�エサル ―ルビコン以後―』
『ローマ人の物語�此.僖�ス・ロマーナ』
『なぜデルコンピューターはお客の心をつかむのか』
『王国 その1 アンドロメダ・ハイツ』
『ローマ人の物語�察^�名高き皇帝たち』
『ローマ人の物語�次ヾ躓,塙酩�』
『海辺のカフカ(上)』
『海辺のカフカ(下)』
『第四の手』
『南の島の星の砂』
『この命、何をあくせく』
『いい仕事をする人の奇跡の10倍整理術・時間活用術』
『雨天炎天』
『チェンジ・ザ・ルール!』
『マーティン・ドレスラーの夢』
『読書力』
『日本語の教室』
『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』
『物語の体操』
『使いみちのない風景』
『私たちがやったこと』
『「暗黙知」の共有化が売る力を伸ばす』
『鈴木敏文の「統計心理学」』
『いつか記憶からこぼれおちるとしても』
『タケノコの丸かじり』
『ほんじょの鉛筆日和。』
『パイナップルヘッド』
『さるのこしかけ』
『ホリー・ガール』


 順不同で特に印象に残った5冊を挙げると、

『海辺のカフカ』
『ローマ人の物語』シリーズ
『問屋と商社が復活する日』
『ザ・ゴール2』
『なるほどの対話』

 というところ。順当だけれど。
 とりわけ、村上春樹の久しぶりの長篇『海辺のカフカ』にはやられ、『ローマ人の物語』シリーズには、それまでほとんど知らなかったローマについて、とても興味を惹かれるきっかけとなった本。歴史はたくさんの人間が生み出しているのだということがわかって、とても面白かった。いま、ちょっと間隔をおいているので、続きを読むのも楽しみ。


 次が映画。基本的にはレンタルは借りず、映画館で観る、ないしはDVDを購入して見るといったところ。
 今年見た映画は以下の通り。
 30本。


『スパイ・ゲーム』
『シュレック』
『WASABI』
『息子の部屋』
『オーシャンズ11』
『ロード・オブ・ザ・リング』
『僕たちのアナ・バナナ』
『恋人たちの予感』
『スパイダーマン』
『愛しのローズマリー』
『アイ・アム・サム』
『少林サッカー』
『ブレイド2』
『ニューヨークの恋人』
『マジェスティック』
『MIB2』
『アメリ』
『天国の口、終わりの楽園。』
『バイオ・ハザード』
『リターナー』
『オースティンパワーズ ゴールドメンバー』
『アバウト・ア・ボーイ』
『サイン』
『xXx』
『スズメバチ』
『プロフェシー』
『tokyo.sora』
『マーサの幸せのレシピ』
『ショウタイム』
『マイノリティー・リポート』


 特に印象に残ったのを3作挙げると、

『tokyo.sora』
『アイ・アム・サム』
『天国の口、終わりの楽園。』

 というところ。
 来年は『マトリックス リローテッド』がいまからかなりたのしみ。


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 お知らせ

 今年も、このページに来ていただいたみなさん、ありがとうございました。
 極々個人的な&来年もマイペースで運営していく予定のページですが、来年もよろしくお願いします。
 よいお年を!


2002年12月28日(土) ここ数日の出来事

�〇纏�。

��読書(夜帰ってきてからや移動中に合間を見て2冊)。

『さるのこしかけ』 さくらももこ。集英社。

『ホリー・ガール』 サラ・ウィリス著。小川敏子訳。PHP研究所。

��クリスマス。

 恋人と出かける。丸ビルと、銀座。それから東京文化会館で『クリスマス・スペシャル・クラシック メサイア、第九&アヴェ・マリア』を聴く。レニングラード国立歌劇場管弦楽団(指揮アンドレイ・アニハーノフ)。

��ADSL開通(まだゆっくりと楽しんでいないのだけれど)。


 ということで、久しぶりの更新なのだけれど、ここ数日は仕事がメインで、息抜きに読書をし、それから7日ぶりの休日はクリスマスだったので出かけ、ADSLが開通し、けれどもそれを楽しむ前に家に持ち帰った仕事をしていたといったという感じだ。

『さるのこしかけ』は久しぶりに読み返したのだけれど(前回吉本ばななの『パイナップルヘッド』を再読したのと同じく、気楽に読めるエッセイ集ということで手に取った)、相変わらずかなり笑えた。ただ、当時のリアルタイムな内容だけあって、まだ子供も生まれていないし、夫という言葉がよく出てくる。最近のエッセイではすでに夫と別れた後の子供とのエピソードがたくさんあるだけに、なんだか時の流れを感じてしまう。

『ホリー・ガール』は、毎年引越しを繰り返しているある家族の15歳の長女の視点から描いた、少女の成長物語だ。帯にはステファン・クレーン賞他の文学賞を受賞したとあるけれど、これはどういう賞なのだろう? また、「ニューヨーク・タイムズ」2001年最も注目すべき本に選出とも書いてある。
 書店でふと手にとって、最初の文章がよさそうで購入した。それは、こういうやつ。


 毎年、春になると、わたしたちは引っ越しをする。まるで鳥が空をわたるように。でも、鳥とちがって、なじみのある土地にもどったりはしない。めざすのは、あたらしい土地。それまでの暮らしをきりあげ、身のまわりのわずかなものをまとめたら、車で出発する。だから荷造りはお手のもの。そして、さよならをすることも。(5ページ)


 他には以下の文章が印象的ではあった。なるほど、そういうものなのかもしれないと思えた。


 母は本心からいっているのではない。母は自分のいうことだけをきいて、自分とおなじように、世界を見てもらいたいのだ。でも神を信じるかどうかは、めがねをかけるようなものかもしれない。どうしてもそれが必要な人間も、いるのかもしれない。(62ページ)


 クリスマスはミーハーだけれど、丸ビルに行ってくる。レストランフロアがランチタイム終了後夕方の営業時間までクローズするところが多いのはどうかとちょっとだけ思う。
 コンランショプ以外はあまり魅力を感じなかった。
 丸ビルの外に出たときに、東京ミレナリオのスタート地点をちらっと見る。すごい電飾。かなりの人が並んでいた。
 夕方の銀座も、たくさんの人手で賑わっていた。
 その後、コンサートを聴きに行くために上野へ。
 年末によく歌われている第九に、アヴェ・マリアなどが一度に聴けるというお得なコンサート。
 レニングラード国立歌劇場管弦楽団と指揮者のアンドレイ・アニハーノフは毎年来日しているそうなのだけれど、たとえばベンチャーズのように、毎年日本に来る人は少なくないよなとぼんやりと思う。指揮はとても見応えのあるもので、最後はかなり気合や感情が入っていたのか、オーバーアクションになっていた。
 年末に第九を聴くのははじめて。これはこれで風物詩なのだろうかとなんとなく思う。

 フレッツ・ADSLもついに開通。OSがXPなので、簡単に接続準備が終わり(本当に簡単だった)、トラブルもなくすぐに繋がる。画像がさくさく出てくるスムーズなスピードで、嬉しくなる。けれども、まだ十分に楽しむための時間はなく、休日にでもゆっくり高速スピードを楽しもうと思う。

 次の休日は31日。一年最後ということで、今年読んだ本や見た映画の中でよかったものをまとめようと思う。


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 お知らせ

 なんだか、駆け足になってますが(いまは、29日の0時58分)。


2002年12月22日(日) 『パイナップルヘッド』

『パイナップルヘッド』読了。吉本ばなな。幻冬社文庫。再読。
 吉本ばななが1994年から1995年にかけてananで連載していたエッセイ集。最近は職場と部屋の往復に終始しているので、部屋でちょっとずつ息抜きに読んでいた。その中にNECのCanbeという昔あったパソコンをもらっているところがあって、「なつかしい……」と思う。昔は98とかが全盛だったのだ。時代は変わる。あの頃には携帯電話やインターネットやWindowsがここまで普及するなんてSF映画のように遠いものだった。それなのにいまではパソコン雑誌にはブロードバンドとか光ファイバーの文字が溢れているし、本当にノートのように使用できるタブレットPCというものまで登場しているわけだし。

 エッセイの中で一番笑ったのはこの部分。


 中央の広場ではJACのみなさんが、「その百両をよこせ!」「これは渡せん!」などと言って激しく斬り合っている。
 ところでこの村の売店や食堂では、すべてのお金が「円」ではなく「両」で表示してあるのだが、単に円を両に読み変えるだけのことなのだった。
 まなみ(仮)が「うーん、ここの売店には『カレー、おいしいよ! 五百両』と書いてあるのに、あちらの広場では百両のことで殺し合いをしている。」とつぶやいたのが忘れられない。(183-184ページ)


 あと、吉本ばななのエッセイを読んでいてよく思う疑問が、秘書をしていたナタデヒロココってどんな人なのだろう? というもの。


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 お知らせ

 万歩計が欲しいかも。


2002年12月20日(金) Sometimes Remember

 たとえばある駅で降りたとしよう。営業の途中で立ち寄るとか、ライブがその駅の近くで行われるとか、友人が住んでいるとかの理由で訪れるような普段は降りることのない駅だ。
 その駅は高架になっていて、ホームから改札口へは階段を降りていかなければならない。階段の隣には横に並ぶには少し窮屈なサイズのエスカレーターがあり、比較的最近できたエレベーターがある。あなたは電車からはじき出されるようにして歩き出すたくさんの人に紛れて階段を降り、改札口を目指す。矢印や×マークのついた自動改札口を見て瞬時に自分の向かうべき改札口を判断し、名うてのガンマンが銃を抜くようにポケットの中からさっと切符を取り出す。それはもう条件反射のように無意識の行動になっている都市生活者特有の動作だ。
 そして、駅の出口のところに占い師がいて、ふいに声をかけられる。

「お前さんは、人生であと35回この駅の改札口を通り過ぎるじゃろう」

 その瞬間、なんとはなしに通り過ぎようとしていた駅を思わず振り返ってしまうかもしれない。今日の1回は35回の中に入るのかどうか確認したくなるかもしれない。何を言っているのだろうと、相手にしないのかもしれない。

 けれども、もしそんなことを言われたら、気になってしまうんじゃないかと思う。

 誰もが、日々を送る中で、たいていの場合同じような場所を繰り返し通り過ぎて行く。自分の住む家があり、職場なり学校なりがある限り、日々の行動はある程度ルーチン化されてしまうものだ。だから、そういう場所をあと何回だなんていう風には考えない。永遠というのにも近い感覚で「何度も」とか、「ずっと」通り過ぎて行くものだと思っている。

 もちろん、生きて行くことは、たくさんの場所を通り過ぎていくことでもあるのだから、普段とは違う場所を訪れることもある。
 けれども、僕らはそういう場所であっても自分の人生においてあと何回訪れることになるのかということについてはあまり考えたりはしない。
 あの駅は1540回で、その隣の駅は59回だとか、3回の歯医者があり、あるいは406回訪れるスーパーがあるだとか、そういうことはまず考えない。景色に感激したり、食事がおいしかったとか思うことはあっても、あと何回ここに来ることができるねというようなことはまったく考えない。

 たとえば、ある種のゲームみたいに、視界の右上にそれぞれの場所を訪れる総数と現在の回数がカウントされていたら面白いかもしれない。そういう機能でもあれば場所と回数について少しは意識するようになるだろうし。けれども、やっぱりちょっと困ってしまう。それがどんな場所であったとしても、あと○回という数値が小さくなればなるほど、どことなく残念な気持ちになるだろうから。
 たとえば近くのスーパーでも、あと2回となったら名残惜しい。
 よしんば、うつくしい銀杏並木のある公園や陽光を反射する海にあと1回しか訪れることができないということを知ってしまったら、とても残念に思うことだろう。

 そして、人生であと35回というどことなく中途半端な数を言われてしまったら、電灯に照らされてたなびく影のように伸びて行くはずの自分の人生について考えてしまうかもしれない。自分はどういう環境で、どういう状況であと35回この改札口を抜けるのだろうと。何歳くらいなのだろうとか、家族はどうなっているのだろうとか、幸せなのだろうかとか。

 それでも、考えてみるとそれぞれの場所を訪れることのできる回数はやっぱり決まっているのだ。友人たちと一緒に話すことの出来る回数が決まっているのと同じように。そしてそういうことをしばしば忘れてしまう。今日あるものは、明日も無条件で続くのだと、そういうことを当たり前のように思ってしまっているのだ。蛇口をひねれば水が出てくることを疑わないように、どこかで無意識のうちにそう思っているのだ。
 けれどももちろんそうじゃない。ちょっと意識して考えればそんなことは自明のことだ。
 だから、ひとつひとつの場所を訪れることを、一人一人の人と話すことを、それこそ一期一会に似たような気持ちで行っていくべきだと思うのだけれど、そういうことをいつもずっと意識していることもやっぱり難しい。
 けれども、いつもでなくてもいいから、そういうことをたまに思い返してみることもきっと大切なことだと思う。

 この場所にはあと9回しか訪れることがないのかもしれない、とか

 この人とはあと25回しか一緒に遊びに行けないのかもしれない、とか

 実際にはそんなことはわからないのだとしても、だからこそたまにそういうことを考えてみるのだ。
 駅の改札口を抜けながら、横断歩道をわたりながら。

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 お知らせ

(以前にも書きましたが)Usherの「Can U Help Me」(アルバム『8701』収録)は名曲ですねえ。


2002年12月19日(木) 近くのコンビニ

 部屋の周りを少しずつ歩いて、なんとなく位置関係が掴めるようになってきた。
 一番近いコンビニはファミリーマートで、少し歩くとサークルKがあり、もうちょっと歩くとミニストップとローソンがある(今日は仕事帰りにミニストップまで足を伸ばしてソフトクリームを買って食べた)。
 コンビニは同じチェーン店でも立地やオーナーなどによって与える印象が大きく異なっているものだけれど、基本的にあんまり品揃え及びサービスのよくないコンビニが揃っている(……)。一番品揃えが充実しているのがミニストップで、ファミリーマートは狭いことと品揃えがあまりよくないこともあってか、どうも近いのにあんまり足が向かない。他にも挨拶もそうだけれど、お店には大切なことはたくさんあると思う。
 たいていの場合一番品揃えのよいセブンイレブンについては、ある場所はわかったのだけれど、歩いて行くにはちょっと遠い。残念。

 他には、歩いて10分ほどのところにスーパーマーケットがある。部屋が落ち着いて片付いたら、できるだけ自炊をしようと思っているので(今度の部屋は台所スペースが広いのだ)、そこにはきっとよく行くことになるのだと思う。
 書店とCDショップとレンタルビデオ店は近くに大きいところがない。
 けれども、これは休日に横浜まで出ればいいし、いざとなったらAmazonだってあるし。
 それに歩いて30分ほどのところ(バスならすぐ)には、図書館だってある。いままではあんまり図書館で本を借りていなかったのだけれど、せっかくなので活用しようと思っている。

 いずれにしても、新しい部屋は駅から徒歩20分ほど離れた、ひそやかな場所だ。
 夜は本当に静かだ。
 道路も細くて、一方通行が多くて、なんだか作りかけで抜け道がたくさんある迷路のような感じさえする。
 もう少ししたら、この部屋での、この街での生活パターンができあがってくるだろう。
 時間を、日々を、重ねていくなかで。


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 お知らせ

 Fragments13の『Spica』はある種のクリスマスストーリーです。
 時期的にもぴったりだと思います。
 時間のある方はぜひ読んでみてくださいね。


2002年12月18日(水) 今年の流行?

 気がつくと今年ももう少しで終わりで、1月の日記を読み返したりしてみると不思議な感じがする。
 日記(のようなもの)を書いていてよかったと思うのはこういうときだ。
 たとえば、いま日記がなくて1月のことを思い出してみようと思っても、ほとんどのことを思い出すことができないだろうし、(出来事よりも個人的には重要な)そこに漂う感覚のようなものにチューニングを合わせることなんてなおさらできないと思う。
 けれども、Daysという形で文章が残っていることによって、いろいろなことが、いくら思い出そうと努めても思い出せなかったようなことまで思い返すことができる。継続は力なりという言葉があるけれど、こういうことも、個人的な意味で言えばやっぱりそうだ。自分のための、ある種の力には充分なっている。

 もちろん、ちゃかした内容のDaysが多いことにはちょっと目をつぶって……


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 1年も終わりに近付くと、流行語大賞だとか、今年のトップ10ニュースだとか、そういう様々な振り返り物、総括物が多くなる。
 たとえば、今年の様々な流行の中でも、とりわけ「ベッカム様」はベスト10には入ってくるだろう。
 いまだに雑誌で特集が組まれたり、写真集が発売されていたりするわけだし。まさにベッカム様様だ。

 この間も、新聞を読んでいたら、テレビ欄の何かの番組のところに、その前の内容には全然関係なさそうなのに最後に「▽ベッカム」と書いていた。そう書くことによって視聴者を惹きつけようという魂胆なのだろう。
 実際の番組ではベッカム関連の時間は短いのだろうに、そういうある種の抱き合わせみたいなことが行われているのだ。とりたてて決まった番組を見る予定のない人たちにチャンネルを選んでもらうために、新聞のテレビ欄の文章は非常に重要なのだ、きっと。
 ということで、今年の流行語を織り交ぜることによって、全然魅力のなさそうな番組だって高視聴率番組に姿を変えるかもしれないということを実験してみようと思う。
 たとえば、こんな感じ。


00 いい旅度々 冬の東北秘湯スペシャル はやて開通で魅力の青森 ねぶた ベッカム

35 今日の料理 おいしいクリスマス料理�◆.屮奪轡紂Ε鼻Ε離┘襤Ε織泙舛磴�

45 ニュースGo Go!! どうなるデフレ? ファストフード業界最前線▽タマちゃん鶴見川に

54 ムネオハウス物語�ァ 塑胆沺�


 ……ムネオハウス物語が気になります。


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 お知らせ

 ホイットニー・ヒューストンのアルバム『Just Whitney...』を買いました。2曲目の「Tell Me No」がとても好きです。


2002年12月14日(土) 添削+ライブカメラ2

 新しい部署ということでまだなれないことも多く、部屋に帰ってから借りてきた(勝手に持ってきたともいう)マニュアルを飲み物を飲みながら読み込んでいたりするのだけれど、今日はそれとは別に、人の書いた文章の添削もしていた。関西にいる後輩から、社内のレポート課題(社内の試験を受けるために必要)がE-mailで送られてきたのだ。添削と書くと結構大げさな感じだけれど、ダメだしお願いしますとのことだったので、細かな部分を書き加えたり削ってみたりして、あくまでも一例という形で返信をする。原稿用紙6枚分。
 ということで、こんな時間に(午前1時30分)。

 でもまあ、そういうのって結構嬉しいのだけれど。


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 以前のDaysで、よくライブカメラを見ることが多いということを書いた。そして、その中でも一番見てしまうカメラは以下のURLの「小清水原生花園」のものだ。


 http://www.stv.ne.jp/webcam/koshimizu/index.html


 いま、このURLを見ると、道路に雪が積もっているのが見える。数日前に、雪を見たときには思わず驚いてしまったし、その雪の道路の感覚が妙に懐かしかったりもした。もちろん、関東でも先週には雪が降ったのだけれど、それとはまた別で、北国の冬が強くイメージされるのだ。冬の道路の、雪の景色の中を歩いているときの身体の芯から冷える寒さの感覚のようなものが。

 残念なことに、このカメラは午後6時過ぎに停止してしまうことが多いようで、よく同じ時間で翌朝まで動かなくなっているのだけれど、ときどき夜でも動いていることがある。そういうときには、夜の道路を車が通り過ぎて行くヘッドライトが見えたり、電灯の明かりが見えていたりする。毎日のように見て、ときには画像を保存することさえあって、いまではそのフォルダのなかには結構な数の同じ場所の、それぞれの日の、それぞれの時間の画像が残されている。

 たまにそのフォルダを開いて、大量の画像を順に見たりするのだけれど、たとえば9月の、あるいは10月のある日の画像を見ていると、切り取られた過去を見ているような気がして不思議な気がする。たとえばたくさんの切手を挟み込んだ切手帳のように、そこには価値のある時間が収められているのだと思う。

 朝も、昼も、夜も、本当にたくさんの日の、たくさんの時間の画像がそのフォルダの中に収められている。

 1枚ずつ順番に見ていると、同じアングルの景色なのにそれぞれがちゃんと違っていて、普段見慣れた光景さえも、より目を凝らして見ると日々ちゃんと異なっているのだということを実感させられる。定点観測という言葉がふさわしいのだと思うのだけれど、同じ視点で毎日画像を集めていることが、季節の変化というものをリアルに実感させてくれている。ほんとうに、全然違うのだ。なかには、たった一日でもふいに大きく感じが違っている日もあって、そのときには目には見えない季節の精のようなキャラバンが、その地方から立ち去ってしまったのだというような感慨さえ抱く。

 いずれにしても、部屋にいながらにして遠い場所にある通りを眺めることができるというのは、すごいことだと思う。いつかこの道路を歩いてみたいなともやっぱり考えてしまう。


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 お知らせ

 このページは以前にも触れましたが、お気に入りなのです。


2002年12月12日(木) いくつもの部屋

 今日は休日だったのだけれど、22時過ぎから20人弱でボーリング。
 その後食事をして帰ってきたので、部屋に戻ってきたのは午前2時と少し過ぎ。
 わ、若い……。
 転勤が多いせいもあって、全国の様々な場所でボーリングをしているような気がするのだけれど、全然上達しないよ。
 大体100〜150の間ばかり。
 カーブを投げることができない(直球勝負)からだということはわかっているのだけれど。


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 今朝、ついこの間まで住んでいた部屋の駅で電車を降りたのだけれど(大体1時間くらい離れているから行けない距離じゃない)、なんだか不思議な感覚があった。つい10日ほど前まで当たり前のようにそこに住んで、暮らしていたのに、どうしてか薄く透明な壁に仕切られてしまったかのようによそよそしく感じられてしまうのだ。
 よく訪れていたセブンイレブンを見ても、なんだか新しい家族と一緒に暮らしている別れた母親を隠れて見に来ているみたいに感じられた。
 前に住んでいたマンションまでちょっと足を伸ばしてみた。
 僕の住んでいた部屋はまだ新しい借り手がいないらしく(まあ、当然だ)、入り口のところのポストには薄い緑色のビニールテープが貼られていて、郵便物等が届かないようにされていた。もうそれだけでも、そこに僕の住んでいたという痕跡を辿ることはむずかしくなってしまう。
 その帰り道で、ぼんやりと考えていたのは、いままで住んできた部屋のことだ。
 いまでは全然別の人が暮らしているそれぞれの街のそれぞれの部屋のあった建物を、こんなふうに見てみたいなと思ったのだ。
 大学時代の4年間暮らしたアパートから、いくつかのワンルームのアパートまで、それぞれの街でたくさんの朝と夜を迎えていたことの痕跡は、当たり前のように背後へと遠ざかってしまっている。もちろん、いろいろなことを思い出すことはできる。ある部屋に住んでいたときのことは、(手書きの)日記に残っていさえする。けれども、それでももういろいろなことを忘れてしまっている。
 その建物のところまで行けば、何かを思い出すことができるような気がする。
 いまは忘れてしまっている、他愛のない出来事なんかを。

 いつか、これはぼんやりと思うことなのだけれど、もっとずっと年をとってから、それまで自分が暮らしてきた部屋の近くを訪れる小旅行のようなものをしてみたいなと思う。もちろん、それは個人的な意味しか持ち得ないものだけれど。
 過去を振り返るというのとは少し違って、そのときの現状を明確にするためにも、そういうことはあってもいいような気がする。
 それぞれのアパートやマンションを訪れて、当時の自分とそのときの自分との間の距離を測る。いくつかの出来事が自分の中にある種の年輪のようなものをつけ続けてきたことを確かめてみる。ある部分では年輪は幅を狭めほとんどついていないことがわかるかもしれない。けれどもある部分では随分と変わっているところもあるのかもしれない。

 いずれにしても、もっとずっと年をとってから、そういう旅行をするのもありなのかもしれない。
 同じ本を読み返す年齢が違うと印象が異なるように、同じ場所を見るのでも年齢によって異なる感慨のようなものを抱くことができるかもしれない。


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 お知らせ

 suicaをぱちんとするときになんだか嬉しくなるのは初心者ですか?


2002年12月10日(火) 初雪+嬉しかったこと。

 9日の未明から午前中にかけて、関東地方でこの冬はじめての雪が降った。
 8日の23時くらいに仕事が終わってから、同僚たちと5人で飲みに行って、9日の午前2時頃に店を出たら、そのときにはもう雪が降っていた。一瞬、自分がいる場所が関東ではないように思えてしまうような勢いの雪が、周囲に散るように舞っていたのだ。オレンジ色の街灯がその雪をぼんやりとした色に染め上げていた。ひどく寒く、車通りは少ない。
 僕は札幌出身なので、雪は別に珍しいものとは思わないのだけれど、それでも関東に出てきてからは、雪を見ると懐かしい気持ちになる。その深夜の雪は、そんな関東の雪の中でも、なぜかとても懐かしく思えた。
 それは少しだけ飲んだお酒のせいなのかもしれないし、午前2時なんていうひどく遅い時間のせいだったのかもしれない。
 何だかその景色はほんの少しだけ夢の中みたいで、ほんの少しだけ過去の風景の中みたいだった。

 もしかしたら、それはまだなれない街で飲んでいたせいもあったのかもしれない。
 なじんでいない風景は、心細さから派生して妙に感傷的な気分を引き起こすことものでもあるし。

 2002年の冬の初雪は、そんなふうにして見た。
 2003年の冬の初雪は、いったいどこでどんな風に見るのだろう?


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 そして、今日は驚きのメールが。
 11月7日のDaysで、『暗黙知の共有化が売る力を伸ばす』という本の感想を書いたのだけれど、なんとその著者の方からメールが届いていたのだ。とても丁寧な方で、日記に取り上げたことについてのメールだった。
 びっくりした。そして、なんだかものすごく嬉しかった。僕の感想は正直つたないものでしかないのだけれど、それでもそんなメールがいただけるなんて、と思ってしまったのだ。おそらく書名か何かで検索してもらったのだろうが、インターネットの力はすごいと、あらためて実感する。
 来年にはまた新しいビジネス書を出版されるそうなので、そのときには楽しみにして読もうと思う。
 自分が面白いと思った本の著者の方からだったので、喜びもひとしおだった。


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 お知らせ

 インターネットってすごい……


2002年12月07日(土) 親しい路地

 新しい部屋は、駅から離れている。
 最寄の駅まで、歩いて大体20分くらい。もし公共機関を使うのならば歩いて5分ほどのところにバス停があって、そこから5つ目の停留所が最寄駅になるという感じのところ。
 この間まで住んでいた部屋は駅まで徒歩3分だったので、随分と不便なところにきてしまったような感じもするのだけれど、悪くない。
 周囲は随分と静かな住宅街で(近くに結構な大きさの団地もある)、夜には人気がなくなり静けさに包まれる。何かを落としたらその音が四つは先の交差点まで響きそうなくらいに、静かな感じだ。風が吹き抜けて行く音だけがするような。

 引っ越してきてすぐの夜に、部屋の周囲を散歩してみた。目的はコンビニを探すためだったのだけれど、自分の部屋を中心にして、1時間と少しぐるりと四角形を描くような範囲で歩いてみた。コンビニは3軒あった。ただ、深夜までやっているような店はスナックや焼き鳥屋以外まずなかった。ただ静かな家々が、人気のない中学校があるだけだった。夜の闇に覆われた小山があり、その小山の中腹ほどまで住宅がせり上がって建てられている。
 後は、それなりに大きな川と、その川沿いの比較的大きな通り。その通りは夜でも車が結構たくさん走っている。もう随分と寒い。考えてみれば12月なのだし、すでに季節はすっかり冬に入っているのだ。

 グレーのダッフルコートのポケットに両手を入れたまま、見知らぬ道路を、細い路地を、交差点を歩きながら、こんな通りが存在していることは数ヶ月前には想像すらしていなかったんだよなとあらためて思っていた。たとえば、転勤が多いことをあまり嬉しいことではないと思っている人は少なくなくて(この間乗ったタクシーの若い運転手も、「えー、そりゃあ大変ですねえ」「僕は絶対にだめです。旅行ならいいですけど、いろいろなところに住むとなったら」と話していた)、どこかではまあ確かにそうなのだろうなとは思う。けれども、異動という環境の変化で、ひとところに住んでいるのであればおそらくは知ることのなかった通りを歩くことになったのだと思うと、ちょっとだけわくわくする。おもしろいよなと思う。

 けれどもまあ、そういうのは本当に人それぞれだ。そういうのが好きな人もいれば苦手な人もいる。ただ、少なくとも、いろいろなところを渡り歩いて行くことは、性にはあっているし、旅行ももちろん楽しいけれど、ある程度の期間住んでみるのもまったく悪くないと個人的には思う。
 それに、住むことによって、継続的に歩くことによって、親しく思えるような路地が増えていくということも事実ではあるわけだし。

 散歩をしていると、親しい路地とちょっと距離のある路地というものがやっぱりあるような感覚になることがある。
 歩いていてしっくりくると言うか、なんだか好きだなと思える道路は確かにあって、そういうところを歩いているとつい微細な変化にまで目がいくような気がする(木々の色や、電灯に照らされた長い影や、夜の音)。逆に、そうじゃない通りを歩いているときには、妙に長く感じたりもする。そして、不思議なことに、散歩の回数が増え、繰り返し歩いて行く中で、あまりしっくりこない道も意外といいなと思えたりするときがきたりもするのだ。
 そういうのって、妙に不思議だ。そのときの心持ちで様々な通りが親しいものに見えてきたりするのだから。

 いまの部屋の周囲はまだ十分には歩いていない。
 たぶんこれから歩いて行くことになるのだと思う。
 そして、まだまだこれからも、きっと別の街にも、そういう通りがたくさんあるのだろうなと、考えたりもするのだ。


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 お知らせ

 随分と冷え込んできました。


2002年12月06日(金) ガスファンヒーター

 今日は初出勤。
 現場についてのブランクにとまどいつつ、なんとか一日を終える。
 ブランクがある割には、チーフ的な役職で戻ってしまっているので、これは早く仕事を覚えないと、周囲の人に迷惑がかかるなと(異動が決まったときから思っていたけれど)あらためて実感する。覚えなければならないことは多く、やらなくてはいけないこととやるべきことも多い。いろいろととっていたメモも一日で結構な量になってしまい驚く。
 けれどもまずは、飛び込んで失敗しながら頑張っていこう。
 飛び込まないことには、泳げるようにはならないし、転ばないと、自転車に乗ることができないわけでもあるし。

 仕事帰りには、新しいメンバーと焼肉を食べに行く。焼肉はやっぱり常にあるのか……といままでの部署を振り返って痛感する。好きなのでいいのだけれど。

 そして、帰宅は0時少し前。


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 部屋は大分歩けるようになったけれど、まだ細部は手付かず。これは少しずつ時間をかけていこう。
 今回の引越しを期にガスファンヒーターを購入したのだけれど、これはかなり重宝する。
 何がいいかと言うと、やっぱり一番は楽なところだ。
 ボタンを押すだけですぐ温まるし、灯油切れの心配もない。
 ガスの元栓と繋がっているコードから、ガスは常に供給されているわけだし。

 僕は関東に来てからファンヒーターを持っていなくて、いままでエアコンの暖房を少しつけて、後は暖かい格好をしていることが多かった。
 また、通常のファンヒーターは灯油を換えるのが面倒なので、最初から購入しようとも思わなかった。
 北国出身ということもあって、それでもまあ大丈夫だったのだ。
 けれども、今度の部屋は2DKなのでテレビ等を置いてある部屋と寝室が別の部屋になっていて、エアコンはひとつしかないので、どうしてもエアコンのないほうの部屋が寒いということが発生してしまうのだった。それで、引越し時にガスの開栓にきてくれたおじさんに説明を聞いて、その場でガスファンヒーターの購入を決めた。

 ガスファンヒーターは翌日届けられたのだけれど、これはとても便利だ。5メートルのコードをつけてもらっているので、どの部屋でも持って行くことができるし、おやすみもおはようもタイマーがきく。操作はボタンひとつでわかりやすく、料金だって思っていたよりも割安だ。
 いままで、ガスファンヒーターを購入という選択肢はなかったのだけれど、実際に使ってみると、これは本当に便利だと思う。
 冬を快適に過すポイントのひとつは「あたたかいこと」だとあらためて思いつつ。


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 お知らせ

 ガス会社の回し者みたいですね……。


2002年12月04日(水) 引越し終了

 この数日の間に、横浜市某区から某区へと引越しをし、憧れのSUICAを買い、そして部屋の中はまだ段ボールで溢れている。
 今日は髪を切りに行って、区役所まで転入届を出しに行って、新しい職場に挨拶に行って、電話がようやく通じネットができるようになったのでSo-net経由でのフレッツ・ADSLの申し込みをして、それから荷物を整理しているのだけれど、なんだか段ボールを開ければ開けるほど部屋の中が混沌を極めていくような気がして、ちょっとだけ複雑だ。
 けれどもまあ、掃除は一度たとえばスタート地点が0だとすると、途中で−10くらいになって、最後には+10になったりするものだとも思うので、黙々と身体を動かしていたわけなのだけれど。
 そして、片付くまでまだまだ時間がかかりそうなので、荷物の整理はちょっと休憩して、久しぶりにDaysの更新を。


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 引越しには利点はいくつかあると思うのだけれど(欠点もいくつかあるように)、そのうちのひとつは部屋の中の荷物の棚卸というか、自分が何を持っているのかということをあらためて知ることができるということだと思う。たとえば、一度クローゼットなり、押入れなりにしまってしまった荷物というのは、それが段ボールの中にでも入っていたらなおさら、普段はまず開けることはない。年末の大掃除でも、それは段ボールに入ったままの状態で放っておかれるのが常だと思う。
 けれども、引越しの場合部屋の中の荷物はすべて取り出さなくてはならないから、そのときについでにと段ボールの中に何が入っているのかを確かめてみたりする。すると、そこには存在すらすらすっかり忘れていた思いがけないものが入っていたりして、自分がそんなものを持っていたのだと再認識することができるのだ。そして、場合によってはそれを段ボールから取り出して、目に付くところに置きなおしたりすることもあって。

 一人暮らしももう少しで10年になろうとしているので、もうすでにいろいろなものがある。社会人になるときに実家に送り返さなかった物なんかは、結果としてかなり長い期間僕と一緒に移動していることになる。そういうことを考えるとなんだか不思議な気がする。たとえば、学生時代に斜めがけしていたカジュアルなバックは、いまでもまだあって、小さなポケットの中に以前捨て忘れた当時の映画の半券とか、そういうものが入っていたりする。すると、なぜかそのときのことを思い出したりもするのだ。誰と一緒に行ったとか、どこの映画館だったとか。

 たくさんの物が、この10年間の断層のように、様々な側面を示し、象徴している。本とかCDはさすがに覚えていないことの方が多いけれど、他のものの場合は、それをいつくらいに購入したのかということを結構覚えているから、記憶も思いがけず鮮明になりやすいような気がする。
 そして、これは大掃除なんかのときにも共通することだと思うのだけれど、それぞれのものに対して、蘇る記憶をたどりながら片付けたりするので、やけに時間がかかってしまうのだ、きっと。

 あと、今回の引越しは彼女に結構手伝ってもらったのだけれど、箱に詰めてもらった本とCDを再び棚に出してもらったときに、自分とは全然違う置き方になっていたのがなんだか不思議な気がした。思いがけずおもしろいなと思ったのだけれど。


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 引越して一番近い大きな街が横浜になったので、いろいろと足りないものを購入するために東急ハンズに行ってきたのだけれど、そのとき、西口から歩いて3分ほどのところにある骨付鳥の「一鶴」という店に入った(彼女が行きたいと話していたのだ)。
 それが、大当たりだった。「一鶴」は落ち着いた間接照明が印象的な店内で、「おや」と「ひな」の2品を中心にした骨付鳥のみを食べさせる店だ。「おや」は歯ごたえのあるかための肉で、「ひな」はやわらかい肉。
 僕は今回は「おや」を、彼女は「ひな」を食べたのだけれど、かなりおいしくてしばらく会話がなくなるくらい。
 しかも帰り際に黒くて薄い「一鶴」オリジナルの手帳ももらい(年末のいまだけ配っているみたいだ。ダイアリーに店の地図なんかが載っている)、それをぱらぱらとめくってみる。
 するとなんと、香川県の丸亀が発祥の地であるということが書かれていたのだ。
 丸亀市!
 僕はかつてアップしていた出張時代の記録「500 days」の中でも、丸亀市が大好きな町であると熱く語っていたほどなので、この偶然は本当に嬉しかった。しかも、高松市など香川県に6店舗構えている「一鶴」は、県外では今回訪れた横浜店しかないそうなのだ。
 なんだかそれを知って二重の意味でとても得した気分だった。値段も味と比べたら全然安いし(「おや」が930円、「ひな」が780円)、ビックカメラのはす向かい、ダイエーの並び(西口側)にあるビルの6階にあるので、お近くの方はどうぞ。もうたぶんすでにとても有名な店なのだと思うのだけれど、これは外食で久しぶりに新鮮においしい! と思えた店だったので。

 ただ、もらったはいいけれど、この薄い手帳は実際使うのだろうかというのは自分でもまだちょっと決めかねているのだけれど……。

 引越しに絡んで、まだまだ書きたいことはあるのだけれど、まずは荷物の整理を。


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 お知らせ

「一鶴」にはホームページもあります。

 http://www.ikkaku.co.jp/


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